落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

復活節第5主日説教 信仰の継承

2005-04-22 19:47:46 | 説教
2005年 復活節第5主日 (2005.4.24)
信仰の継承   申命記6:20-25
1. イスラエルにおける信仰の継承
本日の旧約聖書のテキストは、イスラエルにおける信仰の継承ということが語られている。このテーマはわたしにとっても非常に重要なテーマである。ハッキリ言うと、わたしたちの信仰というものは、「継承されるべきものとして」わたし自身にも与えられたものである。そういう観点からかつて京都教区婦人会の「幼少年教育推進委員会」が発行していた「ユニケの便り」第3号(1984.11.10)に短い文章を書いたことがある。この文章においてのべたことは次の点である。
2. 「信仰を次代に継承させること」
先ず第1の点は、信仰の継承ということは少なくとも自分から3代目以後、つまり孫の代に伝わってこそ、「継承された」と言える。つまり、信仰とは次の代にだけ伝えたらそれでいいというわけにはいかない。なぜなら、その次の代に伝えるべきものとして伝えるべきものである。ちょうどリレー競争のバトンのようなものである。次の代にしっかり手渡してくれよ、という願いを込めて次の代に手渡すもの、それが信仰である。ところが、この点が日本のキリスト教界ではいい加減になっているのではないだろうか。素直に日本におけるキリスト教の歴史を反省すると、キリスト教信仰は、二代目、三代目の教会離れということが目立つ。何故、そうなってしまったのか。
その一つの重要な理由は、日本に到来したキリスト教そのものにも原因があるように思う。明治以後に日本に入ってきたキリスト教の主流は、生真面目(「メソジスト」の原意)で、純粋(「ピューリタン」の原意)なキリスト教であった。これは何も、その名前に関係のある教派だけが問題なのではなく、カトリックにせよ、聖公会にせよ、同様です。しかも、それを受け入れた日本人の階層もおおむね生真面目で、純粋な人々であった。従って、信仰に入るということは、俗を棄てて純を求める、つまり「純福音」の探求の道に進むことを意味した。その際、家庭とか子どもは精進の妨げとなります。親は子どもに対して、権威ある「先達」であり、子どもは権威者に従う弟子となります。そこには親子で楽しむ信仰の祭というような面は希薄になる。
信仰を3代目まで継承させようと真剣に願うなら、おじいさんと孫とが共に遊べるようなものが必要である。ハッキリ言うと、キリスト教はもっと習俗化することが重要である。理屈ではなく習慣、純ではなく俗っぽさ、そこに宗教の根強さの秘密があるように思う。
3. 文化の伝承と断絶
最近、村上陽一郎氏(上智大学助教授を経て、東大教授、定年退職後は国際基督教大学大学院教授)が、「やりなおし教養講座」という本を出された。この本の中で、興味深い一つのエピソードを紹介している。ザビエルが日本にキリスト教を布教し始めた頃、多くのカトリックの宣教師たちが来日した。その時、彼らは日本人の振るまいが非常に高潔であることに驚き、そのことを一つの謎としてローマに報告している。当時のヨーロッパの人々にとって、彼らの道徳や生活態度を支えている土台はキリスト教信仰である。ところが、キリスト教を知らない日本人が彼らに負けないほどの道徳性を持っている。その驚きは、日本人に対する尊敬として明治時代まで続く。話しは、飛ぶが、明治時代に新渡戸稲造という人がアメリカに行ったとき、多くのアメリカ人から、このことを質問された。日本人の道徳や振る舞いを支えているものは何か。その質問に答えるために新渡戸稲造は「武士道」という本を英語で出版した、といわれている。現在では、新渡戸の精神的な弟子である矢内原忠雄(東大総長)によって翻訳されたものが出版されている。新渡戸はこの本において、武士道というものを、日本人に固有の道徳意識、というよりむしろ道徳を支える「無意識的かつ沈黙の感化」(岩波文庫版 139頁)という。これがすべての日本人心の底にあった。
さて、村上氏はこれを「規矩」という難しい言葉で表現する。これについてはこれ以上語らない。本日のメッセージとの関連で重要なことは、日本人の心の底にしっかりと埋め込まれていた「無意識的かた沈黙の感化」というものは、時代によって変化するとしても、その中心的な力は親から子へと受け継がれるべきものである。受け継がれることによって、より豊かになり、発展する。ところが、これがきっちりと受け継がれていない。特に、第二次世界大戦後、アメリカ流の民主主義が無批判的に流入し、それ以前の日本の文化を形成していたものをすべて「封建的」という一語の元に未練もなく捨てられてしまった。その後、多少、お茶だとか、お花だとか歌舞伎など文化の表面的なものは回復したが、ザビエルの時、欧米人を驚かしたような日本人の心の底にあるものはなくなってしまった。
それでもまだ、村上氏やわたしたちの世代の者は、そういう文化で育った親たちと共に生活し、その生き方を見てきた。たとえば、子どもの育て方、しつけ方、しかり方、食事の作法など、その前の時代ほど口やかましくしつけられはしなかったにせよ、そういう雰囲気というものが家庭内に残っていた。ところが、わたしたちの次の世代になると、それもなくなってしまい、若者たちは親たちの言葉に耳を傾けず、その生き方に倣おうともせず、「何でもあり」(228頁)という歯止めのない生き方をしている。
つまり、村上氏が言いたいことは、かつて西欧人を驚かせたような日本人の生き方の根底にあったものは、断絶し伝承されていない。この点をわたしたちの世代の者たちは深く反省し、「やりなおし」しなければならない、ということである。
このことは、キリスト教信仰の伝承ということでも同じことが言える。
4. 次代に伝える課題
村上氏は、「わたしたちの世代は、次の世代に対して、「物分かり」がよすぎたのではないか」(180頁)と言い、「もう少し頑固に、上の世代から受け継いだものを次世代への継承を試みるべきではなかったか」と反省し、「そのために、残された余生の中で、少し頑固な父親になろう」と決意している。
信仰というものは、その本質において、次代に継承すべきものとして、上の世代から受け継いでいる。日本においては、キリスト教の歴史の中で「地の果て」に位置しているという関係から、信仰の本質を「地の果てまで」という空間的課題としてのみ受け取り、次世代への課題という時間軸で理解する点が弱かったように思う。この点が、もう一度反省すべき課題である。

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