落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

降臨節前主日(特定29)説教 アルファとオメガ

2009-11-18 14:06:37 | 説教
2009年 降臨節前主日(特定29) 2009.11.22
アルファとオメガ  ヨハネ黙示録1:1~8

1. ヨハネ黙示録
ヨハネ黙示録は新約聖書の最後に置かれている文書であるが、あまりなじみがない。3年間の主日でもたった2回しか読まれない。C年の三位一体主日とB年の降臨節前主日とだけである。読んでみても、何か判じ物のような内容でわけがわからない。だいたい「黙示録」という書名自体が謎めいていて、どういう文書か見当もつかない。
「黙示」という言葉は、もともと「覆いを取り除く」という意味で、普通「啓示」という言葉に訳される。今までベールに包まれて見えなかったものが見えるようになる。親しい友人からの贈り物であるならば、包みを開けなくても、その物が何であれ、「友情の印」であるということはわかる。それでも実際に包みから取り出して、それが大好きなチョコレートであったとすると、わたしの好物を覚えていてくれたのかとその友人に対する信頼はますます高くなる。これが最近すこし関係がギクシャクしている友人からの贈り物であるならば、中身を見るまで、これでもう関係を切るのか、関係を修復しようとしているのか、「吉か、凶か」包みをあけるまでわからない。「黙示」とか「啓示」という難しそうな言葉を使うからわかりにくいのであって、もともとの意味は「ベールを取り除く」という普通の言葉である。ただ、この言葉が神と人間との関係について語られるときに、このような特殊な言葉が用いられるのである。
神と人間との関係はそれほどスムーズな関係ではない。少なくとも人間の側からいうと、神のことがよくわからない。愛されているようにも思うが、時には憎まれているのではないかと思うときもある。そもそも神は存在しないのではないかと思うことさえある。いないならいないで、それなりの生き方もあるが、どうしても存在しないと断定することもできない。
初代キリスト教徒たちの確信はイエス・キリストを通して、神の御心が明らかにされたということであり、その内容は「神は愛である」ということに他ならなかった。神は愛である。神はわたしたちを愛しておられる。わたしたちは神によって救われる。神はわたしたちと和解することを望んでおられる。神との和解はすでに成立している。これが福音である。
2. ヨハネ黙示録のメッセージ
ヨハネ黙示録の著者は、その福音の事実に立って歴史を解明しようとする。イエス・キリストに至るまでの歴史は初代教会のキリスト者たちによって再構成された。いわば過去の歴史は明らかにされた。そこで著者は現在から将来に向かっての歴史を解明しようとする。しかし現在から見ると、この計画には無理がある。はっきり言って、できるはずがない。無駄な努力と言えば、まさにその通りであろう。しかし、それは現在の立場から言えることで、当時の迫害のまっただ中にいたキリスト者たちにとっては非常に重要なテーマであったと思われる。そもそも教会は存続し続けることができるのか。教会をこのように迫害する「この世」に対して神はそれでも愛なのか。次々と脱落していく仲間たちの運命やいかに。問題は山ほどあった。著者はこのような深刻な問題に答えようとしている。従ってヨハネ黙示録は将来の歴史の解明ということには成功しなかったとしても、現在の信徒たちへの慰めという目的には十分にかなっている文書である。
3. ヨハネ黙示録のキリスト
イエス・キリストについての黙示録らしい表現は「わたしはアルファであり、オメガである」という言葉である。3回用いられている(1:8,21:6,22:13)。言葉の意味はわかりやすい。アルファとはギリシャ語のアルファベットの最初の字であり、オメガとは最後の字である。21章では「アルファであり、オメガである」という言葉に続いて「初めであり、終わりである」という解説が付加されており、22章では「最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである」と説明されている。要するに「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者」、全歴史の支配者を暗示する暗号のような言葉である。
4. 「あうん」の呼吸
日本で代表的な広辞苑(第4版)は「あ」で始まり、「んとす」でおわる。この「んとす」は正しくは「むとす」で「終わりにする」という意味であるらしい。従って実質的には「ん」で終わると考えられる。つまり、「アルファであり、オメガである」という言葉を日本語でいうと、「あであり、んである」とでもなるのだろう。日本人の知っている言葉のすべては「あ」と「ん」の間にある。ここからはみ出す言葉は存在しない。そのことは言葉だけではなく、すべての知識も同様である。百科事典も「あ」から「ん」の中に入ってしまう。
そういえば、この「あ」という言葉と「ん」という言葉は、わたしたちの人生においても非常に重要な言葉である。人間は「あ」と声を発して生まれ、「ん」と言って口を閉じ、人生を終わる。「あ」は息をはき出し、「ん」は息を吸い込む。人生とは「あ」で始まり、「ん」で終わる。この人生のすべても「あ」と「ん」の中に納められ、それを支配しているのは「あーんの主」である。

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