落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈> ティベリア湖畔にて  ヨハネ21:1~14

2010-04-13 14:51:19 | 講釈
2010年 復活節第3主日 2010.4.18
<講釈> ティベリア湖畔にて  ヨハネ21:1~14

1. 資料問題
ヨハネ福音書は第20章の30~31節に「本書の目的」を記す言葉が次のように記されている。「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」。この言葉に第21章の24~25節の言葉を直結して「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう」と続けて読んだ方がはるかに自然である。従って、もともとのヨハネ福音書は第20章で終わっていたが、何らかの理由により、著者自身によるのかあるいは他の人によって第21章が付加されたものと思われる。
2. 大漁物語
ルカ福音書5:1~12によく似た大漁物語がある。シモン・ペトロの弟子入りの切っ掛けとなった物語である。これらを比較すると類似点が多い。場所は「ゲネサレト湖畔」と「ティベリア湖」で共にガリラヤ湖の別名である(ヨハネ6:1)。ガリラヤ湖が「ティベリア湖」と呼ばれるようになったのは、ヘロデ・アンティパス王がローマ皇帝ティベリゥス(Tiberius、在位14~37)のご機嫌を取るためにガリラヤ湖西岸の風光明媚な場所にギリシャ風の豪壮な別荘都市を建造し、その町を「ティベリア」と呼んだことによる(紀元26~27)とされる。建てられた頃はユダヤ教正統派の人々はこの町を不浄の町として近づかなかったが、後にヘレニズム文化の中心都市となった。2世紀以後はユダヤ教における主要なセクトがここに形成されるようになった。この名称が見られるのはヨハネ福音書だけで6:1、6:23にも見られる。
おそらくこの大漁物語はガリラヤ地方に流布していたイエスの同じエピソードであり、ルカはそれをペトロの弟子入りの切っ掛けの物語に仕上げ、ヨハネは復活のイエスの顕現物語に仕上げたのであろう。どちらが、本来のものであったのかということについてはもはや知ることはできない。いずれにせよ、この物語がペトロの生き方の大転換を示すエピソードであることは興味深い。ルカが福音書を書いたのが紀元80年代で、ヨハネ福音書はそれより約10年遅れて90年台以降だとすると、その間にこの物語の細部に口伝特有の変化が見られる。
たとえば、ペトロが「主だ」という叫び声に反応して「上着をまとって湖に飛び込んだ」という叙述もユーモラスである。どこかの話し上手の脚色かもしれない。あるいは、取った魚の数についても「153」という数字はいかにも何か(神学的な解説)がありそうな感じがする。松村克己先生は「4世紀のヒエロニムスによると、ギリシャの博物学者は魚の種類を153と数えたという。また、それほど多くとれたのに、網は破れていなかった」という注釈について「カトリック教会では、福音の網はあらゆる人々(民族)を集め、しかも網は裂けず、一つとなっていることを象徴的に示すものだと解釈している」と説明している。最近読んだ本では立教大学の聖書学の秋吉教授が面白い解釈を紹介している。「これはアウグスチヌスの解釈であるが」とことわった上、「153」という数字は1から17までを足した数字であり、「10」とは十戒を意味し、それにイエスの福音を完全なものとして「7」という数字をあてはめているという。つまり、ユダヤ教の律法に打ち勝つイエスの福音がここに実現したのだという隠喩がある(池澤夏樹『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』118頁)。こういうことを考える伝統がユダヤにはあり、それを数秘術(numerology)という。また、「舟の右側に」という細かいことも、なぜ「左」ではいけないのか、伝承の過程において語り手に何らなの意味づけがあったのであろうが、現在ではその理由は分からなくなっている。ともかく、この物語は多くの人々の口を通して、いろいろな場面で伝承されたのであろう。
3. キリストの顕現物語
この顕現物語を他の顕現物語と比べると雰囲気がまったく違うことは明確である。何かのどかな雰囲気がただより、読む者包み込むような暖かさがある。個人的な感想からいうと、わたし自身は復活したイエスの顕現物語の中で最も好きな物語である。「好き」という意味は、復活物語の中で最も現実性があるように思うということである。
福音書においてはイエスの復活については語る「復活物語」は存在しない。あるのは復活したイエスの「顕現物語」である。誰もイエスが復活した場面を見たわけではない。その点ではヨハネ福音書11章のラザロの甦りの出来事は非常にユニークである。ラザロは「手と足を布で巻かれたまま(墓から)出て来た。顔を覆いで包まれていた。イエスは人々に、『ほどいてやってください』といわれた」(ヨハネ11:44)。それこそまさに復活物語である。しかしイエスにはそういう場面はない。あるのは復活したイエスが人々の前に姿を顕したという顕現物語である。その意味では復活信仰とは「生きているキリスト」に対する信仰である。
4. ガリラヤにおける顕現
イエスの顕現の場所がどこかということも議論される。マタイ福音書もマルコ福音書も弟子たちは「ガリラヤで会う」というメッセージを受け取っている(マタイ28:7、10、16マルコ16:7)。ルカは福音書、使徒言行録を通して一貫してイエスの顕現はエルサレムにおいてである(ルカ24:33、使徒言行録1:4)。その点でヨハネは地名を明記しないがその雰囲気はエルサレムである。ところがヨハネ福音書21章の出来事はティベリア湖である。おそらく、イエスの顕現はガリラヤであり、ルカだけが彼の神学に基づきエルサレムにおける顕現を主張している。
マタイ福音書にもマルコ福音書にもイエスが弟子たちに顕現した出来事はほとんど述べられていない。マルコはもともと復活と顕現には関心はないから不思議ではないが、マタイにおいてもただマタイ28:16~17で「11の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた」ち記されているだけである。マタイが福音書を編集している際にこの資料を見つけたら必ず採用したはずである。この資料が「発見」されたのはかなり遅かったのではなかろうか。
5. この物語の注目点
先ず、著者はこの出来事は弟子たちに対する復活の主の第3回目の顕現であったという。もちろん、これはヨハネ福音書だけを前提にしたことである。前の2回とは20:19と26であるが、これは21章を付加した後代の編集者の言葉であろう。むしろ物語そのものはイエスが十字架刑により処刑されたとき、弟子たちはエルサレムを逃げ出し、故郷に帰ったときの状況(ヨハネ16:32)を反映している。
この物語が示す注目点は、弟子たちはイエスを見てもイエスと気付かなかったということであろう。復活したイエスの顕現物語の1つの特徴はここにある。マグダラのマリアの場合(ヨハネ20:11~18)も、そうであったし、エマオの途上での2人の弟子の場合(ルカ24:13~35)も同様であった。このことは、復活したイエスの顕現が実際にはどういうものであったのかということを考える場合に非常に重要なポイントである。2つの解釈がある。イエスの顕現は点的に、断片的にいろいろなところでいろいろな人に対して起こったこと、そしてそのつどイエスの顕現を経験した人は、直ぐにはそれがイエスだということに気が付かなかったことという解釈。もう一つは、イエスの顕現はそのつど「新しいイエスとして姿を現した」という解釈である。いずれにせよ、復活したイエスの顕現は継続的であり、断続的であったということであろう。復活したイエスがそのまま弟子たちと共にいたということはない。その意味では弟子たちは毎回「新しいイエス」に出会う。しかも、そのイエスは「昨日も、今日も変わらない」(ヘブル13:8)。
6. イエスと判る条件
マグダラのマリアの場合は「マリア」と呼びかけられて気付いたという。おそらく、生前のイエスから「マリア」という呼びかけの言葉を繰り返し聞いていたのであろう。「マリア」という一言に、条件反射のようにマリアは反応した。同様にエマオの途上での2人の弟子たちはパンを裂くイエスの所作が心の中に印象づけられていたのであろう。だからこそ、謎の旅人の何気ない「パンを裂く」所作によって生前のイエスが甦ってきたのであろう。
ティベリア湖畔では、先ずイエスに気付いた弟子はペトロではなく「イエスの愛しておられたあの弟子」と言われている。ここにペトロとこの弟子との確執が感じられる。最後の晩餐の席でもこの弟子はイエスのすぐ側に座っていた。だから、この弟子が「主だ」と言った瞬間、ペトロは何も考えずに行動を起こしていた。ここでのペトロの行動は非常に面白い。ペトロは「主だ」という言葉に反応する。考えるよりも、信じるよりも、そんなことを飛び越えて行動に移してしまう。イエスにとって、そういうペトロが頼もしく、愛したのであろう。
7. 第21章のメッセージ
さて、ヨハネ福音書の著者はもう既に完結している福音書に、なぜわざわざこの21章を付け足しのだろうか。明らかにこの章はこの福音書を読む紀元90年から100年頃の信徒たちへのサーヴイスであろう。キリスト者への迫害はかなり激しくなっている時代である。このような状況の中で信仰を維持し、教会という組織を守るためには、自分たちの同じ地平に立つ指導者への信頼とその指導者を支える生きたキリストである。
21章全体を通して語られる重要なポイントは復活者イエスに対するペトロの絶対的な信頼と、そのペトロに対する人々の絶対的な信頼である。その間に少しの揺るぎもない。一晩の不漁もこの信頼を崩さない。主に従うならば必ず大漁になる。教会の主であるイエスは朝、一晩苦労した信徒たちを出迎え「さあ、来て、朝の食事をしなさい」(21:12)と言ってくださる。もはや、弟子たちはだれも「あなたはどなたですか」などと問わない。なぜなら、主であることを知っていたからである。この何の変哲もない日常性こそが福音である。
わたしたちには明日があるのかという不安。明日の食事は大丈夫かという経済的不安。当時の教会とキリスト者たちは、外的にはそういう不安の状況にあった。いや、考えてみると何時に時代でも、どこでも、わたしたちはその不安を大なり小なりかかえている。しかしキリスト者には「生けるキリスト」がついている。ヨハネ福音書第21章はわたしたちにそのことを語っている。

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