続・弓道の極意

私が一生をかけて極めようとしている弓道について、日々の気づきを積み重ねていくブログ

力を掛け続ける技術③

2010年05月30日 | 積み重ね
それでは息合いの技術について、具体的に説明したい。

息合いの技術(長く力を掛け続ける技術)とは、要は「リラックスしながら力を掛ける」技術である。

力を掛けるというと、普通は「力(りき)む」ことをイメージするが、武道では「リラックスしながら力を掛ける」ということに重きを置く。

そして、これを実現する具体的なコツの一つが「呼吸を止めない」ということなのだ。

たとえば、試しに全力でどこかの壁を押してみてほしい。さて、どのくらいの時間押し続けられるだろうか?

本当に全力で押したならば1分は持つまい。全力の程度にもよるが、10秒ほど押しているだけで、相当力が弱まってくるはずである。

そこで、今度は同じ全力を、息を細く吐きながら行ってみよう。細く吐くのに慣れていなければ、口を尖らせて空気が出にくいようにして「ふーーー」と息を吹くようにするといいだろう。

もちろん、息が切れそうになれば、全力は維持したまま、息を吸いなおしてもかまわない。とにかく、呼吸を止めずに、全力を注ぐのである。

どうだろうか?おそらくこれだけでも、だいぶ「楽に」全力を出し続けることができたのではないだろうか。

もし「楽に」全力を出す感覚がつかめたならば、そのまま弓道に応用すればいい。つまり、あまり形式的な息合いにこだわるのではなく、とにかく呼吸を止めずに、全力で引分けてくるのである。

まだ感覚がつかめない人は、普段の生活で力を出す場面(たとえば重いものを持つとか)があった際、常に「呼吸を止めずに」それを行うといい。

本質的な技術ほど、習うより慣れよで、身体で学ぶことが肝要である。

※ちなみに、興味のある人は、合気道の「座技呼吸法」という技を調べてみるとよい。これは名前のとおり、座って行う呼吸を使った稽古法であるが、長く力を掛け続ける稽古として大変優れたものである。

力を掛け続ける技術②

2010年05月26日 | 積み重ね
前回、息合いは「長い呼吸」が目的なのではなく、「長く力を掛け続ける」ことが目的ということを書いた。

では、「長く力を掛け続ける」とはどういうことだろうか?

一見すると、引分けの際に弓を引いてくる以上、力を掛け続けるのは当たり前のように思える。

しかし、よく考えてみてほしい。普段の生活の中で、あるいは、他のスポーツで、これほどまでに長い時間、一定の力を掛け続けることはあるだろうか?

おそらく通常、「力を掛ける」というと、瞬間的に大きな力を掛けることを意味していることが多いのではないだろうか?

つまり、「長く力を掛け続ける」というのは決して自然にできることではなく、極めて特殊な技術なのである。

この技術を「息合いの技術」と呼ぶことにしよう。

たとえば、重い旅行かばん(最近ではコロコロカバンが主流?)をもって駅などを移動しているとき、目の前に長い階段が立ちはだかったならば、当然そこをカバンを持って降り(上ら)なければならない。

本当に重いカバンであると、半分くらいはいけるかもしれないが、一気に(一息で)下まで降り切るのは結構骨が折れるものである。

これを息合いの技術を使って降りることで、自然に、平然と、息を切らすことなく下までカバンを持って降りることができるのである。

引分け、会、でも全く同じことがいえる。

つまり、普通に引くのでは、目一杯の力で、ムリをして引いてこなければならないところを、息合いの技術を使うことで、平然と引き切り、なおも伸合う余力を残すことができるのだ。

特に初心の頃において、この技術を無視して、「とにかく長く持て!」と叫んでみたところで到底無理な話である。

息合いの技術をできるだけ早く身につけ、平然と弓を引いてこられるようになることこそ、初心者がはじめに身につけるべき技術であるし、これによって早気の予防にもつながるはずである。

力を掛け続ける技術①

2010年05月24日 | 積み重ね
弓道において意外に注目されない技術として「力を掛け続ける技術」がある。

これは合気道などでは、最も大事な技術として「合気」という名でその極意を伝えている。(とはいえ、近代合気でも「合気」そのものを技として教えることはほとんどなく、呼吸力という形で教えることの方が多い)

弓道では、一応、「息合い」という形で、同様のことを語っているようであるが、もう少し技術としてこれを深堀りしてみたい。

弓道教本第一巻には次のような記述がある。

<抜粋>
・息合いは基本動作(体配)を生かし、射法八節、とくに「会」.「離れ」における心の安定、気力の充実をもたらし、気合いの発動の原動力となるものである。
・静かな長い呼吸が、きわめて自然につづけられるように修練し、それがやがては無意識の中に肉体におぼえこませるように習得しなければならない。

大事なのは、「息合いは・・・とくに会、離れにおける心の安定、気力の充実をもたらし」という部分と、「静かな長い呼吸が、きわめて自然につづけられるように修練し」という部分である。

つまり、「静かな長い呼吸でもって、会および離れを安定させることができる」といっているのである。

これは技術として大変重要な記述である。なぜなら、我々が普段行っている呼吸は、せいぜい2~3秒のうちに行われる短い呼吸だからである。

では、なぜ長い呼吸が必要なのであろうか?

それは「長く力を掛け続けなければならないから」に他ならない。決して「長い呼吸」が目的なのではなく、「長く力を掛け続けること」が目的なのだ。

次回、長く力を掛け続けること、について具体的に説明する。

壁押しの弓手

2010年05月18日 | 積み重ね
弓手が利かない人の特徴として、「弓手を遠くへ伸ばそうとしている」ということがあげられる。

このことは、会で顎(あご)が上がっているかどうかで判断できる。顎が上がっている場合、ほとんどが弓手を遠くへ伸ばそうとしているため、それに引っ張られるように顎が上がってしまうからだ。

顎が上がってしまうということは、土台となる胴体(胴造り)との連動が弱くなるということである。

このことは壁などを強く弓手で押してみると分かる。

本当に強く押そうと思ったら、しっかりと顎を引き、身体と弓手が一体とならなければならない。顎が上がるほどに弓手をのばしてしまったのでは、壁は強く押せないことがわかるだろう。

弓でも同様である。特に会においては、顎を引き、どっしりと落ち着いた胴造りから弓手が伸びていなければ、弓手は利いてくれない。

この意味でも、先日書いた、総体は自然体でありながら、弓手はしっかりと利かせる、ということがいえる。

力の入れどころ

2010年05月14日 | 積み重ね
人に教えていると、自分でも「今の発言は矛盾しているな」と思うことがあるのだが、実際に自分の感覚をそのまま伝えようとするとそうなってしまうのだから困りものである。

たとえば、力を抜くな、サボるな、といっておきながら、力を抜け、といってみたり。これでは教わる側は混乱せざるを得ないだろう(反省)。

伝えようとしていることは身体全体のこと全てを含んだ感覚なのだろうと思うのだが、それを一言で言い表すのは難しいので、どうしても言葉で説明すると部分に焦点が行ってしまい、一見矛盾するように見えてしまう。

力の入れ具合についても、身体の総体としてはどっしりと構え、脱力し、重力に身体を任せている状態でありながら、力を入れるべきところはこれ以上ないくらいしっかりと力が入っていて、弓に対して圧倒的な力でもってそれを制しているのである。

弓道を含む武道の難しいところは、まさにこの点である。つまり、総体として脱力していながらも、入れるべきところは相手を制しきるくらいの圧倒的な力を発揮しているという点だ。

この力を入れるべきところというのは、一貫して、伸びる筋肉、伸筋である。伸筋だけはどこまでも伸び続けんとするほどに、しっかりと利いていなければならない。

しかし、一般的な力むとは全く別物で、伸筋を利かせるためには総体としてリラックスしていなければならないのだ。

書いていても矛盾を感じざるを得ない感じだが、ここが武道の難しいところであり、深く、面白いところなのだろうと思う(ことにしよう)。

軽く感じる引き方を探すこと

2010年05月05日 | 積み重ね
昨日、友人が「弓を見てほしい」というので、稽古に付き合った。

友人は、まだ弓を始めたばかりで(とはいえ3年くらいになるが)、これまでほとんど運動もしたことのないきゃしゃな女性なので、10キロの弓をぎりぎり引いている感じだった。

ハタから見ても、ちょっと重過ぎるのではないか?と思うくらい一生懸命引いているので、「もう少しキロ数を落とした方がよいのでは?」と助言した。

すると、彼女は「そんなことない」と今度は軽々引いてしまった。

稽古の後、彼女にそのときの感覚を聞いてみると、「10キロが引けないと言われて、そんなわけないという気持ちで引いたら、軽く感じた」という。

おそらく、実際には10キロを引く力は十分にあるのだろう。ただ、それ以上に余計な力をあちこち使いすぎているため、自分自身で「弓が強い感覚」を作り上げてしまっている可能性が高い。

彼女は、実際に10キロの弓に「引けないくらいの強さ」を感じているに違いない。しかし、それは弓自身の力ではなく、自分自身の無駄な力によってガチガチに体が固まり、それを「弓が強い」と感じてしまっているのだ。

力を抜くことはサボることになるのでお勧めしないが、弓が軽く感じる引き方を探すことはとてもよい稽古になるのではないか。

そう助言をし、その日の稽古を終えた。

全ては手の内へ集約される

2010年05月02日 | 積み重ね
身体全体の詰合い、伸合いができるようになった上で、初めて弓手手の内の技術が意味を持つようになる。

それは、大三から詰合いながら引分けてくる身体全体の大きな動きを、弓へとピンポイントで集約させる、という役割である。

それはまるで虫眼鏡で太陽の光を集めるように、弓の角見のただ一点に、身体全体のダイナミックな動きを全て集約するのである。

詰合い、伸合いが身体で体現できていれば、手の内への集約はそれほど難しくない。

単純に、大三で決めた手の内を、会に至り、離れがでるまで、一切ずらすことなく、圧を蓄えるようにすればよい。

特に、前回、指摘したように、押すだけの引き分けや、開くだけの引分けでは手の内に圧が蓄えられることはない。

正しい詰合いと伸合いとで引分けてくることで、初めて手の内に、自然に圧が蓄えられるのである。

正法流では、会で蓄えられた手の内の圧に、「握りこむ」という圧をさらに加えることで圧倒的に鋭い離れを出すことをよしとしている。

これなどは、手の内の圧がいかに大事かを物語る好例であろう。