続・弓道の極意

私が一生をかけて極めようとしている弓道について、日々の気づきを積み重ねていくブログ

中押し号

2010年07月29日 | 積み重ね
最近、ゴム弓を購入したが、すこぶる調子がいいのでぜひ紹介したい。

「中押し号」というゴム弓で、おそらくオーナーの熱意だけで開発して、販売しているだろうことがHPを見るだけでわかる代物である。

私は今までゴム弓での稽古を避けてきた。なぜなら、どんなにいいゴム弓であっても、実際の弓の感覚と違うため、いざ弓を持ったときにはやはり感を取り戻す稽古が必要であったためである。

しかし、最近、出張がかさんでどうしても弓に触れられない時間が多くなり、徒手よりはましかとゴム弓を探していたところ、このゴム弓に出会ったのである。

このゴム弓、何がすごいかというと、ゴムが角見の位置から生えていて、会に入ると完璧に角見の感覚を再現している。

また、このゴムがちょうど矢の位置に引っ張られるので、頬づけや口割りの確認ができ、すなわち完全な会の形が確認できるのだ。

ゴムの持つ位置を変えれば、大三で圧を受けることも可能で、ほとんど弓を持ったときと変わらない感覚でゴム弓稽古ができる。

既に購入して1か月たつが、あまりの引き心地のよさに、出張にいかいなくても常にそばにおいて仕事の合間やテレビを見ながら、ストレッチ感覚で引く毎日である。

道場での稽古で得られた感覚を忘れないようにするためには最適な稽古となるはずなので、お勧めである。

中押し号HP:http://sky.geocities.jp/anzenkyuugu_ando/index.html

会は7秒以上

2010年07月26日 | 積み重ね
中てるだけであれば、3秒くらいで離すのが最も安定する。

なぜ3秒で中りが出るかといえば、そのくらいであれば一気に会から離れまで力を維持できるからである。

また、集中力も3秒くらいが無心になれるちょうどよい時間なのである。

しかし、これではいかにも「中てるために離しました」という射になってしまい、見ていて迫力も、気合も感じられないものになる。

そこで、3秒の時点で一度、発のタイミングを我慢し、次の発、すなわち7秒くらいで起こる発で離れを出すことを心がけると、より深い会と鋭い離れが得られる。

しかし、言うは易し、これは大変難しいことである。

なぜなら、3秒を超えてもなお安定して伸びあうことは技術的にも困難であるし、3秒を超えて持っていると、いろいろな雑念が沸いてくるものである。

これらの困難を全て排して、なおも伸合い続け離れるからこそ得られる境地があるのだ。

できればこの二つの離れを使い分けられるのが一番よい。たとえば中てることで勝敗が決まるような大会であれば3秒の離れを、審査や格式高い礼射の際などは7秒の離れを、という具合である。

難度からいえば圧倒的に7秒の離れの方が難しい道であるから、稽古の際にはこちらを目指すのがよいだろう。

※会の深さは時間ではないが、分かりやすさのため時間で書いている。

早気に取り組む

2010年07月17日 | 積み重ね
今、生徒の早気の修正に取り組んでいる。

どうしても早気の人というのはその症状(矢が思いより早く出てしまう)に意識が向いてしまい、それを直接何とかしたいと思うらしい。(当然だが)

しかし、早気というのは結果であり、その原因は他にあるのであるから、それを見つけ、そこに手を打たなければいけない。

その子の場合、他の子よりも会が深いがために早気が起こっているように見える。

会が深いために、会に入った時、少しでも左右のバランスが崩れると、弓力に負けて「縮まる怖さ」が出てきているのではないかと推測する。

そこで、以下のような稽古を取り入れることにした。

1.大三は大きく、高くとり、
2.そこから腕の重さで両腕を下してくるだけを意識し、
3.両拳または矢筋が水平であることを正面を向いて鏡で確かめながら、
引き下してくる

こうすることで、会の一番絶妙なバランスが必要なポイントにおいて、安定した詰合いが得られる感覚を養うのである。

すでにその子は数年間、早気に苦しんでいるということなので、この稽古の成果に期待したいものである。

続ける才能

2010年07月12日 | 積み重ね
先日、久しぶりに稽古に訪れた生徒を見てしみじみと思うことがあった。

その子は大変筋がよく、誰よりも上達が早い子だったのだが、少し来ていない間にかなり以前の状態に戻ってしまっていた。

だからその子がいいとか悪いとかは一切思わないのだが、なんとももったいない気がしていろいろと考えてしまった。

私は才能のあるなしをこう考える。

そもそも生まれつき弓道の才能がある人などいない。あるのは自分を信じて稽古をし続けられる「続ける才能」だけだ、と。

素質のようなものは確かにある。筋がいいとか、初めの段階にしては技術が進んでいるとか。

しかし、そういう人でも、続ける才能がなければ上達は難しい。

ここでいう「続ける才能」というのは、週に1回くらいの習い事的な継続のことではなく、何らかの動機によって、毎日弓のことを考えざるを得ない、日々弓を触らなければいられない、そういうことを言う。

こういう衝動を生み出す動機はいろいろあると思う。

私などは、「最高の射を自ら何としても体現してみたい」という憧れにも似た衝動なのであるが、たとえば純粋に「あの大会で勝ちたい」とか、「弓道が楽しくて仕方ない」とか、そういう衝動でももちろんよいだろう。

いずれにしても、そういう動機を持てた人というのは、もてない人より格段に上達していくものである。

そう考えると教える側としては、技を教えるのはもちろんのこととして、そういう稽古に対する衝動をこそ育(はぐく)んでやるべきなのかもしれない。

揚げ足取りは射を壊す

2010年07月03日 | 積み重ね
人の射を壊すことは簡単である。それには2、3か所悪いところを指摘すればよい。そうすれば、射手はそのことが気になり、全体のバランスを崩し、たちまち射は壊れるだろう。

いきなり何の話をしているのかと思われるかもしれないが、このような指摘をしている人が結構いることに驚くのである。

指摘するならば1か所、できるだけ本質的なところを指摘するべきである。なぜなら、指摘を受ける側がそれを消化できるのはせいぜい1か所だからである。

指摘を受けると人は意識をそこに焦点化する。これは1か所が限界である。それを2か所、3か所と行うと、意識を集中しようにも集中できず、結果、全体のバランスを崩し、できていたことまでできなくなるということが起こる。

そこでさらに追い討ちをかけるように追加の指摘をする人がいるが、もはやそれはその人の射を壊そうとしているとしか思えない。

指導者は生徒のまずいところの根っこをピンポイントで把握し、それだけやればいいという課題を一つだけ与えるべきである。

そうすると生徒はそこに全神経を注いで色々と試行錯誤することができ、そうすることで初めて、できた、できないという成長体験を得ることができる。

たとえ課題が一つだけであったとしても、それをクリアするには時間がかかるものであるから、腰をすえて見守るということも指導者にとって大事なことだと思う。