続・弓道の極意

私が一生をかけて極めようとしている弓道について、日々の気づきを積み重ねていくブログ

正しい角見の利かせ方①

2010年09月30日 | 積み重ね
角見に関しては各流派それぞれ違いがあったり、人それぞれこだわりがあったりするところなので、あまり言及してこなかった。

ただ、最近の角見偏重というか、角見で中てにいくような風潮(?)はどうかと思うので思っているところを書いてみたい。

確かに角見を単純に利かせることで、離れの瞬間に弓が弦を押してくれるので、離れは鋭くなり、矢どころも安定する。

しかし、本来、角見は身体で利かせるものであり、小手先で利かせるものではない。

小手先で利かせる角見というのは、たとえば極端に手の内を固め、特に親指が反り返るくらいの力で持って固めてそれで角見を利かせたり、あるいは極端な上押しや手首の捻りによって角見を利かせたりするものである。

これでも確かに角見は利かせられるだろう。しかし、それは完全な手先離れであり、身体で引いて、身体の伸合いによって離れを出すこととは程遠い気がしてならない。

実際、手先離れの射は、鋭さはあるが、迫力や重さは感じられず、往々にして軽い感じのするものである。一方、身体の伸合いで離れを出すと、矢がひしゃげて的を貫くような勢いが感じられるものである。

若い人たちにこそ、こういう射を目指してほしいものである。

次回、身体で角見を利かせるにはどうしたらよいか、考えてみることにしよう。


中るべくして中る射

2010年09月24日 | 積み重ね
私には実現したい理想がある。それが「中(あた)るべくして中る」ということだ。

直感的にはまぐれ中りではないということだが、厳密にいうと射において一切の無明(むみょう※)をなくす、ということだ。

特に自分の身体と弓矢の挙動において、全てを把握しつくして引き、そして中てるということになる。

これは不可能とも思えるほど難しい。なぜなら、身体の感覚というものは常に変化し、とらえどころがないからである。

さらにやっかいなのは、自分でわかっていると思っていることが実はよくわかっていないということがあるということである。

たとえば、稽古で「ここをこうすればうまくいく」というルールを発見したとしよう。しかし、次に引くときにはその感覚が違っていて、あるいは他の箇所に問題が生じていて、せっかく発見したルールが役に立たないということも多々ある。

また、どうも調子が悪いのだが、どこが悪いかは特定できないということもよくあることだ。

しかし、だからといって正解を探すことを諦めるのではなく、そういうことを一つ一つ積み重ね、本当にいつでも通用するルールを発見していくことこそ、私が求める理想に近づく唯一の道であると考えている。

一つ一つ無明を光で照らし、智慧(ちえ)を身につけていく。そして、最後には、全て自分の理解のもとで引き、そして当然のように中るという境地を目指しているのである。

「稽古とは、一より習い十を知り、十よりかえるもとのその一」 

これは茶道の千利休の言葉とされているものだが、私はこれを大真面目に追及して稽古に取り組みたいのだ。


※無明とは仏教用語で、真実に対して暗いこと(闇)をいう。たとえば禅で重要なことは、自分の暗闇に意識(光)を向け、照らし尽くすこととされる。ここでは「無知」くらいの意味で使っている。

矛盾を乗り越えると成長する

2010年09月19日 | 積み重ね
前回書いた大三のポイントを参考にしている人が稽古に来ていて、少し見る機会があった。そのときに気になったところがあるのでここで補足をしたい。

それは、大三で引き尺を取りすぎてしまうということである。

大三での引き尺は、矢尺の半分以下がよいとされており、それ以上大三で引いてしまうのは引きすぎになる。

一方で、前回お伝えしたように、身体で引く準備のためにはしっかりと弓が身体に入るくらいまで引き寄せなければならない。

この矛盾をどう解消すればよいだろうか?

これを解消するためには、以下の2点が大事である。

① 引くのではなく、張り上げることを意識する
② 特に妻手を引かないように注意し、弓手に引かれるまま十分送り込む。(ただし二の腕は張っていること)

いずれも同じことを言っていて、要は、引かずに両腕とも張り上げようということだ。

張り上げるには、弓手は深く伸びていなければ張ったことにならないし、妻手は深く送り込み、わき腹から二の腕にかかる筋を伸ばさないといけない。

同じ張り上げるという行為でも、弓手と妻手ではだいぶ感覚が違うのである。

そして、このようにして両腕を張り上げることにより、大三でむやみに引くことはなくなるため、半分以下の矢尺で大三が取れるはずである。

逆に、矢尺の半分で大三を取ろう、そして、両腕も深く張り伸ばそうと試行錯誤をしているうちに、自然に身体で引く形ができるようになってくるのである。

重量挙げと弓道は似ている②

2010年09月15日 | 積み重ね
前回、重量挙げと弓道の似ているところは、腕の力をほとんど使っていないところだ、ということを書いた。

もう一つ、弓道と似ているところがある。それは持ち上げる前の事前姿勢である。

スナッチにしろ、ジャークにしろ、バーベルが地面に置かれているところから始まるのは同様である。

このとき、どちらも肩と拳(つまりバーベル)の位置が地面に対して垂直になっている。これは、バーベルの重さを腕の力ではなく、身体で受け止め、下半身で挙げるための事前姿勢である。

このことは、当然といえば当然であるのだが、では弓道ではその当たり前のことが出来ているだろうか?

弓道において力を入れ始める事前姿勢にあたるのは大三である。

この大三において、本来であれば、弓からの力を身体で真正面から受け止められる状態(※)になっていなければならない。すなわち、弓の中に身体が入っているということである。

しかし、実際には弓には矢がつがえてあり、弓に身体を割っていれるのは不可能である。

したがって、十分に弓を身体に引きつけ、真正面ではないながらも、弓の力をなるべく正面から受け止められるところまで身体を入れなければならないのだ。

これが大三の役割であり、このようにして大三に入ることで自然に身体で引分けられるようになる。

身体が弓にしっかりと入ると、その後の引分けの感覚が明らかに感覚の違うものになる。腕で押したり、引いたりする感覚はなく、全身を伸ばす(伸びをする)感覚に近くなるのだ。

こうして会にいたったならば、そのまま身体全体を伸ばし続ければいいわけで、伸合いもそれほど難しくはない。

では、大三で身体を入れるためにはどうしたらよいのか?以下に3点ほどポイントを挙げておくので、参考にしてほしい。

1) 背筋・首筋を伸ばし、顎(あご)を引き、縦線を効かせ、
2) 弓手肩根を下げ、手先に力を込めず、しかし十分に的方向に伸ばし切る
3) 妻手は弓手に引かれるまま二の腕でこれを支え、十分身体に引き付ける

上記のポイントに加えて、全体のイメージとして、頭上から見たときに、弓のライン(弓手と妻手の拳のライン)が両肩のライン(三重十文字のライン)に並行のまま近づくイメージで大三をとるとよいだろう。


※ここで「正面」という言葉は、身体の前側のことではなく、「身体でどっしりと受け止める」というニュアンスで使っている。弓道の場合、身体の横のライン(三十十文字)で弓の力を真正面から受け止めていなければならない。

重量挙げと弓道は似ている①

2010年09月10日 | 積み重ね
今日、ニュースで重量挙げの女子高校生の特集を見た。何と彼女は150センチの小柄な身体で100キロのバーベルを持ち上げていた。

その姿を見て「弓道と同じだなぁ」としみじみ感じた。

重量挙げには、バーベルを一気に頭上まで挙げるスナッチといったん胸にのせてから頭上に上げるクリーン&ジャーク(通称ジャーク)とがあるが、特に後者のジャークは弓道によく似ている。

まず、持ち上げる段階ではほとんど腕の力を使っていないということ。

胸に挙げる際(クリーン)には、腕はほとんど脱力しバーベルを支えているだけにしておき、下半身の瞬発力で一気にバーベルを浮かせる。

そして、バーベルが浮いている間に(つまり重量が0)、すばやく腰、背中、肩(いわゆる縦線)をバーベルの真下に潜り込ませ、胸を接点として、縦線と下半身とでバーベルを支える。

そこから同じ要領で、今度は下半身と腕の伸筋(伸ばす力)とで、バーベルを頭上付近にまで浮かせ、一気に身体全体を入れるのだ。

そして、全身の、特に下半身、背中、首、腕の後ろという縦線を張り詰め、頭上高くでバーベルを支える形を完成させる。

この過程で、腕の力みはほとんどなく、伸筋独特の張り詰めた感じは、まさに会そのものである。

高校生の小柄な女の子であっても、全身をうまく使えば100キロのバーベルを上げられるのであるから、20キロの弓が引けないということはいかに身体を使えていないか、ということだろう。

次回は、重量挙げの原理を弓に応用することを考えてみたい。

高度な稽古法②

2010年09月03日 | 積み重ね
では、どうすれば、身体で引く(=身体で圧を受ける)ことができるのだろうか?

それには単純に手先の力を抜けばよい。手先の力が抜ければ、圧は、身体の内側に移動し、最終的には身体の幹(みき)で圧を感じることができるようになる。

ただ、これは言うは易しで、実際にやろうとすると非常に難しい。

なぜなら、手先の力を抜こうとすると、往々にして身体の力まで抜けてしまうからである。

ここに日本武道の極意がある。つまり、手先は緩み、脱力していながらも、下半身や縦線、背中、肩根など、いわゆる体幹に当たる部分は、しっかりと力が満ちていなければならない。

しかも、これらの体幹の筋肉は全て伸筋であるから、ぎゅっと縮こまるような力(りき)みではなく、伸び伸びと張り詰めるようなイメージを持つことが大事である。

これを目指して稽古を積むことこそが、極意に近づく道である。