正しく詰合いを行い、下ろしてくる引分けによって会に入ることで、最高に深い会が得られる。
このことについて補足をしておこう。
おそらく一般的には、あるいは初心者の方の多くは、大三から会にかけて、引き分けていく間に、会は深まっていくものだと考えているのではなかろうか。
しかし、これは正しくない。正しくは、大三の時点で既に深く詰め合っていて、その深い詰合いを維持しながら会に入ることで、深い会が得られるのだ。
また、大三で深い詰合いを得るためには、打起しで既に深く詰め合っていなければならず、当然それは弓構えの段階まで遡(さかのぼ)る。
つまり、深い会を得られるかどうかは、弓構えの段階で既に決まっているということだ。
弓構えの段階で得られた深い詰合いを、ずっと保ちつつ会にまで運んでいく。これが、射の本質が詰合いにあるゆえんである。
よく言われる「弓は開くもの」という表現も、このようなところに端を発しているのだろう。
このことについて補足をしておこう。
おそらく一般的には、あるいは初心者の方の多くは、大三から会にかけて、引き分けていく間に、会は深まっていくものだと考えているのではなかろうか。
しかし、これは正しくない。正しくは、大三の時点で既に深く詰め合っていて、その深い詰合いを維持しながら会に入ることで、深い会が得られるのだ。
また、大三で深い詰合いを得るためには、打起しで既に深く詰め合っていなければならず、当然それは弓構えの段階まで遡(さかのぼ)る。
つまり、深い会を得られるかどうかは、弓構えの段階で既に決まっているということだ。
弓構えの段階で得られた深い詰合いを、ずっと保ちつつ会にまで運んでいく。これが、射の本質が詰合いにあるゆえんである。
よく言われる「弓は開くもの」という表現も、このようなところに端を発しているのだろう。