上達の早い人のもう一つの特徴は、よいときと悪いときの違いを見極めようとするということだ。
えてして、調子のよいときにはそれを楽しんでしまうし、調子の悪いときには「今日は調子が悪い」といって諦めてしまう。
弓の楽しみ方としては当然それも重要であろうが、これでは上達することはなかなかにして難しい。
しかし、中には調子のよいときでも「それがなぜよいのか?」「悪いときと何が違うのか?」と考えて、その答えにたどり着く人がいる。
そういう人は、今度はそこに気をつけて引くようになるから、それが身につき、次第に当たり前にできるようになる。
これが上達というものである。
偶然に身を任せ、その時々の弓を楽しむということも一つの弓の楽しみである。しかし、偶然から法則をつかみ、それを我が物として必然に変えていくところに武道としての醍醐味があるのも事実である。
これを昔の人は「久(きゅう)」と呼び、中り(中)、貫通力(貫)とともに、目指すべきゴールとして掲げたのである。
えてして、調子のよいときにはそれを楽しんでしまうし、調子の悪いときには「今日は調子が悪い」といって諦めてしまう。
弓の楽しみ方としては当然それも重要であろうが、これでは上達することはなかなかにして難しい。
しかし、中には調子のよいときでも「それがなぜよいのか?」「悪いときと何が違うのか?」と考えて、その答えにたどり着く人がいる。
そういう人は、今度はそこに気をつけて引くようになるから、それが身につき、次第に当たり前にできるようになる。
これが上達というものである。
偶然に身を任せ、その時々の弓を楽しむということも一つの弓の楽しみである。しかし、偶然から法則をつかみ、それを我が物として必然に変えていくところに武道としての醍醐味があるのも事実である。
これを昔の人は「久(きゅう)」と呼び、中り(中)、貫通力(貫)とともに、目指すべきゴールとして掲げたのである。