続・弓道の極意

私が一生をかけて極めようとしている弓道について、日々の気づきを積み重ねていくブログ

押す際の注意点

2011年02月23日 | 積み重ね
これまで「押す」という表現を極力避けてきたのには理由がある。

それは胴造りで引分ける味を知らないまま「押して」しまうと、体がどうしても的の方に傾きがちだからだ。

こうした射形は、外から見ると中てっ気の強い射形に見えてしまい、最も嫌われる形なのである。

これを防ぐために2点補足をしておきたい。

一つは、胴造りが基本であるということ。

胴造りで下半身をどっしりと据え、上半身は顎を引き背筋を伸ばし整えたら、大三でもこれを確認し、引分けでも意識し、会で再度確認する。

このくらい胴造りを起点にして引くことである。

もう一つは、「押す」という感覚が普段の押すとはちょっと違うということである。

普通は押すというと力を込めていくということになるだろうが、会での「押す」はこれとは感覚が異なる。

大三で虎口(親指と人差し指の股の部分)に弓をはめこみ(※)、そこから手の内の圧を逃すことなく虎口で弓を受けつつ、会にいたる。

会に入ったときは的は満月につけられ、弓手は肩のラインより前に出ている。また、虎口で受けた手の内は親指が的よりやや前を向いている。

これを残身に向かって、つまり肩のラインに一直線になるように、親指を的に向けるように「押していく」のである。

このとき、いわゆる力は一切必要ない。必要なのは、しっかりした胴造り(特に縦の張り)とそれと連動する弓手の張り伸ばす力(勁力)である。

このとき感覚としては弓を上から抑えるような感じなのだが、これを伝えることは難しく、体得してもらうしかないのだろうと思う。


※内竹の左右、3:7のところが理想とされる

前につけて押すと開くことになる

2011年02月21日 | 積み重ね
先日質問を受けたのでここでも回答したい。質問は次のようなものである。

「伸び合いは、弓手を開くのが正しいのか?それとも的に向かって押すのが正しいのか?」

これは本質をついた大変よい質問であると感心したのだが、その理由はこのどちらも正しいからである。

つまり、伸び合いにおいて、弓手は開くのであり、的に向かって押すのである。言い方を変えれば、これらは同じことであると言ってもよい。

これは会の時の弓手の角度に関係する。

会の時、弓手は両肩のラインに対し、多少角度を持って前側(体の前面)に入っている。これは矢が番えてあることで、頭が邪魔(?)になり、肩のラインまで引いてくることができないからである。

これが離れを生じて残身になると、完全に両肩のラインの延長線上に弓手が伸びることになる。

これを頭(つまり自分の目線)から見てみるとどうなるだろうか?

会では自分より前に弓手の拳があり、したがって目線の先にある的に対しては弓手を開いてこなければならない。

一方、体の感覚としては、自分の前にある弓手の拳を、的に向かって押し込むという感覚によって、初めて圧を抜かずに開いていくことができる。

つまり、感覚としては的に向かって押すのであり、その結果、実際の動きとしては弓手が開かれていくのである。

これが理解できると、なぜ会において的を満月につけるのかがわかるだろう。

力の拮抗

2011年02月15日 | 積み重ね
身体で引いている人の特徴の一つに、引分けの際に身体の力が拮抗しているということがある。

具体的には、両肩根をつなぐ横のラインと胴造りと首根をつなぐ縦のラインが、背中を通じて拮抗する。

これを外から見ると、まさに弓に身体を入れるように見え、結果として両腕が開いていく格好となる。

ところが、身体で引けていない場合は、この身体の拮抗が見られない。

左右の腕は当然拮抗しているわけだが、それが身体を通していないために、身体を入れて押し開くというよりは、単純に横のラインだけで押し引きしているように見えてしまう。

当然、離れに重厚感は感じられず、タイミングのみの軽い射に感じられてしまうのである。

こうならないためにも、今一度、身体で引くポイントをいくつか挙げておきたい。

一. 胴造りにおいて、肩根を落とし、顎を引き、背中の筋を首で持ち上げる心持で縦線を延ばすこと。

一. 大三において、縦線が延びていることを今一度確認するとともに、弓手張り伸ばし、角見を利かせ、妻手十分に送り込み、肘を上げ、弓手の角見と妻手の肘より下、二の腕、肩とを拮抗させること。また、このとき弓を身体に近づけることで縦線と横線が身体(背中)で交わり拮抗する。

一. 引分けは、身体(背中)の拮抗を維持するように顎を十分に引きながら、弓手角見を利かせつつ、妻手首の後ろを回すように首根、肩根を開いていくこと。

一. 会においては、弓手満月につけ、妻手頬付け口割りまで十分に引き込み、縦線を利かせることで、身体で力を拮抗させること。

一. そこから縦線をさらに張り伸ばすとともに、弓手かすかに開いていくと、身体の拮抗が弾けるように離れが生じ、弓手拳一つ分開き残身となる。

手の内のマメ

2011年02月08日 | 積み重ね
私は未熟者なので、いまだによく手にマメをつくってしまう。

特に、天文筋と小指のラインが交わる点からちょっと手首に寄ったところのマメは、何度もできてはつぶれてを繰り返しているところである。

師匠曰く「普通だったら平付けでダメと言われるだろうが、そうじゃなくてもできるところだからそのままでいい」とのこと。

「そうじゃなくても」ということについて師匠は教えてくれないので、自分で解説してみたい。つまり、平付けではないのに、ここにマメができるのはなぜか?ということだ。

まず、上押しにはなっていないということはまずいえるだろう。上押しの場合、弓からの圧をほぼ角見で受けてしまうわけだから、できるとしても親指の根元の部分か、その対極にある小指の間接付近である。

では下押しか?

実際に自分の手の内をビデオにとって見てみると、下押しの特徴である親指と中指が浮いてしまうということは一切ないので下押しということでもなさそうである。

実際、引分けてくる際に角見の圧は十分に受け止めている感じがあるし、それによって鋭い離れも出ている。

では、なぜマメができるのか?

上押しでもなく、下押しでもなく、それでもまだ理想の手の内ではないとすればやはり「平付け気味」だということであろう。

平付けというのは、手の内がつぶれ、本来、点で弓を支えるべきところを面(手の平)で支えてしまっているということである。したがって、手の平部分にマメができやすい。

おそらく、私の場合もこれだろうと思う。

しかし、平付けは角見がしっかりと利いているという条件の下では、より一層離れの冴えを際立たせてくれることもありうると私は思う(※)。

本当の平付け(つまり角見の利いていない)は、「ただ押す」だけしか出来ないために鋭い離れは期待できない。

ところが、完全に角見を利かせた状態で、かつ、手の内を小さくまとめ、あたかも弓に纏(まと)わりつくかのように手の内を弓に絡めると、いわゆる角見だけで押すときよりも数段安定して弓を弾(はじ)くことができる。

また、手先ではなく、身体で弓を引くときには、身体全体のハタラキを角見に集約するわけだから、親指の付け根だけでこれを支えるというのは心もとなく、そういう意味でも手の内全体で弓を弾くこの手の内は理想といえるかもしれない。


※角見が利いている時点で平付けとは言わないのであろうが。。