射は、一見すると平坦な動きのように見えるが、実はメリハリがとても重要である。
メリハリとは、力の使いどころ、入れどころのことであり、始めから終わりまで力を入れ続けていたのでは固くてなんともならないし、逆もまた武道としては成立しない。
では、どこで力を全開にすべきであろうか。(ここでいう「力」は「力む」とは違うことはもはや言うまでもないだろう)
それはいわずもがな「離れ」の瞬間である。八節としては「離れ」と表記するが、この会から離れが出るその一点にこそ、全身の力が集約されなければならない。
ところが、実際にはこれがなかなか難しい。というのも、大抵最初の方が気合が入るものであり、打起し、大三、引分けくらいでその気合と力を使い果たし、離れの瞬間に緩むことが多いのである。
これを防ぐためには、以下の二つが大事である。
一.打起しは特にリラックスし、大きく、伸び伸び行うこと
二.引分けを始めたら、そこからは一気呵成(いっきかせい:一息に)に会まで到達し、その後、止めずに離れの瞬間を待つこと
特に、二.において、「離れの瞬間を待つ姿勢」が大変重要であり、これは無意識に待つのではなく、意識を全開にして、全てを意識するくらいのつもりで待つことである。(たとえば身体の隅々にいたる感覚や自分の立ち姿、あるいは周りの状況なども含めてとにかく意識を全開にしていること)
この意識(心)と全身の詰合い(技)とが一体になると、まさに一点集中、鉄石相剋して火の出ずる離れが出るのだ。
メリハリとは、力の使いどころ、入れどころのことであり、始めから終わりまで力を入れ続けていたのでは固くてなんともならないし、逆もまた武道としては成立しない。
では、どこで力を全開にすべきであろうか。(ここでいう「力」は「力む」とは違うことはもはや言うまでもないだろう)
それはいわずもがな「離れ」の瞬間である。八節としては「離れ」と表記するが、この会から離れが出るその一点にこそ、全身の力が集約されなければならない。
ところが、実際にはこれがなかなか難しい。というのも、大抵最初の方が気合が入るものであり、打起し、大三、引分けくらいでその気合と力を使い果たし、離れの瞬間に緩むことが多いのである。
これを防ぐためには、以下の二つが大事である。
一.打起しは特にリラックスし、大きく、伸び伸び行うこと
二.引分けを始めたら、そこからは一気呵成(いっきかせい:一息に)に会まで到達し、その後、止めずに離れの瞬間を待つこと
特に、二.において、「離れの瞬間を待つ姿勢」が大変重要であり、これは無意識に待つのではなく、意識を全開にして、全てを意識するくらいのつもりで待つことである。(たとえば身体の隅々にいたる感覚や自分の立ち姿、あるいは周りの状況なども含めてとにかく意識を全開にしていること)
この意識(心)と全身の詰合い(技)とが一体になると、まさに一点集中、鉄石相剋して火の出ずる離れが出るのだ。