私は会に入ったとき、的を満月につける。
これは師匠から受け継いだ的付けの方法で、「その方が弓手を押し開く余力が残るから」というのが理由である。
したがって、そこで終わりではなく、そこから弓手をさらに押し開き、ちょうど的が新月になる頃に離れが出ると、弓手に誘われて離れが生じたことになり、弦に矢が乗って矢勢が大変よい。
ちなみに、この方法で引くと会に入って離れまでが7秒くらい。会の長さとしてもちょうどよいように思う。
しかし、実際にはこのように的をつける人は少ないらしく、ほとんどの人は、会に入った瞬間から新月に入り、そこから弓手を動かさずに伸合い、離れまで至る。
あるいは、半月か満月につけ、そのまま伸合い、離れの瞬間に的の後ろ側に弓手を振り込むことで矢を直進させる。
いずれにしろ、的付けと伸合いの関係は深く、どちらか一方だけ研究しても中りは出ないものである。
※矢どころの高さを、矢摺り籐などを目安にして調整することを的付けと呼ぶ節があるが、これは間違いである。矢の高さはあくまで矢の水平具合で見るべきであり、極言すれば身体で覚えるのがよい。(修正してもキリがないため)
これは師匠から受け継いだ的付けの方法で、「その方が弓手を押し開く余力が残るから」というのが理由である。
したがって、そこで終わりではなく、そこから弓手をさらに押し開き、ちょうど的が新月になる頃に離れが出ると、弓手に誘われて離れが生じたことになり、弦に矢が乗って矢勢が大変よい。
ちなみに、この方法で引くと会に入って離れまでが7秒くらい。会の長さとしてもちょうどよいように思う。
しかし、実際にはこのように的をつける人は少ないらしく、ほとんどの人は、会に入った瞬間から新月に入り、そこから弓手を動かさずに伸合い、離れまで至る。
あるいは、半月か満月につけ、そのまま伸合い、離れの瞬間に的の後ろ側に弓手を振り込むことで矢を直進させる。
いずれにしろ、的付けと伸合いの関係は深く、どちらか一方だけ研究しても中りは出ないものである。
※矢どころの高さを、矢摺り籐などを目安にして調整することを的付けと呼ぶ節があるが、これは間違いである。矢の高さはあくまで矢の水平具合で見るべきであり、極言すれば身体で覚えるのがよい。(修正してもキリがないため)