続・弓道の極意

私が一生をかけて極めようとしている弓道について、日々の気づきを積み重ねていくブログ

受ける手の内

2009年06月30日 | 極意探求
手の内に関してよく聞かれる質問がある。それは「どこに力を入れればいいのか?」というものだ。

これに対し、いつも同じように応える。「どこかに力を入れる必要はない」と。

手の内は、弓手の詰合いの延長である。したがって、弓手同様、大三以降、「押す」とか、「伸ばす」とか、そういう作用を必要としない。

むしろ大事なことは、大三において、肩根、肘、手首、手の内を全て”最大限に深く”詰め合うことであり、それ以降、この深い詰合いを崩さないように、背中と肩根、腕の下筋のみで、会にまで至ることである。

その間、当然、弓から受ける圧は大きくなっていく。しかし、それに対し、手の内の力で何とかしようとすれば、当然意識はそこに集中し、他の主要な詰合いが必ず緩む。

それを防ぐには、手の内を大三で固めたら、それ以降、それを崩さないように意識するということである。

イメージとしては、手の内に力を込めていくのではなく、固めた手の内で弓の力を受け止めていく感じに近い。(これを「受ける手の内」と呼ぶ)

無論、ここでいう弓の力とは「弓力の圧」だけでなく「ねじれの圧」も含む。つまり、大三で詰めあった手の内と弓とが一体となり、そこから深く引き分けてくる間、弓力の圧もねじれの圧も全て手の内で受けることになる。

技術的には、次のことが肝要である。

 ①大三において、手首を返しすぎないこと
 ②弓力を角見だけで受けないこと

①については、前回説明した中押しが重要だということである。大三で、中押し以上に手首を外側に返してしまうと、それ以降、ねじれの圧が生まれにくい。したがって、会では弓を押すことになってしまう。(次回詳説)

②についても同様に、角見だけで弓力を受けようとすると圧が集中し、どうしても力を入れざるを得なくなる(=押してしまう)。したがって、角見(親指)だけでなく、親指と小指両方の締めによってねじれの圧を生み出すことが重要となる(※)。


※このことを一般的には「天文筋に外竹を合わせる」ということで説明することが多い。ただ、そこにばかり目がいくと、形式的になるばかりか、上押しになったり、手首を返しすぎたりと、弊害もあることに注意したい。本質は、親指(角見)だけでなく、手のひら(ベタ押し)でもなく、親指と小指の付け根(朝顔の手=手の内の詰合い)によって、弓を巻き込むということである。

「中押し」とは何か?

2009年06月26日 | 極意探求
手の内は、弓手詰合いの延長であり、したがって肩根からまっすぐに伸びる「中押し」が基本となる。

では、「中押し」とはどういうことを言うのであろうか?

結論から言えば、中押しとは、弓手の肩根、下筋、肘、前腕、とつながる伸筋を、途切れさせることなく手首、手指へとつなげることをいう。

これも実際にやってみた方が理解は早いと思われる。

剣道を思い出し、徒手でいいので竹刀を(持っているかのように)腰の前で構えてみよう。あまり難しいことは考えず、肩を落とし、背筋、首筋を張り、顎(あご)を引く。腕はリラックスしつつ、円相(※)をつくり、最大限伸ばしていく。弓道と同じである。

これができたら、手の内に注目してほしい。

まず、腕の円相に合わせて、手首をやや内側に丸め、手の中が顔を向くようにする。この状態から、雑巾を絞るようにゆっくりと手首を外側に曲げていこう。

このとき、肩根、腕からつながる伸筋を意識しながら、その伸びにつながるように手首を外側に伸ばしていく。感覚を最大限高め、ちょうど腕の伸びに手指の伸びがぴったりと一体となる手首の角度を見つけてもらいたい。

どうだろうか?

おそらく、普通思うよりもやや外側に手首が返っているところで、ちょうど前腕とまっすぐに伸び合うことができるのではないだろうか。(もちろんそれより外側に手首が返ってしまうと、伸びが重ならない感じがするはずなので、ちょうどよいところを見つけてほしい)

そして、もう一つ。

上記の状態から、ほんの少しずつ上押しをかけていこう。上押しとは、手の内の一番上に来ている親指を下に向けていく(親指の筋を伸ばしていく)ということで、結果として手首が下を向いていく。

これは先ほどよりもさらに微妙な感覚が必要であるのだが、少しずつ上押しを加えて、さらに前腕と手指とが一体となる角度を探ってみよう。

これもおそらく、無意識に構えたところから、若干上押しをかけた方が、より強い一体感が得られるのではないかと思われる。

この状態が剣道でいうところの中段の構えである。そして、このときの手の内の状態こそ、弓道における中押しである。

つくる過程でよくわかるように、中押しは決して外観により定義されるものではない。内的に、伸びが手指に至るまで延長されているか否かによって決まるものである。


※円相とは、ほぼまっすぐであるが、少し丸みを帯びている様をいう。円形と捉え、肘を張らないように注意。

角見と詰合いは表裏一体 二.

2009年06月18日 | 極意探求
では、詰合いと角見の関係とはいったいどういうものなのだろうか?

正面打起しの場合で具体的に考えてみよう。

正面打起しの場合、手の内の完成は大三の完成と同時に行われる。すなわち、打起した後、大三に向け弓手を開いていくのと同時に、円相をなしていた弓手の手首を腕の中筋に対してまっすぐに伸ばしていく。

そして、大三の完成した時点で、手首は腕に対しまっすぐ延長線上にあり、手指もまた、まっすぐに張り伸ばされている(「朝顔の手」参照)。

これが大三における手の内の完成である。(したがってこの時点では天文筋と弓とがまっすぐにはならないことに注意。まっすぐにするには手首を曲げる必要がある※)

そして、ここから引分け、会、離れに至っては、手の内を崩すことも、手首を曲げることも許されない。つまり、大三でまっすぐに詰め合った弓手(手の内を含め)は、残身に至るまで全く形を変えないということである。

では、なぜこれで角見が利くのであろうか?これには角度と弓力(弾性)が関係している。

まず、角度については、身体の真上から見たとき、両肩のラインを0度とする。そうすると、打起しのとき弓手の角度は90度に近く、残身のとき0度である。

大三のときで弓手はおそらく30度くらい、そこから会に近づくにつれ、角度は段々小さくなっていく。

一方、弓と弦は、真上から見たとき肩のラインと並行に移動し続けるので、弓手との角度はまた30度(大三から会までで)ほどの変化が起こる。

この角度の変化が、手の内の中で「ねじれ」という圧を生む。

もう一つ、大事な要素が弓力(弾性)である。これは単純で、大三から会、離れに至るまで、つまり弓を開けば開くほど戻ろうとする力が高まる。したがって手の内に掛かる弓の圧力は増し続ける。(手の内に力を込めずとも!)

これらの二つの圧、すなわち「ねじれの圧」と「弓力の圧」が詰め合った手の内の角見に結集され、「角見が利く」ということになるのだ。(正確には、ねじれの圧を弓力の圧で抑え高めるということ)

したがって、角見を利かせる上で最も大事なことは、弓力の圧に負けない詰合いの強固さであり、ねじれの圧を逃がさないために無限に続く伸合いである。


※天文筋を弓に合わせることを重視し、手首を上押し気味に曲げて大三を取ると、それ以降、引分けの間に手首を腕に対してまっすぐに直すことは非常に困難になる(弓力の圧が増し、上押しを続けなければ緩んでしまうため)。したがって、この場合、ほとんど会では上押しとなる。

角見と詰合いは表裏一体 一.

2009年06月11日 | 極意探求
手の内(※)が大事とされる大きな理由の一つに、角見の重要性が挙げられる。つまり、手の内によって角見の利き方が変わってくるという議論である。

これは確かにそのとおりで、いかに最深の引分けと会を持ってしても、最後の最後、手の内から弓に力が充分に伝わらなければ、鋭い離れにはなりようがない。

しかしその点ばかりが注目され、「どうすれば角見を効かせられるか?」といった議論がなされることが多いが、これは枝葉末節といわざるを得ない。なぜなら、「角見が利く」ということは一つの結果であって、射の目的ではないからだ。

射の目的とは、中・貫・久(ちゅう・かん・きゅう)であり、それを実現するのは縦横十文字の詰合いと伸合いである。

詰合いと伸合いの一つの結果(現象)が「角見が利く」ということであって、角見が利くから縦横十文字の規矩(きく)が実現するのでは決してない。

実際、角見に蓄えられる力(圧)は、肩根から手の内に至る一連の詰合いによって、初めて生まれる力である。

このあたりの具体的な仕組みについては次回説明するが、まずは、手の内の技術だけで角見を効かせようとしても、射の本質には近づいていかない、ということを認識することが重要であろう。

※以降、「手の内」と書いたとき「弓手の手の内」を指すこととする。「馬手の手の内」については、「馬手手の内」と記述する。

朝顔の手

2009年06月08日 | 極意探求
手の内は、実は弓道だけのものではない。古くから武道と呼ばれるもののほとんどに「手の内」が技術として残っている。

道具を手に持つ剣道や薙刀(なぎなた)はもちろん、何も持たない空手や合気道においても秘伝としての「手の内」が伝えられている。

その中で、特に弓道に応用可能と思われる、本質的な手の内を紹介しよう。それは、合気道における「朝顔の手」と呼ばれる手の内である。

これはその名のとおり、指先を朝顔の花のようにつぼめ、張り伸ばすところからそう呼ばれる。つくり方は次のとおりである。

まず、手を目いっぱい広げ(パーの状態)、肘から手首に続く直線(腕の中筋と呼ぶ)を意識し、その延長線上に中指が来るように張り伸ばす。(反らないように注意。合気道では、「“気”が指先から出ているイメージで」などと教える)

次に、中指からなる中筋を動かすことなく(中心にして)、親指の付け根(膨らんだ部分)と小指の付け根(第三間接付近)を出来る限り近づける。

このとき、各指が曲がらないように、しっかりと張り伸ばそう(詰合い)。すると、手指の形が朝顔のようにすぼんだ形になるだろう。

これがあらゆる武道に共通する手の内の詰合いの形である。これまで説明してきた詰合いの要素(※)が全てここに盛り込まれていることがわかるだろう。

この形から中指、薬指、小指の3本だけを軽く握りこむようにすれば、ちょうど弓道の手の内という形になっている。(人差し指は、張り伸ばしはそのままに、第一、第二間接を少し曲げると具合がよい)

こうしてつくられた手の内は、指先ではなく、親指、小指の付け根の筋肉(伸筋)が張り伸ばされる。したがって、腕から手首を通じて伸ばされている詰合いの延長としてこれと一体化する手の内となる。


※大事な要素としては、伸筋だけが使われていること、力まずともしっかりとして形が崩れにくいこと、腕と手首と手の内とが一体となり連動していること、などが挙げられる。

手の内の詰合い

2009年06月04日 | 極意探求
手の内は、弓道において秘伝的な位置づけとして語られることが多いが、私はそれほど難しく考えてはいない。

なぜなら、確かに流派によって様々な手の内の作り方があり、それぞれ独自の効果を発揮するものであるが、その本質は全て共通しているからである。

その本質とは、「手の内による詰合いの実現が重要」ということだ。

詰合いとは、これまでいろいろな説明をしてきているが、要は「伸ばし、固める」ということであり、それはつまり「筋骨による間接のしなやかな固定」である。

そして、詰合いにより、詰め合っている部分の力を使うことなく(力まず)、他の部位によって力を伝えること(勁力)ができるようになる。

手の内においても同様である。

つまり、手の内の詰合いとは、肩根、下筋、腕を通じて実現される詰合いと伸合いの「延長」として、手首、手先を伸ばし、固める技術である。

そして、これにより初めて、手先に力を入れることなく、背中から伝わる勁力のみを弓矢に伝えることができるのである。