続・弓道の極意

私が一生をかけて極めようとしている弓道について、日々の気づきを積み重ねていくブログ

コツが大切

2010年04月28日 | 積み重ね
強い弓を引くのに、筋トレを行おうとする人がいるが、これは誤りである。

多くの場合、強い弓を引くコツを知ると、その瞬間から引けるようになるものだ。

そのコツとは、たとえば、壁を左手で押すときに、伸ばし切った左腕はそのままに、体重を掛けることで押すようなことである。

この感覚で、大三から引分けてくることができれば、弓手はしっかりと利き、ラクに強い弓を引分けることができる。

しかし、実際に弓を持つと、この「普通に押す感覚」が消えてしまい、腕は力み、顎は上がり、肩も上がるということになる。

普通にやれば出来ることでも、状況が変わると出来なくなってしまう、ということであって、決して、筋肉が足りないから引けない、ということではないのだ。

安定した中りは弓手でつくる

2010年04月19日 | 積み重ね
中りを出すということについて言えば、弓手を利かせる(弓に負けない)ということがきわめて重要になる。なぜなら、弓を固定し、ねらいをつけたまま安定させるのが弓手だからである。

弓手を利かせるには、深い詰合いと伸合いが必要である。これは言い換えれば、弓手を伸び切らせたまま会に至るという「的に向かう伸び」(詰合い)と、背中に向かって開き続けるという「的の後ろに開く伸び」(伸合い)が必要ということになる。

この二つのハタラキ、詰合い(的への伸び)と伸合い(背中への開き)を十二分に発揮させながら引き分け、会にいたり、そこからなおも伸び、開き続けることで、初めてねらいが安定するのである。

しかし、これをいざ実行しようとすると、どうしてもどちらか一方になってしまい、「的に向かって押す」か、「後ろに開く」か、だけになってしまうことが多い。(こういう射形の人が多い)

前者であれば、的の方に身体が突っ込み、後者であれば、残身で弓手がだらしなく開いてしまう。

そこで大事になるのが、支えとなる胴造りである。

胴造りがしっかりしていれば、それを支えにして、十二分に的に向かって伸び、背中に向かって開くことができる。それはあたかも的に向かって飛び出そうとする弓手に対して、逆に引っ張って飛び出すのを防いでくれるようなものである。

そのためには、まず肩根を下げ、腕と背中を連動させること。そして、その状態で顎を引き背中の縦線を強調すると、その張りが弓手の下筋(二の腕)を背中に引っ張り、弓手の押しと拮抗する。

これができると、圧倒的に弓手が安定するようになる。

一人稽古で思うこと

2010年04月16日 | 積み重ね
昨日、冬のような寒さの中、稽古に行ったのだが、ひさしぶりにボロボロだった。何をどうがんばっても馬手離れになってしまい、弦音がにごり、矢は前に行くという状況。

今日はもう帰ろうかと思った矢先にふとあることを思い出した。それは「弓手を利かせるコツ」についてである。

<弓手を利かせるコツ>

①肩根を落とし、感覚として弓手が肩の下から伸びてくるほどに落としきること
②大三においてサボらず、最大限伸ばし、それを保ったまま会、離れに至ること

これを思い出して、もう一手だけと思い、引いてみると途端に皆中。やはり調子などというものはこういうものなのである。

先生がいればおそらく指摘されていたのだろうと思うが、先生がいなくても、自分が自らの先生となり、自分を改めていくことが稽古においては肝要ということだろう。

しかし、いつもながら思うことは「何年引いていても忘れることは忘れてしまう」ということだ。

これを「忘れたくても身体に染み付いて忘れようがない」という状態まで持っていくことこそ、稽古の主眼といえるのだろう(反省)。

伸合う=両腕をひらく

2010年04月14日 | 積み重ね
前回、詰合いとは何か?ということを感覚的に説明した。今回は、伸合いについて簡単な説明をご紹介したい。

伸合うということを感覚的に説明すると「背中に向かって両腕をひらく」となる。

大三で詰め合って以降は、腕の押し引きの力は使えない(伸びきっているため)。では、どうやって矢尺を稼ぐかといえば、両腕を開いてくることによってである。

ちょうど大三から背中に担ぐように両腕を開いてくるようにすると、完全に伸びきった腕がつっかえ棒の役目をして矢尺を取ることができる(※)。

そして、会に入ってからも、背中に向けての腕の開きには余力があるから、なおも背中に向かって両腕を開き続ければよい。

これが伸合いである。

感覚的には、さらに矢尺を引き伸ばすというよりは、背中に向けて開くことによって、手の内、肘、肩、身体の詰合い(張り)を保つという感じになる。

こうして、離れの時期(タイミング)を待っていると、徐々に身体全体の張り合いが統合されていく感じがしてくる。

腕・・・肩・・・首・・・背中とつながっていく感覚があり、最後には下半身も含めた身体全体で弓を支えるという状態にまでなる。

この瞬間が離れの時期である。(正確に言うと、このとき勁力(けいりょく=全身の力)が使える状態になり、勁力の発動により離れが生じる)

こうして出る離れは、余計な力のない素直な離れであり、鋭く、静かで、そして大きなものになる。


※実際には、馬手は肘で曲がっているので「開く」イメージは持ちにくいかもしれないが、矢筋に引っ張るのではなく、背中の方に向かって持っていく(収める)イメージで引分ければ「開く」感じがつかめると思う。

詰合う=弓力を受け止める

2010年04月12日 | 積み重ね
おそらくこのブログを書いているからだと思うが、最近、「詰合いって何ですか?」とか、「伸合いって何ですか?」といった本質的な質問を多くいただくようになった。

その人のレベルに応じて、回答の仕方、言い方を変えているのだが、感覚として分かりやすい回答を一つだけ紹介したい。

まず「詰合い」について。

詰合うということを感覚的に分かりやすく言うと、「押す力、引く力を一切なくして、伸ばしきった腕と身体で弓力を受けること」となる。(実際にはやってもらって感覚で説明する)

たいてい、詰合いができていない人(分からない人)というのは、引分けてくるときに腕(あるいは手の内)に力を入れて、弓を押し、弦を引くことに一生懸命になっていることが多い。

それを、大三の段階で、肩根、肘、手首、手の内を完全に伸ばしきり、そのまま伸ばしきっていることを確認しながら引分ける練習をさせる。

すると、ほとんどの場合、今まで受けたことのないような重みと力を二の腕やあるいは肩、うまく行けば背中に感じることができる。

これが詰合いの感覚である。(と説明する)

この説明からすると、浅い詰合いとは、腕と身体の伸ばし切り方が甘い(余力がある)ということであり、深い詰合いとは、腕と身体を完全に伸ばしきっていて、それ以上伸びない状態をいう。

高校生などを見ていると、浅い詰合い(肘を曲げ、余力を残す)にもかかわらず、起用に力を抜いて弓の力を受けている姿を見かける。これでも詰合いとしては正立しているので、離れは鋭くなるが、やはり浅い分、弓の力(と自分の可能性)を引き出しきっているとは言えず、なんとなく覇気に欠ける感じがする。

本当に伸ばしきった余力の残っていない深い詰合いから生まれる会は、その時点で危ういくらい拮抗しており、まさにほんの一滴水をたらすと零れ落ちるコップの水の如く、緊張感に満ちたものになる。

そこからふっつりと静かに離れる(無駄な力が一切ないのでバーンとならない)離れは芸術といえるくらい美しいものだ。

ぜひそういう境地を目指してもらいたいものである。

離れの時期 二.

2010年04月05日 | 積み重ね
離れにはタイミングがあり、無理やり離そうとするものではない、ということを前回書いた。

そのためには、深く詰合ったまま会に至り、そこでも詰合いを保ち続ける、ということが必要である。

では、そのまま待ち続けていれば離れは出るか?

答えはNoである。そのまま待ち続けて離れを出す方が自然の離れという感じがするかもしれないが、そうではない。

離れのタイミングに合わせて「今!」という一種の気合の発動は必要なのだ。

では、気合の発動とは何か?

私は、気合の発動とは「意識する」ということそのものであると思っている。つまり、一般的にイメージするような、力んだり、気を高めたり、心をこめたり、といったいわゆる「気合を入れる」ということではなくて、むしろ心静めたままで、淡々と離れの時期を見守るということに近い感覚を持っている。

はじめのうちはある程度、まさに気合を入れて「今!」という感じで離れを出してもいいが、これはあくまで離れの時期を「意識する」ための稽古と捉えるべきである。

徐々にそれに慣れてきたならば、自分の意識をもっと高い位置におき、「今・・・」という落ち着いた気合の発動ができるとよい。

こうなってくると、離れの時期を刹那に捉え、そこに自分の身を合わせる(=これこそ自然の離れ)ことができるようになる。