先生は「さぼらない」についてはうるさく言うが、逆に「力を抜け」とは一切言わない。私も入門して以来、一度も「力を抜け」といわれたことがない。
弓道だけではないが、武道全般において「力を抜くこと」が重視される傾向がある。
これは、自分の力を使うのではなく、自然の力、すなわち重力を使うことにその極意があるからである。
しかし、その境地は遥か高みにあり、初心者にそれを求めるのは酷というものである。
にもかかわらず、初心の頃から「もっと力を抜きなさい」という指導が行われることをよく見かける。
初心の者が力を抜こうとすると、必要な力まで抜いてしまい、まさに脱力ということになってしまいがちである。
しかし、実際には「無駄な力」を抜くのであって、たとえば弓道においては詰合いを緩めることはあってはならない。
中国拳法には、開展緊湊(かいてんきんそう)という稽古のセオリーがある。これは、初心のうちは大きく全力で稽古することを心がけ(開展)、徐々に小さくまとめていく(緊湊)、という意味である。
実践に必要な圧倒的なパワーと正確さをまず養い、その後に、相手の動きに合わせられる命中精度やスピードを高める、という考えに基づく。
「無駄な力を抜く」は緊湊であり、まずはしっかりとした詰合い、伸合いを身につけるために「さぼらない」稽古をするのがよいと思う。
弓道だけではないが、武道全般において「力を抜くこと」が重視される傾向がある。
これは、自分の力を使うのではなく、自然の力、すなわち重力を使うことにその極意があるからである。
しかし、その境地は遥か高みにあり、初心者にそれを求めるのは酷というものである。
にもかかわらず、初心の頃から「もっと力を抜きなさい」という指導が行われることをよく見かける。
初心の者が力を抜こうとすると、必要な力まで抜いてしまい、まさに脱力ということになってしまいがちである。
しかし、実際には「無駄な力」を抜くのであって、たとえば弓道においては詰合いを緩めることはあってはならない。
中国拳法には、開展緊湊(かいてんきんそう)という稽古のセオリーがある。これは、初心のうちは大きく全力で稽古することを心がけ(開展)、徐々に小さくまとめていく(緊湊)、という意味である。
実践に必要な圧倒的なパワーと正確さをまず養い、その後に、相手の動きに合わせられる命中精度やスピードを高める、という考えに基づく。
「無駄な力を抜く」は緊湊であり、まずはしっかりとした詰合い、伸合いを身につけるために「さぼらない」稽古をするのがよいと思う。