続・弓道の極意

私が一生をかけて極めようとしている弓道について、日々の気づきを積み重ねていくブログ

伸筋の使い方

2008年10月29日 | 極意探求
前回、リラックスすることの重要性について書いたが、余りこのことを強調しすぎると、今度は緩(ゆる)んでしまうことも起きてくる。これを防ぐために、伸筋の正しい使い方を知っておこう。

伸筋の正しい使い方。それは「意識すること」である。

意識については、以前にも書いたことがあるが(「身体と語らう」参照)、抽象的な精神論ではなく、実際のアクションとして捉えてほしい。つまり、意識をそこに向けるということで、本来感じている感覚を捉えるということである。

伸筋を使う場合、捉えるべき感覚は「伸びている」という感覚である。

打起しから大三にいたる過程で、しっかりと肩根、肘、手首を伸ばす。この伸ばしている感覚を会に入って離れが出るまで、ずっと維持し続けるのである(※)。

このときリラックスしつつも、「伸ばしている」という感覚を維持することで、屈筋ではなく、伸筋のみが使われるようになる。

この力は思いのほか強いものであり、力を入れている感覚はなくとも、そうそう弓の力に負けるものではない。

もちろん伸筋よりも強い弓を使えば、この限りではないが、ほとんどの場合、自分が思うよりずっと強い力を発揮できるようになるはずである。


※もちろん大三から会に入るまでに、馬手の肘だけは曲げることになる。しかし、意識として曲げるという感覚は必要なく、あくまで伸ばすという感覚を感じられることが重要である。

リラックスが大事な理由

2008年10月09日 | 極意探求
前回、詰合いとは「関節を伸ばして維持する」ことだと書いた。これを実現するために必要なのが「力を抜くこと」である。

なぜ力を抜くことが詰合いを維持するのに重要なのだろうか?

これを理解するためには、性質を異にする二つの筋肉について知る必要がある。

筋肉には、関節を曲げるための筋肉「屈筋(くっきん)」と関節を伸ばすための筋肉「伸筋(しんきん)」とがある。

もちろん、今論じている詰合いは、伸筋を使うわけであるが、実はここに問題がある。

通常、我々は腕を使おうとするとき、屈筋を使うことが多い。実際「腕に力を入れよ」といわれれば、腕を曲げ、力こぶを作るのが普通であろう。

一方、足はというと、逆に伸ばす筋肉、伸筋を使うのが普通である。「足に力を入れよ」といわれて、足を曲げることをイメージすることはなかなか難しい。

つまり、「力を入れる」という感覚は、腕は屈筋、足は伸筋を使うということと結びついているということだ。

したがって、詰め合おうと力を込めれば込めるほどに、腕では屈筋が使われ、詰合い(伸ばすこと)を妨げることになる。これが「力(りき)む」という状態である。

関節を十分に伸ばして、さらに伸び合っていくような詰合いを発揮するためには、まず屈筋のはたらきを抑えなければならない。

そのためにリラックスして、感覚として力を込めない、ということが重要になるのだ。

「詰合い」とは何か? ~詰合い再考~

2008年10月04日 | 極意探求
「詰合い」ということについて、さらに具体的に考えてみたい。詰め合うとは、一体どういうことだろうか?

感覚的に一言で言うならば、「関節を伸ばして維持する」というのが詰合いである(※)。

これは技術的には極めて単純であり、誰にでも出来ることである。たとえば、弓手であれば、手首、肘、肩の関節を目一杯伸ばし、これを維持するようにすればよい。

試しにやってみてほしい。肩の高さで弓手をまっすぐに伸ばし、手首、肘、肩の関節に意識を向け、伸びていることを感じてみる。イメージとしては、胴から弓手が枝のようにしっかりと生え、さらにまだ伸びようとしている感じである。

この状態で、誰かにその腕を曲げられるかどうか、試してもらおう。すると、どうだろうか?それほど力を込めなくても、なかなか曲げることは出来ないはずだ。

これが弓手の「詰合い」である。

では、なぜこれが重要なのだろうか?

理由は二つある。一つは、予想を遥かに超えた強い力をそれほど意識することなく扱える、ということだ。これは体験してみれば、ご理解いただけることと思う。

もう一つは、それ以外の部分の力を使えるようになる、ということである。たとえば弓手であれば、弓手をまるで棒(実際には竹のように弾力がある)のように道具として扱うことで、初めてそれを背中や腰の筋肉を使って動かせるようになるのだ。

腕よりさらに太い筋肉を持つ背中や腰を使うことによって、射は初めて安定するのである。


※本質的には伸びていなくても詰め合うことは可能であるが、それは高度な技術(次のレベル)になるため、ここでは「伸ばすこと」=「詰合い」と捉えることにする。実際、詰合いを行うのは、伸張筋という伸ばす筋肉であるので、この表現は感覚的には正しいといえる。

身体と語らう

2008年10月04日 | 極意探求
弓の稽古をするとき、忘れてはならないことがある。それは、身体(からだ)と語らうということだ。

どうしても的前に立つと、的に意識がいってしまう。しかし、どんなに当てようと意識しても、射が正しくなければ当たりは出ない。逆に、正しい射で放たれた矢は、必然的に的に行くものである。

このことは当たり前のことであるが、極めて重要なことである。つまり、稽古のとき、最も大事なことは「自分の身体と語らう」ということなのだ。

自分の身体と語らうというのは、自分の身体にこそ意識を向けるということである。たとえば、身体の各部の位置は正しいところにあるか?正しい運行をしているか?力はどこに入っていて、どこに入っていないのか?不自然な感覚はないか?などである。

こういうことは、意識を向けさえすれば誰でも感じ取ることが出来る。しかし、意識が違うところに行っていたのでは、実は感じているようでもそれに気づけないのだ。

これは精神的な話をしているのではない。極めて科学的に、人は意識を向けることでそれを感知することが出来るのである。

これは機械によく使われるセンサーによく似ている。センサーはそれを感じ取ることができても、それをモニターや数値計で見ない限り、どんな状態なのかを知ることは出来ない。

身体も同じである。感覚は常に働いており、たとえ初めて弓を引く人でもそれを持っている。しかし、そこに意識を向けない限り、その感覚を捉えることはできないのである。

弓の稽古は、ただただこの身体のセンサー(感覚)に意識を向けること。これが肝要である。そして、その感度は、日頃から意識を向けていることによって格段に高まっていくのである。

「詰合い」による引分け ~大三から会~

2008年10月03日 | 極意探求
大三で詰合いが完成したら、あとは会へと向かうだけである。

ここで重要なことは、引いたり、押したりする意識は必要ないということである。むしろ、こうした意識は型を崩す原因になりかねない。

弓を引こうと思えば、馬手が先行してしまい、馬手離れの原因になる。一方、それを避けようと弓手で押そうと意識すれば、肩が入りすぎたり、上半身が的の方向に傾いたりする。これはいわば自然の動作である。

そうではなくて、詰合いだけに意識を集中し、弓に負けて詰合いが抜けてしまわないように気をつけながら、ゆっくりと収めるべき場所に収めるべきものを収めていけばよいのである。

特に気をつけたいのが、いわゆる「五部の詰め」と言われるところである。

教本などでは、横のラインとしてこれを扱っているので、弓手手の内、弓手肩、胸の中筋、馬手の肩、馬手の肘、となっているが、私は詰合いそのものを重視して、以下のように「六部の詰め」として捉えている。

六部の詰め=「弓手手の内(手首)」「弓手の肘」「弓手の肩」「馬手の肩」「馬手の肘」「馬手手の内」

このように捉えるのは、弓手と馬手を同等に捉えていることと、詰合いは上記6つの間接で実際には得られることからである。

実際、低段者の方に多いのが、このポイントでの緩みであり、これらが全て詰めあっていて、さらに収まるべきところに収まっていれば、深い「会」となる。

次回以降、これをどう実現するかを考えていくことにしよう。

「詰合い」による引分け ~打起しから大三~

2008年10月02日 | 極意探求
では、詰合いを使って、どのように弓を引けばよいのだろうか。

詰合いの前準備。それが「打起し」と「大三」である。正確には打起しによって馬手の詰合いを、大三によって弓手の詰合いを完成させる。

詳しく見ていこう。

まず、打起しは「馬手先行」と言われるとおり、馬手によって行われる。このとき、垂直上向きから45度の角度まで打起すことが基本とされているが、実はこの角度が馬手が詰め合う位置なのである。

すなわち、馬手が詰め合うように打ち起こしていった結果、だいたい45度くらいで詰合いが完成するということだ。

感覚的には、円相に張った馬手をさらに張るように打起していき、下筋(二の腕の下の筋肉)が限界まで張り切るまで上げていけばよい。

打起しが完成したら、今度は大三である。既にご存知の通り、大三へは「弓手先行」でこれを行う。

これも打起し同様、「弓手の詰合いを完成させる」ことが目的である。したがって、円相に張った弓手を伸ばしていき、こちらも下筋が張り切るまで伸ばしていく。

このとき、手首を折り、手の内を決めてしまうよう指導されることが多いようであるが、詰合いの観点から言えばこれは正しくない。

なぜなら、手首が折れている時点で、手首の詰合いが崩れているからである。詰合いを重視するのであれば、大三の段階で腕に対して手首がまっすぐに伸びている必要がある。

こうすることにより、打起しから大三までの過程で、馬手、弓手両方の詰合いが完成するのだ。