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ちょこ歴旅

歴史旅…というほどじゃない、気楽な史跡巡り備忘録
(※和菓子ネタはブックマーク「和菓子の国の人だから」へGo!)

春の丹後半島

2014年08月03日 17時25分03秒 | 散策、お出かけ
昨日今日と雨でどこへも出掛けられず…
騒がしくセミが鳴く夏真っ盛りには少々季節
外れですが…
春休み前半、家族で出掛けた丹後半島の件を
ここでひとつ。

有料道路(阪神、中国~舞鶴若狭~京都縦貫
自動車道)と国道312号線を気持ち良く
ドライブ。
西紀SAでの朝食休憩時間を除けば、わずか
2時間半で鳴き砂で有名な琴引浜に到着。

足元で鳴るギュッギュッと軋むような音。


長女(左)と次女(右)も喜んでます。

ここから東へ、袖志の棚田に向かいます。

途中で野猿出没!…したけど写真は撮れず。
あきらめて棚田の付近へ。

まるでジオラマのような風景。
左手の斜面上にある棚田は見ずに東へ。

続いて訪れたのは、最近全国的にも有名な
伊根湾の舟屋。

あ~日本っていいなぁ…と思わず呟く風景。

ここまで来たらここへも行かねば。

日本三景「天橋立」…でも上から見ないと
ただの松林?
それでもやっぱり風光明媚で、心洗われる。

付近の土産物屋では干物を作っていました。

ホタルイカと小アジ?どちらも日本酒の
アテに良さそう。

この日の丹後半島ドライブ、古き良き
日本人の心を取り戻せたような気がします。
あ~日本ってやっぱりえぇなぁ…。


~今回の甘いもん~
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094(京都)天橋立 智恵の餅

日本橋プチ散策

2014年02月07日 23時51分28秒 | 散策、お出かけ
午前は大手町、午後は京橋と、今日は東京駅
周辺に用事がありまして…

午前の部終了後、近辺の名所を回りつつ移動。
まずは大手町、三井物産ビル東側の将門塚。

京にさらされた平将門の首が怨念でこの地に
飛んできたという話も…。
カルト的な数々の伝説に彩られた旧跡。
お詣りの人が後を絶ちません。

続いて、東に向かって移動し、常盤橋の袂に
ある小さな緑地へ。

日本経済の父、渋沢栄一の銅像。

日本橋川に架かる常盤橋を渡ってすぐの日本
銀行本店(重要文化財)へ。

辰野金吾の設計により明治29年(1896年)
竣工。
こちら側の上空から見れば「円」になって
いるはずですが…。

日銀から日本橋川沿いに東へ200メートル
進めば、お江戸日本橋。

高速道路が覆い被さる残念な姿。

江戸時代から五街道(東海道・甲州街道・
奥州街道・日光街道・中山道)の起点だった
日本橋は現在も日本の道路の起点。

日本国道路元標(複製)。
現物は橋のど真ん中なので撮影は断念。

日本橋から中央通りを南へ移動中に見つけた
のは八重洲の由来と言われる
オランダ人ヤン・ヨーステン(耶楊子)の像。

慶長5年(1600年)、イギリス人ウイリアム・
アダムス(三浦按針)とともにオランダ船
リーフデ号で豊後国に漂着。
江戸幕府の外交顧問として重用されたそうです。
デジカメのスマイルキャッチ機能…銅像にも
しっかり反応。

そうこうするうちに午後の部の会場付近に到着。

おっと!ランチ忘れてた!
急いで東京スクエアガーデンのレストラン街へ
向かったのでした。

今日は移動を兼ねたプチ散策。
これといった場所へは行ってないけど、途中で
甘いものはしっかりゲット。
その件は後日の記事にて。


~今回の甘いもん~
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081(東京)日本橋 金鍔
082(東京)日本橋銘菓 久寿もち
083(東京)京橋銘菓 一と声

ぶらり京都(室町期)

2013年12月22日 21時41分13秒 | 散策、お出かけ
三連休の中日、今日は底冷えのする京都へ。
過去3回(7/15幕末8/3江戸初~中期9/22安土桃山)に引き続き、
今回は室町時代がテーマ。
室町時代と言えば北山文化を代表する金閣寺、
東山文化の銀閣寺、さらには京都五山など
色々あるけど、名所の詰め込み過ぎは避け、
今回は銀閣寺周辺に限定。
さぁ、万歩計をセットして出発!

まずは、京阪本線で出町柳へ。
ここから東へ向かって今出川通りを徒歩移動。

歩くこと10分ちょっとで白川通今出川へ。
そして、ここから哲学の道を歩くこと5分。

気持のいい道です。
でも凡人の私には、哲学的な考えは浮かばず。

ついに銀閣のある慈照寺に到着。

石畳の参道を抜け、総門、中門を潜れば国宝
「銀閣」が出現。

金ピカの金閣もいいけど、侘び寂びを感じる
銀閣もいい。
ご存知のとおり、八代将軍足利義政の山荘と
して造営されたもの。
正式名は観音殿で、本来は黒漆塗りに極彩色
が施されていたそうです。

銀閣以外にも東山文化を代表する美しい庭園
などさすが世界遺産。

ちなみに、左の池の奥に見える東求堂も国宝。

慈照寺を堪能した後、懐かしい母校の前を…

もちろん嘘。

続いては、京大の東裏山にあり、節分で有名
な吉田神社へ。

平安京において藤原氏の氏神として崇められ、
後に卜部氏(吉田家)が神職を相伝し、
室町時代末期には吉田兼倶が吉田神道
(唯一神道)を創始。
吉田家は全国の大部分の神社の神職の任免権
を持っていたそうです。

ちなみに、このブログタイトルにも拝借して
いる「徒然草」の作者、吉田兼好はこの吉田
神社の流れだとか。

さらに特に関係ないけど、あの人気作家、
万城目学の「鴨川ホルモー」では京大青竜会
が代替りの儀を行う舞台として描かれてます。

この後、出町柳まで一旦戻り、さらに西へ。
これも母校ではない同志社大の北、相国寺へ。

さすがは臨済宗相国寺派の大本山、京都五山
第二位の名刹、立派です。
14世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満に
より創建。
驚くことに、この相国寺は金閣寺、銀閣寺の
本山なんだとか。
最盛期は145万坪の境内を誇ったとか…
広過ぎて想像できません。

相国寺からさらに西へ300Mほど行くと、
室町時代の原点が…

足利将軍家の邸宅、花の御所といわれた室町
第の跡を示す石碑。
地味ですが、将軍邸が室町通今出川付近に
築かれたから室町時代、もう少し東なら
烏丸幕府だったかも。

さぁ、最後に恒例の和菓子屋巡りですが、
ここで誤算が…。
本日開催の全国高校駅伝の影響で、通り沿い
の目当ての店が臨時休業…ガッカリ。

まぁ、また次回の楽しみにしますか。


~今回の甘いもん~
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076(京都)出町 鎌餅

みかん狩り日和

2013年11月23日 22時34分42秒 | 散策、お出かけ
今日は晴天、次女と2人でみかん狩りへ。
年間数千円で契約できるので、そんなに期待はしてなかったけど…

たわわに実るみかん達。

既に2回ほど収穫済みですが、まだまだ獲れる。

次女もハサミ片手に一生懸命みかん狩り。

ほんの15~20分ほどで

ほら、こんな感じ。

ペットボトル2L×6本の箱がいっぱい。
あと2箱ぐらいは余裕で獲れそうですが、また次回。

本日は晴天、みかん狩り日和でした。
どうやら明日も晴天、次はロードバイク日和だ!

ぶらり京都(安土桃山期)

2013年09月22日 23時13分06秒 | 散策、お出かけ
久々に天気に恵まれた三連休、明日は用事が
あるので…そうだ京都へ行こう!
過去二回(7/15幕末8/3江戸初~中期
に引き続き、今回は安土桃山時代、
つまり信長、秀吉の時代です。
時代別にテーマを絞ると、地域別に一気に
観光するのに比べすこぶる非効率。
それは良~く判ってるけど…とにかく、
万歩計をセットして、いざ出発!

まずは、京阪本線七条駅で下車、東向きに
緩やかな坂を登って京都女子大…ではなく、
秀吉の眠る阿弥陀ヶ峰の豊国廟へ。

数十段の階段の上に鳥居が見えるので、
あの上が境内かな?

境内に間違いはないけど、目指す場所は
もっと上。

これは門?遥拝所?不思議な建物の向こうに
石段がちらり。

こっ…これは!

ド~ンと遥か上まで続く階段、僅かに除く光。
とにかく登らねば!1、2、3…100…
200…300段、あとちょっと!

313段のその先に唐門、その背後には
さらに梯子のように伸びる石段が…

まるで天に上る装置のようで、東向きに作ら
れた意味が分かる気がします。
さらに176段上った先には超巨大な五輪塔
が出現。

今では生い茂る木々の間からちらりと見える
程度ながら、当初は京の都が一望できたこと
でしょう。

後陽成天皇から正一位豊国大明神の神階と
神号を賜り作られた壮麗な社殿は豊臣氏の
滅亡後、徳川幕府により廟もろとも徹底的
に破壊されたそうです。
しかし、明治30年の秀吉三百年忌に際し、
今見る巨大な五輪塔が建てられたんだ
そうです。

石段の登りは汗だくになりつつも意外と
大丈夫だったものの、下りの最後には
膝がガクガク…最初の訪問地にして、
これはやばい!

続いてここから数百メートル西、方広寺
大仏殿跡に再建された豊国神社へ。

左:方広寺の境内として築かれた200M
  ぐらい続く巨大な石垣
右:いかにも桃山時代の建築らしく華やか
  唐門(国宝)は伏見城の遺構で、
  南禅寺金地院から移築されたもの

続いてすぐ隣、大坂の陣のきっかけと
なった方広寺梵鐘を見学。

白く塗られたところにあの有名な
「国家安康 君臣豊楽」の文字が。

豊臣終焉にまつわる場所に続いては徒歩で
信長にまつわる場所へ。

本能寺跡、こちらは信長終焉の地。

次の場所へは2駅(烏丸~丸太町)だけ
地下鉄で移動し、楽ちん。

信長が15代将軍足利義昭のために築いた
二条城跡。

3連チャンでまたしても石碑のみとは…
ちょっと地味?

関白秀吉が築いた聚楽第跡。

最後に誰でも知っている有名スポット
北野天満宮へ。
平安時代の学者、左大臣菅原道真を祀る
学問の神様でお馴染みの天神さん、
でも今日の目的はこれ。

天満宮境内の西側、紙屋川に面する御土居の
斜面、分かりにくい?
何これ?って言われそうですが、あの秀吉が
築いた巨大な土塁の跡。
北は鷹ヶ峰、東は鴨川、南は九条、そして西
は紙屋川に沿って都をすっぽりと囲み、その
内側が洛中、外側が洛外。

さらに北野天満宮で秀吉と言えばこれ。

公卿、大名から庶民に至るまでを招き盛大に
開催された北野大茶会。

ほんまに北野天満宮に行った?って言われ
そうなので、証拠を。

ちゃんと頭が良くなるようにお詣りして
きました。

この後は、足の状態を考えJRで円町~
京都~大阪ルートで帰宅。

本日の歩行数は、23,623歩と過去二回
より少なかったけど、階段が効いた~。
毎回足をつって…この学習能力のなさは
天神様でもお手上げかも?


~今回の甘いもん~
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069(京都)北野 長五郎餅
070(京都)北野 粟餅
071(京都)北野 やきもち
072(京都)百万遍 阿闍梨餅

ぶらり京都(江戸期)

2013年08月03日 22時18分12秒 | 散策、お出かけ
先日に引き続き、今日も京都をぶらぶら。
前回のテーマが「幕末」だったので、
今回はさらに遡り「江戸初~中期」。
この時代の京都にゆかりある人物といえば、
徳川家康、秀忠、家光でしょうか。
それでは、万歩計をセットして、いざ出発!
(先日の様子はこちら

梅田駅から阪急京都線に乗り大宮駅で下車。
大宮駅から南へ向かい、江戸時代には吉原
(江戸)、丸山(長崎)と並ぶ日本三大花街
といわれた島原へ。

島原は1641年(寛永18年)に六条三筋町から
移されたわが国最初の公許の花街。
当時は四周を堀と塀で囲まれていたそうです。
この貴重な遺構である高麗門形式の大門は
幕末の慶応3年(1867年)再建。
門の右脇に植えられた柳が風情を醸します。

左:現役の置屋兼茶屋である輪違屋
右:元 揚屋(芸妓さんなどを呼んで宴会
をするところ)である角屋(重文)

ここから、一気に2km以上北上し、本日の
主目的地の二条城へ。
さっそく、東大手門から入城です。

左:堀川通りに面する東大手門(重文)
右:内側から見た東大手門、番所も付属

残念ながら、唐門(重文)は改修中。

いよいよ国宝の二の丸御殿を見学。

二条城は初代将軍、家康が築き、三代家光が
本丸部分を拡張。
さすがに将軍の城、車寄(入口)も華やか。
なお、内部は豪華な狩野派による障壁画で
飾られていますが、当然ながら撮影は禁止。
もちろん、庭園も広々と立派ですな~。

続いて、本丸へ…と言いたいところですが、
その前に本丸の周りを一周し、じっくり見て
回ります。

順に桃山門、南中仕切門、西南土蔵、
北中仕切門、鳴子門、すべて重文。

ようやく元の位置に戻り、改めて本丸へ。

小振りでちょっと変わった形の本丸東櫓門。
今は普通の橋が架かるだけですが、昔は二重
廊下橋(上が多聞廊下、下が橋)が架かって
いたそうです。

天守台に登り、本丸以下を眺めます。

この天守台に聳えていた白亜の五層天守は
寛延3年(1750年)に落雷で焼失。
天守の最上階からの眺めは、きっと京の都が
一望だったんでしょうね。
ちなみに、ここから見える本丸御殿は明治
中期に旧桂宮邸を移築したもの。

さて、最後は二の丸御殿の北裏にある米蔵。

これすらも立派な重文です。

米蔵も忘れず見たし、後は帰るだけ…と言い
たいところですが、またしても遠回りをもの
ともせず、外濠の周りを一周。

順に東南隅櫓、西南隅櫓、西門、北大手門、
すべて重文。

二条城から東へ、私が向かったのは高瀬川に
残る一之舟入。

ここは慶長16年(1611年)頃に角倉了以が
開いた運河「高瀬川」の舟荷の揚げ下しの
ために作られた船溜まり。
往時は数か所あった船溜まりですが、残って
いるのはここだけ。
江戸時代の名残りを感じる貴重な史跡です。

さぁ、これで本日の予定は終了。

結局、本日の歩行数は、前回(28,523歩)
よりはちょっと少ない26,067歩でした。
足が痛い…。


~今回の甘いもん~
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062(京都)出町柳 豆餅
063(京都)三條 祇園ちご餅
064(京都)二条 そば餅

ぶらり京都(幕末期)

2013年07月15日 20時33分30秒 | 散策、お出かけ
今日は朝から京都をぶらつきます。
ただ単にうろつくのも面白くないので、
テーマを「幕末」に絞ってみました。
幕末の京都で思い浮かぶのは、坂本竜馬、
新撰組、薩長土肥、会津などなど。

まずは阪急京都線河原町駅で降り、
木屋町周辺を散策。

この辺りには坂本竜馬に関連する史跡が点在。

左:竜馬と中岡慎太郎が遭難した近江屋跡
中:高瀬川に接する土佐藩邸跡
右:竜馬が常宿にしたという材木商酢屋

さらに三条通りに面してこんな石碑も。

新撰組が攘夷派志士を襲撃した池田屋跡。
残念ながら全く面影はなく、今や海鮮茶屋
池田屋というお店。

続いては会津藩が本陣にした京都の東、
黒谷にある金戒光明寺へ。

左:高麗門
中:石段上の本堂
右:境内から見た山門と京都の町並み
ここに京都守護職となった会津藩主、
松平容保公と約千名の藩士が駐留した
そうです。

ここで謁見の間などがある方丈を見学しまし
たが、残念ながら撮影禁止。
昭和11年に元どおりに再建したという方丈の
見学に600円も払ったのに…。

せめて庭園の写真だけでもどうぞ。

気を取り直して、京都御所へ向かいます。

途中、鴨川でこんな写真が撮れました。

ダイサギとゴイサギが魚を狙って争った結果
…ダイサギの勝ち~。
こうして勝ち取った獲物は、きっと格別の味
でしょうね。

しばらく歩いて、ようやく京都御所へ到着。
予約なしの御所参観が出来ないのは承知で、
今日はこちらの蛤御門が目的。

ここは幕末に長州藩と会津、桑名、薩摩連合
軍が争った場所。
梁に弾痕の跡があるそうです。

壬生寺辺りを目指し南下しようと、御所の
西側、烏丸通りへ。

幕末初期の尊王攘夷運動を牽引した水戸藩の
藩邸跡。

ここで、何気なくさらに一本西の室町通りを
歩いていたら…

今日は祇園祭の宵々山だったんですね。
偶然、山鉾を10基以上も見られるなんて
本当にラッキーです。
先ほどの金戒光明寺の件はなしどころか、
お釣りがくるほど。

ちょっと足が疲れてるけど、この勢いで
壬生寺付近へ。

左:八木邸
右:前川邸
ここは壬生浪士、そして結成間もない頃の
新撰組が屯所とした場所。
かつて八木邸に隣接する壬生寺の境内で
調練を行ったそうです。

そろそろ足も限界なので、最寄りの阪急
京都線大宮駅から帰宅の途へ。
これにて、本日の散策は終了です。
さて、次回はどの時代にしようかな?

ところで、本日の歩行数はなんと28,523歩、
明日仕事に行けるかな?


~今回の甘いもん~
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059(京都)壬生 屯所餅
060(京都)洛東 八ッ橋

近所をぶらぶら

2013年03月31日 22時03分19秒 | 散策、お出かけ
昨日は一日中ロードバイクを堪能したので、今日は家でゆっくり。
でも、せっかくの桜シーズンなので、近所をぶらぶらしてみました。

住宅街を1kmにわたって桜並木が続くのですが、あいにくの天気。
一応撮影したものの、暗くて綺麗さが全く伝わりそうにないのでパスします。

代わりに?桜にとまるヒヨドリが絵になっていたので、どうぞ。

天気が良ければもっと綺麗だったでしょうね。

こちらは、桜とは全く関係ありませんが…。

さすが、ライオンやトラと同じネコ科の動物…野性的です。
こちらを威嚇しながら木から降ります。

期待していた桜は撮影できませんでしたが、ちょっと面白い写真が撮れました。
こうして、たまには近所をぶらぶらするのもいいものですね。

中国へ行きました?

2013年03月20日 19時09分14秒 | 散策、お出かけ
ここは中国河南省、武術で有名な少林寺…。

ではなく、京都府宇治市にある黄檗山萬福寺
(おうばくさんまんぷくじ)です。
宇治の親戚の家を訪ねた後、立ち寄りました。

最初の画像、いきなり中国風の総門(重文)
が出迎えてくれます。
小さな門のようですが、実物は結構大きい。

萬福寺は臨済宗、曹洞宗と並ぶ日本三禅宗の
黄檗宗(おうばくしゅう)の総本山。
中国福建省から渡来した隠元和尚が江戸時代
初期(1661年)に開いた寺院。
寺内で使われる言葉、お経など儀式作法も
中国明代そのままだそうです。

ちなみに、隠元はインゲン豆、西瓜、蓮根、
孟宗竹などの中国文化を日本に伝えました。

総門の次に見えるのが巨大な三門(重文)

やっぱりどこか中国風。

三門をくぐり正面に見える天王殿(重文)

天王殿には布袋さんが祀られています。

その奥、本堂にあたる大雄宝殿(重文)

丸い形の窓が中国風。

さらにその奥にあるのが法堂(重文)

左:法堂の勾欄は卍くずしの文様
右:法堂の勾欄越しに大雄宝殿裏面の眺め

法堂のそのまた奥には歴代川将軍を祀る
威徳殿がありますが、残念ながら非公開。

他にも多くのお堂が回廊で繋がっており、
そのほとんど計23棟が国の重要文化財。
また、3名以上で予約をすれば「普茶料理
(ふちゃりょうり)」と呼ばれる植物油を
多く使う中国風精進料理がいただけます。

おっと、これも忘れてはいけません。

魚梆(かいぱん)、木魚の原形とされ、
時を知らせる時に使われます。

さすがは黄檗宗の総本山、想像以上に広く
しかも中国風と見所いっぱい。
子供の頃から何度も来ていた宇治には、
こんな名所があったんですね…。

最後に、私と宇治出身の親父との会話。
私:「子供の頃、年になんべんも宇治に来て
   たのに、なんで来ぇへんかったん?」
父:「いや、ワシも初めて来たけど、
   ほんまに立派なお寺やな~」
私:「…」


~今回の甘いもの~
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011(京都)宇治 茶だんご

お上りさん浅草へ

2013年03月16日 20時33分49秒 | 散策、お出かけ
今日はお上りさんらしく東京観光のメッカ、
浅草をぶらつくことに。

早速、浅草の代名詞、巨大提灯が吊るされた
雷門が見えてきました。

観光客が入れ替わり立ち代わり記念撮影。

ここ浅草は古くからの門前町、江戸時代には
新吉原遊郭や芝居小屋が集まり、明治以降も
演芸場や劇場が集まる一大歓楽街として発展
した街です。

雷門をくぐると、そこは仲見世通り。

両側に人形焼の店や土産物屋がずらり、
なかなか前に進みません。

いよいよ浅草寺境内へ。

左:宝蔵門
中:宝蔵門の巨大提灯、大きさ伝わります?
右:本堂、ここにもやっぱり巨大提灯

本堂で掌を合わせていると、あちこちから
パンパンと柏手の音が…。
外国人ならやむを得ないのですが、まさか
日本人ってことは…ちょっと心配です。

境内を後にして歓楽街の名残りがある通りへ。

左:ストリップの浅草ロック座
中:演芸の浅草フランス座(東洋館)
右:大衆演劇の木馬館

続いて吾妻橋から隅田川を渡って東へ。

人が多いので、東京スカイツリーまで行かず、
少し離れたところから撮影。

アサヒビール本社の後ろに東京スカイツリー
がちらり、おもちゃ箱みたいな風景。


左:ほんもののツリーと合わせて林?森?
右:東武スカイツリーラインと共に

最後に隅田川沿いの風景。

左:吾妻橋から下流、駒形橋を臨む
右:遊覧船

さぁ、まだお昼過ぎですが、お上りさん
なので道に迷わないうちに帰ります。
「もうし、お武家様。東京メトロ銀座線の
浅草駅はどちらでしょうか?」

「うむ、馬手(めて:右)に見える吾妻橋を
渡って、弓手(ゆんで:左)じゃな。」
公園に佇む親切なお侍さん(勝海舟先生)が
親切に教えてくれました。

こうしてお上りさんは無事に夕方までに
帰宅できましたとさ。


~今回の甘いもん~
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049(東京)浅草 芋ようかん
050(東京)浅草 芋きん
051(東京)浅草 人形焼

天王寺七坂

2013年03月11日 20時48分09秒 | 散策、お出かけ
大阪市天王寺区の上町台地はいわゆる寺町。
この辺りは緑が少ない大阪市内には珍しく
緑が比較的多く残っていたり、天王寺七坂
と呼ばれる坂も存在し、ちょっとした穴場
観光スポットです。

年に一度の一週間の休みも残りあと二日。
今日は天王寺界隈で時間待ちをすることが
あったので、天王寺七坂を北から順番に
巡ってみます。

<真言坂>

生國魂神社の神宮寺「生玉十坊」のうち
真言宗の六寺が集まっていた坂。

<源聖寺坂>

坂の下に浄土宗源聖寺がある坂。

<口縄坂>

「口縄」は大阪の旧い言葉で「蛇」。
坂下から眺めると、起伏が蛇に似ること
からそう呼ばれるようになった坂。
織田作之助の「木の都」にも著されており、
坂上には石碑があります。

<愛染坂>

坂上に「愛染かつら」で有名な愛染堂勝鬘院
がある坂。

<清水坂>

坂上に清水寺がある坂。
京都の清水寺と同様に舞台があります。
右は舞台からの眺め。

<天神坂>

真田幸村戦死の地、安居天神に通じる坂。

以上で六坂、残り一つの「逢坂」は国道25
号線が通り、もはや風情がないのでパス。

ついでに、この辺りの風景をおまけで…。

左:聖徳太子建立七大寺の一つ和宗総本山
  四天王寺。
  縦に一列の四天王寺式伽藍が特徴。
中:四天王寺境内のしだれ梅。
右:来春開業のあべのハルカス。
  言わずと知れた日本一の高層ビルです。

天王寺、上町台地界隈はブラブラお散歩に
ぴったり、大阪人なら一度は行ってみては?
じゃあ、いつ行くか?今でしょう。
(某予備校講師風)


~今回の甘いもん~
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052(大阪)天王寺 釣鐘まんじゅう

月の法善寺横丁

2013年02月24日 17時15分57秒 | 散策、お出かけ
包丁一本 晒しに巻いて~ 旅へ出るのも
板場の修行~♪
昭和35年、藤島桓夫さんのヒット曲
「月の法善寺横丁」です。

昨日は大学時代の友人達(私を含め4人)
と大阪はミナミ、法善寺横丁へ。


まずは昼の法善寺横丁、石畳が何とも言えず
味わい深い。
左の写真、法善寺横丁入口の看板の文字は、
喜劇王「藤山寛美」の筆。

もちろん、水掛不動さんにもお参りします。

有難や~苔むしたお不動さん。

ここは天龍山法善寺、浄土宗の寺院です。
本尊は阿弥陀如来ながら、水掛不動(西向
不動尊)が超有名。
なお、当寺は千日念仏を行っていたため
俗に千日寺と呼ばれ、この寺の門前という
ことから千日前の地名が発生したそうです。

集合時間まで時間があるので、友人Gocciと
2人心斎橋をブラブラ(いわゆる心ブラ)。

道頓堀~戎橋(ひっかけ橋)~心斎橋、
写真撮りまくりです。
もはや、アジアからの観光客か、林家ペー
かという感じ。

時間になったので、法善寺横丁のもつ鍋屋で
K浦君、N尾君と合流。
いつか、この辺の割烹とか行きたいな~。

お手頃なもつ鍋を腹いっぱい食べた後、
再び水掛不動さんへ。

夜のお不動さんもいいものです。

ベタですがこれぞ大阪ミナミ、
法善寺横丁満喫です。


~今回の甘いもん~
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045(大阪)大阪ミナミ 夫婦善哉

ちょいと淡路島へ

2013年02月13日 22時36分41秒 | 散策、お出かけ
これは先日、2月11日(月・祝)のこと、ちょいと車で淡路島へ行くことに。

阪神高速~神戸淡路鳴門自動車道で一気に淡路島へ。

ちょっと淡路SAで休憩。

さっき渡ってきた明石海峡大橋です。

続いて南あわじ市の福良港へ。

足湯「うずのゆ」でむくんだ足もほっこり。

さらに進んで、道の駅「うずしお」へ。

風は冷たいけど、いい景色です。
左手に見えるのは大鳴門橋、徳島方面。

さて、いよいよお楽しみの食事タイム。

私が食べたのは牛一尺丼(左)

お腹が膨れたので、最後に腹ごなしにイングランドの丘へ。

この季節は寒いので人もまばらですが、入場料は格安(大人\400)
パン作り体験も待ち時間なしで参加できました。(右の写真は次女の作品)


コアラも寒そうです。

今日は風が冷たかったけど、楽しい一日でした。
ひょっとしたら、次回来る時はロードバイクかも?

小江戸川越へ

2013年01月12日 22時36分38秒 | 散策、お出かけ
新宿から西武新宿線の特急「小江戸」に乗り
約45分、埼玉県川越市にやってきました。

ここ川越は、江戸時代は幕府の譜代大名の
川越藩城下町として栄え、現在は蔵造りの
町屋が有名。
別名「小江戸」ともいわれる関東屈指の
観光地です。
そういえば、電車内のアナウンスでも、
「終点は、時の鐘と蔵造りの町、本川越」
と丁寧に紹介していました。
ただ、駅前は何の変哲もないちょっとした
都会という感じ。

まずは仙波東照宮へ。
徳川家康を祀る東照宮は日本全国にあるけど、
日光、久能山と並ぶ日本三大東照宮の1つ。
う~ん、失礼ながらそれほどのものとは…。

それでも写真の左の石鳥居、真ん中の拝殿、
右の唐門、本殿など全て重要文化財。

続いて、すぐ隣の川越大師「喜多院」へ。

平安初期に建立され、江戸初期に家康の
信任厚い天海僧正が第27世住職となり、
隆盛を極めたそうです。
祈祷待ちの長~い列ができていましたが、
私の目的は本殿隣にある客殿、書院です。

ここは江戸城の御殿の一部を移築したもので、
三代将軍家光誕生の間やその乳母春日局の間
もあります。
幻の江戸城御殿の一部が見学できるのですが、
内部は残念ながら撮影不可。
また、見学料(\400)がやや高いせいか、
他に人もおらず、レコーダーの解説音声だけ
がむなしく響きます。
どうもぼったくり感が否めません。

続いては私的には本日のメインエベント、
川越城本丸御殿へ。

左:立派な玄関と御殿外観
中:廊下
右:36畳の大広間
御殿全景を写真に収めたかったのですが、
無粋にも植木屋のトラックが前に停車中。
なにも目の前に停めんでもえぇのに…。

江戸時代の川越城は大老や老中を務める譜代
大名が城主となることが多く、この本丸御殿
は1848年(嘉永元年)に越前松平家(17
万石)の松平斉典により再建されたもの。
今残っているのは当時の規模のほんの一部
(約1/6)だけですが、城郭御殿の遺構は
全国的に見ても少なく、他には高知城本丸
御殿、二条城二の丸御殿、掛川城二の丸御殿
ぐらいですから、本当に貴重です。
さらに見学料は\100と非常に良心的。

こちらは移築された家老詰めの間です。

この家老の人形…どきっとします。

最後に川越の代名詞、時の鐘と蔵造の町へ。

左:時の鐘、右:大沢家住宅(重文)
  ちょうど12時の鐘が鳴っていました。


蔵造りの町屋が並ぶ通りは、歩行者天国かと
思っていたので、車の多さにびっくり。
写真に車が入らないようにするのが大変です。
また、東京近郊にある歴史的で独特な景観
なので、外国人観光客も結構多いです。


こちらは蔵造りではありませんが、レトロで
なんともいい感じ。
コーヒー飲めばよかったな~。

今日はたくさん歩いて疲れましたが、前から
来たかった川越に来られて大満足です。

<おまけ>

こちらは小江戸ではなく、本家の江戸。
復元された東京駅。


~今回の甘いもの~
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淀屋橋ぶらぶら

2012年04月30日 18時32分53秒 | 散策、お出かけ
今日はどうも体がシャキッとしません。
その気で起きたものの、どんより曇ったお天気のせいかロードバイクに乗る気にならず。

迷った挙句、ロードバイクを諦めて梅田へ買い物に出掛けます。
もちろんおしゃれな服とかではなく、ロードバイク用品(ウエムラサイクルパーツ梅田店)と
オートバイ用品(南海部品本店)が目的です。

地下鉄御堂筋線に乗りながら、ウエパーならこっちの方が近いかな~と、急きょ淀屋橋で下車、
降りたついでに前から気になっていた緒方洪庵の「適塾」をちょっと見学します。

淀屋橋駅の8番出口を出て西へ向かうと、突然それとわかる建物が現れます。
今日はカメラが入る自転車用サドルバッグを購入するため、たまたまカメラも持っています。

<適塾> 重要文化財

左から建物外観、緒方洪庵書斎、塾生大部屋、ヅーフ・ハルマ(蘭和辞典)

幕末に医者、蘭学者である緒方洪庵が開いた私塾であり、福沢諭吉や大村益次郎、橋本左内など
幕末の有能な人材を育てたところ。
塾生は大部屋の畳一枚を生活スペースとして割り当てられ、ヅーフ部屋と呼ばれる部屋に置かれた
一冊の蘭和辞典(ヅーフ・ハルマ)を奪い合って閲覧したという…。
その熱意、少しは見習わないといけませんな。
奥には緒方家の生活スペースも残されており、思った以上に立派な建物でした。
建物左右の敷地が防火のため?公園化されており、ちょっとした都会のオアシスです。

ところで、適塾のすぐ隣といってもいいところに、なにやら歴史のありそうな建物が…

<大阪市立愛珠幼稚園> 重要文化財

ここは1880年(明治13年)開園の公立幼稚園で、現存では日本で二番目に古いそうです。
なんと建物が重要文化財に指定されているにもかかわらず、現役で使用されているらしい。
こんな歴史ある建物で過ごせるとは羨ましいな~、でもそんなこと幼稚園児には分からんか。

私個人は、洋菓子より和菓子、洋風建築より和風建築の方が圧倒的に好きなんですが、
せっかくなので、淀屋橋付近の近代洋風建築も撮影することにします。

<日本銀行大阪支店>

辰野金吾の設計による1903年(明治36年)建設の重厚な建物です。さすがは日銀。

<大阪府立中之島図書館> 重要文化財

1904年(明治37年)建設で、ネオ・バロックという様式で建てられているそうです。

<大阪市中央公会堂> 重要文化財

1911年(明治44年)、岡田信一郎の原案により辰野金吾が設計顧問として携わった中之島の象徴的建物。
右の写真なんかちょっとセーヌ川みたいでしょ?
やっぱり中之島周辺は散策にはピッタリですね~。

ついついゆっくり散策してしまいましたが、今日の目的は散策ではないので、そろそろ買い物に行かねば。

この後、ウエパーでサドルバッグ、レーパンなどを購入しました。
結局、午前中しか時間がなかったこともあり、南海部品には行かずに帰りました。
ちょっと無駄にぶらぶらし過ぎたかな~(反省)

帰宅後、夏らしくバーテープを白にし、サドルバッグも装着しました。
せっかくなので、写真を載せておきます。
beforeの撮影を忘れたので、afterのみです。
<愛車>


さぁ~連休後半(5/3~6)は頑張って走るぞ~!