ちょこ歴旅

歴史旅…というほどではないけど、気楽な史跡巡り備忘録
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ぶらり京都(安土桃山期)

2013年09月22日 23時13分06秒 | 散策、お出かけ
久々に天気に恵まれた三連休、明日は用事が
あるので…そうだ京都へ行こう!
過去二回(7/15幕末8/3江戸初~中期
に引き続き、今回は安土桃山時代、
つまり信長、秀吉の時代です。
時代別にテーマを絞ると、地域別に一気に
観光するのに比べすこぶる非効率。
それは良~く判ってるけど…とにかく、
万歩計をセットして、いざ出発!

まずは、京阪本線七条駅で下車、東向きに
緩やかな坂を登って京都女子大…ではなく、
秀吉の眠る阿弥陀ヶ峰の豊国廟へ。

数十段の階段の上に鳥居が見えるので、
あの上が境内かな?

境内に間違いはないけど、目指す場所は
もっと上。

これは門?遥拝所?不思議な建物の向こうに
石段がちらり。

こっ…これは!

ド~ンと遥か上まで続く階段、僅かに除く光。
とにかく登らねば!1、2、3…100…
200…300段、あとちょっと!

313段のその先に唐門、その背後には
さらに梯子のように伸びる石段が…

まるで天に上る装置のようで、東向きに作ら
れた意味が分かる気がします。
さらに176段上った先には超巨大な五輪塔
が出現。

今では生い茂る木々の間からちらりと見える
程度ながら、当初は京の都が一望できたこと
でしょう。

後陽成天皇から正一位豊国大明神の神階と
神号を賜り作られた壮麗な社殿は豊臣氏の
滅亡後、徳川幕府により廟もろとも徹底的
に破壊されたそうです。
しかし、明治30年の秀吉三百年忌に際し、
今見る巨大な五輪塔が建てられたんだ
そうです。

石段の登りは汗だくになりつつも意外と
大丈夫だったものの、下りの最後には
膝がガクガク…最初の訪問地にして、
これはやばい!

続いてここから数百メートル西、方広寺
大仏殿跡に再建された豊国神社へ。

左:方広寺の境内として築かれた200M
  ぐらい続く巨大な石垣
右:いかにも桃山時代の建築らしく華やか
  唐門(国宝)は伏見城の遺構で、
  南禅寺金地院から移築されたもの

続いてすぐ隣、大坂の陣のきっかけと
なった方広寺梵鐘を見学。

白く塗られたところにあの有名な
「国家安康 君臣豊楽」の文字が。

豊臣終焉にまつわる場所に続いては徒歩で
信長にまつわる場所へ。

本能寺跡、こちらは信長終焉の地。

次の場所へは2駅(烏丸~丸太町)だけ
地下鉄で移動し、楽ちん。

信長が15代将軍足利義昭のために築いた
二条城跡。

3連チャンでまたしても石碑のみとは…
ちょっと地味?

関白秀吉が築いた聚楽第跡。

最後に誰でも知っている有名スポット
北野天満宮へ。
平安時代の学者、左大臣菅原道真を祀る
学問の神様でお馴染みの天神さん、
でも今日の目的はこれ。

天満宮境内の西側、紙屋川に面する御土居の
斜面、分かりにくい?
何これ?って言われそうですが、あの秀吉が
築いた巨大な土塁の跡。
北は鷹ヶ峰、東は鴨川、南は九条、そして西
は紙屋川に沿って都をすっぽりと囲み、その
内側が洛中、外側が洛外。

さらに北野天満宮で秀吉と言えばこれ。

公卿、大名から庶民に至るまでを招き盛大に
開催された北野大茶会。

ほんまに北野天満宮に行った?って言われ
そうなので、証拠を。

ちゃんと頭が良くなるようにお詣りして
きました。

この後は、足の状態を考えJRで円町~
京都~大阪ルートで帰宅。

本日の歩行数は、23,623歩と過去二回
より少なかったけど、階段が効いた~。
毎回足をつって…この学習能力のなさは
天神様でもお手上げかも?


~今回の甘いもん~
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070(京都)北野 粟餅
071(京都)北野 やきもち
072(京都)百万遍 阿闍梨餅
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