ちょこ歴旅

歴史旅…というほどではないけど、気楽な史跡巡り備忘録
(※和菓子ネタはブックマーク「和菓子の国の人だから」へGo!)

2014ロード納め

2014年12月27日 22時08分32秒 | ロードバイク
さぁ、今日は再びロードバイクでロングライドに行くための
復活第2弾!

午前9時半、100kmを目標に奈良方面へ出発!
浅香から大和川沿いに柏原、斑鳩を経て奈良CLで奈良の
平城京跡を目指します。

やがて、薬師寺や唐招提寺のある西ノ京を通過。
ここまでは順調。

そして、午前12時頃に平城京跡に到着。

ところが、全く人気なし。

入口だけかと思ったら、中心部もやっぱり。

左:向かって北にある大極殿
右:向かって南にある朱雀門
2枚の写真に写る人影はわずか一人と貸切状態。
ウォーリーを探せ!

せっかくなので、大極殿(復元)を初見学。

近くで見るとなかなかの迫力。
正面44M、側面20M、基壇も含めた高さは27Mもあり、
天皇の即位式や外国の使節との面会など、国の最重要
儀式に使われていたそうです。

もちろん内部も見学。

天皇の玉座、高御座(たかみくら)はさすがに立派。
ラストエンペラーの1シーンを思い出します。

こうして、貸切状態で大極殿を見学し、満足して帰路に。

帰りは行きと同じ道で柏原まで戻り、そこから石川CLへ。

「あぁ、ここを走るのも久々やな~。」と思っていたら、
だんだん足が重くなってきた。

この後、彼方から狭山池を経て自宅までがツラかった…。
それでも午後3時半に帰宅、走行距離は111kmでした。

今日が2014年のロードバイク走り納め。
年間走行距離は2,630kmと、最盛期だった2011年
(6,002km)の半分以下という体たらく。
来年はせめて3,000kmは走りたいな~。
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まずは第一歩

2014年12月23日 20時59分31秒 | ロードバイク
今日は1ヶ月半ぶりのロードバイク。
さぁ、どこに行こうかな?布団の中で悩んで…二度寝。

結局9時半に出発。
久々なので軽めのコースにしておきます。

まずは、鳳から国分峠方面へ進み、南楽園前を通過。

久々なので、なんてことない坂のはずが…キツイ。
連続アップダウンを越えて名張へ行ったのも今は昔。

続いて横山を経て、天野山金剛寺前を通過。

現在、伽藍の工事中。
「女人高野」ともいわれる金剛寺は奈良時代の創建で、
かの弘法大師も修行したそうです。

ちょっとだけ西高野街道を通り、河内長野へ。

旧街道に古いお屋敷と大きな楠木がしっくりきます。

以前よく走っていた道を河内長野から彼方へ。

金刀比羅神社前を通過。
お詣りしたことはないけど、なぜか懐かしい。

さて、いよいよ彼方に到着。

この石川の眺めも久々なので懐かしい。
自然とブログのタイトル「Wバイク徒然草」の一節が…
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
おっと!これは「方丈記」でした。

こうして懐かしい道をちょこっと走り、狭山を経て帰宅。
走行距離はわずか52kmながら、久々に走れて満足です。

今日はかつてのように名張や嵐山に行くための第一歩。
せめて年内にもう一回は走っておきたいですね。
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小田原提灯ぶら下げて

2014年12月16日 12時07分38秒 | 散策、お出かけ
え~っさ、え~っさ、えさほいさっさ♪
お猿の駕籠屋だほいさっさ♪
日暮れの山道、細い道、
小田原提灯ぶらさげて…。

先日、小田原城へ行ってきました。
江戸を例外とすれば、小田原はまさに
関東を代表する城。
一度は訪れたかった城の一つです。

さぁ、さっそく関東の名城にレッツゴー!
まずは北西のJR線の側からではなく、
ぐるっと南東側に
回り込んで大手筋から入城。

二の丸隅櫓(昭和9年復興)と水堀。

小田原城は伊勢新九郎(早雲)を祖とする
関東の覇者、後北条氏の城として城下町を
惣構えと呼ばれる濠で囲んだ巨城.
かの武田信玄や上杉謙信でさえ攻め落とせ
なかったんだとか。
そんな戦国時代を代表する巨城も豊臣秀吉
の小田原征伐(1590年)で開城しました。

現在残るのは、徳川家康の腹心である
大久保氏の時代に規模を縮小しつつ近世城郭
として整備された姿の名残り。
現在、整備事業が進み、大手筋の門などが
復元され、その魅力は増しています。

馬屋曲輪に入る馬出門(平成21年復元)。

馬出門をくぐります。

画像に写ってませんが左折の枡形内側に
冠木門があります。
さらに正面に銅門の枡形、右手奥に天守
という見どころ。

続いて銅門(あかがねもん)の左折の枡形。

手前は埋み門形式、奥左手に渡櫓門
(平成9年復元)

さぁ、いよいよ本丸へ。

朱色の橋の欄干と常盤木門の枡形の組み
合わせもいい感じ。
もとはこの橋の下に内堀が巡っていた
そうです。

二の丸から本丸に向かう常盤木門。

本丸の正門に相応しい大型の渡櫓門
(昭和46年復興)

常盤木門から本丸に入り、いよいよ
天守とご対面~。

昭和35年に鉄筋コンクリートで復興された
三重四階の天守は、江戸時代の雛型を基に
しつつも最上階に廻縁が付けられるなど、
忠実な再現ではないようです。

それでも、その廻縁からの相模湾の眺めは
なかなか。

ちなみに、復元は古写真や図面、発掘調査
など学術的に検証したうえで再建すること、
復興とは資料を参考にしつつも一部変更して
再建すること。

天守内部を見学した後は、天守の周りを
ぐるっと一周。

天守は付櫓が付くなど、角度によって見え方
が違う。
一粒で二度美味しい…。


裏手は高い土手状になっており、関東大震災
で崩れた石垣が痛々しく残る。

都心に近いこともあり、城下町はすっかり
面影がなくなっていますが、城下町を復元
する計画もあるとか。
整備が進めばまた来たいな。

ところで、秀吉に降伏した後北条氏の子孫は、
わずか1万石の小藩ながら、現在の大阪狭山市
にある狭山池付近に陣屋を構え幕末まで続いた
そうです。
隣の堺市に住む私もちょっと親近感が湧きます。


~今回の甘いもん~
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103(神奈川)小田原 ういろう
104(神奈川)小田原 梅太郎
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