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ちょこ歴旅

歴史旅…というほどじゃない、気楽な史跡巡り備忘録
(※和菓子ネタはブックマーク「和菓子の国の人だから」へGo!)

30年ぶりの飛騨高山

2018年09月20日 21時59分54秒 | 散策、お出かけ
これを書くと年齢がバレバレですが…
高校の修学旅行依頼30年ぶりの訪問です。
雪の積もる、しっとり落ち着いた高山の町を
ゆっくり散策したものです。
この町にはいい思い出がいっぱいです。

ところで、今朝は6時過ぎに大阪を出発。
阪神高速~近畿自動車道~京滋バイパス~
名阪高速~東海北陸自動車道~高山清見道路
を延々走って約5時間の長旅。

到着したのが昼前ということで、なにはとも
あれ、まずは腹ごしらえから。

高山観光の定番「さんまち通り」にあるお店
「味の与平」さんで飛騨牛のすき焼き定食を
いただきました~。
ご飯のお代わりもして満足満足。

さて、お腹を満たした後の観光は…
ここは絶対に外せない高山陣屋へ。

飛騨の幕府直轄領を治めた郡代・代官所。
格式高い玄関・式台から始まり、公務を行う
表の部分は御役所、詰所、吟味所、白洲など。

こちらは大広間。
まるで大名御殿のような規模です。

続いて復元された郡代・代官の役宅部分を
ゆっくり見学といきたいところが…

こういう史跡や歴史に全く興味のない妻は
どんどん先に行ってしまいます。
あぁ~っ!ちょっと待ってくれ~!

この後は「さんまち通り」でお買い物。

翌日も朝から道の駅に宮川の朝市、陣屋前の
朝市と買い物三昧。
史跡を見て回る一人旅とは全く違うパターン。
まぁ、これはこれでえぇか。


~今回の甘いもの~
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160(岐阜)高山 草饅頭

摂州合邦辻の舞台へ

2018年03月18日 21時27分07秒 | 散策、お出かけ
本日はマラソン完走後、初のランニング。
とはいえ、たった8kmだけ…。

そんな訳で、1月に観た文楽「摂州合邦辻」
ゆかりの地を先日プラっと回った件をひとつ。

天王寺駅から谷町筋を北上し、国道25号線
を東へ。
松屋町筋の南端にあるのがこちら。

「合邦住家の段」の舞台となった閻魔堂。
俊徳丸の難病が治ったという芝居の筋に
あやかり、頭や脳の病気に霊験があるとか。
玉手御前を偲んだ石碑もあります。

続いて、四天王寺へ。

右の画像、南門前にあった万代池付近に住む
俊徳丸が襲われたところを玉手御前の父親、
合邦に助けられる「万代池の段」の舞台。
ちなみに1月の公演では「合邦住家の段」
のみのため、この場面は観てませんが…。

続いて、四天王寺から南へ200~300M、
四天王寺庚申堂へ。

こちらは近松門左衛門作の「冥途の飛脚」の
「道行相合かご」の舞台。
全然、「摂州合邦辻」とは関係ありませんが、
文楽つながりってことで…。


~今回の甘いもの~
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159(大阪)天王寺 甘納豆

両毛の旅

2018年01月01日 21時24分21秒 | 散策、お出かけ
あけましておめでとうございます。
突然ですが、両毛地域って言葉、
関西人には馴染みが薄いのでは?

ちょっと説明すると…
上毛野国(かみつけのくに、上野国)と
下毛野国(しもつけのくに、下野国)を
併せた地域、特に現在の群馬県南東部から
栃木県南西部に跨がる地域のこと。

先日、そんな両毛地域、群馬と栃木を
初めて訪問してきました。

東京から2時間弱、JR上野東京ラインから
久喜で東武伊勢崎線に乗り換え、足利へ。

栃木県足利市といえば足利氏発祥の地。
その屋敷跡と伝わる鑁阿寺(ばんなじ)へ。

左:中世武士の方形屋形の面影を漂わせる
  土塁と濠
右:特徴的な太鼓橋と門

続いて国宝の本堂へ。

右:鎌倉時代建造で、屋根には足利氏の
  引両紋と五七桐、さらに天皇家の
  菊紋が並びます。
左:精巧な飾り瓦が特徴的な唐破風

なんとなく屋根の家紋や装飾を眺めていたら
ご近所の詳しい方が足利氏にまつわる色々な
お話を20分ほど聞かせてくれました。

続いて、すぐ横にある日本遺産、足利学校へ。
足利学校は創建が奈良時代とも鎌倉時代とも
いわれる日本最古の学校で、フランシスコ・
ザビエルが「坂東の大学」と紹介したとか。
現在、日本遺産に指定されています。

左:濠と美しい土塁
中:教科書で見たことのある学校門
右:茅葺屋根が特徴的な書院

国宝の書籍など多数蔵しているそうですが、
主要な建物は残念ながら平成の復元。
どうりで綺麗過ぎるはず…。

文化溢れる足利に別れを告げ、東武伊勢崎線
で群馬県の館林市へ。

左:向井千秋記念館が建つ館林城本丸跡
中:土橋門(復元)と土塁
右:城沼

説明板や地図も少なく、五代将軍徳川綱吉公
ゆかりの城がぞんざいに扱われている印象…

やや残念な気持ちを抱え、最期に向かった
のは両毛地域ではない茨城県の古河市。

室町時代の古河公方(こがくぼう)の統治地と
して知られる古河は江戸時代には土井氏など
譜代大名の封地。
古河城は渡良瀬川の底に沈んでしまい痕跡が
残ってないけど、ここでは標識などで歴史の
痕跡を必死でアピールしています。

左:古河城出丸跡
中:鷹見泉石屋敷跡
右:鷹見泉石屋敷跡の塀、いい雰囲気

ところで、帰ってから気付いたことが一点。
森高千里の名曲「渡良瀬橋」の舞台が足利
ってこと…。
足利市駅に向かって何気なく渡った橋が
実は渡良瀬橋でした。

左:渡良瀬橋(無意識で撮影)
右:渡良瀬川の流れ(これも無意識で撮影)
  この日は暖かく「北風がとても冷たくて
  風邪をひいちゃいました」ってことは
  ありませんでした…

近くに歌碑もあったり、足利市駅で電車の
入線を知らせる曲が「渡良瀬橋」だったり
足利はなにかと森高推しみたいです。
知ってたら、八雲神社にも行きたかったな。


~今回の甘いもの~
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150(栃木)足利 芋ようかん
151(栃木)足利 古印最中
152(栃木)足利 古銭最中
153(群馬)館林 バターどら焼
154(茨城)古河 麦こがし饅頭
155(茨城)古河 許我どら

鴨川でほろ酔い

2017年09月08日 19時22分23秒 | 散策、お出かけ
さて、今日は珍しく平日のお休みです。
ちょうど半年前に下鴨神社を訪れたので、
今回はまだ行ったことのない上賀茂神社へ。
張り切って自宅を午前5時台に出発~!

最近、京都に行く際にお気に入りの京阪電車
で出町柳に到着したのは7時半過ぎ。
上賀茂神社までは約4kmあるけど、時間も
早く天気もいいので、思い切って歩くことに。

風もあって、本当にいい天気です。
鴨川に集う野鳥を見つつ、歩くこと45分、
ようやく目的地の上賀茂神社に到着。

正式名、加茂別雷(かもわけいかづち)神社。
下鴨神社と並ぶ山城国の一之宮です。
まだ時間が早いので、白砂も荒れておらず、
神職の方が揃って社殿を清掃中。

さて、いよいよ参拝をと思ったら…

ガビョーン!式年遷宮で修築中…
美しい楼門も養生されて工事現場そのもの。
それでも拝殿には参拝できました。
世界平和が保たれますように…。

ところで、上賀茂神社といえば境内を流れる
百人一首でお馴染みの清流、ならの小川。

「風そよぐ ならの小川の夕暮れは
みそぎぞ夏のしるしなりける」(藤原家隆)

参拝を済ませ、穢れた心も洗われたところで、
上賀茂の見所、社家町へ。

ここは国の重要伝統的建造物群保存地区にも
指定される神職の旧居跡。
江戸時代には300軒もあったそうですが、
今は20軒ほどが残り、ならの小川が用水と
して流れます。

ところで、時間はまだ9時。
平日を満喫しようと、コンビニで買い込んだ
あてとビールを持って鴨川河原でまったり。
あぁ~平日の太陽の下で飲む酒の旨いこと。

せっかくなので、ほろ酔いで一句…。
「風そよぐ 加茂の河原の昼酒は
夏の休みのしるしなりける」

こうして平日午前の京都、鴨川でほろ酔いし、
帰宅したのはまだ12時過ぎでした。
この後、昼寝もしてさらに満足。
平日の休暇、万歳~!


~今回の甘いもの~
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144(京都)上賀茂 葵餅
145(京都)上賀茂 やきもち

佐倉と佐原

2017年03月21日 21時13分01秒 | 散策、お出かけ
先日、千葉県北部の「佐倉」と「佐原」へ。
そういえば、某空調メーカーの「うるる」と
「さらら」となんとなく似た響き…
それはともかく、これまで成田空港しか行っ
たことがなく、千葉県はほぼ初めて。
いや~楽しみです。

東京から約1時間半、総武線から成田線へと
乗り継ぎ、まずは佐原へ。

佐原は武道の神様で有名な下総国の一之宮、
香取神宮が鎮座する香取市にあり、重要伝統
的建造物群保存地区に指定され、小江戸とも
称される町。
特に小野川沿いの風景が有名。

伊能忠敬旧居前にある通称ジャージャー橋は
30分毎に放尿…じゃなく放水されます。

今回は香取神宮は諦め、さっと2時間ほどで
佐原を堪能し、JR成田線で東京方面へ。
45分ほどで次の目的地、千葉県を代表する
城下町、佐倉へ。

JR佐倉駅で降り、旧堀田邸へ。
ここは明治23年東京から戻った最後の佐倉
藩主、堀田正倫が建てたお屋敷。
国指定重要文化財に指定されており、派手さ
はないけど、さすがは元大名、華族の品格。

普段は公開されていない2階も特別公開中。
あ~こんなお屋敷欲しいな~。

続いて、鏑木町にある武家屋敷群へ。

200石の上級武士屋敷とは思えぬ質素さ。
まさに東国武士らしい質実剛健。

武家屋敷群のすぐ近く、江戸時代の雰囲気が
残るひよどり坂を下り、佐倉城跡へ。
この城は慶長15年(1610年)、江戸幕府の
初期の老中土井利勝が築城。
東日本の城らしく石垣ではなく土塁で守りを
固めた質実剛健な城。
江戸時代を通じて幕府重職の居城として江戸
の東を固める防衛拠点だったそうです。

逸る気持ちを抑え、外周を南東側から見学。

左:城の南、数百メートル延々続く城南堤。
  画像で見るより実物は遥かに巨大。
  往時は土塁沿いに水堀もあったとか。
右:堀の向こうにある小山が城の主郭部。

堀を渡っていよいよ主郭部へ。

左:本丸下の帯曲輪、右手は断崖絶壁。
右:本丸は想像以上に広々とした平坦部。
  かつては豪壮華麗な御殿が営まれていた
  ことでしょう。


左:往時の三重天守は外から見れば土塁上に
  3階建て、本丸内は地面に直接建つ5階
  (一重目だけで床下を含め3階)建て。
  天守台が2段構造なのがその証。
  う~ん、是非見てみたかった。
中:本丸を取り囲む土塁も結構高い。
右:一の門跡の土橋と空堀は画像では分かり
  にくいけど、空堀も相当深いです。

佐倉城は石垣はないものの、深い空堀と高い
土塁に守られた堅固かつ規模の大きな城。
土の城としては保存状態も良く見応え十分。

千葉へ行ったら定番のディズニーランドも
いいけど、一度は佐倉城と城下町の観光も
いかがでしょうか?


~今回の甘いもの~
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140(千葉)佐原 楽菓もなか
141(千葉)佐原 一口もなか
142(千葉)佐原 佐原ばやし
143(千葉)佐倉 蔵六餅

京都deヤマネコ

2017年03月10日 23時54分56秒 | 散策、お出かけ
今日は貴重な平日のお休み。
せっかくなので週末混雑する所に行きたい…
伊勢ツーリングも考えたけど、今日は天気
が怪しいので電車で京都へ。

京阪電車に乗って~シュビダビドゥビ~…
ちょっと違うな…あれは阪神電車のCMか。
「おけいはん」ならぬ「おっさん」は京阪
電車で出町柳駅へ。

さっそく、今回が初参拝の下鴨神社へ。

鳥居をくぐり、ニュースでも話題になった
参道脇のマンション建設現場を見ながら
糺の森へ。

う~ん、もっと深い森かと…やや肩透かし。
それでも町中とは思えぬ静寂に鳥の鳴き声も。

早速、摂社で美人祈願でも有名な河合神社へ。

当社は美人祈願以外にも安産・育児・縁結び
など、とにかく世の女性の強~い味方。
参拝客のほとんどが女性なのでおっさんには
チト辛い…

「方丈記」の著者で、当神社の神職だった
鴨長明の庵を再現した質素な建物も。

なんでも長明は、神職として重職に就くことが
できず、世を嘆いて方丈記を書いたんだとか。
う~ん、まるで居酒屋で愚痴るサラリーマン…

ちょっと身につまされながら、下鴨神社へ。

正しくは加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)。
平安遷都以前からあり、「古都京都の文化財」
の1つとして世界遺産にも登録される京都を
代表する古社。
京都に何度も来ながら、これまで参拝出来て
なかったので、念願叶ってスッキリ。

さぁ、続いてはこの場所へ。

京都市動物園、休日は家族連れで賑わうので、
一人では行きにくい場所ですからね。

わざわざ京都へ来てまで動物園に来た理由は…

ネコ…じゃなく、ツシマヤマネコに会うため。
僅か70~100頭が対馬に生息するのみで、
環境省レッドリストで最も絶滅が危ぶまれる
種です。

とはいえ、ずっと床下に蹲ったきり動く気配
は全くなし。
遠足の子供の手前、カメラを構えたおっさん
がネコの前で動かないのも5分が限界…
ついに諦めました。

でも、せっかく入場料600円を払ったので
他の動物もちらっと見学。

左:なぜか草を食べるジャガー。
  この美しい模様には大阪のおばちゃんも
  憧れる?
右:じゃれ合うレッサーパンダ。
  とにかく可愛い…

この後、再びツシマヤマネコを確認したけど
やっぱり変わらず。
まぁ、野良猫ですら人が近づいたら警戒して
動きませんもんね。

こうして、平安以前からずっとある下鴨神社
とじっと動かないツシマヤマネコを見学し、
帰宅しましたとさ。

もし平日に休みがあったら、京都でヤマネコ、
いかがでしょうか?


~今回の甘いもの~
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136(京都)下鴨 矢来餅
137(京都)下鴨 みたらし団子
138(京都)百万遍 ときわ木
139(京都)夷川 すはまだんご

平城宮跡を満喫

2016年11月12日 23時54分58秒 | 散策、お出かけ
学生時代の友人達と秋の遠足で奈良の平城宮跡へ。
1年前まではロードバイクでしょっちゅう行っていた
場所ながら、電車&歩きで行くのは久しぶり。
青空が気持ちいい一日でした。

第一次大極殿(復元)、1300年前にこんなものが
本当にあったのか?と疑うほど立派。

建物内には帝が座っていた高御座(復元)も。
ちょっと座ってみたい…

スタンプラリーで平常宮跡の敷地内をくまなく回り、
その広大さを再認識。

南東の隅にある東院庭園(復元)。

他にも発掘現場の展示や、ちょっとした歴史博物館
のような建物が点在。
これが全部無料っていうのは驚き…凄いぞ奈良!

歩き回って足が棒のようになったと言いつつ、さらに
尼ヶ辻の駅付近まで20分ほど歩いて…

ジャーン!目的は「たまうさぎ」のきな粉団子です。
きな粉が苦手と言っていた友人の息子(おうちゃん)
も美味しいと絶賛の味。
頑張って歩いた甲斐がありました。

歩きに歩いた一日でしたが、車も電車もない奈良時代
の人にとってはなんてことのない距離のはず。
現代人は情けないもんですな。

秋の青空の下、頑張って歩いた甲斐あって…
夕食の焼肉&ビールは美味い!もうたまらん!
やっぱりビールがある時代に生まれて良かった…。

やっぱり大阪城

2016年05月04日 10時15分07秒 | 散策、お出かけ
USJと並ぶ大阪の代表的な観光地と言えば大阪城。
小学生のころから何度となく訪れたものです。
昨日、学生時代の友人達と晩飯に行く前に私が歴史
好きとなった原点、大阪城を久々に訪問しました。

まずは地下鉄谷町線の谷町4丁目で降りて東へ。
さっそく見えてきた大手口を横目に見つつ一旦北へ。

乾櫓(重文)。
一、二重目が同大で、平面がL字型という複雑な構造。
これは珍しい。

続いて西外濠沿いに北東へ歩いて京橋口から入城し、
内濠越しに復興天守を撮影。

好きなアングルやけど、空が暗い…

普通はこのまま山里丸、本丸へ向かうところ、敢えて
来た道を戻って再び大手口へ。

千貫櫓(重文)、大手渡櫓(重文)。
「やっぱり入城は大手門からでしょう」と一人ご満悦。

さらに、大手門から一旦外へ出て、南外濠沿いに高石垣と
櫓を見ながら森ノ宮方面へ歩きます。

左:六番櫓(重文)
右:一番櫓(重文)
この辺はあまり特徴のない櫓ですね。

そして、JR森ノ宮駅で、ようやく友人達と合流。
歴史にあまり興味のない友人達なので、すぐに本丸へ。

近くで見る大阪城天守は独特の圧迫感、迫力。
鉄筋コンクリート造りながら、80年以上を経た風格あり。

ところで、さすがにGWなので、天守入口前には長蛇の列、
しかも国際色豊か。
そのおかげで?友人に言い出しかねていた御金蔵(重文)
の撮影も列に並びながら出来たので、密かに満足。

「城の金蔵はめちゃくちゃ貴重で…」なんていう私の力説
は敢え無く流されました。


こうして、天守に登って景観を楽しんだ後、天王寺へ移動し、
散々呑んで食って楽しみました。

大阪城へは、また今度一人でゆっくり行こうっと…。

常陸国漫遊記

2016年03月06日 23時42分01秒 | 散策、お出かけ
助さん「え~い、静まれ~!静まれ~っ!」
格さん「これにおわす御方をどなたと心得る。
    畏れ多くも前の副将軍、水戸光圀公
    に在らせられるぞ~!」
   (印籠、ド~ン)
助さん「御老公の御前である!頭が高い!
    控えおろ~!」
一同 「は、はは~っ!」(平伏)

先日、茨城県は水戸へ行ってきました。
水戸駅前にあるのはあの水戸黄門、助さん、
格さんの銅像。
常陸国漫遊の始まり始まり~。

東京からは遠いけど、とはいっても水戸駅前
は開けていて、徳川御三家の城下町、県庁
所在地の風格があります。

水戸観光といえばなんといっても偕楽園。
言わずと知れた梅の名所で、兼六園、後楽園
と並ぶ三名園の一つ。

せっかく来たけど空はどんより、梅も満開に
はちょっと早い…。
「助さん、格さん、次に参ろうか。」

そういうことで偕楽園をさっさと後にし、
再び水戸駅方面へ。

せっかくなので、水戸市民の憩いの場千波湖
を眺めつつ戻ります。
「助さん、格さんご覧なさい。領民達が憩う
ておるの~。」

続いて旧水戸藩の藩校、九代藩主徳川斉昭が
開設した弘道館へ。

左:正門(重文)
中:正庁(重文)
右:正庁内の諸役会所
「弘道館は、わしの時代にはなかったの~」

左:至善堂(重文)
右:十五代将軍を辞めた慶喜が謹慎した間

実はこの弘道館、空いていますが周辺に梅が
たくさん植えられ、ちょっとした梅の名所。
満開ならもっと見応えがあったはず…。
「梅はまたにしよう。助さん、格さん、
いよいよ城へと参ろうかの。」

梅は諦め、次に満を持して水戸城跡へ。
「助さん、格さん、懐かしいの~。」

左:20~30Mはありそうな大堀切り。
  石垣はなくてもこの高さ、さすが御三家
  三十五万石の城。
右:薬医門形式の城門(移築現存)。桃山期
  と思われる豪壮な造り。

ところで、現在城跡は2つの小学校、1つの
中学校、2つの高校が集まる学校の過密地帯。
城跡に学校は付き物ですが、ここまでくると
ある意味凄い。
「藩士や領民も勉学に励んでおるのじゃな。」

さて、水戸のご老公には別れを告げ、常磐線、
水戸線で笠間へ。

もちろん初めての笠間、降りてびっくり。
「げっ!コンビニも何もない!」
バスもタクシーもなさそうなので、仕方なく
歩いて20分。

笠間稲荷に到着。
伏見、豊川、祐徳または笠間とも云われる
三稲荷の一つ(諸説あり)。
とにかく関東ではかなり有名な神社。
閑散とした駅前とは違い、こちらの社前には
飲食店や土産物屋などが集まり結構な賑わい。

続いて常磐線で東京方面へ向かい、最後の
目的地土浦へ。
もちろん目当てはこちら土浦城跡。

左:関東では貴重な太鼓門(現存)
中:東櫓(復興)と霞門
右:西櫓(復元)

今となっては全体の規模感は分かりませんが、
こうして主郭部分を見る限り譜代大名、土屋
氏の九万五千石の城としては非常に質素。
いかにも東国の城らしく石垣もなく、土塁上
の櫓も少ない。
でもこうして櫓門や堀の一部でも残るのは
本当に貴重で嬉しい事です。

こうして水戸城跡、土浦城跡を堪能し、
常磐線~東海道新幹線で大阪へ帰りました。

初めての茨城県訪問、いや常陸国漫遊。
城跡だけでなく、饅頭や干し芋など色んな
食べ物が楽しめてうっかり八兵衛も大満足。

「カッカッカ!(高笑い)
助さん、格さん、参りますぞ。」
人~生、楽ありゃ苦~もあ~るさ~♪


~今回の甘いもの~
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131(茨城)笠間 胡桃饅頭
132(茨城)水戸 光圀饅頭
133(茨城)笠間 稲荷ゆべし
134(茨城)水戸 水戸の梅
135(茨城)笠間 バター饅頭

ぶらり京都(平安期)

2016年02月13日 16時22分00秒 | 散策、お出かけ
昨日は天気に恵まれたけど、ロードバイクに
乗る気にならず。
夕方から阿倍野で宴会もあったので、その前
に電車で京都へ。

淀屋橋から京阪電鉄に乗り東福寺駅に着いた
のは午後1時半。
駅近くでランチを済ませ、本日のテーマの
平安時代の遺構を求めて一路西へ。
延暦13年(794年)に桓武天皇により
遷都された平安京。
「鳴くよ鶯、平安京」とはよく出来た語呂
合わせですね。

まずは洛外から洛中への正門として築かれた
羅城門跡へ。

しかし、今はほんの小さな児童公園に石碑が
建つだけ。
案内板によると、天元3年(980年)の
暴風雨で損傷して以降荒れるに任せ、周辺の
治安も悪化していたとか。
芥川龍之介の「羅生門」のおどろおどろしい
イメージが甦る…

そんな羅城門の左右には東寺と西寺が置かれ
ていたそうです。
奈良で言えば東大寺に対する西大寺みたいな
もんでしょうか?
西寺?そら知らなんだ。それは是非行かねば。

こちらはそれなりに広い公園ではあるものの、
やはり石碑のみ。
このままではブログがあまりにも地味…

この後、最近お気に入りのスーパー巡り?
(出来るだけ地域色のある店)などしている
うちに早くも3時過ぎ。
急ぎブログに載せる写真を撮るべく東寺へ。

左:新幹線からもお馴染みの京都のランド
  マーク五重塔(国宝)
右:南大門(重文)をくぐって境内へ
東寺(教王護国寺)は平安京鎮護のため建立
され、嵯峨天皇から下賜された空海が真言
密教の根本道場とした寺。
京都のお寺の中でも最も平安京を感じさせる
お寺かも。

左:大仏殿のような巨大な金堂(国宝)
中:講堂(重文)
右:堀に囲まれた校倉造の宝蔵

最後に境内の北西にある西院へ。

寝殿造りの御影堂(国宝)は弘法大師の
住居跡

さて、そうこうするうちに午後5時前、
そろそろ帰らねば…
今度はもうちょっと京都でゆっくりしよ…

~参考~
京都関連のブログ記事はこちら。
源平期
室町期2
室町期
安土桃山期
江戸期
幕末期


~今回の甘いもの~
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129(京都)東寺 東寺餅
130(京都)東寺 おはぎ

奈良と言えば…

2015年08月16日 22時00分53秒 | 散策、お出かけ
さて、今日は昨日に引き続き奈良へ。
でも今日は自転車じゃなく電車に乗って、大学時代の友人と
大人の遠足へ。

まずはJRの奈良駅から三条通を東へ。

奈良と言えば、まず最初は興福寺の東金堂と五重の塔&鹿。

続いて東大寺、南大門の金剛力士(吽形?、国宝)

まぁ、阿形でも吽形でもえぇか…

そして、奈良と言えば大仏さんを抜きにしては語れません。

さすが大仏さん、実物は画像以上にのしかかるような迫力。

さらに、奈良の名物と言えばこれ。

鹿団子?

さらにさらに、最後は柱くぐりで、締めますか~。

今日はおうちゃん(友達の愛息)、お疲れさ~ん。
また遠足行こうな~。

ぶらり京都(室町期2)

2015年03月07日 22時01分00秒 | 散策、お出かけ
昨夜の天気予報では晴れ時々曇り。
ところが、早起きしてみると雨が…。
バイクツーリングの予定を断念して二度寝
してやりました。

ところが歳を取ると眠りも浅く、8時過ぎ
には再び起床。
「今日はせいぜい小雨ぐらい」と踏んで、
京都散策へ。
一昨年12月に室町時代をテーマに東山へ行ったので、
今日の目的地は北山に決定し、万歩計を
セットして出発!

京阪出町柳から北東へ徒歩移動し、紫野に
ある臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺へ。

左:東側に面した総門
右:勅使門(重文)

鎌倉末期の正和4年(1315)、大燈国師に
より創建。
後醍醐天皇により京都五山の別格に位置づけ
られたものの、
足利将軍家に疎まれ五山から除かれたとか。
その後、応仁の乱で荒廃した大徳寺を復興
したのがあの一休和尚だったり、豊臣秀吉が
織田信長の葬儀を営んだり、三門が千利休
切腹の一因となるなど、歴史上の人物との
数々の所縁も。

千利休の寄進で増築された三門(金毛閣)。
利休が門上に自身の木像を安置したことが
秀吉の逆鱗に触れ、切腹の一因になったとか。


仏殿(重文)には天井画が描かれています。

ちなみに、大徳寺境内には別院2ヶ寺、
塔頭22ヶ寺があり、それぞれ貴重な
文化財や庭園が残されています。

境内へはこちらの南門から入るほうが雰囲良し。

静寂に包まれた参道を歩くと不思議と背筋が
伸びます。
これで猫背も解消?

次は「玉の輿」で有名な今宮神社へ。
西陣の八百屋の娘、お玉は徳川三代将軍家光
の側室となり、やがて五代将軍綱吉の生母と
して従一位の位まで得たそうです。
そこから「玉の輿」という言葉が生まれたと
いう説もあり、そのお玉(桂昌院)の崇敬が
厚かった神社。

左:楼門、右:拝殿

ところで、私が室町時代とあまり関係ない
今宮神社へ来たのは、もちろん玉の輿狙いで
はなく、門前の名物を食べたかったから。

参道両脇に魅惑の茶店が…。

さて、続いて鹿苑寺金閣に行こうかと思って
いたら、急に雨が…
中途半端ですが、ここで撤退することに。

結局、本日の歩行数は20,765歩。
本日のテーマ(室町時代)は十分に消化出来
てないけど、道々、和菓子をたっぷり買えた
のでその面では満足。
それはまた別の記事にて。


~今回の甘いもの~
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112(京都)今宮神社 あぶり餅
113(京都)紫野 紫野松風
114(京都)鷹峯 御土居餅
115(京都)紫野 松の翠
116(京都)室町 雲竜

ぼやきつつ掛川城へ

2015年02月01日 10時37分19秒 | 散策、お出かけ
「まぁ、皆さん聞いてください」(by 人生幸朗)

しばらく会っていなかった友人から突然、披露宴の
招待状が届きまして…。
しかも場所は名古屋って、遠いっちゅうねん!
まぁ、目出度い話なので、ぼやきはこのへんで…

昨日、そのついでに掛川城に行ってきた訳です。

名古屋から約2時間、掛川駅で降り、真っ直ぐ北へ。
正面に二の丸御殿、左に太鼓櫓と天守が見えてきました。

掛川城は山内一豊が5万石の大名として治めた所。
関ヶ原の戦いを前にした小山会議で徳川側(東軍)に
掛川城を差し出したことで、戦後には土佐国24万石の
大大名になったとか。
そんな掛川城は、誰がなんと言っても復元天守ではなく
現存する御殿が目玉です。

現存天守は全国で12基ありますが、御殿は高知城本丸
御殿(懐徳館)、二条城二の丸御殿、川越城本丸御殿、
そして掛川城二の丸御殿のわずかに4つほど。
そんな貴重な御殿が残る城…あ~もうたまりません。

それにも関わらず、観光案内でも日本初の本格的な木造
復元と、天守を取り上げ過ぎて御殿が二の次に…。
「責任者出てこい!」(by 人生幸朗)
ついついぼやきたくなります。

前置きはこの辺で、いざ掛川城へ!

時間の関係で左手の本丸には目もくれず一目散に御殿へ。

おぉ~!やっぱり復元にはない本物の重厚感があります。
この御殿は時の城主太田資功により安政2(1855)年から
文久元(1861)年にかけて再建されたもの。

さっそく御殿内部を見学。

左:打掛が飾られた三の間、左手奥が次の間
中:城主の対面書である上の間(上段はありません)
右:長囲炉裏の間越しの次の間、小書院
全体的には質素な造りの御殿です。

通常、この手の文化財では主要な部屋は廊下から柵越しに
見るだけですが、ここは大半の部屋に入れてしまう大らかさ。
なんなら殿様が座っていた場所に座れたりします。

まぁ、御殿から見る天守も悪くはないか…

さらに御殿の外周も確認。

御殿の裏を巡る目隠し用の黒土塁、これも珍しい。

まだ時間があるので続いて本丸へ。

かつて荒和布櫓があった石垣上に移築された太鼓櫓。
石垣と櫓の大きさが全く合っていません。

平成6年に木造で復元された天守へ。

天守に向かうには急階段を上らなければなりません。
三層四階の望楼型天守の内部も見学はしたものの、
やっぱり、そこから見える御殿全景にくぎ付け。

御殿を雷から守る避雷針が2基そそり立っています。

せっかくなので、少し外れた場所にある大手門も見学。

左:復元された大手門
右:大手門の番所は民家に移築されたものを再移築。
  つまり本物ってことです。

こうして、突然の友人の披露宴の案内に便乗して
念願の掛川城を堪能出来たのでした。

友人に一言…
遠いとか、ぼやいて「ごめんちゃい!」(by 人生幸朗)


~今回の甘いもん~
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105(静岡)掛川 振袖餅

紀三井寺で必勝祈願

2015年01月24日 22時35分03秒 | 散策、お出かけ
今日は次女の用事で和歌山へ。

目的地はこちらの総合体育館ビッグホエール。
某競技の試合が明日、今日は前日稽古会。

予定より早く終わったので、市内観光で紀三井寺へ。

さっそく楼門(重文)をくぐると…

うわぁ~お!一直線に伸びる石段…

紀三井寺は奈良朝時代の宝亀元年(770年)に唐の僧である
為光上人により開基され、正式名は紀三井山金剛宝寺護国院。
西国三十三所観音霊場の第2番目の札所として有名です。

とにかく石段を登らねば!
石段を数えつつ1、2…100…200…たぶん229段!
あ~夏場でなくて良かった。
こうして頑張って登ったご褒美はこんな素晴らしい景色。

実際は大パノラマでもっと綺麗ですよ。

そして春の桜中継でお馴染みの境内はこんな感じ。

左:本堂。
右:鐘楼(重文)、画像左上にちらっと見える多宝塔(重文)。

本堂では家族で明日の試合の必勝祈願。
「明日は娘が力を発揮できますように…」

こうして必勝祈願を終えた後、妻と次女は宿泊先へ。
私は明日の用事のために電車で帰宅。

ところで、紀三井寺は厄除・開運・良縁成就・安産・子授けに
霊験あらたか…あれ?勝負事は?
まぁ、信じる者は救われるってことで…。

小田原提灯ぶら下げて

2014年12月16日 12時07分38秒 | 散策、お出かけ
え~っさ、え~っさ、えさほいさっさ♪
お猿の駕籠屋だほいさっさ♪
日暮れの山道、細い道、
小田原提灯ぶらさげて…。

先日、小田原城へ行ってきました。
江戸を例外とすれば、小田原はまさに
関東を代表する城。
一度は訪れたかった城の一つです。

さぁ、さっそく関東の名城にレッツゴー!
まずは北西のJR線の側からではなく、
ぐるっと南東側に
回り込んで大手筋から入城。

二の丸隅櫓(昭和9年復興)と水堀。

小田原城は伊勢新九郎(早雲)を祖とする
関東の覇者、後北条氏の城として城下町を
惣構えと呼ばれる濠で囲んだ巨城.
かの武田信玄や上杉謙信でさえ攻め落とせ
なかったんだとか。
そんな戦国時代を代表する巨城も豊臣秀吉
の小田原征伐(1590年)で開城しました。

現在残るのは、徳川家康の腹心である
大久保氏の時代に規模を縮小しつつ近世城郭
として整備された姿の名残り。
現在、整備事業が進み、大手筋の門などが
復元され、その魅力は増しています。

馬屋曲輪に入る馬出門(平成21年復元)。

馬出門をくぐります。

画像に写ってませんが左折の枡形内側に
冠木門があります。
さらに正面に銅門の枡形、右手奥に天守
という見どころ。

続いて銅門(あかがねもん)の左折の枡形。

手前は埋み門形式、奥左手に渡櫓門
(平成9年復元)

さぁ、いよいよ本丸へ。

朱色の橋の欄干と常盤木門の枡形の組み
合わせもいい感じ。
もとはこの橋の下に内堀が巡っていた
そうです。

二の丸から本丸に向かう常盤木門。

本丸の正門に相応しい大型の渡櫓門
(昭和46年復興)

常盤木門から本丸に入り、いよいよ
天守とご対面~。

昭和35年に鉄筋コンクリートで復興された
三重四階の天守は、江戸時代の雛型を基に
しつつも最上階に廻縁が付けられるなど、
忠実な再現ではないようです。

それでも、その廻縁からの相模湾の眺めは
なかなか。

ちなみに、復元は古写真や図面、発掘調査
など学術的に検証したうえで再建すること、
復興とは資料を参考にしつつも一部変更して
再建すること。

天守内部を見学した後は、天守の周りを
ぐるっと一周。

天守は付櫓が付くなど、角度によって見え方
が違う。
一粒で二度美味しい…。


裏手は高い土手状になっており、関東大震災
で崩れた石垣が痛々しく残る。

都心に近いこともあり、城下町はすっかり
面影がなくなっていますが、城下町を復元
する計画もあるとか。
整備が進めばまた来たいな。

ところで、秀吉に降伏した後北条氏の子孫は、
わずか1万石の小藩ながら、現在の大阪狭山市
にある狭山池付近に陣屋を構え幕末まで続いた
そうです。
隣の堺市に住む私もちょっと親近感が湧きます。


~今回の甘いもん~
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103(神奈川)小田原 ういろう
104(神奈川)小田原 梅太郎