やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

公立小見聞録15 ~J校1 不安定な子どもたち~

2011年02月23日 | ~h27 教育/小学校

J小学校 その1

全校児童:約250人 10学級 /3年間 6年ほど前 /10校目。校長としては2校目
・教職員19:校長・教頭・養護教諭・事務職員 各1、教諭12(担任10、教務主任1、少人数・TT担当1)、市職員3(事務補、用務員、司書補)

○子どもたちが不安定な学校 ~これまでの郡部の学校とは大きくちがっていた~
 
 
これまでは郡部(佐賀郡:現佐賀市・小城郡:現小城市・東松浦郡:現唐津市)の町立小学校で働いたのだが、ここは初めての市立
 ただし、市の周辺部にあり、目立つのは田畑。住宅は点在しており、道沿いの小集落、4階建ての市営アパート3棟、岡のふもとの新興住宅地など。 

1.不安定な子どもたち

・登校のようす・
・・赴任して初めて玄関前で子どもたちを出迎えたときの驚き:ほとんどの子が暗い表情で下を向きながらやってくる。
 ただし2,3年目は、暗い表情の子は3分の1ほどに減リはしたが… 
 ※郡部の学校で暗い表情で登校する子はほとんどいなかった。というより、多くの子が明るい表情で登校してきた。

・トラブルがとても多い・・・1年目:始業前の運動場では必ず1件はケンカ・いさかいが起きた。しかも、ほとんどが《パニック状態》や《手のつけられない攻撃(例:止めに入った校長も蹴り続ける、など)》を引き起こした。2,3年目と減ってはいったが。
 ※他の学校では、朝の遊び中のひどいケンカはほとんど記憶にない。

 ささいなことで始まるケンカや暴力的言動(1・2年男子に多かった)、いじわる行為・いじめ的言動(4・5・6年女子に多かった)、下級生・同級生・先生への暴力的言動(6年男子)など、毎日のように子ども間のトラブルが絶えなかった。 ※私が勤めた郡部の学校では、年に数回ほどの頻度だった。
 3年間の間には、高学年男子による悪質な暴力行為や、高学年女子による継続的で悪質ないじめも数件あった。
 
 
2.学校崩壊ではないが・・・《このような小学校で毎日働いた経験のない方》が読まれたら、「学校崩壊だ」と思われるかもしれない。そのように思われたとしたら、私の表現のしかたが下手だったということ。ほとんどの学級・学年では《ほぼ平穏な日々》を送り続けていた。
 読者にそのような印象を持たれてしまった理由は2つあると思う。

 a.
私は校長だったので、全校のできごとを観、対応している。しかし、学級担任とその学級児童は、一日中、ほとんど自分の学級で生活していて他の学級にはほとんど関わらない。つまり、校長にとっては、その日の事件が1件あったとしても、該当学級以外の担任や児童にとっては0件ということ。
 b.(穏やかだった)郡部と比較しながら書いているから、強い印象表現になる。

 そこで、できるだけ客観的に理解してもらうために、簡単な説明をすると…
 3年間で「学級崩壊状態」になったのは4学級(6年2、5年1、1年1)。平均して1年に1学級ほど。その現象は、高学年が「男子グループの横暴」「女子グループによるいじめ行為」「男子グループによる女性担任への言葉による攻撃」、1年生が「社会性が未発達で感情が制御できない数人の男子による暴力的な言動の頻発」。

 もちろん、全校的な雰囲気として、好ましくない特徴・傾向だけあげれば、《利己的・自己中心的で、他者への思いやりが少ない》《言動が攻撃的》《不安傾向が高い》などが感じられた。しかし、学級担任や保護者会などの努力で、ほとんどの学級では《(どうにか)落ち着いた学級生活》をおくっていたのだ。
 例えば、ある3年生の担任は、子どもたちのトラブルを予防するために、昼休み(教職員の休憩時間)に職員室に来ることはなかった(=休憩したことがない)。

 ~では、なぜ子どもたちがこれほど不安定だったのか、次回に考察してみる~

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 作品「赤」piece13:寺井紅尾の超細密画の1/30分割(ほぼ原寸大:原画はB4版) ※原画は虫眼鏡で見ないと細部はわかりづらい。この画像は荒いので拡大してもよくわからない。