坊城通り

2010-05-09 21:13:15 | Weblog
 旧前川邸。京都に着いて最初の二年間を壬生で過ごし、最初なんてなんのあてもなくものすごい不安と、どんな気持ちだったのだろう。二年なんてあっという間だったろうな。芹沢鴨一派を粛清し、会津藩御預かりとして集団を整え、その間にも世相はどんどん変化していって、ただでさえ慣れない土地と京都人の間でどんな気持ちだったろう。……などと追想は尽きない。
 これは歩いたからこそ実感できたことだけど、たとえば河原町で大事があって駆けつける、ということがあった時など、走って行くにも大変だったろうな。今だったら何らかの交通手段はあるけれど、当時は徒歩か疾走か、走って行くなんて大変だよー! しかもそのあと斬り合いなんて、どれほどの体力だったんだろう。たった一回で次回は乗り降り自由切符と心に決めたのに、彼らは毎日歩いたり走ったりしながら見回ったのだ。それしかないとはいえ、交通手段が選べるってなんてすごいことだろう。

 坊城通りというその縦の道は、広い通りではなく、車一台分の道幅しかない。なのにやたら人が通る。自転車の人、おつとめ帰り道の人、犬の散歩、私みたいな観光客。夕方ということもあってか、とにかく人通り、車通りが多い。写メのタイミングをはかるのが難しいのなんのって。人が来ないと思うと車が来たり、常に誰かいる。立ち話しているおばちゃんも何度か見かけた。
 そこでふと気がついた。ここは、地元の人たちにとってふつうに生活の一部なのだ。私はドキドキしながら新撰組のいた土地を訪れているけれど、ここで何十年も(もしかしたら何百年も)暮らしている人たちにとっては、普段の生活圏なのだ。自分の生活圏に歴史遺産があるだけ、ぐらいの感じなのかな。界隈を歩いて感じたけれど、もう傾きかけている古く痛んでいるような木造家屋に人が暮らしていたり、私の身長でくぐるのがやっとくらいの軒先の低い昔の家がふつうに現役だったりする。最近見かけるようなイタリア風とか南欧風の家なんて私が歩いたところには一軒も見かけなかった。
 昨日、高野山で中世以前のおびただしい霊廟に囲まれたからか、壬生界隈のお寺を見ていて、幕末なんてほんのつい最近のことなんだなと感じた。ここに暮らしている人たちのひいおじいちゃんの一代前だったり話を聞いたことがある感覚だったり、今の生活圏の中にあってもちっとも古さ、時代の相違を感じさせない。ほんのちょっと前プラス15年くらいの感じがする。土方歳三の生家だって平成2年までは残ってたのだものね。

 中を見ることはできなかったけれど、その分妄想と空想は十分に堪能させていただきました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿