久しぶりの「清盛」

2012-09-16 21:12:36 | Weblog
 うーん。
 やはり私としては「残念な大河」としか言えぬ。。。

 やっぱ松ケン若過ぎるよなー。齢五十の男の顔に見えない。風貌と年齢が一致しなくて、「よくわからない人」になっちゃってる。いろんな経験を積んで、悩んで、壁にぶちあたってもクリアしてきただけのキャリアが感じられないから、突然湧いて出てきた人みたいに見えてしまう。過去の積み重ねを感じさせないままで財と知力と度胸とに恵まれ、朝廷で盤石な地位を築き、自らの夢にも取り組み始めたすべてにおいて順風満帆な棟梁がしかし「何でも解決できちゃうスーパーマン」になっちゃうと、興ざめでしかない。
 今日のタイトルを「巨人の影」としたのはそういう目論見もあるのかもしれないが、「この一世一代の巨人がなくなったので平家は滅びました」という結論にもっていくなら、それは人物理解が浅いのではと不満も感じるし、それゆえのむらのある展開だったのかとも勘ぐってしまう。
 しかも松ケンが若いから、それまでの苦労とか積み重ねが感じられない「突然現れたスーパーマン」に見えちゃって、違和感感じまくりなのよね。。まだ重盛のほうが若い次世代ならではの苦悩を感じられて共感できる。
 小道具とか「リアリティにこだわった」という映像法とかがんばってるのは理解できるけど、大河の枠で前衛的(?)な時代劇を観たい人って果たしてどれくらいいるのかなあ。新規開拓も大事だけど、看板番組の枠で挑戦的なことをやられるとこけやすいのは想像に難くなく、むしろ「さすが大河」という賞賛こそ目指す方向ではないのか。
 時代劇って歴史ドラマであり、歴史って人が生きてきた重みだと思う。個人だけでなく、何代も重ねていくいのちのつながりというか。前衛的なことに尽力しないと新規開拓できないのなら、それはこの国の人たちが「歴史」というものに敬意を払えなくなってきている証左ではないかとさえ穿ってしまう。

 話が逸れたが、そういった「歴史観」のあるなしによってもこのドラマは変わり得たろうと思うので、「清盛」を時代劇風のドラマと捉えればこれは斬新な試みだと思うが、歴史ドラマと捉えるならやはり土台のない建物のような不安定さ、本能的な不安を感じてしまうのは当然のことだろう。
 どうか来年は、歴史好きの人たちが楽しめる時代劇をやってください。