二小にっこり日記

東大和市立第二小学校ブログ
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学校写真館《2月20日(火)》

2018-02-20 19:14:33 | 学校写真館
【社会科見学に行った気持ちで 3年 江戸東京たてもの園】NO.962


今日、3年生が社会科見学で、小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」に行きました。私は一緒に行くことができませんでしたが、引率した副校長先生がたてもの園の様子を写真に撮ってきてくださいました。今日は、私も一緒に行った気持ちで見ていきたいと思います。


『八王子千人同心組頭の家』
江戸時代後期、八王子にあった家です。


式台という玄関があります。武家の家にしかない玄関です。(農家にはありません。)


書院づくりの棚は、武家の家独特のつくりになっています。


天井がついているのも、武家の家の特徴です。(武器を隠したそうです。)


『綱島家』
農家の家です。農家の家は、土間が広いです。この土間で様々な農作業をしていました。江戸時代中期、世田谷にあった家です。


農家の家の台所です。


大きなかまがありました。


『吉野家(農家)』
江戸時代後期、三鷹市にあった家です。


農家ですが、式台という玄関があります。ここは、農家の家でも、上層部の階級だったそうです。式台があっても、農家の人は、ここから出入りできなかったそうです。式台は、お武家さんが訪ねてきた時に、ここから入りました。


上層階級の農家である吉野家は、書院づくりの棚がありました。


『前川國男邸』
1942年、品川に建てられていました。


『大川邸』
1925年、大田区田園調布に建てられていました。渋沢栄一によって設立された田園調布株式会社が開発した郊外住宅の一つでした。


『午砲』
1871年(明治4年)9月9日から、皇居内旧本丸で使用されていました。この大砲で、正午の時を知らせたそうです。東京区部全部に聞こえたそうです。通称「ドン」。1929年(昭和4年)からサイレンに変わりました。江戸時代は「時の鐘」でした。土曜日の「半ドン」の語源となったそうです。


『都電7500形』
渋谷から新橋まで走っていた路面電車です。


『万世橋交番』
明治時代末期、神田の万世橋のたもとにあった交番です。


『上野消防署の望楼上部』
1925年(大正14年)台東区にありました。1970年(昭和45年)まで使用されていました。


『村上精華堂』
化粧品屋さんです。1928年(昭和3年)に、台東区に建てられたものです。村上精華堂の看板は、右から左に読みます。


お店の中には、化粧品が入っていたビンが棚に並べられていました。大きなそろばん・すずり・電話が、お店の受付台に置いてありました。


ビーカーや試験管・ガラスのビンが、たくさん置いてありました。


まるで、理科室のようでした。


原料を計量して調合し、ガラスビンに入れて販売していたそうです。


『植村邸』
1927年(昭和2年)中央区に建てられた看板建築の建物です。


家の外側には、戦争中の爆弾の破片が突き刺さった所がたくさんあり、空襲の激しさを今に伝えています。

江戸東京たてもの園には、他にも文化的価値の高い歴史的建造物がたくさんあります。江戸東京たてもの園のある小金井公園には、本当に広い遊び場もあります。桜の名所にもなっています。東大和市からは、それ程遠くありませんので、ぜひ行ってみてください。

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