昨晩、沖縄に到着した時は、雨が降っていましたが、今朝は青空が広がり良いお天気です。

気温も20度以上になるようです。
ホテルの朝食は、ビュッフェ形式

沖縄の郷土料理を楽しめます!

沖縄そば、ゴーヤサラダ、ジューシー(沖縄風炊き込みご飯) 、ゆし豆腐(おぼろ豆腐)、最後に、沖縄料理じゃないけど、フレンチトーストとワッフル
主人と私、初めての沖縄!

実は、夕方から、ウォーリーさんファミリーと合流しま~す。

その前に、主人と2人で、プライベートツアーに行ってきます! 日本人である私達が、行っておかなければいけないところを案内してもらいます。

今日、私達の案内をして下さるのは、個人タクシーの赤嶺さんです。 よろしくお願いします。
那覇市内の建物は、ほとんど戦後に建てられた、立派なビルだそうです。
何故なら、沖縄本島の南部で地上戦となったから・・・・・
今日のコースは、那覇市から、更に南部のほうへ移動します。
昔ながらの沖縄の家が残る地域 この塀の石の積み方は、昔ながらの『野面積み(のづらづみ)』
沖縄の伝統的な家
一般的に台風対策の一環として役立つ珊瑚や石灰岩などを積んだ石垣で囲まれています。また、「赤瓦」も、台風で飛ばされないように漆喰でしっかりと固められているのが特徴。
家へと続く門には門扉がなく、代わりに門の奥に石灰岩などで造られた「ヒンプン」と呼ばれる衝立(ついたて)があります。
「ヒンプン」とは、中国の屏風(ビンブン)から由来すると言われています。
魔物は、曲がることが苦手で、直進するということで、入ってこないように跳ね返す意味があるそうです。
昔は、男性は「ヒンプン」の右側から入り、女性が左側から入ったそうです。
理由は、右側は客間である1番座に直結する最短ルート、左側は台所に直結する最短ルートだからだそうです。
現在は、特にそういうことを気にしないようになったそうです。
屋根の上にシーサー
道の交差点には、
石敢當(いしがんどう、いしがんとう、せっかんとう) という表示を良く見かけます。
これは、市中を徘徊する魔物「マジムン」は直進する性質を持つため、丁字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると向かいの家に入ってきてしまうと信じられている。
そのため、丁字路や三叉路などの突き当たりに石敢當を設け、魔物の侵入を防ぐ魔よけとしているそうです。
魔物は石敢當に当たると砕け散るとされています。
元は中国伝来の風習で、福建省が発祥とされているそうです。
糸満市にある『魂魄(こんぱく)の塔』
塔の周りには、千羽鶴、平和への祈りが書かれた色紙が置いてありました。
碑文は、こちらです。
この地は今次大戦でも一番の激戦地であり日本軍も住民も追いつめられて逃げ場を失い陸、海、空からの攻撃を受けて、敵弾にあたって倒れた屍(しかばね)が最も多い激戦地の跡である。戦後、真和志村民が収容移住を許された所で村民及び地域住民の協力によって、道路、畑の中、周辺いたる所に散乱していた遺骨を集めて祀ったのがこの魂魄の塔である。
祭神33万5千余柱という、沖縄で一番多く祀った無名戦士の塔であったが、その後、昭和54年2月摩文仁の丘に国立沖縄戦没者墓苑が完成し、遺骨は同墓苑に分骨して安置してあります。
元立法院(アメリカ軍の施政権下にあった沖縄の立法機関)議員の翁長助静(元真和志市市長=故人)は、塔の命名とともに「和魂(にぎたま)となりてしづもるおくつきの み床の上をわたる潮風」と碑文を記した。
魂魄の塔の向かいには、
沖縄菩提樹苑 があります。
ブッダゆかりの聖なる菩提樹
普段は、この建物の中に菩提樹があります。
1年に1度、沖縄の慰霊の日である6月23日に一般公開されるそうです。
建物の中を覗きこんだら、ダライ・ラマの足跡がありました!

ブッダの言葉 ダライ・ラマのメッセージ
今回、是非訪れたいと思っていた、
ひめゆりの塔 米軍に追われ陸軍病院壕を撤退後身を寄せていた「伊原第三外科壕」
ひめゆりの塔に辿り着くまでの間に、赤嶺さんから、学徒隊の話を聞きました。
沖縄戦の時、男子、女子合わせて21学徒隊あり、ひめゆりの塔以外にも、学徒隊の慰霊碑が各地にあるそうです。
そこには、そのゆかりの方々がお参りすることがほとんどだそうです。
ひめゆりの塔の入口では、お供えするお花が売っていましたが、他にも同じような境遇で亡くなった人たちが大勢いるのに、この場所だけにお花をお供えするのは・・・・・と思い、お花は、買いませんでした。
資料館では、ひめゆり学徒隊の生存者の方々の証言が、フィルムで流され、当時の過酷な中での負傷兵の治療、手術などを聞くことができました。
鎮魂の空間では、200余名の犠牲者の遺影があり、生存者の証言本を読むことができました。
こんなに沢山の少女たちが犠牲になった・・・・・
証言本の一文一文は、深く重く心の中に刻まれました。
資料館を出ると、太陽が眩しさ、空の青さに、少し気持ちがほっとしたような感じになりました。
続いて案内してもらったのは、
平和記念公園 です。
平和の丘 毎年6月23日の慰霊の日には、沖縄全戦没者追悼式が開催されています。
沖縄平和祈念堂
世界の人種や国家、思想や宗教のすべてを超越した”世界平和のメッカ”として、1978年10月1日、この平和祈念堂は開堂されました。
国立沖縄戦没者墓苑
先に記したように、魂魄(こんぱく)の塔に祀ってあった遺骨を、1979年(昭和54年)に、分骨され、ここに納めら得ています。
摩文仁の丘にある、宮城之塔
しづたまの碑
左が沖縄県外、外国人の犠牲者の刻銘碑 右が沖縄県出身者の犠牲者の刻銘碑
沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎」を、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して1995年6月23日に建設されました。
約24万人の犠牲者のうち、半数以上の約15万人が沖縄の犠牲者となっています。
平和の広場の足元には、フィリピンなどの戦地の方位と距離が記されています。
綺麗な海 黒く見えるのは、海苔の養殖です。
沖縄県平和祈念資料館入口
この平和祈念資料館は、悲惨な沖縄戦の実相及び教訓を後世に正しく継承し、
平和創造のための学習、研究及び教育の拠点施設として2000年に新築、開館しました。
展示されていた不発弾
いまだに、不発弾が残っており、海岸やマンションの現場などで発見されるそうです。
さて、ここで、赤嶺さんのおすすめのお店で、ランチタイム

となります。
沖縄そばと茶処 屋宜家(やぎや)
営業時間:11:00~16:00(LO 15:45)
定休日:火曜日(祝日営業)
住所:〒901-0502 沖縄県島尻群八重瀬町大頓1172番地
電話:098-998-2274 携帯:090-1944-0185
E-mail:yagiya@cool.email.ne.jp
この建物は、沖縄の伝統的な家で有形文化財になっています。 入口に「ヒンプン」があります。
沖縄の古民家
室内も昔の造りで、縁側の正面の部屋が二番座。トートーメー(位牌)のある仏間。
縁側から見て右端にあたる部屋が1番座。客間として使用。
私は、アーサセット アーサ(アオサ)を練り込んだ麺 ジーマーミ豆腐、もずく、ジューシーが付いています。
主人は、大豆まるごと豆乳そばセット 豆乳を練り込んだ麺に島豆腐をトッピング
豆乳、ジーマーミ豆腐、もずく、ジューシーが付いています。
かなり暑かったので、地ビールの
ニヘデビール 
かき氷の黒蜜ぜんざい、黒蜜きなこトッピングのハーフサイズをいただきました~

麺は、どちらも生麺で美味しい~

ビールとかき氷も美味しかったです。

古民家ランチ

風情があって美味しくて大満足です!
本当は、奥武島(おうじま)にある、中村天ぷら店に行って、もずくの天ぷらなど食べたかったけど、ランチでお腹いっぱいとなり残念ながら断念・・・・・
時間がないので、ガンガラーの谷ツアーは行けませんが、こちら

だけ見学しました~
鍾乳洞そのままのオープンカフェ
ケイブカフェ があります!!

時々、コンサート

も開催されるそうです。
そして、ここが、国内最古の人骨発掘場所

詳細は
こちら~
綺麗な海が見えるところに着きました。

浜辺に出ると、遠くに石碑?
琉球祖先神・アマミキヨがニライカナイ(海のはるか彼方にある神々の住む理想郷)から渡来し、久高島に降り立ち、次に本島に降り立った、その最初の地とのいわれるのがここだそうです。
これが、ヤハラヅカサ 琉球石灰岩でつくられた石碑
満潮時には海中に没して見えなくなり、干潮時に全貌を現す。そのため干潮のときでなければ渡ることができず、間近で拝むことができない。
石碑の下の部分にはいつの頃からか香炉が設けられているそうです。
浜辺には、先ほど食べたアーサやサンゴ礁の死骸
綺麗な青い海、綺麗な砂浜、主人がヤドカリを発見!
浜辺に行く途中では、お子さま連れのファミリーが、ほのぼのバーベキューをしていました。
赤峰さんおすめの、海を望めるカフェ(たぶん、山の茶屋 楽水)が、本日定休日ということで、このまま帰途に着くことになりました。 残念・・・・・
宮本亜門さんのご自宅

を通り、那覇市に向かいます。
ホテルに到着。 本日お世話になった、赤嶺さんと記念撮影

短い時間でしたが、移動中は沖縄の歴史などいろいろ教えていただき、そして、とても素敵なところを、いろいろ案内していただき、ありがとうございました。

とても勉強になり、充実した時間でした。
ひめゆりの塔、平和祈念資料館、初めて訪れましたが、やはり日本人として、この歴史をきちんと知っておくべきことだと思いました。
若い人たち、学生の方々には、是非見学してもらいたい場所です。