先週の土曜日に、「アベ政治を許すな」の文字を持って、大通りを立ちました。
おおよそ40人くらいの方が、雨の中、集まり、立ち続けていました。
カッパを着ていたり、傘を持っていたりした方が、たくさんいらっしゃいました。
私も一緒に立たせてもらいました。
中には、小さな乳幼児を抱えてポスターを立つお母さんもいました。
涙がでそうになりました。
あのお母さんに
「その気持ちわかります、私もそうです。だから私もここに立っているんですよ」
とお伝えしたかった。
だけど、できませんでした。
ポスターを持つ手が震えていたからです。怖かったのです。
子どもには「『戦争反対』の意思表示をしてくるよ」と説明して、
私一人で出かけていきました。
子どもも「行きたい」と言ってくれたけれども、県民投票の街頭署名の時のように
「余計なことをするな」という心ない大人の罵倒があってもよくないと思ってです。
息子が「母ちゃん、これ持っていくといいよ」と、
自分のお気に入りのぺんぎんの傘を渡してくれました。
「アベ政治を許すな」の書は、ビニールで包んでいなかったので
すぐに濡れました。
長靴ははいていましたが、レインコートは着ていなかったので
ズボンと靴下が濡れました。
ポスターを持つ手は時々震えました。
怖かったのです。
こんなに人がいるけれども、怖かったです。
例えば、警察が「やめなさい」とか言って、
無理矢理その場所から私たちをどかそうと思ったら、
皆で支えあえるだろうけれども、やはり恐ろしくなるでしょう。
この母親は臆病者です。
もうすぐ、戦中の時のようなモノを言えなくなる時代がくるのか、
と思いました。
今も多少は似たところがありますが、それをレベルアップしたような
時代がくるのかな、と思いました。
「消費税増税のように、国民に直接打撃がくるようなことはないから、
すぐに国民は忘れるだろう」という自民党政治家の発言に
ここまで国民を馬鹿にした言葉もそうないだろう、と思いました。
国民は、お金を稼ぐだけの道具ですか?
モノを買うだけの動物ですか?
耳障りのよい言葉を盾に、違憲行為を行う独裁者に似た首相に対する
愚痴のような憎悪が政治家自身を包み、
そのまま国民にむかっているようにも感じられました。
3年前、新潟県民投票の条例案が否決された時も
「それでは、県民の意志をどう問うか?」という問いに
自民党は
「国策に対し、県民が意見を言う必要はない」と明言しました。
どこまでも、国民を馬鹿にし続けた発言を続ける政党を
何故、皆、選び続けるのでしょうか。
現政権に、国民の言葉を聞く意志はありません。
こんな政党はもういらない。
こんな政党の政治家はもういらない。
何度、そう思ったでしょう。
「変わること」への怖さが、現政権を選び続けているのでしょうか。
でも、現政権がとっている舵は、
とんでもない方向へ「変わろう」としています。
きっと、自衛隊に今いる人も、声にだすことはできないだろうけれども、
怖い、と思っている人は少なからずいるでしょう。
訓練だけでなく、本当に実地で、銃撃をしなくてはいけなくなるかもしれない、と
おびえている人がいるでしょう。
自衛隊の訓練が「強化」された、という報道もありました。
戦地へ行ったら、人間らしい感情は持てないでしょう。
戦争を体験しなくても、容易に想像できるはずです。
現在、「投票」する人間に、若者世代はほとんどいないのだそうです。
投票する10割の人間のうち、20代は10%~20%、
半分近くが50代以上の方なのだそうです。
ということは、投票結果はご高齢の方の意志がほとんどということです。
(生活クラブの冊子からの情報でした)
投票をしない若者にも非は大いにありますが、
50代以上の方々よ、どうか経済よりも人の命を優先してはもらえないでしょうか。
バブルは人の心を狂わせました。
もうあの時代には戻りたいとは思いません。
たくさんのモノもお金もいりません。
私は、子ども達を戦争に連れていかれたくはないです。
3歳の時からずっと一緒に遊んできた、息子と娘のお友達、
たくさんの子ども達の誰ひとりも戦争に行ってほしくないです。
お母さんは皆、そう思っています。
例えば、デモの誘いがあったら、怖いけれども、何度でも行きます。
警察の人が何か言ったら、怖いけれども、言葉をいえるようにしたいと思います。
脅されたら、脅し返せるくらい、強い言葉を持てるようになりたいと思います。
自分を持てない、子どもを守れない、馬鹿な母親にならないように、
心を強くもっていきたいと思います。
おおよそ40人くらいの方が、雨の中、集まり、立ち続けていました。
カッパを着ていたり、傘を持っていたりした方が、たくさんいらっしゃいました。
私も一緒に立たせてもらいました。
中には、小さな乳幼児を抱えてポスターを立つお母さんもいました。
涙がでそうになりました。
あのお母さんに
「その気持ちわかります、私もそうです。だから私もここに立っているんですよ」
とお伝えしたかった。
だけど、できませんでした。
ポスターを持つ手が震えていたからです。怖かったのです。
子どもには「『戦争反対』の意思表示をしてくるよ」と説明して、
私一人で出かけていきました。
子どもも「行きたい」と言ってくれたけれども、県民投票の街頭署名の時のように
「余計なことをするな」という心ない大人の罵倒があってもよくないと思ってです。
息子が「母ちゃん、これ持っていくといいよ」と、
自分のお気に入りのぺんぎんの傘を渡してくれました。
「アベ政治を許すな」の書は、ビニールで包んでいなかったので
すぐに濡れました。
長靴ははいていましたが、レインコートは着ていなかったので
ズボンと靴下が濡れました。
ポスターを持つ手は時々震えました。
怖かったのです。
こんなに人がいるけれども、怖かったです。
例えば、警察が「やめなさい」とか言って、
無理矢理その場所から私たちをどかそうと思ったら、
皆で支えあえるだろうけれども、やはり恐ろしくなるでしょう。
この母親は臆病者です。
もうすぐ、戦中の時のようなモノを言えなくなる時代がくるのか、
と思いました。
今も多少は似たところがありますが、それをレベルアップしたような
時代がくるのかな、と思いました。
「消費税増税のように、国民に直接打撃がくるようなことはないから、
すぐに国民は忘れるだろう」という自民党政治家の発言に
ここまで国民を馬鹿にした言葉もそうないだろう、と思いました。
国民は、お金を稼ぐだけの道具ですか?
モノを買うだけの動物ですか?
耳障りのよい言葉を盾に、違憲行為を行う独裁者に似た首相に対する
愚痴のような憎悪が政治家自身を包み、
そのまま国民にむかっているようにも感じられました。
3年前、新潟県民投票の条例案が否決された時も
「それでは、県民の意志をどう問うか?」という問いに
自民党は
「国策に対し、県民が意見を言う必要はない」と明言しました。
どこまでも、国民を馬鹿にし続けた発言を続ける政党を
何故、皆、選び続けるのでしょうか。
現政権に、国民の言葉を聞く意志はありません。
こんな政党はもういらない。
こんな政党の政治家はもういらない。
何度、そう思ったでしょう。
「変わること」への怖さが、現政権を選び続けているのでしょうか。
でも、現政権がとっている舵は、
とんでもない方向へ「変わろう」としています。
きっと、自衛隊に今いる人も、声にだすことはできないだろうけれども、
怖い、と思っている人は少なからずいるでしょう。
訓練だけでなく、本当に実地で、銃撃をしなくてはいけなくなるかもしれない、と
おびえている人がいるでしょう。
自衛隊の訓練が「強化」された、という報道もありました。
戦地へ行ったら、人間らしい感情は持てないでしょう。
戦争を体験しなくても、容易に想像できるはずです。
現在、「投票」する人間に、若者世代はほとんどいないのだそうです。
投票する10割の人間のうち、20代は10%~20%、
半分近くが50代以上の方なのだそうです。
ということは、投票結果はご高齢の方の意志がほとんどということです。
(生活クラブの冊子からの情報でした)
投票をしない若者にも非は大いにありますが、
50代以上の方々よ、どうか経済よりも人の命を優先してはもらえないでしょうか。
バブルは人の心を狂わせました。
もうあの時代には戻りたいとは思いません。
たくさんのモノもお金もいりません。
私は、子ども達を戦争に連れていかれたくはないです。
3歳の時からずっと一緒に遊んできた、息子と娘のお友達、
たくさんの子ども達の誰ひとりも戦争に行ってほしくないです。
お母さんは皆、そう思っています。
例えば、デモの誘いがあったら、怖いけれども、何度でも行きます。
警察の人が何か言ったら、怖いけれども、言葉をいえるようにしたいと思います。
脅されたら、脅し返せるくらい、強い言葉を持てるようになりたいと思います。
自分を持てない、子どもを守れない、馬鹿な母親にならないように、
心を強くもっていきたいと思います。
私も,声をあげることなんてできなくなるかもしれない、って思いますもん。同じです同じです。
ありがとうございます。救われます。
私なんて、戦争にでもなってしまったら、自分や家族の身を守るために、声をあげることなんてできなくなるかもしれない。
だから今、やれる時にやらないと。
手遅れになる前にやらないと。
と思います。