山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

決断できる国家になれるか

2005年08月14日 | 政局ウォッチ
あす8月15日は終戦記念日。新聞テレビでも60年前に終ったあの戦争について考える特集が目に付く。そんな中、本日付朝日新聞は「なぜ戦争を続けたか」と題する社説で、戦争終結を決断できなかった理由を「指導層のふがいなさ」に求めている。

終戦工作開始を進言した参謀を更迭した東條首相、その東條を政変で総辞職に追い込んだ宮中重臣らも、しかしながら自宅で密談を重ねるだけで「互いの腹の探り合いに終始した」。

終戦決定のチャンスはあったのに、決断できない政府。無数の若者に死の決断を強いる一方での、この体たらくを、社説は「国家としての自己崩壊としかいいようがない」と断じる。

「いちばんの問題は、だれが当時の政権の指導者として国策を決めていたのか、東條首相が失脚した後の指導責任のありかたがはっきりしないことだ」
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朝日社説は、戦後の日本社会が果たしてこうした「無責任」体質を脱却できたかどうか、と読者に問いかける。

「惰性で続く公共事業、経営の暴走による企業破綻。戦争とは比べられないが、思い当たる事例は余りに多い」「逃げずに決断するのは容易ではない。しかし、その強さを持つことが真の豊かな社会につながるのではないか」

同社にしては踏み込んだ主張だし、私も同感だ。決断すべきときに決断できない政治。郵政民営化をめぐる政争を眺めていて、同じ感覚を抱いた国民は多いと思う。

郵便局による資金収集システムは、戦時の軍事資金調達のために考案されたと聞く。江戸時代から続く名主・庄屋といった集落貴族に「特定局長」の官職を与え統治機構に組み込んだ明治政府、彼らが集めた票と資金を「土建国家」建設に活用してきた自民党政権。

伝統は、いつしか、その継続のみを自己目的化する。特定局という「国体」を護持するために、政府の決断を少しでも先延ばしさせようと命をかける人たち。皇居に侵入して玉音盤を奪うような見苦しい抵抗を、多くの国民が望んではいまい。

終戦工作の密議は重臣たちの自宅で行われたが、幸い、2005年夏の終戦工作は、メディアを通じて国民注視のもとに行われる。最終決断するのは主権者たる国民だ。その「聖断」は、4週間後に下される。〔了〕

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【追記】GripForumさんからの依頼で、このエントリーを衆院選特集に投稿しました。(8月14日)


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