聖書カルタ 「イエス様の44言」 読み札・絵札

聖書トランプ 
週一の追記予定です。

【も】

2008年11月16日 | Weblog
 最近、「“聴く”というのは、耳プラス目で、しかも目を横にして、さらに心を使って聞くこと」という話を耳にしました。それに倣うと「“聞く“というのは、耳のある羊が羊飼いの声に従って、門を通ること」となります。
 イエスが、よく使ったフレーズに、「聞く耳のある者は聞きなさい」というのがあります。また、旧約聖書から引用して「聞くには聞くが、決して理解せず。見るには見るが、決して認めない」とも、言っています。
 この時ファリサイ派の人々は、“ピンと来る”知恵が足りず、単に“察しが悪い”人たちだったから、なのでしょうか?。理解しようとする気持ちが薄かったから、という気がします。聞いても理解しない場合、見ても認めることをしない場合、門の中に入らない羊と同じです。
 【「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。 門から入る者が羊飼いである。 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。】