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子育てペンギン☆徒然なるままに

“出すぎた”杭は打たれない!をモットーに子育て・平和・みんなが主役をテーマにワーキングママは今日も走ります♪

前期終業~

2012-10-05 | 教育
いよいよ、前期終了です

通知表を持ち帰るわけですが

これが!初めての観点別評価の成績です

神奈川県教育委員会が出した「観点別学習状況の評価から評定へ」(平成16年6月23日)がその詳細を記していますので、参考にお勧めします。

で、学校教育現場にいた経験者としては
小学校での観点別評価には難色をしめす立場です。

ひとつには…
今までの到達別評価とちがい、個々の児童の理解度・達成度がわからないまま
授業が進んでしまう。
どの単元で、つまづき、理解が不十分なまま先へ進んでしまうのか
教科指導上、分かりにくい。
唯一、気がつけるのは保護者です。
今年度に入ってから、テストも観点別評価を念頭に作問されているので
子どもが持ち帰ったテストの「総合点数」だけでなく、
「関心・意欲・態度」「思考・判断・表現」「技能」「知識・理解」といった4~5つの観点ごとに
子どもがどのような解答を書いているか、チェックする必要があります。

その面で言えば、保護者が子どもの学習に関心を持つ「きっかけ」になるのかもしれません
(無関心な保護者には、どっちにしても変化はないかもしれませんが…)


ふたつめには…
クラス指導と、教科指導をひとりの教員が担う小学校には不適切です。
なぜなら、評価のための材料あつめに時間を取られ、子どもと向き合う時間がへります。
本来の初等教育でなされるべき、クラス経営…つまり子どもたちの集団つくり、仲間づくり、こころのケアに
時間をとることができません。
教員の負担増は、そのまま児童の生活に影響を与え、さらには保護者との軋轢をも生み出しかねません。
教職員と保護者の信頼関係が構築されなければ
より良い教育環境はつくることができません。


みっつめには…
「観点ごとに目標を設定し、学習者がその目標に対してどれだけ実現できたかを分析して、一般に3段階で評価する」
その評価方法基準が、学校単位であること。公開されないこと。
つまり、小学校段階で、学力格差が生じやすい状況になります。
そのまま地域の中学校へ進学。ここで複数の小学校から児童(生徒)があつまるわけですから
卒業小学校ごとに、学習理解度の差が明確になります。
さらに、うちの自治体では、ひとつの小学校が、そのままひとつの中学校へ進学する学区があります。
このような学校では、高校入試時まで、ある意味「囲われた学習環境」であるがために
全県的な平均学習理解度からかけ離れる「危険」があります。
いま、神奈川県立高校は学区撤廃で
全県一区です。

例えば…数年前は近くの進学校に10人進学できていたとしても、他市からの進学者が増えれば
たとえ市内で近くであっても、学力試験ではじかれ、5人になってしまうかもしれません。

中学校内で、どんなに「成績が良い」と判断されても
それは、「囲われた学習環境」内での判断で
全県平均には、達していない可能性もあるのです。

観点別評価は、
「十分満足と判断されるもの」…A、◎など
「おおむね満足であると判断されるもの」…B、○など
「努力を要すると判断されるもの」…C、△など
と、評価され、

「A、A、A、A」であれば「4」又は「5」
「B、B、B、B」であれば「3」
「C、C、C、C」であれば「2」又は「1」になる。(前述の神奈川県教育委員会資料より)

…わけですが、
「観点別学習状況の評価のAについても、その実現状況には幅があり、より
高い程度に実現している場合もあればBに近い場合もある。」
と資料にも記述されています。

A、B、C基準が学校単位であり、
その基準は公開されないものであるうえ、
評価をする担任の多忙さがその判断に支障をきたすことを考えると

初等教育という「学習の出発点」=基礎を学ぶ場で
こんな煩雑な評価方法は
まさに「無謀」であると思うのです。

長くなりますが、もう少し具体的に見てみます
観点のひとつ「関心・意欲・態度」に、「ノートまとめ」があると仮定します。
では、この「ノートまとめ」はどの程度、どのような内容を書いていれば「A」になるのでしょうか

こうした観点材料は、校内で統一したとしても
ボーダーラインは担任ごとの判断です。

ここで「差」がでますよね?

…というようなことを、学校長や教育委員会とも相談しましたが
「これからの課題」と言われていました。
危惧することは、私たち保護者も指導する側も同じなんですよね。

けれど、1987年の(教育課程審議会)学習指導要領改定の場で決定されてしまいました。

教育は現場ありきなんですけどね

文科省が机上で理想論を追い求めても
現場で子どもたちと時間を共に過ごしている教職員の感覚にはほど遠いのです

…これからは、教室や校庭で子どもたちと一緒に過ごす教員の時間は少なくなるでしょう

いじめ問題も社会問題化している現在、子どもたちの人間関係、仲間づくりの場に
教員の目は、ますます届かない状況になっていくかもしれません

毎年、心身を病んで休職・退職する教職員が増加している国って
健全なんでしょうか・・・


つらつらと書き連ねましたが
言葉不足・訂正箇所もあとからでてくるかと思いますので
また、追々、追記していこうと思います。

子どもたちに何を残す?この選択で。

2012-09-27 | 教育
政権政党でもないのに、こんなに盛り上がる自民党総裁選

なんだかんだと、最悪の選択となってしまった感がぬぐえません

安倍さんといえば
教育基本法の改悪の張本人
教員免許更新制を導入したのもこの人だっけ

あとは
官僚との闘いに失敗して
「体調不良」を理由に政権を放り投げた
…子どもの保健室逃避みたいだな…という印象かな


その後、安倍さんのおかげで
…教育現場は混乱しました。
そう、一般市民に分からないところで
教育現場への
行政・政治(議会)の介入としめつけが厳しくなり
児童・生徒に向き合う時間を奪われた現場の教職員は
デスクワークと会議に明け暮れることになった

部活動の指導に行きたいのに、管理職に呼びつけられ
何事か思えば
作成したプリントの数字が半角と全角が混在している!と
内容に支障のないことを「ミス」だと指摘されて作り直しをさせられたり
(←これ、ほんとにあった事例です)

…で、あれから数年
いまの教育現場は「いじめ」問題が吹き荒れています

社会・世界の大きな変化が背景のひとつではあるけれど
身近でもっとも大きな要因は
学校・教職員に「余裕」がなくなったことなんですよ。

小泉政権で芽を伸ばしたネオリベラリズムは
「自己決定・自己責任」という美辞麗句を旗印に、社会に根をひろげ
安倍政権の教育政策によって、子どもたちの世界にも蔓延した
子ども自身も「実体の見えないさまざまな競争」に不安を抱え
心のバランスを崩したり
暴力的に、社会ルールを逸脱するようになった

「余裕」なんて、フツーのサラリーマンにはもともとないよ!
と、いう声も聞こえてきそうですが…

人を育てる学校現場には「余裕」がなければ
教育の質は下降していくだけなんです
きっと、それは家庭でも同じなんでしょうね


安倍さん、当選後の記者会見では
教育改革
憲法改正(戦う軍隊の実現)
を述べていましたね。

政治家二世三世が多い自民党ですから
我が子や親類縁者を徴兵しようなんて思っていないはず。
きっと、アメリカ型の徴兵制もどきを描いているんだろうなぁ
…って、だれでも見抜けますよね

一方でワーキングプアが社会問題化しているわけですから
この経済格差をうまく利用し
結局、低所得家庭の子どもたちを「軍隊」に向かわせる構図なんでしょう


私たちのこの国は
「非戦」を国是として
戦後日本をここまで復興させてきました。
まじめで約束を守る几帳面な国民性が「経済大国」の姿をつくりあげ
世界の信用も得てきました
(もちろん、米国世界戦略の後ろ盾の役目は負わされてきたことも事実ですけど)


いまを生きる子どもたちに
何を残せるんでしょうね…今回の選択は。

「公務員制度改革」はたしかに
万民の耳に心地よく響くけど
その根底で進められる「本音」にみんな敏感になっていたほうがいいですよ

あ~あ、やっぱり…ってことにならないように


出口の見えない「学校」

2012-09-15 | 教育
担任の先生が病気で倒れました…

そんなに、たいへんだったのか…
担任は「鬼の○○先生」と異名をとるほどの人でしたが
運動会(今月末)を目前にして、体調を壊し明日から入院に。

夏休みが終わっても
相変わらずの荒れたクラスの模様

我が者顔の中心少年2人は
変わらずクラスを引っ掻き回しているらしい

マクロの視点で見れば
少年やその保護者たちの成育背景にも思いは馳せる
けれど…
「一保護者」のミクロの視点にたてば
然るべき教育論で片付けられない毎日がそこにある

学校は
「学習する」場であって
躾の場ではない

集団社会のルールや
他者とのコミュニケーションを実践する場ではあるけれど

子どももひとりの人間として
最低限の生活規範を身につける場は「家庭」であるはずだ

暴力(言葉を含む)を振るわない
人の嫌がることはしない
人のものを取ったり、隠したりしない
人の話はきちんと聞く

もちろん成長や理解のスピードはそれぞれだけど
家庭では、こうした社会規範を身につける努力はしてほしい

自分(親)の手に余れば
「学校でお願いします」と言いのける保護者や
気に入らないことがあれば
すぐ議員や教育委員会を動かそうとする保護者

そして、一方では公務員バッシング

G8各国の中で、もっとも教育予算が少ない国
一学級の児童・生徒数が多い国

それなのに、まだ教職員の数を減らそうとする政治勢力がある

教育は「未来への投資」だ
一朝一夕に効く特効薬は「教育現場」にありえない
けれど、民間企業の競争社会同様に「即効成果」を求めようとする人々もいる

人が人を育てるという仕事は貨幣価値に換算できないと思う
とはいえ、戦前の「聖職」扱いも違う

児童・生徒も人間ならば、教職員も人間だ

子ども・保護者・教職員の三者の信頼関係があって
はじめて「教育」は成り立つのだから。

いじめ問題のニュースや
想像を超える教職員のメンタル問題の実態を
耳にするたびに、「教育」の根深い課題を知る


この先、どうなるのだろう…
問題を引き起こす少年たちも
被害に遭う多数の子どもたちも
年度途中で担任を引き継ぐ先生も。

崩壊する(かもしれない)クラスは
今の日本社会の縮図なのだろう

小さいけれど、子どもにとっては
日々のすべてを網羅している「学校」という空間

どう生き抜くことを教えたらいいのだろうか…

夏休みもおわった~

2012-08-27 | 教育
むかーしは(ほぼ)40日間もあった夏休み
いまは2期制の導入で
どんどん短くなりますね…

働く親としては
ひとりでいる時間が長いより
(…児童クラブに入会できなかった場合)
学校にいてくれてたほうが
災害時に所在確認できるから、よいとも思うけど

子どもにしたら、まだ暑いのにたいへんですよね


さて、さて
みなさんのところでは、宿題順調に終りましたか

夏休み明けの初日の今日は
とにかく宿題だけは忘れずに提出

と、昨夜から釘をさしておきました


小学校にも「観点別評価」が導入された以上

完成させた課題の量や
提出期限の厳守も
「成績」に影響する現状…

なんか…違うよね
初等教育の目的としては…

観点別評価はやっぱり小学校には向かないと思う

宿題をランドセルに入れる姿を見ながらつくづく思った

子どものサバイバル…上野千鶴子に頷く

2012-08-08 | 教育
先日の上野千鶴子さんの話を聞いて…

東大生の生活実態調査の報告からみえてきた若者像

打たれ弱さ
社会経験の幅の狭さ
挫折経験のなさ
幼児的万能感
自己中心性

これらは、大学生だけでなく小学生から高校生までに共通すると
実感しています。

子どもの変容については
「ゆとり教育」が槍玉にあがりますが
これは違います。

たとえば…
高校生のアルバイトが緩和されている昨今
それこそ、アルバイト先で社会経験を積んでいるはずなのに
社会経験の乏しさが「問題視」されているのはフシギですもの。

総じてどの世代も従来の感覚・常識からの「幼児化の進行」
それらの要因として

家族の変化=少子化
社会のネオリベラリズム変革
世界の変化=グローバリゼーションと20世紀晩年からの不況

いかなる結果も「自己決定」と「自己責任」に帰せられる社会に変わってしまった。

多様な人間社会が「勝ち組」と「負け組」に二極化されて論じられる社会になってしまった。

自己責任を美徳のように公言する政治家が登場し
大衆社会を煽っていく現代

こうしたネオリベラリズムへの変革が子どもたち、若者世代を変えてしまっています。


子どもたちにとっては
「学校」と「家庭」というふたつの狭い社会しか存在しなくなりました。

子ども時代から「逃げ場」を失い、
「サバイバル時代」を過ごす機会をなくしてしまった若者たち。

子どもにとって、「居場所」の選択肢が多かった時代は
別の表現を使えば、サバイバル時代でもありました。
たくさんのさまざまな大人たちを見ては
自分とすりあう価値観を学び、
一方で、違う価値観を学ぶ場でもあったはずです。
それが、子どもの柔軟性を育て上げてきました。

その柔軟性が

打たれ強さ
他者への共感
想像力の豊かさ
…などを育んできました。



私たちは、今、目の前の子どもたちに
どんな言葉をかけていくべきなのでしょうか


…長くなるので、とりあえず《つづく》