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奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

勇気づける言葉

2007年05月12日 | 中村天風語録

                   ホウチャク

花は根に鳥は古巣に
     
=咲き終わった花はその木の根元に落ち、飛んでいる鳥  は古巣に帰る。
    物事はすべはやがてその根源に戻っていくということ=

    ルンルン(ハッピー) 「今日も楽しく過ごそうね!」

  ===========================

          「勇気づける言葉」 
                      
中村天風「ほんとうの心の力」

相手のいった言葉にひっかからないようにしなさい。すぐひっかかってしまうんだから、わざわざひっかかりにこっちから行くあわてものがいる。

とにかく一日の人生を生きるときに、お互いの気持ちに勇気をつける言葉、喜びをわかち合う言葉、聞いても何となく嬉しい言葉をいい合おうではないか。

人間の気持ちは誠におそろしいものである。たとえ医学上からみれば助からないような病人の枕元に行っても、こちらが元気で積極的態度のときには、その人間の状態がずうっと良くなってしまうものだ。

私はそれで、どれほど危篤になっている人間を助けてきたかわからない。「さあ心配するな!俺が来たからもう大丈夫だから、いいか!俺が駄目だといったら覚悟しろ。俺が駄目だといわなければ大丈夫だから!」というとずうっと勇気がでてくるものだ。

だから私はいつもいう。お互い勇気づける言葉、喜びを与える言葉というような積極的な言葉を使う人が多くなれば、この世は期せずして、もっともっと美しい平和な世界になる。


  照れちゃう(バッシュフル) 「済まぬ・投票してくだされ!」

           写真:<5月>阿蘇に咲く花
  
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   カノコソウ     ハナウド     オカオグルマ   ウメバチソウ
阿蘇には沢山の花が咲きます。雄大な景色を堪能されるのもまた善し。チョット草むらに咲く花に話しかけるものまた、楽しく、心癒されるものです。ブログを通してお知り合いになった方々の、花を見るにつれ、歩いていても最近では、道端に咲く名も知らぬ花に心を癒されています。

 


まごころの強さ

2007年05月07日 | 中村天風語録

 丸い卵も切りようで四角
       =卵は丸いものだが、切り方によっては四角にもなる。
        物事はやりかた次第で円満にも収まるし、角を立てる
        ことも出来るということ。=
        「物も言いようで角が立つ」と続けることもある。

   空中散歩(ジミニー) 「危ないから真似しないでネ」

   ★=========★★★★★=========★     

           「まごころの強さ」
                      
中村天風「ほんとうの心の力」

たとえば、ちょっと一杯のお茶をだすのでも、「ハイ」と返事をするような些細な行為でも、そのとき、何の報酬をも念頭に置かず、すなわちその人の気に入られようとか、あるいは、好感をもたせようとかいうような気持ちではなく、そこに一点何も求めるものがなく、純一無雑な「心」でそれを行ったとき、その行為から、形容のできない温かいものを感じる。

それはすなわち「まごころ」というもののもつ尊さの感応である。と同時に、いま一つ理解しておくべき重要なことは、「まごころ」で行われる行為には絶対的の強さというものがあるということである。

絶対の強さのあるというのは、そもそもいかなる理由があるのかというと、要約すれば「まごころ」という「心」の中には、期待というものがないから、当然失望というものがないからである。

多くいうまでもなく、失望というものは、ある期待が裏切られたときに発生する相対的真理現象である。

報酬を行為の対象とすると、その報酬は、当然「期待」というものが付随するから、その報酬が、期待通りであれば何らの失望は生じないが、そうでないと、すぐさま失望の気持ちが発生する。すると期せずして、その行為にムラがでてくる。

したがって当然その強さというものが、失われがちになるのである。すなわち、これが何事をなすにも、報酬を超越してなすべしと、力説するわけなのである。


  パンチ(ジミニー) 「いつも、五月蝿いんだよ」

         写真:江津湖:江津湖から熊本県庁
江津湖には、たくさんの野鳥や、魚、植物、昆虫や、水生の小動物が生息しており、シダ植物以上の高等植物だけでも、なんと、約400種類、野鳥は、カモ・サギ類の水鳥を中心に、120種類。電車通りから歩いて程近い所で、カワセミなどの珍しい野鳥と出会えます。こんな場所は日本でも珍しいとのこと。
 
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江津湖ボートハウス・江津湖で見つけた花・江津湖で遊ぶ鴨・江津湖で一休み鷺
*今日載せる写真を雨に打たれ撮影してきました。写真の上でクリックし拡大!

   江津湖で見つけた花の名前をご存知の方、名前を教えてください?


 


ともに成長するために 「思いやり」

2007年05月02日 | 中村天風語録

高瀬眼鏡橋の肥後菖蒲(熊本県玉名市)

 巧言令色鮮し仁 (こうげんれいしょくすくなしじん)
       =言葉を巧みにあやつり、顔色を繕って人を喜ばせ、
        他人に媚びへつらう人は、仁の心が欠けている=
           「巧言」=口先が巧いこと
           「令色」=顔色を繕うこと      「論語」

    ゆるして(ミッキー) 「どうしようかな?」 
  =========★★★★★=========
                         

「思いやり」
              
中村天風「ほんとうの心の力」より

だれにでもある心なんだからね、思いやりのやさしい心っていうのは。その心で一切の物事に接する習慣をつけろ。その尊い心の報われが・・・・報われなんか求めなくたっていいんだけど、即座にひとりでにくるよ。

これという形や色の見える物質的な報われじゃないよ。「思いやりでやったけど、一銭も貰えねえ」それじゃ駄目だよ。

思いやりという気持ちは、誠と愛の気持ちだか、それで人に接して、物に接するとき、自分自身の心に感じる快さ、嬉しさというものは、もう形容できません。そうだろう。

「ああ、ありがとうございます」と言って喜ばれたときに「けっ、俺は損しちゃった」って思う人ある?ひとが喜んでる姿を見て腹が立つ奴があったら、そら鬼だよ。

キリスト教にもあるね。恵まれたときよりも、恵んだときのほうが喜びが大きいと、救われたときより、救ったときのほうが一段と嬉しい。

これはお医者さんなんかがしょっちゅう経験していることでしょう。「先生、おかげで治りました」って言われると、治った者の喜びよりも、治した自分の喜びが何とも言えませんわね。

とにかく人の世のため、嫌いでも誠と愛というものが出てくる思いやりの状態のまんまで生きてごらん。ただ道義上の理念だけでなく、それが人間の生きる当然の生き方だというふうに。


 

    なみだ  「ポチッとしてみようかな?」 

 

     写真:高瀬眼鏡橋の肥後菖蒲 「肥後六花・肥後椿・肥後芍薬」
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玉名市の菊池川に架かる高瀬大橋の西側に高瀬裏川がある。そこには江戸時代にできた石橋である高瀬眼鏡橋があり、その周辺が高瀬裏川水際緑地公園となっている。その公園には藤棚や肥後菖蒲(しょうぶ)が植えてあり川側を散策できるように歩道が設けてある。
肥後六花、今回は肥後椿と肥後芍薬を紹介しておきます。次回また、肥後朝顔、肥後菊を紹介します。


 


困難に出会ったときに=寝床で考えない=

2007年04月20日 | 中村天風語録

 寝た間は仏
       =どんな人間でも、寝ている間は苦労を忘れて仏の
        ように無心になれるということ= 

     ゆらゆら(ドナルド)「投票してあげてね(^_-)-☆」 

   ========☆☆☆☆☆========

       「寝床で考えない」

今夜から寝がけに、必ず、寝床の中に入ったら最後、昼間の出来事と心を関係づけさせない努力をするんだ。人間、生きている間、自分がいくら朗らかに生きていようとしたって、はたから来る波や風は、これはもう防ぐことができない。そこが人生だ。

けれども、いったん寝床へ入ったら最後、どんなつらいこと、悲しいこと、腹の立つことあったにせよ、明日の朝、起きてから考えることにするんだ。

寝ることと、考えることをいっしょにしたら、寝れなくなってしまいます。どんな頭のいい人でも、いちどきに二つのことを思いもできなければ、おこなうこともできない。たった一つのことしかできないはず。

寝るなら寝なさいよ。寝床に何しに行くんだ。考えに行くんじゃないでしょう。あそこは考えごとは無用なところだ。

一日中、昼の間に消耗したところのエネルギーを、一夜の睡眠、夢ゆたけく眠ったときに、また蘇る、盛り返る力をうけるところだ。

寝ている間、あなた方の命を守ってくれている大宇宙は、ただ守ってくれているばかりではなく、疲れた体に、蘇る力を与えてくれている。

昔からいうだろう。「寝る子は育つ。よく寝る病人は治る」その力をうけようとする前に、眉に皺をよせて恨んだり嫉んだり、泣いたりするなんて、罰当たりなことはしないようにするんだ、今夜から。
                                「中村天風」

    うふふ(ミニー) チョット・チョット・(?_?)

 

    写真:緒方弘之「素晴らしい自然」菊池渓谷(熊本県菊池市)
     
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 菊池川の源をなす菊池渓谷は、うっそうとした天然生広葉樹で覆われ、その間をぬって流れる淡水は、大小さまざまな瀬と渕と滝をつくり、その変化に富む渓流と,美しい森林とがおりなす姿は絶景です。
また、天然クーラーと称され、夏の平均水温は13度と低く、身を切るような清流は避暑地として最適であり、渓谷ぞいは、川のせせらぎと小鳥のさえずりで、楽しい夢をさそい、秋は渓流に映える紅葉がすばらしく、春は新緑、冬は全山に霧氷の花が咲くなど四季を通うじて訪れる人々の心をなごませてくれるところです。

 

 


「困難に出会ったときに」=苦しみも微笑みに=

2007年04月18日 | 中村天風語録

我が身を抓(つね)って人の痛さを知れ 
     =自分の身に当てはめてみて、他人の苦痛を思いやれと
      いうこと。また、自分が苦痛だと思うことは、他人にはする
      なという戒め=

   怒った!(クルエラ)    クリックしてね! 
 ==========☆☆☆☆☆==========

            「苦しみも微笑みに」

悲しいことやつらいことがあったとき、すぐ悲しんで、つらがってちゃいけないんだよ。そういうことがあったとき、すぐに心に思わしめねばならないことがあるんだ。

それは何だというと、すべて消極的な出来事は、我々の心の状態が積極的になると、もう人間に敵対する力がなくなってくるものだということなんだ

だから、どんな場合にも心を明朗に、一切の苦しみをも微笑みに変えていくようにしてごらん。そうすると、悲しいこと、つらいことのほうから逃げていくから。

人の運命というものは、油断すると、常に本能と手を組んで歩こうとしているものなんだ。そして、消極的な出来事は絶えず、不器用な人々の周囲を徘徊しているんだ。

だから、運命の力をほどよく制御したかったならば、自己の本能の分別ない行動を正しく制御しなきゃならない。

苦しいとか悩ましいとかいうのは、みんな本能の踊り子に自分の心がなっていたための結果だよ。
                           「中村天風」 

               メリークリスマス!(ダルメシアン) 宜しくね

            写真:熊本市・水前寺公園内
     
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東海道五十三次を模したみごとな庭園であり、国の名勝、史跡に指定されています。筑山、浮石、松の木が巧みに配され、池のほとりには京都から移築した茶屋「古今伝授の間」がある。「長寿の水」は石の水盤に流水されていますが、この水盤はもともとは朝鮮の京城城門の柱の礎石であったといい、「袈裟」の銘が残っています。細川忠興公が大いに愛され庭に置き日夕賞玩されていたという貴重なものです。

 

 


日々愉快に生きるために=悪人と善人=

2007年04月16日 | 中村天風語録

 
 明日のことは明日案じよ
      =明日の事は今日から心配せずに、明日になってから考え
       ればいい。先のことをくよくよ考えるより、今現実を充実さ
       せて生きる事が大切だということ=  

      ゆらゆら(ドナルド)  よろしくね(^_-)-☆ 

★========= ★★★★★============★

              「悪人と善人」

いつかある人が私に聞いた事がある

「先生のところには、どんなことがあっても、機嫌の悪いという人をみたことがないが、誰もどんなことがあっても、お怒りにならないのはどういうわけですか?」と言うから

「それはね、俺のところはみんなね、悪人ばかり多いからだよ」とこう言ったら、その人が目をまるくして「先生のところは悪人だらけですか?」「そうなんだよ」

まだ意味がわからないから、「どうゆうわけですか?」と聞くから、

「私のところじゃ、何か事が起こるだろう、そうすると、『あ、私が悪かった』とこう言う。誰でもいいから、私が悪かったってことを言って罪を背負ってしまうと、喧嘩にならない。人が一言でも、『あ、私が悪かった、そこにそれを置いたもんだから、壊れたのね』というふうに言っちまうこれ、喧嘩にならないよ。

ところが、あなた方の家庭だと、善人ばかりだからいけないね。何か事があると、『私はいいんだ、私は何も悪いことはしていないんだ。あの人が悪いんだ』とこうなると、そりゃ好きに喧嘩をやりだすものね」
                                 「中村天風」

       ダンス(ピノキオ)よろしくね(^_-)-☆ 

               写真:熊本県菊鹿町・棚田
   images   images    images   
熊本県一の彼岸花の名所、番所地区。秋の訪れとともに、頭を垂れた稲穂の脇に、真っ赤に染まった彼岸花が咲き並びます。 ここは、古い家並や石垣が残っており、日本の懐かしいふるさとの風景を見ることができます。また、第二回県農村景観コンクールで大賞に選ばれ、毎年多くの方が見に来られます。


強い心をもつために=絶対的な積極=

2007年04月13日 | 中村天風語録

 今日だけは、自分の精神を鍛えよう。
   何か有益な事を学びとろう。精神的な無精者にはなるまい。
   努力と思考と集中力を必要とする物を読もう。
                                                              D・カーネギー
                                             メリーゴーラウンド
 ==========★★★==============

                   「絶対的な積極」
そもそも多くの人は、積極という言葉の意味を、消極に
相対したものと考えています。

英語で言うとポジティブとネガティブ、プラスとマイナス
というふうに、消極に対しての積極というふうに思っている。

だから、時によると、積極精神というのは、何か強気な気持ちで
という意味にとられて、がむしゃらに強がったり、強情はって
頑張るということがそうだと思っている人が多くないですか?

こういうのは、もちろん積極精神の一部だと言えないことも
ないけれど、これはあくまでも消極に相対しているものです。
だから、「相対的な積極」なんであります。

私が教える積極精神というのは、消極というものに相対した
積極でなくして、「絶対的な積極」のことなんです。

心がその対象なり相手というものに、けっしてとらわれて
いない、心に雑念とか妄念とか、あるいは感情的ないろいろな
恐れとか、そういうものが一切ない状態。

けっして張り合おうとか、対抗しようとか、打ち負かそうとか、
負けまいといったような、そういう気持ちでない、
もう一段高いところにある気持ち、境地、
これが絶対的な積極なんです。
                          「中村天風]
 クックックッ(マッドハッター) 「ウフフ!頼みますぞ!」
                         新加入です。

      写真:緒方弘之「素晴らしい自然」阿蘇(南郷谷の春)
 阿蘇は九州で最も遅く春が訪れます。コブシの花が咲き終わる頃、南郷谷の植物達は一斉に芽を出し花をつけます。青い空に菜の花が揺れる陽炎のような光景に、しばし時間を忘れます。 れんげや菜の花が咲くと遠い昔の里山の風景が思い出され、花を摘んだり、弁当を広げた日が懐かしくなります。そんな雰囲気が南郷谷には残されています。
         images  images拡大します。阿蘇南郷谷


「強い心をもつために」=人間と感情=

2007年04月11日 | 中村天風語録

 今日だけは、三つの方法で魂を訓練しよう
   だれかに親切をほどこし、気づかれないようにしよう。修養
   のために少なくとも二つは自分のしたくないことをしよう。
                                                    (D・カーネギー)

                       エ~ン(ドナルド) 

            「人間と感情」
「人間だから怒るのは当たり前だ」っていう人がいます。
だけど、どういうわけで人間なら怒るのが当たり前なのでしょうか?

「怒ったり、泣いたり、怖れたりするのは、人間だからできるんだ。
犬や猫や豚や馬でもやるかもしれないけれども、人間ほど繊細で、
直感的な感情というものをもたないじゃないか」と言います。

そして、そういう人にかぎって、「人間は感情の動物なり」という
ような間違ったことを言っていて、間違ったことを言ってないと
思っているのです。

「感情の動物だから、怒ったり、泣いたり、怖れるのは当たり前
じゃないか」なんてね。屁理屈の出発点を間違えているから、
結論もやっぱり間違えて、正当なところへは到達できないのです。

じゃあ人間とはなんだろう?正しい理論のうえから厳粛に言えば、
「人間は感情の動物」ではなく「感情を統御できる生物なり」
これが本当の人間の姿なのであります。

しかるに、この本当の人間の姿だという真理のうえから、厳しく
あなた方の人生生活を考えてください。感情を統御するどころか、
しょっちゅう感情に追い回されていませんか?
                              「中村天風」
    
   クリックお願いね!                  ランチボックス 
    
           
            写真:熊本県立美術館
国の特別史跡である熊本城の二の丸公園の一角に位置する総合美術館。考古、絵画、版画、彫刻、工芸、書蹟など、古代から現代美術までを収蔵、展示。古代の造形美を日本の美術の原点としてとらえた装飾古墳室(そうしょくこふんしつ)が常時観覧できます。企画展、共催展などの展覧会の他に、教育普及活動として実技講座、子ども美術館、ミュージアムセミナーなどを行っています。
               images多少は大きくなります。

                           


「強い心をもつために」NO1

2007年04月09日 | 中村天風語録

今日だけは、愛想よくしよう。
   できる限り晴れやかな顔をし、穏やかな口調で話し、礼儀
   正しく振舞い、惜しげなく人をほめよう。他人の批判やアラ
   探しを慎み、他人を規則で縛ったり、戒めたりすることを
   やめよう。             (D・カーネギー)

                      チュッ(ミッキー&ミニー) 
           「強い心」
心を強くするには体を強くしないと駄目だ、という考えが
いまから五十年前にあったな。
こういう言葉があった「健全な肉体にあらずんば、健全な精神宿る
能わず」よくない言葉だよ!

もしも健全は肉体でなければ健全な精神が宿らないというならば、
体の丈夫な奴は、みな心が強いはずであります。ところが真理は
厳粛です。

その体てぇものは、心が強くなければ決して強くなれない。
心をおっぽり出しておいて、心はどんなに、神経過敏でも、
肉体だけどんどん強くなるてぇことは絶対にない。

「健全な肉体は健全な精神によって作られるものであって、
健全な肉体によって精神が作られるものではない」

もう一つ千歩ゆずって、体が強ければ心が強くなるとしましょう。
そんな心が頼りになりますか。

なぜかというと、体の強い間だけの強い心だもの。
体が弱くなってしまうと、心も弱くなってしまう。
そんな心ならあってもなくても同じじゃないか。

ふだん、常日頃、なんでのないときはなんでもなくてよいので
あります。体が丈夫で、どこもどうもないときは、
心が弱くても強くても関係ない。

病や運命の悪くなったときに、それに負けない、
打ち負かされない、
しいたげられない強さと尊さをもった心がほしいのです。
その心は体をあてにして作ったのでは作れません。
                            「中村天風」


  クリックお願いね             イースターおめでとう! 
                     

    写真:緒方弘之「素晴らしい自然」朝の草千里(阿蘇)
阿蘇草千里ヶ浜は鳥帽子岳中腹に広がる草原で、阿蘇の代表的な景観です。草千里ヶ浜には2つの池があります。この池は渇水の時は水がありませんが、梅雨時や雨が降った後などにはしばらく水が溜まり池となります。この池は冬には天然のアイススケート場となります。
                              imagesクリックすると多少は大きくなります。



「運命をひらくために」NO6

2007年04月08日 | 中村天風語録

理に勝って非に落ちる
     =道理の上では勝ちながら、事実の上では負けとなる。
      正論がいつも勝つとは限らないことを言う=

                          もしもし?(デイジー)      
            「チャンス」
古訓(こくん)にも「チャンス」を逃す者は愚人である。と、
いうのがある。
また「真によく成功する者は、常にチャンスを巧みに捉える人
である」
というのがある。

ところで、誰でも知っているはずのこの言葉通りに「チャンス」と
いうものを、いつも正確に逃がさずに捉えて人生に生きている人が、
どの位あるのであろう。

「しかも{チャンス}というものは、そうしばしばは、容易に恵まれ
ないものである」

要するに、運命であれ、健康であれ、それをより良い状態にするには、
とくに更生の「チャンス」を絶対に逃さないことである。

そして「チャンス」に対しての必要な注意は、常にそれを見逃さない
ようにすることと、もう一つは、チャンスに直面した際、無駄に迷い
ためらわないことである。

即ち颯爽(さっそう)たる決断力をもって、万難を排して、これを
キャッチすべしである。
これぞ、愚人の轍(てつ)を踏まない、最良の手段である。
                              「中村天風」

     クリックしてね!        イースターバニー  
         

    写真:旧制第五高等学校本館(現在は熊本大学)
明治20年に開校された旧制第五高等学校は九州で最初にできた高等学校であった。小泉八雲や夏目漱石が教鞭をとったこともあり、赤レンガの正門や本館が当時のまま残っている。現在は熊本大学キャンパスとなっている。

 


「運命をひらくために」NO5

2007年04月07日 | 中村天風語録

画竜点睛を欠く(がりょうてんせいをかく)
     =肝心の最後の仕上げが不十分で、全体が不完全
      また、引き立たないことのたとえ=        

            おっとっと(ティガー) 
              「つまらない考え方」
心の弱い卑怯な人になると、「何か自分には運命が向いていない」
だとか、「世間はまだ本当に認めてくれない」だとか、
もっとあきれた奴になると、「設備が整っていない」だとか
「誰々が手伝ってくれない」とか、何かうまくいかないときは、
みんな、自分以外のもののせいにする人がいますが、
とんでもない了見違いですよ。

もっとはっきり言えば、やれ運命がつまらないの、人生がつまら
ないのって人は、その考え方がつまらないんです。

いいですか、幸福も健康も成功も、ほかにあるんじゃないん
ですぜ。あなた自身のなかにあるんだぜ。

運が向こうから、皆さんのほうへお客のように来るんじゃないんで
すよ。すべての幸福や幸運は、自分が呼び寄せなければ来や
しないんです。

自分が呼び寄せるということは、自分の心が積極的にならない
限りは呼び寄せられないんです。

もっとやさしくいうと、幸福や幸運は、積極的な心持ちの人が好き
なんですよ。
                   トントン(ミッキー)             (中村天風)

          写真:熊本県葦北郡芦北町・うたせ船
うたせ船は、不知火海のシンボルです。このうたせ船を使ったうたせ網漁は、不知火海に古くから伝わる底引き網漁法で、今なお漁が行われています。現在では、観光船としても活躍していて、実際に底引き網漁法を体験したり、とれたての新鮮な魚介類を使った「うたせ料理」も味わうことができます。
                 

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「運命をひらくために」NO4

2007年04月05日 | 中村天風語録

 笑う門には福来る
       =どんな苦境に陥っても、楽しげな笑い声の絶えない
        家には幸せがやってくる。
        明るく暮らしていれば、いつかは幸せが訪れる
                 ということ=

                 カンガとルー 

        「笑いはこの上ない開運剤」
人間は万物の霊長として創造の大使命を行うがために、
この世に生まれたのでありますから、一面においては他の生物とは
比較にならないほどいろいろと恩恵を授けられています。
が、またその反面においては、その人生において大きな負担を
負わされています。

したがってその実際生活を営むとき、それはもう、はかり知れない
苦しみと悩みとがあるのです。

そして、「笑い」というものは、その苦しみや悩みに疲れる心や
体を「ほどよくこれをもって調和せよ」ということで、人間に
だけ与えられた特別なものに他ならないのです。

その証拠には、苦しみや悩みに襲われたようなとき、何かおかしな
ことがあって思わず笑えば、どれだけその苦しみや悩みが軽くなるか
わからないでしょう。

第一、いつもニコニコしている人に病弱の人いますか?
笑顔で悲観している人や、その精神を消極的にしている人いますか?

事実において、ニコニコ笑顔の人のそばにいるのと、難しい
しかめっつらしている人のそばにいるのと、あなた方はどちらが
気持ちいい?
笑顔の人のそばにいると、何となくチャームされ、
多少の悩みや悲しみがあっても忘れてしまうでしょう。

笑いは無上の強壮剤であり、また開運剤なんです。
                                (中村天風)

                    クリスマス靴下(ピグレット) 

         写真;花岡山から熊本の夜景
JR熊本駅の北側にある花岡山。山と言っても標高45mなので丘程度である。ここが熊本市では一番夜景が美しいと言われている場所である。山頂には白い仏舎利塔があり市内のどこからも良く見える山である。
山頂には日本山妙法寺があります。また、加藤清正が熊本城を築くとき十万個以上の石を必要とした。その多くはこの山から採ったとのことである。

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               スマイリーだよ 

 


「運命をひらくために」NO3

2007年04月03日 | 中村天風語録

怨みに報ずるに徳を以ってす
      =たとえ恨みをもっている相手であっても、報復する
                 ようなことはせず、広い気持ち恩恵を施せということ=
                                   (孔子)

                 花束 
                                    
         「宇宙の因果律」
考えてみよう。怒ったり、悲しんだり、悶えたり、迷ったり、
苦しんだりしているときに、気持ちがいいか。

静かに、我が心に「心に憎しみはないか、怒りは、悲しみは、
嫉みは、悶えは・・・・」と問うてみよう。

宇宙には因果律という法則が厳として存在している。
だから、そういう心持ちでいる人は、いつまでも経っても本当の
安心立命は出来はしない。

美しくしておくべきの心の花園に、自分から汚物を振り撒いて歩いて
いるようなことをして、それを、「天命だ。あるいは逃げることの
できない、せっぱつまった業だ」などと考えている人があるなら、
結局その人は人生を、寸法違いの物指しで測っているのと同じような
結果を、作っているようなことになる。

だから、良い運命の主人公として生きたかったら、何を措いてもまず、
心を積極的にすることに注意深くし、終始自分の心の監督をしていか
なければならない。

宿命を統制するにはもう一つの必要なことがある。
それは、常に、心の中に感謝と歓喜との感情を、もたせるよう
心がけることである。

何でもいいから、感謝と喜びで人生を考えるように
習慣づけよう。
                        
(中村天風)

                デート     

        写真:藤崎八旛宮(熊本市)
熊本県熊本市にある神社である。旧社格国幣小社。熊本の総鎮守として信仰を集める。応神天皇を主祭神とし、神功皇后住吉三神を相殿に祀る。社名は「幡」ではなく「旛」と書く。これは天文11年(1548年)の後奈良天皇宸筆の勅額に基づくものである

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運命をひらくためにNO2

2007年04月01日 | 中村天風語録

天を怨みず人を尤めず(てんをうらみずひとをとがめず)
         =世間で認められなくても、天をうらんだり
          人をとがめることはしない。
          ひたすら我が身を修めよということ=

              蒸気船ウィリー 


           「運命と宿命」
運命にはどうしても逃れられないものと、それから逃れ
られるものとあるんです。
つまり、身をかわしきれないものとかわし得るものとある。

かわしきれない運命は「天命」という。絶対的なもので、
これは人力ではどうにもしようがないもの。
女が女に生まれ、男が男に生まれたのも天命。
この現代に生まれたのも天命なら、昔に生まれたのも天命。
また末の世に生まれるのも天命だ。
これはどうともすることはできない。

しかし、絶対に逃れることのできない天命的なものばかりが人生に
襲いかかるんじゃない。
多くの人が苦しみ悩む、いわゆる運命は「宿命」なんだ。

宿命というものは、人間の力で打ち砕いていくことができるもの、
絶対的ではない、相対的のものなんだ。

ところが、今の人は、打ち砕くことのできる宿命にぶつかったときでも、
それを天命と言う。
自分の努力が足らないことは棚に上げて、どうにも仕様がないと言う。

そういう人間が人生に生きるとき、ただ偶然ということのみを頼りにして、その結果、自分じゃ気がつかないが、いつが自分の心が
迷信的になって、すぐ神や仏にすがりつこうとするのです。
                               「中村天風」

                 フラダンス 

         写真:大慈禅寺(熊本市野田)
熊本市の南部、隣町である冨合町との境近くの野田地区にある曹洞宗の名刹大慈禅寺。この寺は古くから九州の曹洞宗の本山として名をはせてきた寺である。創建は弘安元年(1278)曹洞宗の開祖である道元禅師の高弟寒厳(かんがん)禅師(順徳天皇の第3皇太子)よって開山された。

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「運命をひらくために」NO1

2007年03月31日 | 中村天風語録

 井に座して天を見る
       =井戸の中から上を見上げても、ごく僅かの範囲
        しか目に入らない。見識の狭いたとえ=
            (井の中の蛙大海を知らず)

                                    もういっかい!(ピグレット) 
        「運命をひらくために」
人としてこの世に生まれ、人間として人生をいきるために、
第一に知らねばならないことは、人間の「いのち」に生まれなが
与えられた、生きる力に対する法則である。

自分の命の中に与えられた、力の法則というものを、正しく理解して
人生を生きる人は、限りない強さと、歓喜と、沈着と、平和とを、
作ろうと思わなくても出来上がるようになっている。

一番先に我々はそれを知らなければならない。

ただ、はっきりと気が付かなくても、我々の多くは、こうしたことを
求めていたに違いないのである。
求めても、どうしても自分の心にキャッチすることができなかったのは、
我々のいままでに受けた教育教養が、科学的な方面のみに
片寄ったものであるからである。

1+1=2という、この算数的なやり方で教育された結果として、
論理思索を進めていこうとする計画に、いつも失敗してるのである。

我々の心が、あることを考え始めたときに、どこまでが考えている
心で
、どこまでが考えられている心かという区別がつかない。
一言でいえば、哲学的思索に慣れていない。

そのために自分の生まれながらに与えられた生命の力に対する
法則は、本能的に知っているはずの事柄であるにもかかわらず、
それをわからずにいるのである。
                              「中村天風」

                                   ゴーゴー!(ピグレット&プー) 

        写真:旧細川刑部邸の唐破風の玄関(熊本市)
細川刑部家は細川家三代忠利公の弟、細川刑部が興したものである。旧細川刑部邸は300坪あり、唐破風の玄関や客間、入側造りの表御書院、二階建の「春松閣」とつづく、一階は銀之間と呼ばれています。別棟は書斎の付いた茶室、御宝蔵、台所などがあり、当時の上級武家屋敷としての格式を持った家である。

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