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天を怨みず人を尤めず(てんをうらみずひとをとがめず)
=世間で認められなくても、天をうらんだり
人をとがめることはしない。
ひたすら我が身を修めよということ=
「運命と宿命」
運命にはどうしても逃れられないものと、それから逃れ
られるものとあるんです。
つまり、身をかわしきれないものとかわし得るものとある。
かわしきれない運命は「天命」という。絶対的なもので、
これは人力ではどうにもしようがないもの。
女が女に生まれ、男が男に生まれたのも天命。
この現代に生まれたのも天命なら、昔に生まれたのも天命。
また末の世に生まれるのも天命だ。
これはどうともすることはできない。
しかし、絶対に逃れることのできない天命的なものばかりが人生に
襲いかかるんじゃない。
多くの人が苦しみ悩む、いわゆる運命は「宿命」なんだ。
宿命というものは、人間の力で打ち砕いていくことができるもの、
絶対的ではない、相対的のものなんだ。
ところが、今の人は、打ち砕くことのできる宿命にぶつかったときでも、
それを天命と言う。
自分の努力が足らないことは棚に上げて、どうにも仕様がないと言う。
そういう人間が人生に生きるとき、ただ偶然ということのみを頼りにして、その結果、自分じゃ気がつかないが、いつが自分の心が
迷信的になって、すぐ神や仏にすがりつこうとするのです。
「中村天風」
写真:大慈禅寺(熊本市野田)
熊本市の南部、隣町である冨合町との境近くの野田地区にある曹洞宗の名刹大慈禅寺。この寺は古くから九州の曹洞宗の本山として名をはせてきた寺である。創建は弘安元年(1278)曹洞宗の開祖である道元禅師の高弟寒厳(かんがん)禅師(順徳天皇の第3皇太子)よって開山された。
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