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奉(とも)の独り言

「オギャー」と泣きながら生まれてきました。
だから、死ぬ時は、笑って死ねるように生きたい!

家庭

2007年07月05日 | 中村天風語録

                    八景水谷公園

 隠れたるより見るるはなし
      =秘密にしていることの方が、かえって世間に知れやすい
       ということ。また、心の中で思っていることは、どんなに
               隠しても顔色に現れることを言う=

 

   うふふ(ミニー) 日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

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                  「家庭」

人生は笑いで過ごすことである。一家揃って・・・・特に主人をはじめ家族の外出や帰宅の際は、一層ニコニコすることが肝要である。多少の不満や不平はさらりと捨てて・・・・・・・況や無始無終の宇宙生命に比すれば、人の命は決して長いものでない。

従ってどんなに愛し合っても、また健康であっても、百年と一処に生活できるものでないということに想到したら、終始一貫笑顔で睦まじく暮らすのが、最も正しい人生生活だと気がつくであろう。況や、怒ったり、争ったりするために、家庭を持つのではないはずであるから・・・・・・

 

 

家族だから、夫婦だから、親子だから喧嘩出来ることもあるよね。憎くて怒ったりしてるんじゃないからね。愛情があるから怒る、愛情がないと怒りもしない・・・・・確かに一緒に生活出来る時間は長くて70年位かな・・・それが長いか短いか分からないけど・・・そう考える私はマダマダ未熟者(ーー;)トホホ、でも、心に刻んで笑顔でいるように今まで以上の努力をしよう。でも・・・笑顔だよね!怒る事少ないと思うけどなぁ。ねぇ~「母ちゃん」!でも、今まで以上に笑顔でいるね!

   <家族の外出・帰宅の際は一層ニコニコと・・・>今日の一言

 

   花摘み(ミニー)   日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

            写真:八景水谷公園(そのⅡ)
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 八景水谷公園    水の科学館      ハイビスカス     ランタナ

今日も八景水谷公園です。昨日写真を沢山撮りましたから・・(^_^.)ゴメンネ!それじゃ悪いからと・・・ハイビスカスとランタナをアップしました。ここにきて、各地で大雨が降っているようです、土砂災害等注意してくださいね!


やればできる

2007年07月04日 | 中村天風語録

                   八景水谷公園

精神一到何事か成らざらん
      =精神を集中して事にあたれば、どんな事でも成し遂げ
        られないものはないということ。=

 

   笹       日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

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               「やればできる」

やらなければだめだよ、何だって、やればできるんだから。俺は不器用だとか、俺は物覚えが悪いだとか、それがいけないんだよ。

たとえ不器用だろうと物覚えが悪かろうと、十遍やって覚えなかったら百遍やってみろ。百遍やって覚えなかったら千遍やれ、そしたら覚えるから。

どんなことでも、できないことほどできると尊いことなんだから一生懸命やれよ。そうすると、だんだんだんだん自分の生活自体が、自分の理想や希望に近い状態になってくる。

 

人間って意外と何でも出来ちゃうんだよね。辛抱強くそれに打ち込むと、今まで出来なかった事が出来るようになった喜び、自信にもなるし。ただ、面倒くさいだとか、最初からやりもしないで諦める。パソコンでも我々の年代になると、面倒くさいだとか、この年になってとか・・・でも、出来るようになると面白いし、又別の世界が広がる事も確かだよね。

     <人間やればできる、何だって>今日の一言

 

 浴衣  浴衣    日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

           写真:熊本市八景水谷公園
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八景水谷・・この地名何と読むかお分かりになりますか?「はけのみや」と読みます。我が家の近くです。熊本県民の誇りでもあります、加藤清正像・熊本市上水道発祥地の石碑があります。水が綺麗です。蛍もいますよ。敷地には水の科学館もあり、広い芝生では、子供がサーカーをしたり、野球をしたり、市民の憩いの場でもあります。


ニッコリ笑う

2007年07月03日 | 中村天風語録

                        熊本城 

 笑う門には福来る   
       =どんな苦境に陥っていても、楽しげな笑い声の絶えな
        い家には幸せがやってくる。明るく暮らしていれば、
        いつかは幸せが訪れるということ= 

 

    ごきげん  日記@BlogRanking「宜しくお願いします」

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               「ニッコリ笑う」

朝起きると、まず、第一に、ニッコリと笑う。もう、くせがついているから、眼が覚めるとニッコリと笑う。わざわざニッコリと笑わなくても、ひとりでに笑う。

そして、「今日一日、この笑顔を壊すまいぞ!」と自分自身に約束する。

   ふたたびは  来らんものを  今日の日は

     ただほがらかに  活きてぞたのし

 

いつも、ほがらかでいたいと思うけど、難しいね。厭な事があると直ぐ顔に出る。でも、そんな時にニコニコとほがらかな人と接すると気持ちが和むね。「人間は感情の動物」ではなく、「感情を統御できる生物なり」なんだから・・・いつも朗らかでいたいと思う。

     <今日一日この笑顔を壊すまいぞ>今日の一言

 

     ゆらゆら(ドナルド)    日記@BlogRanking「宜しくお願いします」

 

         写真:熊本城内・加藤神社・美術館
 
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 監物台樹木園    加藤神社      県立美術館       ガーベラ

熊本城内には監物台樹木園、加藤神社、県立美術館、等があります。今、熊本城築400年祭で催しが来年の3月まであります。最近は韓国からの観光客が多いようです。熊本、韓国間は飛行機の定期便があるからでしょう。

 


言霊

2007年07月02日 | 中村天風語録

                       細川刑部邸

 天に唾す
     =天を仰いで唾を吐いても、その唾は自分に返ってくるだけ
      である。人を陥れようとして、かえって自分が害を被る事
      をいう。

 

    ダンス   日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

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                「言霊」

言葉は言ってしまった時に、その音響はなくなっちゃっているようだが、波動は残っている。その波動が残っているということを考えてみたならば、かりそめにも我が口から人の幸福を呪ったり、人の喜びを損なうような言葉を冗談にも言うべきではないということがわかりはしないかい。

とにかく、お互いの気持ちに勇気をつける言葉、喜びを分かち合う言葉、聞いていて何となくうれしい言葉をお互いに言い合おうじゃないか。

言葉はねえ、言霊というのが本当なのよ。言葉は魂から出てくる叫びなんだから。

 

言葉って本当に大切だけど、難しいよね。皆さんも一つは経験があると思うけど、相手は冗談のつもりでいった言葉なんだろうけど、その言葉で傷ついた経験ってあるでしょう。逆に、自分の言葉で相手を傷つける事だってある訳だし、だからこそ、言葉には気を付けたいよね。

    <お互いが嬉しくなるような言葉を使おう>今日の一言

 

    春の友だち   日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

               写真:旧細川刑部邸
 
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        旧細川刑部邸                  ジュエリーダイア

細川(長岡)刑部家は細川家三代(肥後藩初代)忠利公の弟、刑部少輔興孝が正保三年(1646年)に2万5千石で興した。興孝は熊本市東子飼に御茶屋を造り、後に下屋敷とした。明治維新後は時の当主興増はここを本邸とした。旧細川刑部邸は平成5年に東子飼から現在地へ移築復元したもので、建坪は約300坪有り、全国有数の上級武家屋敷としての格式を備え、熊本県重要文化財に指定されている。

 


平素に生きる心がけ

2007年07月01日 | 中村天風語録

                      阿蘇とゆうすげ

 疾風に勁草を知る(しっぷうにけいそうをしる)
      =速く激しい風が吹くと、初めて強い草が見分けられる。
        苦境に立ったとき、初めてその人の節操の堅さや、
        意志の強さが分かるということ=

 

    読書(ドナルド&デイジー)   日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

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            「平素に生きる心がけ」

平素の人生に生きる際の心がけとして、でき得る限り務めて、気分を明るく朗らかに、生き生きとして何事にも応接することを忘れないようにすることです。

ところが、自分の気持ちのいいときだけは気持ちよく応接できるけれども、少しでも心のなかに暗いものがあると、もうすぐその応接のうえにも非常な相違がでてくるというのが、世の中の多くの人のありさまでしょう。

結局、努力ですよ。常に明るく朗らかに、生き生きとして何事にも応接するという気持ちをつくることは。

 

本当に明るく朗らかな人の応対は気持ちが良い、なによりも気分が爽快になる。逆に、暗い人の応対をうけると、気分を害する。今まで楽しかった自分の心までも暗くなってしまう。自分では気が付かないけれどもしかしたら、そのような応対をしていたのではないだろうか・・・・・

    <明るく朗らかに生き生きとして応接する。>今日の一言

 

    チュッ!(ミッキー&ミニー)   日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

                 写真:阿蘇
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阿蘇の大自然に触れると勇気をもらう。悩みが吹き飛んでしまう。小さなことで悩んでる自分が恥ずかしくなる。よ~し頑張るぞ!

 


言葉を選択しよう

2007年06月30日 | 中村天風語録

                     菊池渓谷

 言葉は身の文
     =
話す言葉を聞けば、その人がどんな人物かわかる。
       言葉は、話す人の人格や品位を表すということ=

 

     クックックッ(マッドハッター) 日記@BlogRanking「宜しくお願い致します」 

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             「言葉を選択しよう」

人間が人生に生きる場合に使う言葉を、選択しなきゃだめですよ。一言、一言に注意してもいいくらい、いくら注意しても、あなた方はヒョイと気づかずに消極的なことを言ってますぜ。

とにかく、習いは性からでありますから、人と口をきくときでも、「まいった」「へこたれた」「助けてくれ」「困っちゃった」なんてことは言わないこと。

あくまでも自分の心をいうものを颯爽(さっそう)、溌剌(はつらつ)たる状態にしておくためには、今言ったような消極的な否定的な言葉はだんぜん用いないこと。

 

「あぁ、暑い」だとか「疲れた」だとか言ったところで、「涼しくなる訳ではない」し「疲れが取れる訳ではない」がつい口から出てしまう。愚痴を言っても仕方ない事はよく理解してけど・・・

他人が愚痴を言うのを聞くとウットシイと思うけど、自分が言う場合はそれが分からないんだよね。

確かに疲れている時でも「よし、もうひと頑張り!」と言った方が元気が出る。心を積極的に、前向きに考えて行動した方が良い結果が生まれるよね。

  <消極的な言葉、否定的な言葉に注意>今日の一言

 

    おじぎ(アリス)  日記@BlogRanking「宜しくお願い致します」 

 

               写真:菊池渓谷(緒方弘之)
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写真は以前アップしました菊池渓谷と肥後朝顔です。今年の夏、何回菊池渓谷に行くか、菊池渓谷の登山道を3年前までよく歩きました。鳥のさえずりを聞きながら、気持ちい汗を流した後、渓谷で食べる弁当が格別です。

 


人のふり見て

2007年06月28日 | 中村天風語録

                       阿蘇・一宮町中通古墳群

 忠言耳に逆らう
       
役に立つ忠告の言葉は、自分の欠点を指摘している
         ので耳に痛く、素直に聞き入れにくいということ=

  シャボン玉(プー&ピグレット)   日記@BlogRanking「宜しくお願い致します」 

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               「人のふり見て」
                       中村天風「ほんとうの心の力」

ことわざに「人のふり見てわがふりなおせ」というのがある。他人の言葉や、行為をやたらに批判する人というものは、人のふりにわがふりを正しく照合して、わがふりを是正しようとはしないで、ただあしざまにそれを批判するだけである。したがってその批判からは少しの価値はあるものも、わが心には感得しない。

せんじつめると、みだりに他人を批判することを本位として、少しも自己省察を行わないがために、人生に何よりも大切な自己自身の統御ということに、少しの進歩も向上も顕現しないのである。

要は他人のアラや欠点を詮索することを止めて、自分のアラや欠点のほうも詮索することである。禅家の訓えにも、「ときどき払拭して塵埃を止まらしむなかれ」というのがある。

他人のことはすぐわかるが、自分のことはなかなかそう容易にはわかりがたいものだなどというのは、それは凡人の言いぐさである。真に自己省察なるものが、人生向上へのもっとも高貴なことであると自覚している者は、この言葉を断然排斥して、他人のことに干渉する批判という無用を行わずに、常に自己を自己自身厳格に批判して、ひたむきに自己の是正に努力することを、自己の人生に対する責務の一つだと思量すべしであるとあえていう。

  
      もしもし?(デイジー)   日記@BlogRanking 「宜しくお願い致します」

               写真;熊本城・菊池渓谷・阿蘇白糸の滝
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  熊本城         菊池渓谷      白糸の滝   サマスター

熊本は今日も暑い一日でした。夏は菊池渓谷か阿蘇に行きたくなる。菊池渓谷・白糸の滝の写真は緒方弘之さんの写真集「素晴らしい自然」からです。熊本の名物で「いきなりだんご」というものがある。さつまいもの上にあんこをのせて蒸かしたもので、これがなかなか美味しい。

 

 


笑ってごらん

2007年06月24日 | 中村天風語録

                      熊本城

 垂涎の的(すいぜんのまと)
       =欲しくて欲しくて思わず涎(よだれ)を垂らしていまう
        ほども食物。また、みんながんで欲しがるもののこと
        「垂涎」を「すいえん」と読むのは間違いです。

 

      遅刻だ!(ホワイトラビット) 日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

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               「笑ってごらん」
                        中村天風「ほんとうの心の力」

悲しいな、と思って泣くでしょう。よけいに悲しくなる。これがダブルページだ。腹が立った。こん畜生、と思って、やい、なんで言うと、よけいに腹が立つ。

反対に、今度は僅かな喜びを、非常に大げさに喜ぶと、僅かな喜びは、非常な嬉しさになる。

わからなかったら、うちに帰って鏡を見て笑ってごらん。おかしくも何ともなくてもいいから、誰もいないところで、人がいたら変な人だと思われるから。

鏡に映して、へへへへ、ウフフフ、と笑ってごらん。どんなお多福でも、笑い顔は憎いものじゃありません。

うちへ帰ってやってごらん。ウフフフ、エヘへへと、人知れずやってごらん。何となくおかしくなる。おかしいな、という気分を出しただけでも、人間、心の中には愉快な爽やかさが出て来る。

 

       よくできました(ハートの王様) 日記@BlogRanking 「宜しくお願いします」

             写真:熊本市大甲橋から
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熊本市内を白川が流れているので、熊本は橋が多い。長六橋、白川橋、泰平橋、明午橋、大甲橋、等。写真はその大甲橋から写した熊本の景色です。熊本の繁華街から徒歩5分ぐらいです。

 


神経過敏

2007年06月17日 | 中村天風語録

                       熊本県立劇場

 老いてはますます壮(さかん)なるべし
    
   =年を取ったからといって、気力を衰えさせてはなら
                    ない体力はともかく、意気だけは若者をしのぐ勢い
                    をもてということ=


    サプライズ  日記@BlogRanking「宜しくお願い致します」 

 

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                「神経過敏」
                        中村天風「ほんとうの心の力」

神経が過敏になったら、それはもう、「風声鶴唳逡巡忸怩」という状態になってしまうんです。

鶴の鳴き声にもびっくりして飛び上がり、そよ風にもフウーッとなってしまうのが「風声鶴唳」(ふうせいかくれい)。前へ出ようか、後ろに行こうか、立っていようか、座っていようか分からなくなってしまうのが「逡巡忸怩」(しゅんじゅんじくじ)

神経が過敏だと、正当な幸福に恵まれても、恵まれたと思いません。月を見ても、花を見ても、人生生活を楽しもうという気持ちが心のなかからでてこない。

見るもの聞くもの、みんな癪の種、心配の種になってしまう。ですから、日々が少しも安らかな、いわゆる安心立命の境涯で生きられないことになってしまうんです。

感情や感覚がしょっちゅう誇大に心のなかで暴れ回る。後から考えてみると、大して腹の立つことじゃなかったことや、別に泣くことでもなかったことでも、そのときには、五か十ぐらいの些細なことが、百、二百と感じてしまうのです。

忍べば忍べることも、忍べないんですよ。これが腹立てずにいられるかとか、人ごとならとにかく、己のことを心配しなかったら馬鹿だ、と思ってしまうんですよ。

しかし、自分でいろんな屁理屈をつけて自己弁解したって、それは駄目ですよ。

  

     父の日おめでとう!   日記@BlogRanking「宜しくお願い致します」 

          写真:熊本市大江・熊本県立劇場
  
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  県立劇場正面    劇場前の歩道  劇場の食堂から 正面玄関

昨日熊本県立劇場に出掛けました。何を勘違いしたのか、ボーットしてまして、私のブログを応援・励まして頂いているしゅんさんの書の展示会が県立美術館であるとコメントがありましたので出掛けましたが・・・「あれ・・此処は何処」って感じです。出掛ける前から頭の中で県立劇場だとばかり・・・子供の頃から先生に「落ち着きがない」って言われていました。

 


生存しているからこその生活

2007年06月16日 | 中村天風語録

                         阿蘇ファームランド

 理屈と膏薬はどこへでもつく
         =理屈は膏薬と同じで、つけようと思えば、もっとも
          らしい理屈はどうにでもつけられるということ=

 

    父の日   日記@BlogRanking 「宜しくお願い致します」 

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        「生存しているからこその生活」
                         中村天風「ほんとうの心の力」

あなた方は、生きていることは、死んでいない以上はよくご承知になってます。どんなとぼけた奴でも、「いやあ、俺はひょいとすると死んでやしねえか」と思うなんて人はいない。

しかし、生きているという現実の中に、「生存」と「生活」の二つの部面があることに気がついてますか。

人間が人間らしく生きるのには何をおいてもまず第一に我々は「生命の生存」を確保する「生き方」を考えなければならないのです。その次に、「生命の生活」という「活かし方」を考える。

ところが、多くの人たちは生命生存という大事なことをあまり留意しない傾向があるんです。生活に対する方法ばかり、どうすれば健全に生きれるだろう、食い物かしらん、薬かしらん、あるいは空気のいいところかしらん。

つまり肉体本位に生活することばっかりを、健康獲得への唯一の手段だと考えて、まあ何年も無駄な努力を繰り返したことでしょう。で、肝心要の生存の方面に対しては、生存しているから何も研究する必要はないと思っている。

しかし、ここはひとつ考えてみてください。命があるから、言い換えれば、生命が生存しているからこそこの生活ができるんでしょう。

 

   愛をこめて(ミニー)  日記@BlogRanking 「宜しくお願い致します」 

                写真:阿蘇ファームランド
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阿蘇ファーランド、お伽の国に行ったような丸い一戸建ての家、阿蘇を一望しながらの広々とした露天風呂、地ビール、動物との触合い、自然との遊び、色んなイベント、大人も子供も満足できると思います。

 

 


健康に生きるために

2007年06月15日 | 中村天風語録

                  日本一の石段・3333段

 山に躓かずして挃に躓く(やまにつまずかずしててつにつまずく)
        
 =大きな山に躓かずに小さな蟻塚に躓いてしまう。
         大きな事は用心するから案外失敗しないが、小さな
         事は無造作にやって失敗しがちだということ=

 

    キャンディーケーン(ドナルド) 日記@BlogRanking「宜しくお願い致します」 

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                「心の態度で」
                         中村天風「ほのとうの心の力」

古い諺に、「陽気の発する処金石また透る」というのがありますね。この言葉こそ人々に、「まずその心を、どんな場合にも消極的にしてはいけない。あくまでも積極いっぺんとうで人生に邁進せよ。そうすれば、そこに成功があり、成就があり、健康があり、長寿があるぞ」と示唆している尊い言葉であります。

だいいち論より証拠です。病のとき心がもしも病に負ければ、治る病も治りません。反対に、医者がさじを投げ、だんぜん治らないと決められたような病でも、心が病に打ち克っているような、積極精神の状態であると、その病が治らないまでも、医者がびっくりするほど長生きをするというような場合が、実際にしばしばあるものです。

それからまた、運命に虐げられたときでも、やはり同じ結果がそこにくる。心がそれに打ち克てば、その人はその運命を乗り越えることができますけれども、心が万が一それに負けてしまえば、その人は哀れ憫然、再びその運命から立ち上がることができない。

何のことはない、自分で落っこちたらいいような大きな穴を掘って、自分で落っこちているのと同じ結果をつくっちまう。

考えてみてください。心の態度でそうした大きな結果を、よいほうにも悪いほうにもつくるということを。

 

    すってんころりん(グーフィー) 日記@BlogRanking 「宜しくお願い致します」

 

         写真:熊本県美里町・日本一の石段
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熊本県中央町(現在・美里町)にある、日本一長い石段、3,333段です。100段毎に目印があります。若い頃なら挑戦しようとも思いますが、この年だと筋肉痛で4・5日寝込みそうですので・・(^_^.)止めておきます。
この石段は、1200年の歴史を秘めた由緒ある釈迦院の表参道である御坂に日本一の石段を建設し本邦屈指の観光施設とすることはもちろん、世紀の文化遺産として後世に残すと共に町の活性化を図る為の新しい観光の目玉づくり、町おこしのシンボルを担ったものであります。

 


幸福な人生をおくるために

2007年06月14日 | 中村天風語録

                        熊本県庁

 義を見てせざるは勇なきなり
         =人の道として当然行わなければならないと思い
          ながら、それを実行しないのは、その人に勇気
          がないからである=

 

   フラダンス(ティモン) 日記@BlogRanking「宜しくお願い致します」 

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          「いのちの力の使い方」
                        中村天風「ほんとうの心の力」

いのちの力の使いから・・・・・・結論からいうと、これは極めて短い言葉で表現することができる。すなわち、「力を入れることに重点をおかずに、力を働かすことに重点をおく」・・・・・これである。

ところが、世の中を見てみると、その日々の生活を行う際、この力の使い方を考えないため、かなりに力の無駄使いをしている傾向がある。

何事に対しても、力の無駄使いくらい無意義なものはない。いたずらに疲労のみ過大する以外、何ものも「実」にならないからである。俗に骨折り損のくたびれ儲けとはこのことである。

剣の極意は「変機に処する以外には、いたずらに力を入れぬこと」であり、これが臨機応変の要訣である。人生生活を完成するいのちの力の使い方もまたこれ以外にない。日々の暮らしにも、ただ力の入れ通しでは、いたずらにいのちの消耗を大きくするだけである。

よりもっと気楽な、堅苦しくない、言い換えれば、円転滑脱、のびのびした気分で、力をスムーズに働かすといった生き方でないと、多端な人生を生きていく力が、長く保てないことになる。

ましてや、今日のような複雑な感覚のある時代に生きていくのは、一層に「いのちの力の使い方」ということは、もっとも大切なことである。

  

   大爆笑(ティモン) 日記@BlogRanking「宜しくお願い致します」 

                写真:熊本県庁
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熊本県は九州地方のほぼ中央に位置し、飛行機で東京から1時間35分(1,072km) ソウルから1時間25分(631km)のところにあります。面積は約7,404平方キロメートルで、全国第15位です。これは香港の約7倍、北アイルランド(イギリス)の約半分の広さです。県土の約7割が森林で占められています。北部は比較的緩やかな山地、東から南にかけては標高1,000m級の山々に囲まれており、その随所に深い谷があり、見事な渓谷美を見せています。西部は有明海、八代海に面し、外洋の東シナ海に続いています。世界に誇るカルデラを持つ雄大な阿蘇を含む「阿蘇くじゅう国立公園」、大小120 の島々からなる「雲仙天草国立公園」と2つの国立公園を持ち、山あり海ありの、美しい景観に富んだ地形になっています。花はランタナです。misaさんに教えて頂きました。ありがとう御座いました。

 


理性はあてにできない

2007年05月24日 | 中村天風語録

                     熊本城

 居は気を移す
        =居場所は人の気持ちを変化させる。地位や環境に
                    によって、人の考えや人柄が変わるということ=

 

    ピクニック 「宜しくお願いします」 

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        「理性はあてにできない」
                       中村天風「ほんとうの心の力」

理性という心は、人間だけに与えられたもので、ものの善悪、是非、邪正、曲直というものを分別してくれる心です。

世の多くの人々は、理性だけを標準として、ああでもねえ、こうでもねえと考えて、心のもつれの一切を解決しようとする。また、そういう力を理性がもっているがために、人生の一切はこの理性に任せて生きることが、また生きてこそ一番安全だというふうに思い違いをしてるんです。

理性というのは、一日一分といえども、同じ状態でいないんです。つまり、昨日の理性と今日の理性は違うんですよ。よくあるだろう?
おととい考えたことを、今日考えてみたら、ああ、あれよりはこのほうがいいな、というふうに考え直すことありゃしない?

それは結局、理性というものは向上し、発達し、変化するからなんです。だから、今日、自己の理性で判断して、是なりと思ったことも、明日になって、さらに理性の発達にともなって、あるいはそれが全然反対に非となる場合だって往々にしてあるんです。

だから、変転変化極まりなき発達性をもっている理性のみ標準にして生きようとする計画は、狂っているコンパスをあてにして航海をするよりまだ危険なんです。

 

      ウキウキ(プー&ピグレット) 「宜しくお願い致します」 

                 写真:熊本城
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日本三名城の一つに数えられる熊本城は、天正16年(1588)、肥後半国の領主として熊本に本拠を置いた加藤清正によって築かれました。築城は慶長6年(1601)に始まり、同12年(1607)に完成したといわれています。
城郭は周囲9Km(築城当時)、広さ約98万平方メートルで、その中に天守3、櫓49、櫓門18、城門29を持つ豪壮雄大な構えです。なかでも「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は有名です。また自然の地形を巧みに利用した独特の築城技術がみられます。この城は以後、加藤家2代(44年)、細川家11代(239年)の居城となりました。


本当に大切なもの

2007年05月17日 | 中村天風語録

                    芦北町:野坂の浦

 命あっての物種
      =何事も命あってのことで、命がすべての根源となる。
       死んでしまっては何の意味のないから、生命にかかわる
       ような危険なことはするなという意味=

 

    ガーデニング 「水を与えてください」

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           「本当に大切なもの」
                 
中村天風「ほんとうの心の力」

ここに面白い話があります。古代神話です。

昔、悪魔がある町に現れて、「今日から、お前たちのものをすべて俺は奪い取ることにする。しかし悪魔にも情けはある。明日までに残しておいてほしいものを一つだけ書き出せ。それ以外のものは一切、俺が奪い去るからな」と言い残して、悪魔はひとまず立ち去った。

さあ、町の人はてんやわんやの大騒ぎ。「俺はお金だ」「俺は食い物」「私は家」「いや、私は名誉だ」「私は宝石よ」と、それぞれいろいろなものを書き出した。

あなた方だったらどうする?悪魔はたった一つだけしか見逃してくれないんだぜ。

さてさて、一夜明けてみると、その町にはなんと、たった一人の人間だけしかいなくなっていたとさ。

もう、わかったね。金だ、屋敷だ、やれ宝石だ、やれ何だと書き出した人々は、もっとも肝心な「命」を忘れていたんだね。たった一人だけが「命」と書いていたので生き残ったというお話です。

金だ、家だ、仕事だ、名誉だ、愛だ、って、確かにみんな大切なものではありますが、命あってのものでしょう。それ以外は所詮は人生の一部でしかないんですぜ。

罰当たりな現代人よ、人生の一部が手に入った入らないで、悩んでいないか・・・・・・



   ミュージック  「波の谷間に命の花が♪」

        写真:熊本県葦北郡芦北町・野坂の浦
 
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芦北町は、万葉のロマンが漂う歴史のまち。「日本書紀」によれば、古代、景行天皇が熊襲征伐の折に芦北から八代の水島に向けて船出されたことが記されています。
 その後、持統天皇の時代に九州・太宰府に派遣されたは、芦北の地にも足をのばしました。そのときに長田王が景行天皇をしのんで詠んだ歌は「万葉集」におさめられています。
 
芦北の野坂の浦ゆ船出して
    水島へ行かむ波立つなゆめ

 歌の大意は「芦北の野坂の浦から船を出して、景行天皇が行かれた水島へ自分も行きたいと思う。だから波よ荒れないでおくれ」



寝がけは尊い人間に

2007年05月14日 | 中村天風語録

                  クロアゲハ

 猫の魚辞退
       =猫が大好物の魚を辞退する。内心は望んでいるの
        にうわべは遠慮すること。また、当座だけのことで
        長続きしないたとえ=

    競輪   「お見事・10点満点」

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         「寝がけは尊い人間に」

                       中村天風「ほんとうの心の力」

昼間、起きているときは、われわれの暗示感受性というものは、われわれが、ああ、いいな、これは共鳴するわ、と感じたこと以外のものは、潜在意識の中に入らない。やってごらん。

ところが、夜の世界だけは、特に寝がけに、寝床の中に入ってからは、この精神のアンテナというものは、無条件に、よいことでも悪いことでも、もうすべてが、差別なく入りこんでしまう。

だから、いいことを考えるんだ。嘘でもいいから、俺は優れた人間だ、俺は思いやりのある人間だ、俺は腹の立たない人間だ、俺は憎めない人間だ、俺は焼もちを焼かない人間だ。こう思えばいい。

それを寝がけによけい腹を立てる奴がいる。昼間、興奮して間は思い出さなくて、寝がけになって思い出しやがって、「あん畜生、あんなことをしやがった。ざまァ見やがれ」もう一ぺん置き上がって腹を立ってる奴がいる。

夜の寝床の中だけは、神の懐の中にはいったような、おだやかな気持ちになってごらん。今夜から、寝がけだけは絶対に尊い人間になるんだ。毎晩尊い人間になったからといって、税務署から調べに来たことなんてことはない。

どんなに体にいい結果が来るか、やってみたものだけが知る味だ。やってごらんなさい。今夜から。

   ミッキー・グーフィー 「はーい・サービスだよ」

 

         写真:緒方弘之「素晴らしい自然」阿蘇の蝶
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   アオバセセリ   アサギマダラ    ナミアゲハ    オオルリシジミ

阿蘇で出会った蝶を緒方弘之写真集「素晴らしい自然」からの案内です。自然は本当に心を豊かにしてくれます。心を癒してくれます。わが家の庭にも蝶が遊んでいました。じっと見つめていました。時間がユックリ過ぎるようで、気持ちのいい時間でした。