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**アカシアの木蔭で**

流れていく時間と逆らわずに流れていく自分を、ゆっくりペースで書いて行こうと思います

うんちのにおい

2005年09月21日 | 病棟
寝たきりになると どうしても便秘がちになります。
体を動かさないことに加え、経管栄養が命を支えていること
それも原因だと思う。
少ない量で吸収しやすく完璧な栄養素を含む、
とても便利で無くてはならないものかもしれない。
宇宙食のように科学の粋かもしれない。
・・・でもね、無駄も命を支える重要な因子だと思う。
日々完璧な栄養を取っていなくても トータルでどうなのか 
そういったファジーな部分で健康を保っているでしょ?
2.3日肉ばかり食べたから 野菜を食べよ♪とか
今日はワシワシご飯を食べたい!とか・・・。
それが出来ないから ウンチが出たり出なかったりではなく
出ないとなったら出ない。
だから定期的に下剤のお世話になったり 摘便がルーチンになったりする。

うんちコントロールは 簡単なようで奥が深い。
摘便は痛みを伴うし なるべくならしたくない。
でも同じ薬を同じ量使っても 同じに出るとは限らない。
体調や気温や気分、そんな些細なことにも左右される。

難しい。
やりすぎると 水様便で寝巻きやらシーツやら体交枕やらうんちまみれ、
洗濯に消毒と手間がかかる。
そんなわけで 控えめに薬を使い、摘便で刺激を与えて出るのを待つことも多い。

嫌じゃないよ。患者さんがすっきりするんだし。
でもね、臭いって強敵なんだ。
医療用の薄いゴム手袋二枚重ねでやっても
臭いは染みて来る。
終わったあと いつまでもうんちの臭いが手から消えない。
家に帰って夕飯を作っている時にふと匂う。
お風呂に入っても 布団の中で湧き上がってくる。
何度洗っても消えない 匂い。

うんちのにおいは 強烈で、看護婦を続ける限りついてくる。

患者さんにフォローしてもらって・・・

2005年09月15日 | 病棟
連絡ミスが続いて 落ち込んでいた。
命にかかわるようなことではないけれど
患者さんを15分待たせてしまった。
たった15分、でも単調な自由の無い入院生活の中の15分は
とても長い。

出来れば顔を合わせたくないけれど
でも 逃げるわけにはいかない。
ごめんなさい を言いに行った。

「・・・待ってる時はいらいらしたけど 気にしないでよ。
 それより 今日は日勤?
 あんたの顔見ると ほっとするんだ。
 看護婦さんはみんな優しいけど、
 なんでだろうなあ、
 あんたが来てるって思うと ほっとするんだよなあ
 何でも言っていいって思って・・・」

患者さんに精一杯フォローされて 慰められて
こんなんでいいのだろうかと迷うけど
それでも 一日がんばるゾって思う。
例え病人でも 看護される側でも、
人生の大先輩たちであることに変わりはない。
時には甘えさせてもらって 感謝しつつ
自分の家族を看るように愛情をもって。
痴呆でもわがままでも 尊敬の気持ちは持ち続けなくては・・。 

激務

2005年09月12日 | 病棟
今日は稀に見る激務。

最近 荒れているのです。
ヘルパーさん一名盲腸で入院。
もう一人メニエールの発作で倒れる。
看護婦一名妊娠・切迫流産気味・・・。

そんなわけで、午前中は代打で訪問看護に出かけ、
午後は病棟リーダー(午前中だけ仲間が助けに出勤してくれました)。
・・・病棟には 看護婦はリーダー一人なんで
   全部一人でやるしかないんですケドね・・・

それなのに。
胃カメラ二名・レントゲン三名・腹部エコー一名
採血二名・検体採取一名
他、褥創評価日であり、定時薬処方&配薬日であり
ウンチの日であり(昨日下剤三名かけてあります)
インスリン導入で頻回なBSチェック中の患者を抱え・・・。
入浴も二名ありましたっけ。

申し送りまでに何とかこなすだけで
看護のクオリティとか そんなことは考える暇も無い。
こんな日は ミスが無いことを祈るのみで
夜勤さんに託します。

ああ、目がつり上がってるなあ
患者さん、声掛けづらいだろうなあ

曖昧な笑い

2005年08月31日 | 病棟
院長に呼び止められた。
「・・・ああ~~、あのぅ、倉橋さんが入院します」
「・・確か国立病院に入院してましたよね?どうしたんですか?」
「退院が決まったんだけど、家に帰る前にワンテンポ置くという事で・・よろしく・・・」

なんだか歯切れが悪い。目が泳いでる。
悪い予感を抱きつつ ちょっぴりの笑顔で訊ねる。
「・・・それで先生、どこが悪いんですか?」
「・・・ええと・・・老衰・・・。」

・・・老衰・・・
それって 病気じゃないですよね?
家に帰すきっかけを 一番つかみにくい。
ということは、またしても天国の待合室!?
慌てて倉橋さんの情報を集める。
 
=96歳。食事・飲水できず。自力排尿不可。一日三回の導尿。
 心不全・慢性腎不全持ち=

行く場がなくて気の毒な患者さんを また引き取ってしまったのね?
(ハラハラ綱渡りで看取るのはこっちなんだゾ~
 たまにはピチピチの若い兄ちゃんでもよこしてくれ~~!)
密かに心の中で叫んでみたけど、
やっぱり聞こえてないよね・・・・。

富さん さよなら

2005年08月10日 | 病棟
一日の尿量が 500、400、50、25ミリリットルと減り、
富さんは眠るように亡くなりました。
付き添う家族が交代の時間を見計らうように
たくさんの見守りの中、鼓動を止めました。
家族・親族が口々に「大往生だ」と喜びました。

でもわたしはもうこんな看取りはしたくない。
苦しい息の下、看護婦の腕や髪をひっぱり
叩いて苦しさを紛らわしていた。
何度となく「もう逝っていいかい?」「帰りたい」「早く死にたいよ」
とうめいていた。
なにもせず 見守るだけは 辛すぎる。

感謝の手紙

2005年08月08日 | 病棟
中原さん、とてもうちの病院が気に入ったらしく、夏中居ようかなあなんていう。
「看護婦さんもヘルパーさんも優しいし、食事も民宿のように豪華で美味しい。
 そのうえ10畳の個室が4000円で、風呂まで入れる」って。
・・・・リゾート入院は だめですってば。

次の入院さんが決まっているので丁重にお断りすると、感謝の手紙を書くと張り切っていました。
(ああ ああ それぐらい、喜んで頂きますから、時間通りに帰ってね)
冷たいようですが よくいるんです、美味しい夕飯食べてから帰るとごねる患者さん。
それから 一日あと一日と引き伸ばしにかかるご家族。
大変さはよく分かるので、出来るだけの譲歩はしますが、今回は無理です。
退院の日は、昼をはさんでダブルブッキングにちかいのですから。

検温に廻っていると、中原さんの病室から看護婦の佐藤さんの声が聞こえてきます。
たどたどしく 何かを読んでいるようです。
(本でも読んであげているのかなあ)
検温は後回しにしました。
しばらくして 佐藤さんが情けない顔してやってきました。
「あたしさ、感謝状の出来はどうか 音読させられちゃったよ。
 それもすごい指導が入ってさあ・・。
 出だしは季節の挨拶からなんだけど、柳が涼やかな風になびき・・・って始まるのよ?
 それで、柳の注釈まで書かれてて、この柳とはどこそこの由緒ある柳で・・・なんてね。
 上出来です、有難く頂きますって言って、やっと逃げてきたんだから」

う~ん、経済や政治の話をちゃんとするかと思えば これだ、
やっぱりまだらボケなんだね。
今日の疲労度NO,1は佐藤さんでした。
お疲れ様!!!!

ふりしぼる命

2005年08月01日 | 病棟
「富さん!!富さん!!目を開けて!!モニターお願い!!」
緊急事態を告げる、エミちゃんの声。

2,3日口を閉じる力すら失っていた富さんの血圧が下がった。
叩くように顔を揺らしても 反応が無い。
血圧は78/36、20秒から30秒の無呼吸も頻発している。
無呼吸では モニターの心拍数も80から50台へ がくんと落ちる。
ただ、STの下降が少し見られるだけで 悪い波形ではない。
尿量は600ml/日 爆弾を抱えるような綱渡りの日々。
あとは 体力と気力が 死神との勝負を決める。

家族へ連絡を入れる。


次の日、続々と富さんの子孫たちがベッドサイドへ集まり始めた。
広い個室が狭く感じる。
富さんには 曾々孫までいたのだ。
子孫たちの呼び掛けに 富さんが帰ってきた。
3歳にも満たない曾々孫の呼び掛けに 「おばあちゃんって呼んで」と言った。

その日から富さんは 生き始めている。
残り少ない命の燃料を 惜しむことなく使って
うつろに歌を歌い、手だけで踊り、分からないことをしゃべり・・・。
尿量は400ml/日をきりつつあり、水分摂取は200mlに満たない。
本当に秒読み。

富さんが言う。
「いつ家に帰れるんだ?」って。
「足が痛くなくなって、ご飯が食べられるようになったら、私が車で送るね」
そう答えつつ 多分無理だと心の中で思う。
富さんの問いが ずっしりと背中に被さって来る。

きっと富さんは、最後の日まで精一杯走って
あるとき突然逝ってしまうでしょう。
ゼンマイの切れたおもちゃのロボットのように パタンと倒れるでしょう。
命の尽きる時 一人では逝かせない、
そう強く思いました。



人体の神秘!?

2005年07月05日 | 病棟
オムツ交換はヘルパーさんにしてもらうところも多いようですが
うちの病院では 看護婦とヘルパーさんが組んで行ないます。
患者さんと自分の体に無理をさせないためにも。
台所洗剤の容器にお湯を入れ、それでオムツを替えるときに洗い流すと
いつも清潔でさらさらしたお尻の出来上がり。
それから手足の関節を曲げたり伸ばしたり、
縮こまって固まらないようにストレッチをして差し上げます。
背中を軽くカッピングしたりマッサージしたり。
その他にも 動かせば痰が出てくるので吸引したり
汗をかいていれば 簡単な清拭をして着替えさせたり
丁寧にやると 思いのほか時間がかかる仕事です。
ウンチやおしっこが漏れていると更に時間が・・。
でも、ゆっくり患者さんに手を掛けられる時間なので 嫌いじゃありません。

今 病棟の平均年齢は90才近くになっていますが
そのほとんどが女性です。
・・・と言うか、男性は一人しかいません。
やっぱり女性のほうが長生きなのですね。
貴重な男性だけに、慣れないことが起こります。
あやちゃんとオムツ交換に回っていた時、
オムツを開けると あるべきものがなかったんです。
・・・・鎮座してるのは ちんたまちゃんのみ。

(・・・へ????)

しばし固まるあやちゃんとわたし。
「・・・??ちんちょすが 無くなった!!??」
「なぜだ~~!!」
ありえない状況にパニック!!
恐々ちんたまちゃんをつついてみたら にゅ~っと出てきました!!
よかった・・・けど こんなことって有り得る????
院長にも 話題が話題だけに 訊きづらい。
謎は謎のまま 、です。
ちんちょすが格納式だったなんて 人体の神秘だなあ・・・。




泣いてくれるのか・・・

2005年07月01日 | 病棟
・・・・富さんが あの世に早く行きたい と か細い声で言った。
わたしは あの世へ行ったらもう会えない 寂しくて泣くから・・・と応えた。
富さんが タオルケットを被って 泣いてくれるのか・・・と つぶやいた。

そうだよ、富さん、病院のみんながあなたのために泣きます。
泣いてもあなたの骨折は治らない。
けれど きっと みんな泣いてしまうよ。
だから この世にしがみついてください。

穏やかな自殺

2005年06月30日 | 病棟
以前外来で 私を「鬼看護婦~!」と呼んだ富さんが
先月ショートステイに来ませんでした。
家族が富さんの前に立って手を引いた時に転倒、大腿骨骨折で大きな病院に入院したからです。
そのニュースを聞いたとき、病棟スタッフのだれもが
(ああ、もう逢えないかも知れない・・・)と、思ったのです。
それくらいお年寄りの大腿骨骨折は 重いんです。

富さんは95歳、家族は手術を望みませんでした。
その時点で 富さんに施す治療は無くなり、ただベッドに抑制され点滴を受けるだけ。
今の保険の点数計算によれば、三ヶ月を過ぎた患者は赤字生産者です。
そうした状況を分かってか、富さんが「いつもの病院に帰りたい」と言い始めたのでした。
「帰りたい」「帰りたい」・・・・日々繰り返すので、
家族がうちの病院に転院できないか 相談にみえました。

食事は全介助、トイレも同じ。
骨折部位は固定もしていなく、痴呆も進んだ様子。
気難しさはさらにレベルアップしているとなれば、うちの人手不足では対応出来ません。
・・・・・でも院長は、NOと言えませんでした。

戻ってきた富さんは、予想とかけ離れていました。
まるっきり生きる気力が無いのです。
水も飲まない。食事もとらない。
これだったら 毒舌全開・痴呆全開で手を煩わしてくれるほうが よっぽどまし。
スタッフみんなが燃えました。
スローガンは「 いつもの富さん、戻って来い!!」
「富さん、皺々でなんだかおばあちゃんみたいだよ」
「・・・もういいんだ。あの世に行くんだから」
   負け。
「富さん、梅干買って来たよ!これがあれば、ご飯美味しく食べられるんだよね?」
「・・食べても、なんにもならねぇ」
  ご奉仕作戦も負け。
「富さん、知ってる?水飲まなきゃ 人間はすぐ死んじゃうんだよ。」
「・・・ありがとよ。それでいい」
 ・・恐喝作戦失敗。

家族にこのままでは長く生きられないと
水すら飲めないなら 点滴が必要だと話しました。
「・・・本人も望んでないし、このまま看ててください。それでいいんです」
・・・ただ衰弱していくのを 見ていろ  と。
富さんは 敏感にそれを察して ハンストを選んだんじゃないのか?
これは看護なのか?
穏やかな自殺を 許すのか?
ただ見守ることは自殺幇助に値するのではないか?
心の中で
( ここは 姥捨て山じゃないんだ~~!!最後に見捨てるな~~!)
って 叫んでた。