本来の読書生活に戻り、本居宣長の「理知」の力に触れてみる。
現代仮名遣いと異なり、歴史的仮名遣いの法則性が際立つのは、
「お」と「を」の仮名遣いの定め方にある。
私たちはア行の軽い「お」、ワ行の重い「を」というように言い分けているけれど、
江戸時代の明和の半ば頃、宣長の考定を俟ち、結果、現在に至る由。
なぜ江戸時代の人たちは考え違いを犯し、軽い「を」や重い「お」と捉えていたのか。
理由は、言葉の誤用の典型、意味に引かれて「お」「を」の位置づけを誤り、
ア行の「を」、ワ行の「お」と捉えてしまったのっだと思われる。
「をんな」と「おんな」、あるいは「をみな」と「おみな」の違いとも言える。
「乙女」は「をとめ」ではって「おとめ」ではない、ということ。
ローマ字に開いてみれば、ワ行の仮名表記は、wa・wi・ wu・we・wo となり、
表記の法則性に因れば、「wo」は「を」を指す、ということであり、
小さな意味を担う「を」と大きな意味を担う「お」は紛れるはずもなかった。
もちろん、後知恵である。
当時、本居宣長の仮名遣いの解明は驚異的だった、と思う。
意味性という言語習慣の結果に煩わされることなく、違いを闡明にしたのだから。
定家仮名遣いから歴史的仮名遣いへ、画期の位置に宣長が地歩を占めている。
かれの著書を読み続けていこうと思う。
現代仮名遣いと異なり、歴史的仮名遣いの法則性が際立つのは、
「お」と「を」の仮名遣いの定め方にある。
私たちはア行の軽い「お」、ワ行の重い「を」というように言い分けているけれど、
江戸時代の明和の半ば頃、宣長の考定を俟ち、結果、現在に至る由。
なぜ江戸時代の人たちは考え違いを犯し、軽い「を」や重い「お」と捉えていたのか。
理由は、言葉の誤用の典型、意味に引かれて「お」「を」の位置づけを誤り、
ア行の「を」、ワ行の「お」と捉えてしまったのっだと思われる。
「をんな」と「おんな」、あるいは「をみな」と「おみな」の違いとも言える。
「乙女」は「をとめ」ではって「おとめ」ではない、ということ。
ローマ字に開いてみれば、ワ行の仮名表記は、wa・wi・ wu・we・wo となり、
表記の法則性に因れば、「wo」は「を」を指す、ということであり、
小さな意味を担う「を」と大きな意味を担う「お」は紛れるはずもなかった。
もちろん、後知恵である。
当時、本居宣長の仮名遣いの解明は驚異的だった、と思う。
意味性という言語習慣の結果に煩わされることなく、違いを闡明にしたのだから。
定家仮名遣いから歴史的仮名遣いへ、画期の位置に宣長が地歩を占めている。
かれの著書を読み続けていこうと思う。