ミネルヴァの梟

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ことば探査
読書好き

ことば探査 - 赤と黒

2024-10-09 23:39:12 | 日記

スタンダールの小説「赤と黒」に言及するのではなく、語構成の型(パターン)を考察しててみる。
色彩語を例としよう。試みに単語に含まれる音に注目してグループ化してみる。

色彩語「あ」グループ
・あい(藍)、歴史的仮名遣いでは「あゐ」
・あか(赤)
・あけ(朱)
・あお(青)、歴史的仮名遣いでは「あを」
各語の二番目の音声が色彩の種別を特定する意味上の核心を担っている、と言える。

色彩語「ろ」グループ
・くろ(黒)
・しろ(白)
各語の一番目の音声が色彩の種別を特定する意味上の核心を担っている、と言える。
語構成の型(パターン)は一律ではなく、グループ別の構成上の特徴を持っている。

以上、二グループを取り挙げてみたみた。
上記の六語のうち、形容詞として使える語は「あか」「あお」「くろ」「しろ」だけであり、上代の日本語には色を表すことばは四語だけだった、と言われる所以である。真偽のほどはわからない。

追加情報
岩波古語辞典に拠れば、
・「あゐ」と「あを」は同根。
・「あけ」は「あか」(赤)の転。「あけ」(明け)と同根。
と釈かれており、色彩語「あ」グループとして一括したことに誤りはなっかたと確信できた。
「くろ」と「しろ」の語釈には同根・同源の説明はなく、グループ化の妥当性は確認できなかった。



ことば探査 - まっか & まっさお

2024-10-06 22:32:03 | 日記

語勢を強める接頭語「ま」「まっ」を伴う単語を思い起こしてみた。
なかで「まっか」「まっさお」の語形の問題に逢着、なぜ発音上の母音脱落や子音の付加が起こったのか。

漢字表記すれば「真っ赤」「真っ青」であり、「あか」の「ア」母音脱落で「か」となり、「あお」の冒頭に「s」子音が付加されて「さお」となっている。が、発音上の省力化は納得できるけれど、子音の付加はあり得ない現象であり、なぜかを論理的に考えてみた。

母音脱落の例を挙げると、「あらいそ」が「ありそ」(荒磯)となり、一音分短縮化される。ローマー字表記すれば「araiso」が「ariso」となり、「a」母音が脱落する。「いそ」が音変化を起こしているわけではなく、先頭の語成分「ara」が発音上縮約されて「ar」となったものであり、「まっか」の場合は「あか」が「か」一音になっていることが理解できないなぞとなる。

理解できないなぞを解くためには、幼児語「まっかっか」を援用することで論理的に解釈可能となる。
さらに副詞「かっか」「かっと」を参照すれば、「か」一音の意味に「あか」の意味的な核心が残されてるから、と考えることで、「まっか」は本来、「まっ」+「か」と理解すべきであり、「まっ」+「あか」ではなかった、と推察できる。

「まっさお」の場合は本来、「まっ」+「さおあ」だったのではないか。
「さみどり」という単語がある。若草の緑を表すことばであり、援用すれば「さあお」という語形を考えることができる、青ざめた色合いを表すことばであり、「みどり」より淡い「さみどり」、「あお」より淡い「さあお」であり、「さあお」をローマー字表記すれば「saao」、連続する同じ母音が一音脱落して「sao」となり、「s」子音の付加と見られていたのは接頭語「さ」の母音脱落だった、と捉え返すことができる。
「あお」が接頭語「まっ」を伴って「さお」になったわけではなかった、と了解できる。


ことば探査 - キラキラネーム

2024-09-19 23:59:17 | 日記

来年五月、改正戸籍法が施行されるというニュースに触れ、キラキラネームに考えが及んだ。
キラキラネームの世代とマーケティングの対象として言及されるZ世代とは重なるのではないか。

キラキラネームのもとは、2000年代、DQNネームという冷笑的な言い方だったけれど、2010年代にキラキラネームというマスメディアの造語に置き換わったという。

キラキラネームと言われているけれど、名前がキラキラしているのではなく、名づける親の気持ちがキラキラとした充足感と幸福感とに溢れてがいる、と捉え直すこともできるだろう。

世代論で言えば、新人類と呼ばれた世代がキラキラネームの名づけ親の中核を占めるということになる。
キラキラネームの具体例には触れない。漢字表記の慣用逸脱、伝達性の無視、理解しがたいことだから。

註、参考資料 - Wikipedia 日本語版


ことば探査 - 耳ざわり

2024-09-12 23:59:15 | 日記

きょう、民放のニュース番組を視聴しながら慣用的な言い方から外れた発言に触れて「おやっ」とおもう。

スタジオ出演者眞鍋かをりとインタビュー動画の中の河野太郎、いずれも「耳ざわりのいい」という言い方を口にしていた。四十代の眞鍋かをりと六十代の河野太郎、漢字を宛てて意味を明かにすれば、両人とも「耳触り」という表現を使っていたことになる。

もともと「耳ざわり」は「耳障り」であり、気に障る不快感を言い表す日本語だったはず。
おそらく「手触り」から連想された「耳触り」を意味の核心と捉えた結果だ、と思われる。

手元にある国語辞書で確認してみたところ、
・明鏡初版では「耳触り」を誤用とする。
・新明解第六版では「耳触り」を俗用とする。

中年と老年、いずれも日本語話者である両人が「耳触り」ということばを使っていた、ということはすでに広く一般化している言い方だと言える。誤用とするより俗用とするほうが適切な判断か。

註、ことば探査が眼目であり、敬称は省略した。御宥恕を請う。


ことば探査 - やべー

2024-09-01 23:09:46 | 日記

台風10号接近に伴うニュース番組の中で視聴者のスマホ動画が紹介されていた。
強風に飛ばされる家屋の部材が空に舞い上がる動画だった。「やべー」という撮影者の声が録音されていた。あるいは傍らにいた人物の声を拾ったものか。強風の激しさを目にした者の驚きの声だったことは確かだった。

ことば探査の視点からいえば、なぜ「やばい」が「やべー」と音韻変化してしまうのか、が関心を惹くことになった。

たとえば類例を挙げてみよう。話し言葉、括弧内は書き言葉で列挙してみる。
・しょっぺー(しょっぱい)
・たけー(高い)
・ちいせー(小さい)
・でけー(でかい)
・ねー(無い)
・すげー(すごい)
いずれも形容詞ク活用の語例を挙げることになってしまった。
言えることはひとつ。母音の連続「ai」「oi」が母音「e」に置き換わり、さらに長音化することで拍数(音節数)を揃えている音韻現象が話し言葉に起こっている、ということ。

ただし付言すれば、形容詞ク活用固有の音韻現象ではなく、他の品詞にも同様の現象は起こっている。
名詞の場合でいえば、「手前」が「てめー」となり、今回の母音の連続は「ae」が「e」に置き換わり、さらに長音化することで拍数(音節数)を揃えている。あるいは母音の連続を避けて最初の母音が脱落して後続の母音が長音化したもの、と捉えることもできるのではないか。

さらに助動詞「ない」の例を挙げると、「読めない」が「読めねー」となり、形容詞ク活用「無い」と同じ音韻変化を起こしている。助動詞「ない」は形容詞からの転成だから当然の変化となる。
助動詞「たい」の場合は、「見たい」が「見てー」という言い方になる。

なぜ母音が連続した場合、すべてエ段に置き換わり、さらに長音化するのか。
取り敢えず「エ段の不思議」と名づけて後考を俟ちたいと思う。

追加情報 - 窪薗晴夫
日本語学では母音融合という現象だと説き、発音上の省エネだ言われている。