笹部新太郎 1887~1978)とサクラ
笹部新太郎については「生きている武庫川」で武田尾から廃線跡の観察下では入り口近くにある桜の園(亦楽山荘)の説明、「生きている猪名川」では、川西市の多田神社の西に隣接する西方寺にお墓があることなどで、桜の話をするときには必ず紹介する人物である。
武田尾から桜の園方面を望む。
観察かいの様子
生きている猪名川では
「笹部新太郎氏は、東京帝国大学(現 東京大学)法学部に在籍するころより、独学でサクラの研究に取り組みました。父親の「月給取りにはなるな、この世に生を受けた甲斐のある事をのこして死ねば本懐ではないか」ということばを受け、卒業後私財をなげうち、兵庫県宝塚市武田尾の旧国鉄福知山線の武庫川渓谷に、ヤマザクラやエドヒガンなど在来の野生種のサクラを集めた桜の園(亦楽山荘)を作り、サクラの研究や育苗を行ないました。また、夙川のサクラ並木の造成なども指導したり、岐阜県荘川村にあった樹齢450年のエドヒガンの移植を指導されました。水上 勉の小説「桜守」は、笹部新太郎氏をモデルとして書かれています。
現在、笹部 新太朗氏の墓は兵庫県川西市の多田神社の西に隣接する西方寺にあります。」
と紹介する。
夙川の桜並木
詳しいことは
公益財団法人白鹿記念酒造博物館のホームページ(https://sake-museum.jp/sakura/)
荘川桜のホームぺージ(https://www.jpower.co.jp/sakura/)で柴橋明子さんの取材されている。
またRikuryoWebサイト(https://www.rikuryo.or.jp/)で笹部桜考を連載している小林一郎氏が詳しい。