大和川の源流を探る 都祁高原
都祁高原は奈良盆地と伊賀盆地に挟まれた位置にある。かつては「東山中(ひがしさんちゅう)」と呼ばれ、大和地方のなかでも早くから人が住み着き、小さな文化圏を形成していたので、大和朝廷とは異なる文化・文明が栄えた地域であったといわれる。それは、都祁高原一帯には、山岳信仰を根本とした祀り場の跡や独特な伝承が多く残っていることがその理由だ
高原に降った雨は、西の奈良盆地には流れ込む水系(大和川水系)と木津川水系にわかれる。
冬季は極寒の地として近畿地方で最低気温が紹介される場所でもある。
都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)
「水分神社」とは、字のごとく「水分 = 水配り」と言う意味をもつ。読み方は「みくまり」。
「みくまり」神社とは、流水を分かち配ることを司る神「天之水分神(あめのみくまりのかみ)」を祀っている神社のことです。
大和国には水分神社が四社あります。(都祁・宇陀・吉野・葛城)
ふるくから水の神として崇拝されてきました。
都祁高原の都祁水分神社から源流をはじめたのは、2001年12月22日。
小雪交じりのあいにくの天気のなか、丘陵をこえ、源流を探す。細い溝をみつけ、上流へ。
ついに発見、数日前に同じように大和川の源流をさがすイベントがあり、そのときにこのプレートが設置されたそうだ。
大和川と淀川の分水界から移動して、初瀬の谷を下り奈良盆地へ。奈良盆地から大和川となる。
「いきている大和川」の調査がこうして始まった。(2001年12月