高樹のぶ子のSIAブログ
2009年05月07日 / 最近の出来事
ゴールデンウイークは、東京の国際フォーラムで行われたラ・フォルジュルネで、バッハ三昧をしてきました。
去年はシューベルトをテーマにしていましたが、今年は音楽の父バッハがテーマで、どうかすると心地よすぎて眠くなるのをこらえながら、全部で15公演を聴いてきました。
なにぶん、ひとつの公演が一時間か45分程度なので、朝から夜までハシゴです。
いくつもの印象的な公演がありましたが、バッハは対旋律、数学的で頭脳音楽のような印象を持っていましたが、今回あらためてその印象を撤回します。
フィジカルで、体内リズムの再現というか、身体の器官がそれぞれ独立して音楽を作りながら、統一と調和がとれているのが、バッハだと発見。
とても生理的で、身体的なんですね・・
それと「音楽の父」という言葉も、あらためて再認識しました。
小学校の音楽教室にずらりと並べられた音楽家の写真の一番最初に掲げられているのが、バッハでした。
その次がハイドンかな、それからヘンデル?そのあとに、シューベルトとかベートーベンとかが並んでいて、いまだに不思議なのは、滝廉太郎の肖像画があったことです・・
あのころは、それを不思議だとも感じずにいましたが、日本の作曲家も入れておかなくては、という考えだったのでしょう。音楽としてはずいぶん異質ですが。
音楽の父というのは、やはりスタンダード、基準となるものを作ったのだと思いました。
編曲や即興アレンジに耐えられるだけの骨格を持っているのだと、あらためて認識。
歌舞伎の「型」があって初めて「型破り」も可能なのだと、そんなことなど考えながら・・
高樹のぶ子
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【甘苦上海が単行本になりました!!】
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パイプオルガンの音色も荘厳です。
手元にアルヒーフ・プロダクションのレコード百枚からなる『バッハ大全集』(全12巻)がありまして、そこから気に入ったものを任意に引っ張りでして聞いているところです。先日は「ゴルトベルクヴァりアツィオーネン」を聞いたところです。
僕は音楽については、まったくの素人ですが、これまで聞いた経験によれば、バッハの本質はリズムそのものです。何で、人間は心地よいリズムの酔いしれるかというと、人間の体そのものが、心臓の鼓動を初めリズムによって成り立っているからではないでしょうか。のぶ子先生がおっしゃるようにバッハの音楽は、体内リズムそのものに訴えかけるような気がします。その場合、リズムが優れた音楽になるには、私見によれば、三つの条件があるように思われます。まず第一には、反復がること。これはリズムの基本条件ですね。しかしただの反復では、すぐにあきが来ますから、そこに変化がなければなりません。そして最後に複雑のほどよいということです。バッハ音楽のリズムがこれらの条件を申し分なく、実現しているように小生には思われます。
ちなみに、ヘンデルはバッハと同じ年に生まれて、バッハより9年長く生きています。そして「音学の母」といわれているようです。そのあと、ハイドン、モーツアルト、ベートーベンと続きます。
バッハは、死後ししばらく忘れられていたのですが、メンデルスゾーンが、『マタイ受難曲』を演奏して、バッハ復活に大いに貢献したといわれています。バッハには、もうひとつ『ヨハネ受難曲』がありますが、どちらもすばらしいですね。キリスト教の信仰の厚い人が聞かれたら、泣き出してしまわれるのでないかしら。
このブログにはまだ出ていなかったので。
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/shinagaki/20090505gr02.htm?from=yoltop
朝は必ずといっていいほど聴いています。ちょうど今頃の季節の新緑をくぐりぬける風にふれるみたいで、心地よいのです。
ゴールデンウィークは、ずっと田舎で五月の風の音を聞いて暮らしました。風にも規則正しいリズムがあります。風の匂いは新緑の香りそのものでした。 ゴールデンウィークはもともと安息日としてもうけられたのだとか。バッハの音楽も教会の存在なくしては考えられなかったのではないでしょうか。
日本の教会はザビエルの手によって、種子島を経、鹿児島、長崎や天草を経由し、山口に至ったようです。私も一昨年、山口を訪れた時にサビエル記念聖堂に行き、タクシーの運転手さんからそんな話を聞きました。
天井の高い教会内でバッハの音楽をチェンバロで演奏したらー。反響して尚、荘厳な気分になるのでしょうね。
バッハは、人間の両手を何と考えているのでしょうか・・左手に右手以上の素早くてなめらかで正確な動きを求めているようです。人間には利き腕があることを、大脳が科学された今日ではごく当然のように思われていますが、当時はそんな常識が無かったのかしら・・そうでなくては、左手にとってこんな過酷な曲が書かれるはずがない・・
ヴァイオリンて、生きものだと言われますが、ご機嫌の良いときは、弾き手のこころを読み協力してくれるんですね!
先生は15公演も!うらやましいです。 予約がたいへんとりにくく、精一杯がんばってその半分ほどでしたが、無料公演もたくさんあり、バッハ以外の作品も含め3日間たっぷり楽しみました。4台のピアノ、確かに圧巻でした。先生をお見かけしたのも、この会場です。
ピアノに限らず、演奏者というのは、感性もそうですが、たいそう肉体を酷使する仕事なのだと。あらためて恐れ入りました。たくさんのバロック楽器も興味深いものでした。
「甘苦上海」興味深く読ませていただいてます。
執筆時の曲はバッハの「ブランデンブルグ協奏曲」とお聞きしてからCDを引っ張り出して聴いたり、先日は丸ビルで無料のコンサートを見つけて聴いてきました。
大きなスペースでは当然ながら集音マイクが乱立していました。周囲の雑音も耳に入りましたが丸ビルの外の新緑の街路樹を眺めながらの「ブランデンブルグ協奏曲」もたまには良いかなと思いながら。
それにしても高樹先生の作品の中に「サテン・ドール」やナッキンコールの「アンフォゲタフル」など出てきてうれしくなります。先生の音楽の座標軸はかなりの大きさと推察しています。
友人も毎年ラ・フォルジュルネに行っているようです。ご参加の皆様、心理浄化され、初夏のような爽やかなお気持ちでしょうね。
クラシック音楽のマーケットは人口の5%程度といわれますが、すごい人出だそうですね。
「芸術のみが人生の価値を高める」とも言われますが、ほとんど開催されないような地域もあり、補助金カットなど厳しい経済情勢下、芸術へのアクセス権の地域格差が気掛かりです。
バッハの思い出といえば、数年前のクリスマス(Weihnachten)時期に、(ちょっとマニアックなツアーで)ライプチヒの聖トーマス協会で日曜日(第2アドベント)の礼拝に参加しました。(キリスト教徒ではありませんが)
祭壇前のにバッハのお墓を前に、2台のパイプオルガン(バッハオルガンと大オルガン)とともにカテドラルに響くバッハの曲は、コンサートホールとは違った魂を締め付けるような荘厳な響きでした。
その他、ゲーテ、メンデルスゾ-ン、ゲバントハウスなど、古い町並みも含めて、ライプチヒは魅力的な町でした。
ベルリン1極集中ではなく、地方(州や町)がそれぞれ特色を持って輝くドイツは素晴らしいですね。
ラ・フォルジュルネも東京一極集中の感がありますが、SIAのTV放送は九州近隣のみ(九州一極集中?)ですね。
近畿地方でも見られませんので、サイトアップを心待ちにしています。
でも、音楽の演奏は、「交叉支配の原則」からいえば、左手に向いていますよね。
ある実験で、左手(右脳:)でピアノを弾きながら、右手で(左脳)目玉焼きを作ることはできるが、その逆はできない(やりにくい)。
(以前中村紘子様?が実験されておられたような記憶があります)
「甘苦上海」の「松本」が「右利き」に対して、「石井京」は「左利き」です。
「言語処理」については、通常は左脳(右利きの98%)で行っていますが、「左利き」は、15%が右脳、15%両方の脳で処理を行っているという記録もありました。
以前から、このあたりのことが、物語の何かの伏線になっているのかなぁという思いで読んでいます。(余計なコメントでしたら無視してください)
ついでに「視交叉」
特殊なのが「視交叉」で、右目でも左目でも、視野の中心から右半分は左脳に情報伝達され、左半分は右脳に伝達されますね。
当ブログで、新聞の連載について、「横長記事のため挿絵は焦点が2つ」という興味深いご教示をいただきました。
新聞の連載小説は横長の記事であるため、この視交叉を応用すれば、前半(右側)に論理的な内容を配してアウトラインを読み取らせ、後半(左側)に情緒的な内容を配して、余韻と想像力を働かせることができるかなと思ったりします。
ただ単行本になった時は逆位置になったりしてうまくいかないかも。
私は、コンサートや情緒系の公演等については、真ん中より少し上手(右側)に、講演会(論理的な)などは少し下手(左側)に、座席を取るようにしています。
ちなみに、7月18日(土)の高樹先生の講演会「いまアジアが面白い」は、下手(右耳も優勢に)に座る予定です。(キーシンの時は上手でした)
5月9日(香織様の結婚記念日?)からチケット発売ですね。
ご講演の詳細は、ブログ「紅子さんの赤い花(最後の方のコメント)」に。
上野の文化会館の小ホールはほぼ満員だった。
メジャー元英国首相に似ている小柄でおとなしい感じのピアノのグロスマンを引き連れて、歌唱歴30年というベテラン歌手デーリングは堂々と現れた。
外人にしてはそんなに大きくなく足も短い。
腹が若干出ているがデブではない。
ピカピカの靴を履いた足をJの字に突っ張って、ななめ上方を見据えるとパンフレットの優しい顔がぐんと引き締まる。
ピアノが鳴り、歌い始めると虎が噛みつくような表情に変わる。
しかし朗々とした歌声は力みがなく、よくコントロールされてまろやかに会場を包み込む。
シューマンの夕べとして<詩人の恋>、<リーダークライス>ほか29曲、2時間半もの間飽きることはなかった。
ただし、途中ピアノのグロスマンのために譜面をめくる若いスマートな日本人女性に気を取られたとき、彼の歌は伴奏になった。
鼻筋の通ったシャープな面、まつげの長い涼やかな目、ほどよく引き締まった可愛いくちびる。
手入れのいきとどいたソバージュの長い髪。
小麦色に焼けた二の腕は最近バリ島あたりへアバンチュールの小旅行でもしたのだろうか。
気をつけていないとわからないほどの微妙なからだの動きで譜面を追い、めくるときがくると、もぞもぞとひざの上の手が動き出し、静かに伸び上がると、ハンカチを持った手で開いてくる上着を抑えながら、右手がやさしく伸びて、まくるペイジをしなやかな指がはさむと、サッとめくる。
いよいよデーリングの歌は佳境に入って、張っていた腹の部分のシャツがぶかぶかしてくる。
アンコールを<サクラ>ほか4曲s-ビスして、彼の声は豊かに、力強く、しかもあたたかく歌い終えた。
たしかに、いらっしゃるでしょう。少数ですがプロの批評家が・・
けれどクラシックを支えているのは「素人」です。「私はこう感じた」ということで全く大丈夫なんですね。100人いれば100通りの感想があるものです。芸術の受け手としての「自信」を持って、感じたままを言いましょう。
私だって当然ながら「素人」なんです。「沢山聴いている素人」であり「聴くのが好きな素人」であり「その感想を遠慮無く言う素人」なんですもの。
そしてラ・フォルジュルネは、「音楽大好き素人」の為の音楽祭なんです。
去年のラ・フォルジュルネで、オペラの前奏曲ばかりを集めた公演は、ゼロ歳児ウエルカムコンサートでした。前奏曲というのは、オペラが始まる前のざわざわした中で演奏されるものであって、遅れたお客さまが席に着くざわめきもある中での演奏だから赤ん坊の泣き声だって起きるものなんです。
もともと前奏曲とは、そうしたものだったようです。
そういう説明があって、前奏曲集+ゼロ歳児に納得しました。
わたしの最高の贅沢は、素晴らしい生演奏を聴きながらうたたねをすることです!!
ピアノの楽譜をめくる若い女性に心を躍らせながら聴くピアノは、かしこまって拝聴するクラシックよりずっとカラダに染みこむと思います。聴覚だけでなく、五感?で味わっているんですものね。
みずうみさんに感化され、今朝はグレン・グールドのゴールドベルグ。夫が、結婚前に私へ手紙を書く時のBGMだったことを改めて語ってくれ、あっという間の17年だったねと感慨を分かち合いました。
あの頃の切ないまでの激しさはもうないけれど、愛おしさは重ねた年月に倍加して深まります。
バッハはどこまでも詩的です。音楽が貴族の遊びになる前の、教会とともにあった時代。。。
ただひたすらに主イエス・キリストを証することが、バッハの音楽だったのでしょう。
バッハ、大好きです。
ゴルトベルク(ゴールトベルクでしょうか?)もいいですが、
ブランデンブルク協奏曲も好きです。
一番好きなのは「J.S.バッハ/オーボエとヴァイオリンのための協奏曲BWV1060」ですね。
私も音楽的な知識はまったくありません。
素人が「聴いて楽しむ」ものが音楽かと思っています。
今日は札幌のキタラコンサートホールで市内の中学生の吹奏楽部を交えた札響の音に触れてきました。
素人ながら中学生の出す音は本当にピュアですよ♪
ジャズも・・
高樹さんからジャズのお話が聞けるなんて驚きでした。
私もジャズは日々のご飯のようなものです。
それでも最近は私・・・
胡弓(二胡)の音にとても惹かれていますよ。
とても心癒される音色です。
ちょっと苦手だったアジアなのですが、
高樹さんの「SIA-DAY]のお陰でいろいろアジアの素敵な部分に触れることができて嬉しく思っています。
私の物事の見方も最近は随分以前とは違ってきました。
ありがとうございます。
東京ではラ・フォルジュルネという素敵なイベントがあるのですね。
札幌ではPMF(パシフィックミュージックフェスティバル」というのがあって、
まだまだ勉強中の音楽家を育てるイベントがあります。
今年はクリストフ・エッシェンバッハさん指揮のコンサートを聴きに(見に)行くのがとても楽しみなところでした。
音楽は素晴らしいです。
クリストフ・エッシェンバッハさんも・・・
かなり素敵な人なんですよ。。
・7月7日 七夕コンサートについて
<今宵ひと夜の星物語>
中国・韓国・日本 ~愛・平和・生命の詩(うた)~
七夕の夜に
吉岡しげ美がおとどけする「星物語」。
中国、韓国、日本にある七夕伝説を語り、
それそれの国の伝統楽器との
コラボレーションによって美しく奏でます。
今宵ひと夜、星々に思いを馳せ、
愛・平和・生命の祈りとともに。
日時:2009年7月7日 午後7時開演
場所:浜離宮朝日ホール
入場料:前売・当日とも、\5,500(全席指定)
ピアノ弾き語り・作曲 吉岡しげ美
ゲスト 張紹成(京劇俳優)
演奏 諸岡由美子(チェロ)
毛利沙織(レバーハープ)
閔栄治(チャンゴ、テグム)
王淑麗(二胡)
http://concert.shigemin.com/
(^^♪ 以上、「SIA」にマッチした音楽詩のご案内でした!
「プログを拝見させていただきました。そして、皆さまからのコメントも読ませていただきました。大変内容の深いコメントが多く、感動しました。さすがに高樹のぶ子さんのサイトです。読んでいらっしゃる方々の質の深さを感じます。
この映画の話を日本の方に話しても、皆さんがこのように反応してくださるわけではないだけに、本当に感動しました。」
原田さんのピアノへも、どうぞお出かけください。
きっとこれはバッハが身近なテーマを、簡単に曲目に出来る才能に満ち溢れた男だったからでしょう。
マタイ受難曲を初演したメンデルスゾーンは、母親も優秀な姉のファニー・メンデルスゾーンも、バッハ筋の弟子だったそうで、元々彼もバッハ大好き人間だったようです。
生誕200年のメンデルスゾーンが、今回のテーマになっていないのは異議有りでしたが、ラ・フォル・ジュルネの祭典そのものは好い企画だと思います。
僕もクラッシックのコンサートでは、よく眠くなってしまい・・・そんな聴き方も時には優雅か?贅沢か?阿呆か?、それも好いでしょう。笑
昨年のラ・フォル・ジュルネを沢山聴いたのですが、無名でも皆さんの演奏や指揮のレベルが高く感心しました。
尚、最近は携帯の扱い方がマイブログの投稿「送信」と、こちらへの単なる投稿の「戻る」同じなので、コメント投稿の時にうっかり間違い、戻るを押してしまい削除され、これも昨夜の書き直しです。苦笑
先生の温かいお言葉心に染みました。
早速明日、わがブログで紹介させていただきます。悪しからずお許しのほど。
彼は二度結婚していて、最初の奥さん(マリア・バルバラ)は六人(日本語のウィキペディアでは7人)の子供を産んで亡くなっていて、そのうち4人が育っています。
バッハは次の年にアンナ・マグダレーナと再婚していて、その人との間に13人の子供をもうけ、そのうち育ったのは6人です。ほとんどが乳幼児期に亡くなっているようです。
ちなみに、ドイツのウィキペディアによれば、シューベルトの母親は、16人の子供(日本語のウィキペヂアでは14人)を産んで亡くなっています。シューベルトは13番目の子供ということになっています。そのうち育ったのは5人のみです。なお、シューベルトの父親は、再婚してさらに5人の子供をもうけています。成長したのは3人です。
すごいですね。
このブログでの皆さんのコメントのいくつかから;
**** ピース・リヴァーさん
>バッハには、もうひとつ『ヨハネ受難曲』がありますが、どちらもすばらしいですね。キリスト教の信仰の厚い人が聞かれたら、泣き出してしまわれるのでないかしら。<
・・・私は仏教徒ですが、2年前に始めて聴いた時、本当に涙に暮れてしまいました。ソプラノは藤崎美苗さん、アルトは、青木洋也さんです。素晴らしい演奏でした。それからヨハネ受難曲がとても好きになっています。それに、藤崎美苗さんのファンになりました。
****Enoさん;
>小山実稚恵さんのゴルトベルク変奏曲をお聴きになったのですね。私も同じ会場にいました。一つひとつの変奏がそれぞれの小宇宙をつくり、それらの果てしない連鎖が続いていく――そんな気の遠くなるような感覚に陥りました。あの曲をかいたときのバッハは、時代的な制約から離れて、ある種の超脱的な空間にいたのだと思います。 <
・・・私もそんな思いで、「知の音楽」というウェブページを作っています。
http://www.geocities.jp/imyfujita/goldberg/index.html
****別のゴルトベルク変奏曲 saeさん;
> 私は、シュ・シャオメイさんのゴルトベルク変奏曲を聴きました。ついつい彼女の来し方などを想ってしまい、祈りに満ちた音に聞こえました。<
・・・今日(平成21年5月18日)の日経新聞にシュ・シャオメイさんの手記が出ていました。文化大革命で大変な経験をして、それでもピアノを続けているお話、感動的でした。中でも、米国で同室の人に論文執筆中なので、ピアノの練習をとめられた時、ゴールドベルク変奏曲だけはOKだった、というお話は印象的でした。