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高樹のぶ子のSIAブログ

2009年05月11日 / 最近の出来事

宇宙の果実

  先日NHKで「地球LIVE」という素晴らしい特集を放送していました。
海底1000メートルと、宇宙基地に何十日も暮らす若田さん、それからバハマの海を中継して、いま地球のバランスが崩れかけていることを実感放送していました。
無重力の宇宙と言っても、たかだか400キロの高さです。
私の暮らす福岡からだと、大阪の手前、神戸あたりかしら・・そんな距離を上に向けると、そこはもう宇宙で大気の無い真空世界なんですね。
地球儀で確かめてみると、大気の層なんて、本当に薄いものなんですね。
薄いベールをまとった、デリケートな水球が地球です。


 その球体の上で進化した生き物である人間が、400キロ上空の宇宙基地と、日本の海に浮かぶ船とバハマと深海を中継して、鮮明な映像を共有できるというのは、やはりとんでもないことだと感じました。人間は進化しすぎてしまったのかな。


 「これだけの予算があれば、アフリカの子供を何人救えるか」
という言い方を良く耳にします。
その通りだと、とりあえず私の中のヒューマニズムが反応しますが、すぐに別の考えが起きてきます。
でもそれって、人間の生活のスタンダードを、アフリカに置くことではないの?と。
アフリカの子供たちを救うためにも、科学が進歩する必要がある。最先端に予算をつぎ込む必要があると言う気がします。


 我が家のベランダという、地層が30センチの宇宙に、どこからか飛来した植物が、不思議な果実をつけました。このところ植えた記憶のない草や木が、わずかな場所を巡って生存競争しています。
意外にもボタンやシャクヤクは強くて、ツツジを駆逐しました。
勝手に競争させています。
つまり、ベランダを見守る神様(私)は非情で面倒くさがりというわけ。
その横に、この写真の実を見つけて、これ何だろうと・・細い木にいくつかくっついています・・
食べてみましたが、渋くて酸っぱくて・・


                                             高樹のぶ子





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コメント ( 18 ) | Trackback ( 0 )

« バッハに浸り... TVドキュメン... »

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コメント
 
 
 
完全に熟しても (いちい)
2009-05-11 19:39:58
渋くてすっぱいやつ!

でも、生きているっていう存在感。

子供の頃に齧ってみて、固くて渋くて

でも、親しみのある果実!
 
 
 
果実酒 (本旅)
2009-05-11 20:15:52
果実酒にして、喉に良薬みたい!
 
 
 
Unknown (夢の中へ)
2009-05-11 22:12:43
人間の進化といえば、当サイトは、小説家がブログを利用して世界中の読者と連載中にコメントのやり取りとか、関連する動画のサイトアップとか、このようなお取り組み(当サイト)はひょっとすると「人類初?」かも知れませんね。
さらなる進化を期待しております。

お写真の植物の葉や果実の勢いとまばゆい陽光に夏の訪れを感じさせられます。
ご自身で、実を食べて、直接確かめられたそうですね。何年か前の文藝春秋で植物学者のお父様に教えられたこと(クロレラとか自分で確認しなさいとか)の特集が思い出されました。

文藝春秋といえば、6月号で”SIA photo de essay”を拝読いたしました。TV・SAIAのサイトアップを心待ちにしています。(福岡から400kmも離れるとTV放映も新聞記事も随分違いますので:宇宙並み?)
「甘苦上海」も1人称で情景など想像力を働かせながら読んでいますが、乗り物酔いのように感じたり、コンテクストへの乗りに少し疲れを感じます。作者はその何倍もしんどいでしょうね。
「うまくいかないのが恋」も随分参考になりましたが、やはり女性の心理は難しくなじみにくいですね。
タイのチュチャート村長でしたら、両性の立場でより深く立体的に読み取れるのかなと思います。是非読後感を伺ってみたいです。

立夏、「甘苦上海」でも、上海の街並みにプラタナスの若葉がよみがえり、また一つ年輪を重ねて、上海の街並みを青々と染めていることでしょう。

  プラタナス 夜もみどりなる 夏は来ぬ (石田波郷)

熱(夏)と青の空間軸と、上海に流れる時間軸の小宇宙を、またさらに膨張する宇宙の中を、紅子さんはどのように浸りながら泳いでいくでしょうか。
1人称の読者として、天動説的宇宙観で、紅子さんの目に映るまま、想像力を働かせながら読んでいきたいと思います。(いろんな読み方をご提示いただき面白いです)

※ 俳句といえば、種田山頭火も防府市のご出身でしたね。
チャレンジ精神や創造性を育む風土?

 
 
 
つつじが駆逐されましたか。。。 (香織)
2009-05-12 05:28:58
ベランダの話題には、頬も心も、ほころびます。

最先端に予算をつぎ込む、その通りだと思います。
ある医学者が、「研究を進めるほどに、創造主の偉大さを知る」と語ってくれましたが、自然の摂理や、大いなる秩序に、人としての謙虚さをわきまえつつ発展し、その恩恵を、人類皆で分かち合えたらいいですね。

「アフリカ」は、現状とその因果を、皆で知ることが大事だと思います。
先日、地元中学の講堂で、PTA主催の、NYT記者による講演がありました。彼は、アフリカ某国を真剣に取材した内容を、映像で示しながら熱心に講じましたが、話が終わるや、老若男女一斉に挙手、素晴らしい講演も前座と言わんばかりに、質疑応答が続きました。
お説拝聴の次に、さあ、自分がどう関わるかを考えあっている姿に学ばされました。

夢の中へさま、(相楽園のつつじはいかがでしょうか?)
願わくは、「女性の心理」ではなく、「紅子の心理」と捉えてくださいませ。
私にとっても、紅子の心理はなじめませんもの。

また、経営者としても、私なら、労働法改正後ならなおのこと、香港系銀行に勧められたからと言って、固定給と歩合の比率見直しはしません。
上海顧客の拡大を第一に、スタッフには日本語の心配をさせるよりも、肝心のスキルアップに努めさせるでしょう。
会議では、嘘や希望ではなく、謙虚に数字を読んで、戦略を伝えるだろうし、常に、6000万以上の資本金を担う責任を感じて生活すると思います。






 
 
 
花梨 ()
2009-05-12 05:54:30
実りの季節の始まりですが、沢山の花のなかで実を付けた幸運。
植物の不思議さを感じます。

写真の若い実は表皮もまるで洋梨のラ・フランスに似てますね。

この春、カリンの花は白だけだと思っていたのですが、少しピンクがかった色の品種も有るようで、母親があの木は何の木かを聞いてきました。

12年位前に白桃や李などが老いて更新期を迎えたので、それを期に実家の敷地に沢山の果樹を植えてみましたが、柑橘系と桃や李は順調に生育しています。

高木になり易い外庭のカリンも強く剪定して、3M位に抑えてますが、時々実を付け木瓜茄子の風情に似ています。

屋上庭園ではツツジより牡丹類が強いのは、ツツジやブルーベリーの仲間は酸性土が好み、コンクリートプランターはアルカリ性だからでしょう。


 
 
 
問題提起 (ピース・エイヴァー)
2009-05-12 13:45:24
「これだけの予算があれば、アフリカの子供を何人救えるか」
という言い方を良く耳にします。
その通りだと、とりあえず私の中のヒューマニズムが反応しますが、すぐに別の考えが起きてきます。
でもそれって、人間の生活のスタンダードを、アフリカに置くことではないの?と。
アフリカの子供たちを救うためにも、科学が進歩する必要がある。最先端に予算をつぎ込む必要があると言う気がします。


上に再現したのは、のぶ子先生のコメントの一部です。
この部分についての僕の印象は、文学・思想にとって大問題であるはずのものを、えらくあっさり片づけられましたね、というものです。
上記の部分を人間の関係性として捉えた場合、国家というものが介在するので、問題は単純にはいかないのですが、この国家というものを一応括弧に入れて考えて、個人としての人間の関係として捉えた場合、のぶ子先生の提出された問題は、極端化すれば、次の二つの命題に言い換えることができると僕は思います。これは、僕の友人が偏愛する命題でもあります。
ひとつは、「私は世界に一人でも不幸な人が存在するかぎり幸福ではない。」これは誰の言葉か忘れました。釈迦だったかな。もうひとつは、「世界なんか破滅したって、ぼくがいつも茶を飲めれば、それでいいのさ。」これは紛れもなくドストエフスキーの『地下室の手記』の中の言葉です。
僕らは実際には、この両極限の中間で右往左往するしないわけですが、文学・思想の理想としては、前者にあくまで接近することであると僕は考えます。
しかし、現実には国家というものが歴然と存在し、一方に今日、明日生きるのも、おぼつかない無数の人が存在するのに、他方では膨大なお金が、宇宙開発や軍事費に費やされています。しかし僕はこれは、あくまで矛盾だと考えます。これからあとは妄想に近くなるかもしれませんが、理想に近づくには、いずれ国家は解体されるしかない、というのが僕の思想です。ではどうやって国家を解体するのか。それが僕らが現在当面している最大の課題のひとつだとぼくは考えます。
ここで文学の理想を暗示するものとして、リルケの『厳粛な時』(高橋健二訳)という詩を挙げます。
    
     厳粛な時

今、世界のどこかで泣いている人は、 
理由もなく世界の中で泣いている人は、
私を泣いているのだ。

今、夜中にどこかで笑っている人は、
理由もなく夜中に笑っている人は、
私を笑っているのだ。

今、世界のどかを歩いている人は、
理由もなく世界の中をあるいている人は、
私に向かって歩いているのだ。

今、世界のどこかで死んで行く人は、
理由もなく世界の中で死んで行く人は、
私をみつめている。


コメントが大変長くなって、申し訳ありません。
 
 
 
森の奥の宇宙 (みずうみ)
2009-05-12 18:47:29
「宇宙の果実」
なんて素敵な題なんでしょう!

私は「宇宙」という言葉が大好きです。
だって、コンクリートで固められたベランダにも、展がりや夢を感じることができるじゃないですか。
「30センチの宇宙」という表現、いいですね。

私が最初に無限の宇宙を感じたのは、自分の体内の子の宮でした。未知なる我子の無限の可能性が宿っているような気がしましたから。

写真の果実は、ラ・フランスですか?私には酸っぱい梅の変種か、柑橘系の若い実に思えました(素人考えです)。

そういえば、11日付の甘苦上海に、柑橘系の香りの話が出ていましたね。私も柑橘系の香り、子供の頃から好きでした。初恋の人の香りがシトラス系の匂いだったからです。

香りといえば、香織さん、グレングールドがお好きなんですか?実は私も彼に強い興味を抱いています。

リヒテルとグレングールドは、また違う意味での天才だと思いますよ。彼の演奏するバッハのゴールドベルグ変奏曲には、それこそ「宇宙」を感じます。
天才には、その心のなかに、独自の宇宙が展がっているような気がしました。

我らが高樹先生も天才かも。
「日が長くなった。夕方になっても昼間の生ぬるい空気が引かない」(11付「甘苦上海」より)。この表現もいいなぁ。

本当に陽が長くなりました。
さっき、夕刻の森の彼方からセミの声が聞こえてきって、びっくり!昨日、今日と暑かったですからねぇ。

森の奥にも宇宙があるなぁ・・・。
 
 
 
えっ? ()
2009-05-13 04:59:50
みずうみさん、この実はカリン(花梨)の木の実ですよ。

若い実の表皮や心がよじれた形は、洋梨のラ・フランスに似て梨らしいでしょう?
と言うコメントでした。(^_^)


ピースさんの文学の在り方については同感ですが、例えば明らかに僕は10代に文学作品を楽しんだだけで、大人になって文学に全く期待はしてない自分がいます。
そしてどこか心の片隅にマンガ本ではなく、10代の若い層に読まれる文学作品を期待しているのです。

僕ら世代のように目が老いては、文字や文学から得られる感動は難しいでしょう?


 
 
 
地球 (昭和のマロ)
2009-05-13 06:49:11
 宇宙から見ると、
 <薄いベールをまとった、デリケートな水球>
 吉本ばなな曰く、<不安定で「水っぽい」今にも宇宙の暗黒に向かってこぼれてしまいそうに「うるんでいる」>地球。

 なかなかロマンチックですが、現実は<渋くて酸っぱい>宇宙の果実なんですね。
 
 
 
 
飛来果実 (高樹のぶ子)
2009-05-13 10:03:25
ラ・フランスは食べたことがあるし、花梨もどこかで見たような気がしますが・・記事に書き忘れていたのですが、この実は三センチ程度の大きさなんです・・・??
 
 
 
懐かしい風 (いちい)
2009-05-13 10:36:10
http://www.geocities.jp/setuko02042001/bokenomi.html

http://www.suwanet.net/~sakailab/note/2001-2/20010901jina.html

http://omigoto.vill.omi.nagano.jp/hana/detail.asp?id=42
 
 
 
Unknown (柔軟体操)
2009-05-13 15:13:45
最近寒暖の差がありますね
体調崩してないでしょうか
気を付けて頑張ってください
 
 
 
訂正、木瓜茄子ですね? ()
2009-05-13 22:34:21
画像を改めて観察すると木瓜の葉っぱですから、これはボケナスでした。

ボケも梨属だそうですから、実も似ているのでしょう。

ボケの実は干からびた秋にしか見たことがなかったので間違えてしまいました。

木瓜茄子と断言しますが、やはりこれも果実酒にすると、ボケが治るらしいです、いえ、この嘘はもちろん冗談ですよ。


 
 
 
Unknown (ろりちゃん)
2009-05-14 13:40:45
自然って素晴らしいって事でしょうか?
 
 
 
Unknown (元気)
2009-05-14 16:02:51
お疲れさまです
もう5月も半ばですね
お互い頑張りましょう
 
 
 
逞しく美しい木瓜 ()
2009-05-15 22:51:43
今年のお正月に赤い木瓜の2Mほどの大枝を買い求め飾り、それまで木瓜の特性を知らず観察していると、一つの特性を発見しました。

先ずそれは生命力の逞しさでした。

花を活けて二ヶ月以上も立派に咲き続け、花器のなかで切り口から発根さえしていました。

そのまま三月中旬に挿し木にしたところ、しっかり根付いています。

もう一つは木瓜の咲く季節が長く奇妙な咲き方をします。
花屋さんにこの木瓜は咲き終わってから、葉っぱが出たらまた蕾を付けて咲きます、と教えられました。
正にその通りでした。

中国の原産地が特別な気象条件だったのでしょうか、不思議な植物です。


 
 
 
ピースさんの問題提起を、反芻しています (香織)
2009-05-19 03:30:06
ピースさんが、「文学・思想にとっての大問題」と断言されていらっしゃることに希望を抱きながら、何度も読み返しました。
私にとっての文学とは、思想・感情の言語による表現であり、哲学です。
日本の書店に行くたびに、文学価値より、流通価値が重視されているかの実態に、「文学の衰退」を実感していました。
メディア受けする文筆家が、それを助長しているようにも感じます。
正直言って、文学にはもう期待できないと諦めていましたが、ピースさんのように、文学の理想を掲げていらしゃる方がいらっしゃることに、心強くさせられました。

とはいえ、我が家の10代の子ども達には、古き良き文学作品と、むしろ、経済学の書物を提示して、考えあっています。
人類の歴史において、一部の層だけのものだった富を、どう分配していくかを問い続けた経済学。
実社会を経験していない彼らだからこそ、その無限の可能性に期待しているのかもしれません。

(本質を捉えようとしないでバブル後を語ると、こういう表現になるのかと、松本の説明を読みながら感じました。同調する紅子は、世間知らずの小娘のようです)

みずうみさん、リヒテルのバッハは未聴でしたが、興味を抱かせてくれてありがとうございます。楽しみに、聴いてみます。
少し苦い思い出があって、、、まだ幼い子ども達と一緒に、彼のチャイコフスキーを聞きながら、「リヒテルは、毎日10時間練習したピアニストだよ」と余計な事を語ってしまったのです。
子どもの無限の感受性を、こうして弱めてしまう私。。。と深く反省したものです。

18日の日経文化面に、朱曉玫が手記が掲載されていました。
バッハと老子に通じる「無為自然」。「人間にとって大切なのは、・・、心の自由や平安を自分の中に探し当てること」。
私にとってバッハは、詩的に神を証ししてくれます。
彼女の「冷蔵庫のような寒い部屋でも、バッハを弾くと体が温まった」という体験に感じ入りました。
芸術とは、時代や体制などの制限を超え、宇宙を経て、常に真理を追求し、証し(表現)するものなのですね。

 
 
 
Unknown (夢の中へ)
2009-05-19 05:46:17
私も、18日の日経文化面、「朱曉玫の手記」拝読しました。いろんな発見がありました。
「バッハは老子の思想に似ている。『無為自然』」。「有為自然」ではないということもわかるような気がしますね。
「バッハは太極拳と同じ。冷蔵庫のような寒い部屋でも、バッハを弾くと体が温まった」という体験は、驚きでしたね。
音楽療法では、なぜかモーツアルトの効果には及ばないとのことですが。
昨年は、ユンディ・リー(李雲迪)のリサイタル(主にショパン)を聴きましたが、豊かに育った世代で、中国人という感じがしませんでしたね。
ユンディ・リー(李雲迪)も同様な感じ方をするのか興味がありますね。
(アジアの国には行ったことないのですが)社会の変化の激しさに応じて、世代間のギャップも日本人が想像する以上に大きなものがあり、大変なんでしょうね。
甘苦上海で、そのあたりの記述が出てくるかもしれませんね。

「本質を捉えようとしないでバブル後を語ると・・・」とありましたが、
昨年の今頃、米国の巨大金融機関のトップが金融危機を目前にしていながら、「曲が鳴り続けている限り踊らなければならない。」とのコメントがありましたね。
強大な権力を手中にしているトップでさえ、流れに逆らえない状態です。では、「曲」とは何でしょう?金融商品の顧客?出資者?その他利害関係機関?
バブルというものは、いろんな形で今後も確実に繰り返すでしょうね。

人間には二面性があるとは思いますが、おっしゃるとおり紅子さんについては、同一人物かなぁという違和感は今でも感じるところはありますね。
でも最近は経営者的な要素が前面に出てきていますし、225話(5/19)では、「もっと迷いたいのに、もう迷えない。」との表現から、要素還元された後に、自己組織化的に再構築が始まりつつあるのではないでしょうか。
カテゴリーという悟性を崩し、特にライブ観から、感性の認識形態である「空間軸」と「時間軸」を駆使され、SIA小説として描きあげられるのではないかと期待しています。
きっと紅子さんは劇的(不連続的)に変わってきますよ。

兵庫、大阪はインフルエンザで大変ですよ。
相楽園(つつじは4000本でしたが)も、芦屋の谷崎潤一郎記念館(細雪60年展)も、来月以降の方がいいですね。
ご自愛ください。
 
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