高樹のぶ子のSIAブログ
2009年05月02日 / 最近の出来事
ドイツに暮らすピアニストの原田英代さんからメールが来ました。
彼女は私の高校の後輩で、私の恩師のお嬢さんです。
パッションのある、素晴らしいアーテイストとして、ドイツ中心に活躍されていますが、わたしも応援団の一人です。
その原田さんのメールに、ドイツで制作された「ジョン・ラーベ」という映画が、日本では上映禁止になって残念だということが書かれてありました。ベルリン映画祭、バイエルン映画祭などで受賞した作品だそうです。
上映禁止なんて、なんだか戦時中の話みたいな気がして、一体どこが禁止する「権限」を持っているのかしらと、不思議な気がしました。映倫なのでしょうか。
私の想像では、配給会社が、「これは入場者が来ない」と考えて、買わなかったのではとおもうのですが、どうもドイツでは「日本では上映禁止」ということになっているようです。
南京事件を描いた映画らしいですが、その中味が日本の恥だと感じる以上に、今の日本において、昔のような「上映禁止措置」がとられていると「外国に思われていること」を、少なからず恥ずかしく感じます。
どの機関も禁止などはしていなくて、単に興業収益が見込めないから、配給会社が買わなくて、結果として上映がなされない、ということなら、自由主義経済の社会ですから、やむを得ないと思いますが。
この映画で描かれたジョン・ラーベという人物は、南京のシンドラーと呼ばれる人物のようです。
シンドラーはナチスからユダヤ人を救った人物ですが、日本の外交官も同じようにユダヤ人を救いました。
戦争のあらゆる局面では、殺戮と人命救助が入り乱れています。
歴史の真実をここで突き詰めることは出来ませんが、それがたとえ一方的な描き方であっても、あらゆる方向からの表現が、受け入れられ、考えるよすがに出来る社会でありたいし、外国からも、そういう表現自由な国だと見られていたいですね。
以下は、この映画の梗概です。
映画を見ることが出来ないので、教えていただいたストーリーを紹介させてもらいます。
こういう人物がいたということを知るだけでも、いいのかなと思いましたので。
「1937年12月の南京を舞台に物語は始まる。ジーメンス社の南京駐在員として1910年に現地に赴き、最期はジーメンス支社長として成功を収めた実業家ジョン・ラーベは、27年の勤務に終止を打ち、ベルリンに帰国することとなる。最後の晩餐の席で、中国からもメダルを授与され、幸せに南京勤務を終えるかに見えた矢先、工場の上空から日本軍の襲撃を受ける。彼は、咄嗟にハーゲンクロイツの大きな旗を広げ、ここはドイツ人の工場であることを知らせようとする。そして、旗の下に中国人労働者をかくまう。幸いにして日本軍は去っていく。
この事件を機に、数人の外国人が結束して南京安全区域を作り、外国人(外交官、商社マン、宣教師、医師等)及び一般市民を守ることを思いつく。その南京安全区国際委員会委員長に推薦されたのが、ジョン・ラーベ氏。27年も南京に滞在し、南京をよく知っているということが、一番の理由であった。委員長に決定したものの、引越しの準備もすべて終えた彼は、妻と共にベルリンに戻ろうとし、港まで赴く。しかし、結局、妻だけを船に乗せ、自分は南京に留まる。
それから、中国人保護の日々が始まる。安全区域が出来たことを知った民衆は、どんどん押し寄せ、収容しきれるものではないが、それでも彼らは一人でも多く助けることを目的に日々、励む。しかし、ここへも、やがて日本兵が押し込んでくるシーンも多い。
また、捕虜を取らず、すべて殺害することを決定した日本軍のやり方はむごい。
映画の最期は、1939年に彼がドイツに帰国するところで終わりますが、その後のラーベ氏については、画面に文字で記される。
ドイツ帰国後、ゲシュタボによって逮捕され、敵国軍の協力者とみなされる。しかし、ジーメンスの働きかけによって、釈放される。戦後派ナチス党員として逮捕されるなど、過酷な運命は続く。結局、極貧のうちに、1950年死去する。」
戦後50年ほど経て、彼の日記が発見され、それをもとに、この映画は作られたそうです。
日本でもこの日記は「南京の真実」という名で講談社から出ているようです。
高樹のぶ子
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理由はわかりませんが、商業ベースに乗らないということで、日の目を見ないものは多くありますね。
特に文化面においては。
誰もが必要と感じられるもので、誰もやらない(リスクが大きいので)ものこそ、行政(公共機関)の果たすべき使命であると思えます。
このようなものこそ、SIA事業として独立行政法人九州大学関係で出来ないのでしょうか。
総合芸術と国に責務について、ちょうど1年前に伺った新国立劇場の遠山理事長のお話が思い出されました。
遠山理事長(元文部文科学大臣)談
「総合芸術」というものは、やはり国のバックアップがないと、(金銭的に)なかなか成り立たないものです。
その総合芸術をきちんとやることが、「国の文化レベル」の証明になります。
ソ連・ロシアは、「芸術大国」です。バレエ・オペラの殿堂「ボリショイ劇場」は1776年の創設以来、230年もの歴史があります。
その間、戦争あり、革命あり、様々な時代の大波が押し寄せましたが、絶えることなく「芸術の第一線」の立場を保持し続けています。
国家(というか国民)がその必要性を認め、支援を惜しまなかったので、「国の文化レベル」が時代を超えて「守られて」きました。
下記のアドレスで動画が見られます。参考まで。
http://www1.news24.jp/blog/eye/2008/04/44.html
追伸
原田英代様のピアノリサイタルがございましたらブログ紹介ください。
先日、キーシンのピアノリサイタル(大阪)に感動に浸りました。
大阪のお客様は神戸と違って劇場慣れ(スタンディンオベーションなど)していますので、キーシンも乗りに乗ってアンコール時間が1時間20分。
拍手で手がはれました。昨年のユンディ・リー(李雲迪)凄かったです。
本当に興行上の理由で上映できなくなったのでしょうか?違うような気がしないでもありません。
戦時下の日本の異常について日本人として謙虚に考える必要もあり、上映禁止?は残念です。
私は日本人ですが、仮に自分が表題の彼と同様の立場に立たされたとしても、同じ行動をとっただろうと思います。人の命を思う心は国境を越えるのではないでしょうか。
今日は憲法記念日。憲法改正の論議も含め、様々な事を考えさせられたブログでした。
またここから、感じ、考えあいたいです。
配給会社は「興行収入が見込めない」以上の不利益を被るから拒否するのでしょう。
「自由主義経済の社会ですから、やむを得ない」のでしょうか?
経済の自由は、「表現の自由」とともに勝ち取られたはず。自由主義経済の社会だからこそ、表現の自由を保障する意識や体制が、大切だと思います。
残念ながら、外から見ていて、表現自由な国には見えないのです。。。(見えない圧力に屈している?)
「「上映禁止措置」がとられていると「外国に思われていること」」よりも、実際に上映されていない事態こそ恥ずかしいし、一人一人が直視すべき問題でしょう。
南京虐殺となると、あれは中国のでっちあげだと、いきまく人が、必ずいますからね。
南京は、長江の下流域のひとつの都市ですね。日本人は、愚かにも、太平洋戦争中、自分たちの祖先(渡来人)の故郷に大規模な殴り込みをかけたのです。
「自分たちの祖先(渡来人)の故郷に大規模な殴り込みをかけた」のは、1937年に始まった「日中戦争」であって、1941年にはじまった「太平洋戦争」と記されるとまずいのでは?
南京事件は日中戦争初期とされていますし。。。
「いきまく人」にあげ足を取られないようにとの思いからです。校閲目線を不快に思われたら、お許しくださいm(_ _)m
ご指摘の「ドイツでは「「日本では上映禁止」」ということになっているようです。」とは些か誇張した言い方ですが、事実「自主規制」や「市場」を建て前に二の足を踏んでいるようですね。ネットでの上映への署名活動もあまり勢いがないようです。十分に告知されていなければ仕方ないのですが、関心度からすると最も日本で評判話題になる映画かと思います。
「上映禁止」とする言葉を使う事自体が中共のプロパガンダでありながらも、この映画自体は東京裁判に代表されるような「南京虐殺」を初めとする戦勝国による戦後処理以上に、日本の戦後処理をも鋭く問うていますので、日本社会のタブーに抵触する要素が強いかと思います。
一方中共政府は、共同制作であり度重なる厳しい検閲をしており、敢えてその痕跡が分かるような映画作品となっています。その反面、中国国内で上映される事で「対日本戦略の落とし所」を自国民にプロパガンダするようにもなっています。
また共同制作者に独第二放送が入っていまして、ドイツでは一年以内にお茶の間で放送されるかと思います。そうなると映画館上映と平行して、日本でもNHKでの放送も選択肢に入るかと思われます。
ダンケシェーン!
原田英代さんのサイト拝見。信仰者ではないが、キリスト誕生と死と復活が自らにどのような意味をもたらしているかと問うている。
ピアニストとしての芸術の深い世界を垣間見た思いです。
僕の事実誤認でした。謹んで訂正いたします。
こういう政治的に微妙な問題については、事実関係に慎重でなければなりませんんね。反省します。
ご指摘有難うございました。
みなさま、とても真剣に考えていただいて、ありがたいです。
この映画のなりゆきは正確なことがわかりませんが、ドイツにおいてはナチスのしたことは「過去の悪行」であり、ヒトラーは自殺し、犯罪者は裁判にかけられ、精算された歴史になっているのに対し、日本ではまだ、そこまでのけじめをつけられていません。
けじめというのは政治的に、国と国の問題としてではなく、日本人の「意識」として、中国で残虐なことをした日本人に対して、「悪」として切り捨てることができず、どこかで「同じような状況におかれれば、自分もそんなことをするキケンを、あるいは、そんな蛮行をした人間が、隣の好々爺であったらりすることを、意識のなかにか無意識にか、感じていて、「すべては戦争のせい」だとおもうことで心の始末をつけているのではないでしょうか。
わたしもナチスのしたことと、日本軍の殺戮とは、悪の種類が違うと思います。
けれどそれが、戦後の不幸です。いつまでも日本はどこかで「負い目」を感じるか、「負い目」の反動として別の感情を突出させてしまう。
たとえば、殺戮の数を問題にすることもそのひとつでしょう。
ジョン・ラーベという人はドイツ人で、中国人でも日本人でもなく、殺された中国人は5,6万人と(正確には彼の日記を読んでいません)書いています。
それとて、大変な数ですが・・
時間が来たので、中途半端な書き込みになりした。
大変なこともありますが
お互いがんばりましょう!
歴史的な事実については、一人ひとりが謙虚に受け止めていかねばならないと思います。
人類の歴史においては、南京虐殺も氷山の一角で、民族・宗教紛争や弾圧等を含め同様のことは世界の各地で発生しています。
(政治がらみのことは控えます。他国も含め国家のけじめのなさ〔ナショナリズム?〕も感じる点はあります。)
私の履歴書(4/11「戦場」が話題になっていた頃)に、「異質の文化と文化の戦いは、相手を食い尽くさなければ終わることはない。」というドイツの歴史学者ランプレヒトの言葉が紹介されていました。
これは、文化と文化の間の「相互理解」がない事が前提でしょう。
ちょっとした考え方や文化の違いが誤解や偏狭なナショナリズムを生み、悲惨な戦争や紛争へと駆り立てていきます。
ここにSIAの大きな存在意義があるのではないでしょうか。
戦争を繰り返さない社会づくりを目指して、
アイゼンハワーは国際交流の推進。(アジアの国の人々は、高樹さんのいる日本と戦争しようととは思わないでしょう)
わが国の文部次官(S21年)は社会教育の推進。(国家を戦争に導かないためには、正しく判断し行動できるな国民をつくらねばならない)
不幸な歴史を繰り返さず、日本国憲法の前文に規定される国家を創造するためには、将来に向けて、まずアジアにおいて「一人ひとりのSIA」を着実に推進することでしょう。
そして、それぞれの国や民族が文化を独自性を保ち、相互に認め合う、アジアという地域をひとつの生命体としての「自立分散協調系」を確かなものにしていかなければならないと思います。
亀山公園に「ザビエルの塔」が、白い美しい姿で立っていました。定時には鐘が鳴りました。ツインタワーでした。日本のクリスマスがあのザビエルの塔から始まったのでしょうか・・
父が山口大学で教鞭をとっていて、研究室が亀山公園のすぐ下にあり、急な階段を上ると、教会に行けました。あの教会は燃えて、いまはありません。
ラーベの日記にも、残された資料にも、虐殺の犠牲になった中国人の人数は記されていない。それは当然だ。当時の南京で、死体の数を数えた人はいなかったのだから。今日では、二十万から三十万が犠牲になったという説もあるが、それについてラーベは講演で次のように述べている。
われわれ外国人はおよそ五万から六万人とみています。遺 体の埋葬をした紅卍字会によりますと、一日二百体は無理 だったそうですが、私が南京を去った二月二十二日には、 三万の死体が、埋葬できないまま郊外の下関に放置されて いたといいます。
しかし、その後江戸時代に幕府がキリスト教を弾圧したことから、明治のはじめまで受け入れられることはなかった、と。
クリスマスが受け入れられたのは、1900年(明治33年)に明治屋が銀座に進出し、クリスマス商戦が始まったことが大きな契機となった。・・・
日本に住んでいても、日本のことすら知らないことばかりです!
また、浜田さんのクリスマスも、知りませんでした。感謝!
天国も地獄も、この地球上にあるのですね。
犠牲者の数についての話題でしたので、このブログをごらんの方々はすでにご存じだと思いますが、あらためて、私の聞いた死者の数を記してみます。
おおよその数です。
日本人の犠牲者300万人
(そのうちフィリッピンでの死者50万人)
フィリピン人の犠牲者110万人(村全体が死に絶えたものも
あるそうです)
シベリア抑留での死者6万人。
それぞれに喜怒哀楽の人生があった・・異性をすきになったり、嫉妬したり、夢みたり、親に甘えたりしていた人生の数です・・
ご考察はわかりますが、国家と政治と意識をごちゃまぜにして断じられていませんか?
ドイツで清算された歴史となっているのは、ヒトラーとナチスに罪を負わせ、国歌国旗にも示して国家として贖罪しているからでしょう?日本人も裁判にかけられています。
先生は、国や政治を問わず、意識や心やについて、主観的に述べられていますね。
pfaelzerweinさんが示された論点を、すりかえているかにも見えます。
「日本社会のタブー」・・・香川さんが演じられたお方は、その御身分ゆえに責任を問われていません。そして、香川さんは非難されている。
実質的には、ODAなどで贖罪を示しているのに、けじめをつけていないとみなされ、それがある層の感情的な突出を引き起こしてしまうのは、まずは、わが国家の方針ゆえではありませんか?
直視すべき点を落として述べられるのは、他の方々のコメントが丁寧に綴られていらっしゃるだけに残念な気がします。
わが国の戦後処理を鋭く問うた独・中・仏映画が、ドイツ、中国で上映され、他の欧州諸国でも上映予定とか。
自国の政治や歴史を、冷たい批評家としてではなく、責任を持って語る・・・異国で説明できるほどに考察する、それが、私なりのけじめのひとつです。
私は、奉職した祖父がいる三世帯家族で、「キスカ」「キノコ雲」などを、家庭の中で聞き育ちました。敬愛する祖父の死は7歳の時でしたが、その後、書物や新聞などで知っていく残酷な事実に、祖父を重ねて苦しみ、自分の中の「原罪」に向きあい続けた10代を過ごしました。だからといって「すべて戦争のせい」に帰結させませんでしたし、だからこそ、安易な「戦場」の表現には平静でいられないのかもしれません。
久々の長文のコメントが投稿の失敗で消え失礼します。
尚、ザビエルは八月に薩摩に上陸し、島津家に許され丸一年間も布教活動をしていますから、初めてのクリスマスは当然薩摩ですよ~っ!爆笑
これも胡散臭い感じですね?
<自国の政治や歴史を責任を持って語る>その通りだと思います。
ただ「けじめ」さんの国を語る姿勢はあまりに後ろ向きで主観的です。
人間の歴史を振り返るとき、飽くことなく繰り返す<戦争>はそこで行われる悲惨な行為とともに、まさに<人間の業>と見なさざるを得ない情けなさを感じます。
前にも述べたかと思いますが、今年の国際政治はオバマの出現で<力の論理>から<調和>へと変化の兆しを見せています。
歴史的に<天使か悪魔か>という二極対立で思考する国が多い中、<調和>を尊ぶ我が国の出番がやって来たと、前向きに捉える姿勢こそが今求められるのではないでしょうか。
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの初日に、樹先生をお見かけしました。連れに伝えると、お若く見えることにとても驚いていました。鼻高々でしたね…、自分のことじゃないですけど。お見かけできただけで、うれしくなりました。
きっとそうなんでしょうね。わかるわあ~
これは、究極の贅沢です。
この前のブログ、
すみれ色の恋は、すみれ色の涙でした(許)
全部恋につなげたい・・(汗)
「甘辛上海」描かれている部分。男女の中にある共通のずるさを見ますね。そうか、高樹さんは陽水ファンでしたね!
しかし、現実にこのような男女が、結構存在している、否、もっと飛んでいる、とも思っていますよ!
ー主人公は、英雄としては描きにくいナチスの党員。ドイツ人のフロリアン・ガレンベルガー監督(37)は、善悪が明快な「白黒」ではなく、「灰色の濃淡」で、いまだ論争が絶えない歴史的事件を描いた、ー
ー上海発ー
・・違和感を覚えたのは、南京を制圧した旧日本軍が市街に立つ孫文の銅像を引き倒す一幕だ。・・視覚的効果は十分だが、当時、孫文像があったのは市郊外の国民党軍事学校。張連紅・南京大虐殺研究センター主任も「日本人は孫文を尊敬しており、あり得ない光景」と指摘する。
清朝打倒の辛亥革命を主導し、国民党を創設した孫文は、中国では「民主革命の先駆者」、台湾では「国父」と呼ばれ、中台に共通する英雄。台湾の国民党政権下で急速に両岸が接近する中、日本という「共通の敵」を作り出そうとする演出だとしたら、容易には看過できない。
・・孫文像は、南京事件の8年前、莫大な私財を投じて孫文を支え続けた日本人実業家、梅屋庄吉が寄贈したものだからだ。梅屋は非国民との非難さえ受けた。苦悩したのは日本兵1人だけではない。(ママ引用)