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高樹のぶ子のWEB SIA(SIA=サイア)〜アジアの心の情報を発信する〜

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高樹のぶ子のSIAブログ

2010年11月16日 / 最近の出来事

環太平洋の時代

APECも無事終わり、何とか中国とも会談が出来たようで、とりあえず修正の
一歩でしょうか。日本での開催は15年ぶりだそうですね。


今度の尖閣漁船問題は、のちのち、歴史のうねりの最初の一波となるかも
知れませんね。


第二次大戦が終わったあとの20世紀の後半は、世界の対立はヨーロッパが
主舞台でしたが、ソ連崩壊とともに、1989年の東欧革命で東西陣営の東が
敗れて、冷戦の決着が着きました。


そしていま、舞台は環太平洋に移ってきています。
ちょうど地球儀を半周させたところにです。
経済もまた、アメリカ、ヨーロッパの衰退と、中国の台頭で、主役がアジアに
移ってきました(インドとオーストラリアを含む)。


日本はこれまでは「アメリカを中心にした西側陣営の端」に位置していましたが、
これからは中国や北朝鮮あるいはロシアに対する「最前線」「ド真ん中」に
置かれてしまうのでは無いでしょうか。
太平洋を環として見ると、その構図が見えてきます。
今世紀は環太平洋の世紀になるかも知れませんね。
「その構図を明確に生み出したきっかけは、一隻の中国漁船だった」
と、後の歴史で語られることになる予感も。


東西冷戦の時代には、核武装という馬鹿げた競争をしましたが、結局は
情報と経済が少しずつ人の心を動かして、20世紀中には解決しないと言われて
いたベルリンの壁があっけなく壊れました。
あれは「物理的な壁や強権的閉鎖」と、「情報」の闘いだったのかも。


ルーマニアのチャウシェスク政権が倒れた様子を、「百年の預言」で書き
ましたが、ミュンヘンから流されたラジオ・フリー・ヨーロッパの日々の
情報は大きかった。


このラジオ局について取材しましたが、スパイ映画のような悲惨な事件も
起きています。今はたしか学校として使われているはず。


チャウシェスクが倒れたあとのイリエスク大統領もモスクワで学んだ人で、
ゴルバチョフの楽友でしたから、ルーマニア革命の裏にはゴルバチョフがいた
かも知れません。まずソ連が崩れて、その余波が東欧に及んだ。
中国が変わらなければ、北朝鮮も変わらないのでは・・


アジアは、もっと賢く、この対立を溶解しなくてはならないけれど、
情報が大事なのは、東西冷戦と同じだと思います。
その情報は、冷戦時代より遙かにコントロールが難しいものになっています。
日本でビデオ流出で大騒ぎでしたが、中国でも情報のコントロールはどんどん
困難になってくるでしょう。
かつては月から見える唯一の建造物である「万里の長城」を創って敵を防いだ
中国ですが、防ぎきれないものがネット情報です。


けれどネットの情報は、困ったことに、強烈にスポットライトを当てることは
出来るけれど、どうかすると点の情報になってしまう。
スポットライトや点の情報は、その周辺部分を暗くしてしまいます。
一カ所ばかりに注目を集めてしまい、しかも感情に訴えます。情報に接するのは、
「個」人ですから。


ここは一番、新聞を読みましょう(唐突ですね)。
見出しには大小があります。そしてその大小に意味がある。
各紙の社説も読みましょう。新聞にもいろんな立場がありますからね。
ついでに、連載小説も読みましょう。アナザーライフに浸ることも多様な感性を
持つためには有効です・・と、これは我田引水でした。


いま、来年元日から始まる連載小説「マルセル」の準備中なんです。


(追伸・・私の記事だけでなく、書き込まれるコメントには参考になるものも
いろいろ在ります。立場も考え方も違うコメントもまた、多様な情報だと思い
ますので、良かったら併せて読んでみてください)


高樹のぶ子

コメント ( 15 ) | Trackback ( 0 )

« 外交の質の変化 SIA Short Sto... »

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コメント
 
 
 
時代 (遅れてきたファン)
2010-11-16 22:55:17
ひょっとしたら場違いなコメントになって、新しい記事の次に載ってしまうと顰蹙をかうかも知れませんが、その際は寛大にご容赦ください。

エアフォース・ワンでのプレスインタビューを興味深く読みました。私は今アジアのある国におりますが、この地でもオバマ大統領のアジア歴訪は連日報道され、特に最初のインド訪問は
私の想像を超えて好意的に受け止められていたようです。

機上のプレスインタビューでは、「アジアではアメリカの関与が求められている、アメリカはまだ中心的存在でありうる」などとオバマ大統領も大変ポジティブです。その後のパートで国内内政の課題を問われた際の歯切れの悪さとは好対照で、これも興味深いです。

ともあれ、そこまでポジティブになれるほど、今回の訪問は双方に大きな希望をまたらすものだったのでしょう。決して、アメリカからの1兆円ほどの対インド輸出が成約したからだけでもなさそうです。

であれば、高樹さんの仰る環太平洋の時代は今後実体化していくかもしれないとも思わせます。また、唐突ですが、個人的にはとうとうシルクロードが太平洋も越えてしまうのだとも感じています。日本が素通りされないことを望みます。というか、日本ももっと積極的にアジアに関与していくべきなのでしょう(まさにSIA)。とかく中国だけが取り上げられがちですが、アジアは広大です。インドの躍進は目覚しいものがあります。
東南アジアも元気です。やれ少子化だ、売上前年割れだなど、日本国内ではともすれば閉塞感ばかりになりがちですが、私は今居る国で、希望に満ちた全く別の世界(併行してさまざまな問題もあるのですが)がアジアにはふんだんにあることを目の当たりにする毎日を送りながら、自分も目線を変えていこうと思っています。

さて、私の居る国では明日がイスラムの犠牲祭です。信心深いアブラハムが、息子のイシュマエルをすすんで神に捧げようとしたところ、神がアブラハムの信仰の深さに感じ入って、祭壇の息子がまさに殺められようとした瞬間に、牛(羊?)にすり替えたというエピソードに基づいているそうです(現地社員からの聞きかじりですが)。

私は都会にいるのですが、今、このお祭りの準備で、勤務先の近所も宿舎の近所も牛だらけです(他の国では羊の場合もあります)。基本的に、裕福な人々・生活に余裕のある人々が牛を手配します。この牛達は、明日いっせいにされます(普通に街中で)。
そして皆で分け合って食べるのですが、恵まれない人たちにも
施し物として回っていきます。それを当て込んで、物乞いの人たちも何故か増えています。

これも文化、これも人の営みと感じています。

オバマ大統領は、このような国々も存在するアジアを引き寄せるのに成功しました。アジアもそれを歓迎しています。

国際社会の潮流が起こす一つの波なのでしょう。日本はどうでしょうか?私の目には立ち遅れているように見えます。現地で私の周囲にいる日本人達も同様に感じていることが多いようです。今こそ、もっと世界へ、そして隣人達へ、さらに目を向けるようにしたいと願っています。
 
 
 
マルセル? (遅れてきたファン)
2010-11-16 23:01:09
続けて書くとまた顰蹙をかいそうですが・・・

新しい小説のタイトルですが、「マルセル」とのこと。
これはマルセル石鹸のマルセル(語源はフランスのマルセイユ)なのでしょうか?

トンチンカンな質問だったかもしれません、ご容赦ください。
 
 
 
アジアの時代 (satoko)
2010-11-17 07:36:36
アジアの時代と言われて久しいのですが、やっぱり、その時は確実にやって来た、という感じです。
若い頃に言われてもピンときませんでした。

日本は環太平洋のど真ん中です。ど真ん中という位置は、どうなんでしょうね。オバマさんの意気込みを感じます。ポジティブにですね。日本もそれに乗り遅れては困ります。

中国は、ネットによると大学を出ても就職難だとか、一人っ子政策とはいえ労働力は有り余っているそうで、そのエネルギーが爆発したらいろんな意味で怖い存在にはちがいありません。
競争社会を生き抜いてきています。

願わくば仲良くしたい相手ですね。そう信じていろいろ協力も惜しまなかったはず。
力をつけてきて、追い抜いて喧嘩するのでは何にもなりません。今一度大きい視野でアジアを見渡すと、アジアは中国だけではない・・・
遅れてきたフアンさんのコメントにいろいろ見えてきたものがありました。

そうですか。イスラムはラマダン?に入ったのですか。
よくはしりませんが、アブラハムがイシュマエルを神に捧げようとして、火をつけるという場面は、旧約聖書では、イサクなんですよね。そこで、イスラムとユダヤ、キリスト教が別れたのでしょう。

アブラハムの二人の息子は、後々争い事の種になったんですねえ。感じ入りました。正妻の次男と奴隷だったハガルから生まれた長男イシュマイル。という風に習ったんです。いでもイスラムでは反対みたいですね。

でももはや宗教は争いの種ではありません。とわたし的には思っています。それは大いなる進歩だと思うのです。

横浜はやっと日常を取り戻したと、娘がメールで言ってきました。ちょうど横浜のど真ん中の桜木町(野毛)に住んでいるのです。
さて、これから一日が始まります。先生は毎日ご執筆、そのエネルギーに畏敬の念です。
毎日何やってんだかの私です。ここで愚痴っても仕方ありませんね。すみません。先生にも皆様にも感謝です。
 
 
 
旧ソ連からロシアへ (浜田英季)
2010-11-17 08:50:00
日本を立つ時まで「ソビエト連邦」と呼んでいた国が、その国を訪ねていた最中に「ロシア」と名称が変わった時期に遭遇しました経験があります。確か1991年7月頃だったと思います。外人専用のホテルには、天井から(堂々と)盗聴マイクが仕掛けてあるのが判りました。ルーブルーが急騰し、100ドルが6000ルーブル(普通の食事=5ルーブル)にもなり、帰国する際、お金を捨ててきたことが今でも悔やまれます。
 
 
 
パンジー (Gc)
2010-11-17 13:19:06
ラジオ・フリー・ヨーロッパから流れる曲に暗号を仕込んだ手法面白かったです。
インターネットが如何に発達しても有事の際にはラジオが一番威力を発揮すると思います。
サイバーテロや電力系のテロにインターネットはあまりに非力です。
北朝鮮にソーラーラジオをこっそりとばら撒いたらどうでしょうか。

プランターのパンジーですが先生の好きそうな色合いですね。
私も先週末に寄せ植えをしましたが黄色がメインでした。
 
 
 
眼科 (高樹のぶ子)
2010-11-17 17:10:23
生まれて初めて、眼科に行きました。子供の時から目には自信があったのですが・・大きな仕事が終わったところで受診すると決めていたので、思い立ったしだいです。
ここしばらく、目の疲れがすごくて、目は仕事道具なので、長持ちさせたいし・・

あれこれ、スゴイ数の検査が終わって、「涙が通常の半分程度しか出ていませんね」ですって!
重篤な病気は無かったようで、やれやれですが、涙が足りないって言われてもね・・
でも涙が足りないと、眼球に傷がついたりするそうです。
みずみずしいオンナでいたかったのですが、眼球は乾きがちのようで、しばらく点眼薬のお世話になります。

ところで昨日の、裁判員裁判で、初めての死刑判決が出たあと、裁判長が控訴するようすすめたとか・・耳を疑ってしまいました。
自分たちの判決を疑う(他に判決がある)ようなことを言うのであれば、一体なんのために裁判員は辛い思いで判決を下したのか。裁判員に負担をかけないための配慮でしょうが、それならこの制度自体に問題があります。
電動ノコギリで生きた人間を殺すという、きわめて凄惨な犯罪に向き合った裁判員の、心の苦痛と労働を無にしてないでしょうか。

もちろん控訴の権利は被告人にあり、弁護士とともに考えることでしょうが、判決を下す時点では、「これしかない」という決定であるはず、そうでなくてはならないと思います。

今回の事案は、有罪無罪を争わず、量刑だけでしたが、今後は無罪を主張する被告人を裁かなくてはならなくなる。裁判を早くするのがこの制度の目的のひとつだそうですが、裁判を開くまえの準備が大変で、何ヶ月もいえ半年も置かれていて、それがどんどん溜まっているということも聞きました。
こうした裁判は、言葉が不適切かもしれませんが、「必要にして厳粛なる汚れ仕事」なんです。裁判員のトラウマのためにセラピストをつけなくてはならないのでは、何のために・・・おまけに、「これ以外にも判決があり得ます」というような意味のことを裁判長が言うとしたら・・
 
 
 
グローバル化・新聞など (夢の中へ)
2010-11-18 01:11:07
本当に素晴らしい内容の記事やコメント(時間と空間を越えて)、いつも楽しませていただいております。
よい回答には、まずよい設問ですから、きっと問い掛けがいいのでしょう。本当に無意識の中から引き出されて(educe)いるように感じられます。

何だか「ドライアイ」のようですが、PCの連続使用が原因では?
ディスプレイの位置を目よりも低くされたり、使用時間を区切られては。お大事に。


「グローバル(global)とインターナショナル(international)」=「球面的発想と平面的発想」
ここ何百年は、西欧中心の世界観・歴史観で、わが国は勝手に極東(FAR EAST)と位置づけられ、日付変更線、西インド諸島、新大陸発見など傲慢さを痛感させられてきました。現在も。

前世紀末あたりから、21世紀はアジアの時代、環太平洋と言われました。
同時に、グローバルという言葉もよく使われましたが、ほとんどインターナショナルと同意語のような理解しかされていないように感じられることが多かったように思います。

今、西欧からアジアへの転換点において、「地球」という「球体(Globe)の世界観」を意識する転換点のように思えます。
球体の表面において、中心はありませんし、どこでも中心であると言えます。
北京(中心とすれば)から見れば、日本はどのように見えるか。:例えば、海上の万里の長城。
どこに視点を置くかで、随分違った世界像が浮かんできます。
そのように、地球儀を手に取るように、世界を立体的(3次元)に眺めることが、フラットなインターナショナル(international)との違いではないかと思います。
はやり言葉としてのグローバル化は卒業して、真の意味でのグローバル化を意識の変革を図らなければならないように思います。

球体は面白いですね。(図形的に)
・すべての直線が2点で交わります。(緯線が北・南極で交差)
・三角形の内角の和が180度超、540度未満。(赤道を底辺として緯線2本で囲まれた三角形がその例です)
平面感覚では「えっ?」という驚きを「リーマンショック?」というそうです。

グローバルな世界観では、「柵」の意味合いや存在なども変化してくるでしょう。「直径1mの柵で囲う=囲われる」も球体の世界観からの自然な発想です。
以前、ご紹介いただいた「ラウンドな人間造形」も球体の世界観ではなじみやすいのでしょうか?


「新聞」
海外では新聞社は大変だそうですが、わが国ではそれなりに残っていきそうに思えます。
各社それぞれ特徴や貴重な記事がありますが、総合評価としては、私は読みきり時間の長さと切り抜き記事の量を評価の数値指標にしています。
N紙がトップでしたが、これは甘苦上海が含まれていたからでしょうか??? 「マルセル」は何紙ですか?

「新聞と政治」
以前、米大統領選挙は新聞の影響を大きく受けているという調査結果が紹介されていました。
細かく分析すると、直接的に選挙民への影響ではなく、まず新聞にオピニオンリーダーが影響を受け、一般人はそのオピニオンリーダーの意見に影響を強く受けているとのことでした。

したがって、避けがたい「ポピュリズム」の善用は、まず「オピニオンリーダー」(百歩譲ってコメンテイターでもいい)の見識を高めることが肝要で、それに向けての新聞、マスメディア等の果たす役割は大きなものがあると思います。
ネットで読めても、いい新聞は取ってあげるというのも支援になるでしょう。また、テレビの視聴率調査を禁止すれば、(売れたら勝ちというような)ポピュリズムからの浄化が図られるようにも思えます。
オピニオンリーダーの皆様が、ぶれたり、煽られないように祈るばかりです。
 
 
 
環太平洋をこえて (木蓮)
2010-11-18 03:34:55
20世紀末に『百年の預言』、21世紀初頭に『甘苦上海』を書いた作家が「環太平洋の時代」に結ぼうとする流れでの世界史観はこうなるのだ、と新鮮な思いで拝読しました。
「冷戦cold war 」。主役が2度の大戦で疲弊した欧州から米ソへと移り、アジア・中東・アフリカ・中南米を悲惨な実舞台とした対立でした。日本人を激怒させた中曽根首相(当時)の「不沈空母」も、日米同盟を象徴する発言でした。ずっと最前線。スポットライトを浴びるか否かの差だけで、世界中のどこもが舞台。
「冷戦の終結は、レーガン大統領の徹底的な軍備増強の成果」(誇らしげな顔、息をのむ顔)「ともいわれています。そして、危機が去った後、莫大な赤字で苦しみます」あざなえる縄のごとし。話しながら願います。歴史を表面的に覚えないでね、今を解決する手立てとして、多面的に、近づいたり、離れたりして、深く考えてね、と。

ヨーロッパで興った工場(生産現場)が新大陸→日本→アジアへと、人件費を抑えられる地に移り、順々と経済が隆興し、下降。そこへ持てる国のエネルギー資源軸が絡まり、「宗教」が重なり、待ったなしで環境問題が網羅する。中国・インドとならぶ、持てるロシア、活気のブラジルの台頭。中国漁船は、サラエボの銃声にはならないでしょう。
それら大国の陰に隠れつつある今こそ、日本のチャンス。紛争等の当事者でない日本人だからこそできる働きがあります。アフリカで、中欧で、南米での実績。誇るべき技術力も、環境問題に大いに貢献できましょう。デフレ解消・緩やかな経済成長を必須として、環太平洋に捉われず、働きの場を求めて参りたいです。
(「アジアに見向きもされなかった米国大統領」に風あたり強い米国にて)
 
 
 
訂正 (夢の中へ)
2010-11-18 08:28:33
【訂正】
文中の『緯線』は『経線』の誤りです。
 
 
 
球体的物の考え方 (クッカバラ)
2010-11-18 17:46:36
『球体的世界観』

すごく魅力的だと思いました。
平面だと平行線の直線(内容)も球体であれば二点で必ず交わる?
ああ。でも、夢の中へ教授!
緯線同士は交わりませんよね。
平行線は平行線。交わらない。。。
経線であれば、勿論問題なしですが。

『中国は大きい。中国は米国と同じぐらい大きい。法国は大きくも小さくもない。法国は王国ではない。』 今年の9月から、日本語、英語に加え、第3外国語として中学で中国語を学ぶ娘のノート。内容に仰天。北京出身の女性の先生で、『皆さん、中国は大きいです。フランスの25倍もあるのですよ!!!』が、最初の授業の第一声であったとか。台湾の二歳のいとこと一緒に歌えると、クラスで習う童謡を歌っているうちは微笑ましかったのですが。。。言語は思想を齎す。。。

球体的物の考え方。もう少し考えたいと思います。
南北を通る、経線的な思想をもってすれば、相対する緯線的な思想とも、必ずや2点で交わる。。。?!
 
 
 
世界観 (遅れてきたファン)
2010-11-18 20:02:15
新参者があまり頻繁にコメントを書いて良いものか、逡巡しながらまたお邪魔いたします。

高樹さんの記事や皆様のコメントに触発され、感じ入り、感謝しております。

世界観のコメントを拝見しながら、思い出したことがあります。私が今居る国では、街中を歩いて看板を見ても、大きなトレードショー(展示会)などの宣材を見ても、あるいはホテルのパンフレットを見ても、やたらに「world-class performance]
だの「world-class quality」だの「world-class service」など、「ワールド・クラス」という表現が目に飛び込んできます。正直に告白しますと、最初は小さな途上国の微笑ましい心意気と、若干上から目線で見ていました。しかし、どこかに既視感もありました。

ほどなく気が付きました。私は今56歳で、昭和30年代に小学生だったのですが、当時の日本の宣伝・広告類などにも「世界に通用する」だの「世界的品質」だの「世界で認められる」などの表現がいたるところに見られました。どう考えてもあまり「世界」に関係なさそうな企業や商店までそのような文句を多用していた記憶があり、子供心に?と感じていたものです。大衆食堂の看板にまでありましたから。

自分あるいは自分の国に対しての「世界」、これは何なのでしょうか?
思うに、自分の国が非常に小さく、点のようなものだとすると、全方位どこに視線を投げてもおのずと「世界」を見通すことになります。自然に世界と自分、世界と自国との対比意識が強くなるものと思われます。しかし、現在の日本ほど大きな国になったらどうなのでしょうか?少なくとも個人的には「世界がうなずく味」などと看板を出しているラーメン屋さんは見たことがありません(半分冗談です)。なお、餃子の○○さんは、それに近いコマーシャルを出されたことがありますが、本当に中国まで進出しているので全くOKと思います。もちろん、「世界何カ国に輸出されている・・・」などの文言も良く見かけますが、これもすでに実績に裏打ちされており、何の実績も無いうちに心意気で「世界に」と唱えていた時代の台詞とは訳が違います。

どちらかというと、大きくなったことで、逆説的ではありますが、今の日本は内側を向きすぎる傾向が強まっているように感じられます。政治しかり、外交しかり、学術分野(例外はありますが)しかり、大きな図体で内輪の話に終始している印象が強いです。もともとそういった傾向の国々もありますが、ほんの数十年前まで世界を見やって頑張ってきた日本人が、いざそれなりの地位についてみたらこのような有様で良いのでしょうか?精神的姿勢と自身の出世が逆行していて良いのだろうかと気がかりです。出世したならしたで、その分もっと仕事をすべきであろうし、その為にはもっと外を向くべきであろうし、そうでなくては結局周囲が自分の出世を早晩認めてくれなくなるのではと危惧しています。現に日本の地位は相対的に低下の時代に入っていると思われます。私個人の仕事を通しても、以前よりも日本の有り難味が薄れてきている実感があります。対照的に中国やインドは日に日にその存在感が際立ってきており、また、見逃せないのがヨーロッパ勢です。経済的逆風のさなかにある筈なのに、実はやはり存在感を高めてきています。彼らはどこが自分達の棲息領域であるのか、実によくわかっているようです。決して経済数値だけで判断できない奥深さがあります。

抽象的表現に終始して申し訳ありませんが、一つ付け加えさせてください。

今の私には、日本は井伏鱒二さんの「山椒魚」に出てきた山椒魚のように見えてなりません。身動きできなくなっているのに尊大、これでは流れにもまれている小魚たちにも遅れを取るかもしれないと思ってしまいます。

もっと外に出る、行動する、これらが今まさに求められているのではと感じています。何の力も無い一個人ですし、偉そうに言えることでもありませんが、仕事を通して自身でもそう心がけています。

唐突ですが、どうして女性達はこのような感覚に優れているのでしょうか?南アジアでは多くの若い日本人女性を見かけます。観光でなく、自身の人生を送りに来ている方々です。彼女達は一様に「途上国のほうが面白い」と言います。対照的に、若い日本人男性は、企業駐在以外余り見かけません。駐在も本人から断られることが多いと、あちこちの企業でこぼしておられます。なのに何故、若くて素敵なお嬢さんたち(皆さん本当に素敵です)が、わざわざ此処に居るのか?私にはよくわかりませんが、彼女達と話していて気がついたことをお伝えしておきます。

多くの場合、「自分がどこでなら活躍できるのだろう」という視点を持っておられるようです。その結果、国外であってもためらわず選択していた、そのように見受けられます。このような彼女達に、心からエールと拍手を送りたいと思っています。
あと、健康と少々の幸運にも恵まれて欲しいなと願っています(デング熱、腸チフス、マラリアなどが発生する環境です)。ただし、日本の中では制約や抑圧が強かったからということが理由の一つであったとしたら悲しいことですが(幸い、昔ほどこの理由は無いようです、すなわちまったく自発的な動機が多いようです)。

未来は切り開かねばなりません。そして、誰が切り開いても良いと思っています。日本女性を応援します。その世界観を認めて。




 
 
 
山椒魚と素朴な愛の喪失と境界上。 ()
2010-11-18 23:34:07
日本は戦後しばらくしてから、
環太平洋の国々と交易が盛んでしたが、
今後は資源や一次産物の輸入だけではなく、
その国々への民需の輸出を心掛けたいところですが、
こうも円高では輸出より現地生産や、
現地でのサービス業務の移転でしょうね。

しかし日本の男性は余り発展途上国には、
常駐の仕事で行きたくないのが現実でしょう。
各ODAの規模も小さくなったようですし、
民間企業自ら企画し現地へ進出するしか成り立ちません。

遅れて来たファンさんの井伏鱒二の「山椒魚」の例え、
内需産業には手厳しいご指摘ですが、
円高で原材料や現地に渡り指導した、
半加工材料が安くなりこれは好条件です。

日本の若い女性達が発展途上国で暮らす指向は、
日本での仕事や自立した暮らしに、
閉塞感を持たざる負えないからです。

彼女達の周囲の若い男性達の仕事を含めた日常が、
経済的に逼迫した状況に対し彼らの対応ぶりに、
セコさが目立ちうんざりして仕舞うそうです。

我が子はEUの発展途上国で暮らしてますが、
素朴で豊かな愛を感じられる場で、
伸び伸び仕事や暮らしをしたいのが、
娘の本音だったようです。

専門分野に腕に覚え有りの自信と、
幸い語学も得意でしたから何とかやってます。

若い人ブロ友を通し知ったツィッターでの、
インドの報告のテング熱の蔓延や、
ヒンズーとイスラムの長年の裁判結果に、
ハラハラしましたが皆さん逞しそうです。

井伏鱒二さんは杉並区荻窪の名士だったので、
未だ存命している釣り道具屋の奥さんが、
全く面識のない井伏鱒二さんが訪れ、
高価な竿をポンと買ったと聞いてます。
今年のお正月でしたか福山市の、
井伏鱒二記念文学館に立ち寄りました。

球形の思考にメリットは認められないのですが、
建築家の原宏司さんは理論家で若い頃に、
有こう(子に礼の右側エル)体理論なる本を書いてました。苦笑

その表紙は球形に幾つもの穴を想定し、
その物体のエネルギーが発散したり、
収束したりのイメージイラストでしたね。
昔から大江健三郎さんと親しいそうです。

僕は柵があらゆる境界の意味合いであるならば、
その境界線上の辺りに発生する、
僅かなるエネルギーには興味津々ですよ?


 
 
 
訂正・原広司さん ()
2010-11-18 23:51:36
誤字です、原広司さんです。
 
 
 
境界から。 ()
2010-11-20 12:32:53
度々失礼します。
4年振りに先月末から新機種の携帯にしたのですが、
漢字辞書表示機能は、長押しに設定されてるのを忘れてました。

少し高価ですがタッチとボタン併用の機種で、
表示や入力のスピードは速くなり、益々便利に進化してます。

あらゆる境界に興味があるのは一般論ですが、
自然界ではその辺りは潮通しが良かったり、
あるいは断層があることに依って風や水の流れが良く、
生物の群生や群棲してるのが見られるからです。

秋に落ち転がったアベマキの団栗は、
空掘りの溝に沢山納まり11月の雨で発芽してます。

小さな日本の国土が適度な降水量と気温で、
緑の成長も早く人口密度も多いのは、
日本が地殻のプレートの移動により、
適度な植生が保たれてるからかも知れません。

当時の原広司さんの有孔体理論、よく解りませんでしたが、
恐らく安藤忠雄さんとは対極の設計手法の方と云えます。

当時、原さんの頑張り方は好感の持てる建築家で、
所員だった知人に代官山のアトリエでの麻雀に誘われ、
何故か原さんの可愛い奥さんは強く、僅かに僕は負けました。
後にも先にも麻雀で、
女性に負けたのはあの一度だけです。

あの頃の代官山住宅周辺は安くて美味い店も有り、
一世代上の若いアーティストが集まり活気が有りました。


 
 
 
レーガン戦略、言語と思想など (夢の中へ)
2010-11-23 20:58:27
お返事が遅れました。

「レーガン戦略」
木蓮様ご指摘の「冷戦終結」ですが、「原油価格」を低下させて、ソ連経済を疲弊させ内部崩壊に導いた「アメリカの凄い世界戦略」だったと認識しています。
実際、原油価格高騰時に、アフガニスタン等の紛争(膨張主義による)が発生しています。
レーガンとスタッフは本当に凄いと脳裏に刻み込まれています。わが国の指導者(与野党ともに)も見習ってほしいと願い続けているところです。

「レーガン大統領の強いアメリカ政策」は、国民に自信と誇りをもたらし、規制緩和による経済活性化と教育投資による先行(人材)投資に成功し、90年代の繁栄を謳歌させました。(財政赤字以上に税収増になったと思います。)
今の日本はちょうどこの頃のアメリカと同じような状況下にあると思えます。
現状と言うのは認識しづらいので、一刻の猶予もない状況かもしれません。

19日の日経新聞朝刊(経済教室)に、「国際関係を『システム』で考える」という記事がありました。

「システムとは、ある目的の達成のために組織された、相互作用する要素のつながり」と定義されています。
問題を小さい単位に分解(要素還元)した考えるのではなく、個々の要素では見えてこない問題を要素同士のつながりとして考え、問題を発見する「システムアプローチ」が必要である。
現状の米中関係は、米国の消費は中国製品なしに成り立たず、中国の経済成長は米国市場なしに成り立たない(国際金融も同様)という「相互依存関係」にあり、一方の破綻が他方の破綻を意味する状況である。
このような米中の相互依存関係を見据えた国家戦略が求められており、日本の強み(要素)を活かし、組み合わせた上で、双方に補完できるポジションを探っていくことが必要とのことでした。

今や、「失われた~」とか「GDPが3位」などというセンチメンタリズムは、百害あって一利なし。
早急に、経済も基地・安保問題も全体性の中での「相互補完」的な戦略と実行をしなければ、知識も技術も人材も刻々と陳腐化して取り返しのつかないことになってしまうでしょう。与野党とも国会のもたもたに歯がゆさを覚えます。


「言語は思想を齎す?」何となく分かりますが、もう少し詳しく教えてほしいところです。

言語は、認識力、思考力。確かに、言語を使用して思考しているので、考え方思想は影響を受けていると思います。
インド哲学を理解するためには、サンスクリット語でなければ正確な理解ができないということで、オッペンハイマーはサンスクリット語を独習したそうです。そしてそれが趣味とか。
韓国は、漢字を捨てて、ハングル語のみを使用していますが、文化への影響は、大きなものが生じてくるのでしょうね。「恨」の概念も変化するのでしょうか。
「甘苦上海」で、紅子さんの思考の変化(上海生活の)について、特に電動歯ブラシのところの「復讐場面」に日本人離れした思考、感情等が感じられ、心をかき乱される思いでした。そのまま突っ走ってほしかったのですが。

言語を、ペルソナ(仮面)のひとつの要素と考えれば、言語の使用により、人格が形成されることになるのでしょう。

日本は、漢字とひらかなの「二重言語国家」ですが、政治と宗教と思想の表現を得意とする漢字=漢語と、和歌と和文によって育まれた四季と性愛を得意とすると和語が日常生活で駆使されており、今後も高度で多様な文化を育み伝承していけるように思います。当用漢字の大胆な改革も必要ですね。


追伸:球面上の直線は、必ず経線のように大円(大圏コースのように)になると思います。緯線は曲線だと思います。
 
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