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思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

ガチャピンの過去と最近の登山

2009-02-06 23:30:53 | 登山
昨日の投稿で触れた『週刊プレイボーイ』のガチャピンのヤラピーク登山話、厳密には『山と渓谷』2009年2月号の後半の2色ページの、

●読者とつくるページです・TRAIL HEAD VIEW POINT・今月の特集

にも週プレと同様に2ページのインタビュー記事がある。ガチャピンのブログでは、2008年10~11月の投稿でその登山話について触れている。ガチャピンがネパールで登山中のムックの留守番時の動向もそれでわかりますぞ。ムックも元々は山男? なので彼のほうが何気に適任で、一緒に行けばよかったのに。

しかも、来月にその「ヒマラヤチャレンジ」のDVDが発売されるとかで、それも物凄く気になりますなあ。国内の(「ミウラベースキャンプ」でとかの)トレーニングやICI石井スポーツ(ブログの写真を見る限りではたぶん、東京都・神保町の登山本店だと思う)での買い出しから密着していたのだろうか。観たい。欲しい。
でもいざがっつりと観てしまうと、僕の当座の旅の目的地が国内各地から(ヤラピークがある)ランタン谷に移行しそうなのがちょっと怖い気もする。国内でやりたい・やるべきことがまだまだたくさんあるのに。

ちなみに、その記事中でガチャピンは以前に「富士山を登った」ことについて少し触れているが、僕はこの「初日の出を見に行く」ことが目的でこちらも積雪期の登山、の放送分を録画したビデオを所有していて(『ポンキッキーズ』の、安室奈美恵と鈴木蘭々が兎の着ぐるみでMCをやっていた頃の特番。放送日は1997年1月5日)、この登山には実は僕の大学時代の先輩とその友人がかかわっていた、という逸話? もある。ガチャピンと、その登山に同行していたピエール瀧もアイゼンとピッケルに慣れるための雪上訓練略して“セックン”をひととおり経験したりとか、結構面白い放送だった。
でもその詳細はここではもったいなくて書きたくないので、さらに知りたい方は僕と直接会ったときにのみ教えてあげますわ。

あと本稿とは関係ないことだが、ガチャピンブログの2009年1月10日の投稿にある、ガチャピンとムックとNHK教育テレビの往年の教育番組『できるかな』のゴン太くんとの3ショット写真は凄いですなあ。『ひらけ!ポンキッキ』も『できるかな』もともによくお世話になった者のひとりとしては、感涙モノの写真だ。
NHKとフジテレビの“コラボ”も興味深く見ているのだが(昨年末の『紅白歌合戦』のなかでの「羞恥心」のNHKとフジの同時生中継がその布石だったのか?)、この写真、もっと大きなやつを壁紙用に欲しいぞ。宣伝材料用にちゃんと撮影したものはあるのかしら。

服部文祥メモ

2009-01-31 19:00:21 | 登山

先週23日のことだが、ここ数年はほぼ毎月聴きに行っている地平線会議の今月の報告者が、本ブログでも度々触れている「サバイバル登山」でお馴染み? の服部文祥(はっとり・ぶんしょう)さんだった。
6年前に報告者として立ったときと同様に、良く言えば大胆不敵、悪く言えば自信過剰、といったあの独特の風体が好きで、今回も山岳雑誌『岳人』の辣腕編集者というよりは一介の登山狂? の立場からの“本気の告白”を興味深く聴いた。失礼ながら、相変わらず出版業界人には見えないんだよなあ。

で、以下は箇条書きでその話のメモを。これ、自分の頭の中身の整理のつもりで備忘のために挙げるので、他人からするとわかりにくいことだらけ(マニアックな内容)かもしれないので、あらかじめご了承を。だいたい喋った順に挙げている。


・『野宿野郎』の最近の媒体露出が多くて、売れているようでうらやましい
・美大卒で絵描きの奥様は美人(とプロジェクターでパソコンの家族写真を見せながら数分間自慢)
・子どもが登校拒否(体調の問題?)
・最近はサバイバル登山と陸上競技・中距離走に夢中
・近著『サバイバル!』(ちくま新書刊)の初刷は1万2000部
・ちくま新書は毎月4、5冊刊行で、08年11月発売のものでは最も売れていた?
・東京都立大卒だが、大学は1浪して14校受験して合格はここだけ
・大学で登山を始める前はハンドボールに傾倒(6年間)
・大学時代は山岳部とワンゲルを掛け持ち(基本はワンゲル?)
・大学時代から高所登山を目標に掲げていた、ひがみ根性で続けていた
・経歴は都立大→白山書房→『岳人』編集部
・(1996年の)K2登頂者、の「肩書き」は便利
・『サバイバル!』第四章のK2仲間割れ? 話は、当時の参加メンバーからは批判集中
・でも当時衝突していたK2登山隊の隊長とは、現在は邂逅? してサシでもふつうに話せる仲に戻っている
・K2登頂時、山頂から一刻も早く下降したかったが、登攀隊長の谷川太郎氏にひとりで勝手に下山することを止められ(生死の問題)、結局はほかのアタックメンバーと下山
・K2はポーターは300人以上、他人に自分の荷物や酸素を持ってもらう登山に違和感→(自分のことはすべて自分でやる)サバイバル登山へ
・サバイバル登山、最初はラジオ・ヘッドランプ・時計を持たないところから始めた
・でも最近のデジカメを携行すると時計内蔵ゆえに撮影時間がわかってしまうので、正確な時間がわからないように適当な時間にわざと狂わせて使っている
・最近はマットも持たないが、登山中に拾った銀マットは使う(自分で調達できた、という意味で)
・登山や釣り、ひいては人生の師匠は(黒部横断などの先鋭的な登山で有名な)和田城志(わだ・せいし)氏
・狩猟を始めて今冬で4年目、主に山梨県東部で活動
・4年で鹿を7頭仕留めた
・散弾銃を使用、ボルト銃、50mで10cmの射程
・300m射程のライフルは、散弾銃で10年は経験を積まないと使いこなせない?
・銃はクルマと同じ原理(爆発させる)、ともに圧倒的な力、動物が想像つなかい力
・自分で獣を撃って殺して食べる、はいくらやっても慣れない
・銃で獣を殺すのはアンフェア? 罠を仕掛けて狩るくらいはフェア? でも実際に銃をやってみるとそれでも難しい
・鹿は普段はめったに鳴かないが、親子がはぐれたときは鳴くことがある、ピーとか
・鹿などの獣が道路上でクルマに轢かれて死んだのを見つけたときは、解体して食べたほうがよい、解体は慣れれば簡単
・猟の仲間は高齢化が進み(体力的に山の上のほうまで上がれなくなってきた)、猟場は空いているので自分の思いどおりに猟をやりやすい
・猟でその時季に最初に仕留めたものは土地に供える、自分への戒めでもある
・(『サバイバル!』第二章107ページにもあるように、日本の特別天然記念物の)雷鳥を発見して食べたくなったが思いとどまった
・雷鳥は絶対数が少ないから、周辺の環境が良いから、自然保護の象徴だからか
・同じ鳥でも鶏は絶対数が多くて貴重ではないから食べる? その言い訳で鶏を説得できない
・08年夏に南アルプス(赤石山脈)縦走サバイバル登山を敢行、11日間
・この登山から敷物をマットから熊の毛皮に変更
・6日目に泊地に釣りの仕掛けを忘れた? ので、それ以降は茸や植物を主に食べてしのいだ
・最近米の摂取量が増えた(食に関する規制が緩んだ)、玄米にはまっている
・08年冬も南ア深南部でサバイバル登山、銃を携行して狩りをしながら11日間
・冬は日照時間が短くて怖い、寒い、結局は野宿のほかにも無人小屋も利用した
・銃は行動中は荷物になるが置いて行けない(法律上の問題)
・『サバイバル!』で渓流釣りの話をたくさん書いたが、サバイバル登山を始めた当初よりも釣りが上手くなった実感があるから
・「詩人と釣り師はつくれない」(イギリスのことわざ)
・担当した『岳人』08年6月号の黒部奥山廻りのカラー記事は自信作だった、でも雑誌は期待していたほどは売れなかった
・最近、登山行為がシフトダウン、「山で死ぬかもしれない」と思わなくなってきた
・(登山の)報告って、なんなんすかね
・登山行為自体が「表現」では?
・最近の若者は(自分も)語るべきものがない世代
・登山(行為)とその(事後)報告は別物
・現在、『岳人』の編集の傍ら山の本を執筆中で、黒部の話もまとめたい
・本はひとつの表現、作品づくり
・山の本を書くために山を登っている?
・登山は簡単で面白い、今後もそれを伝えたい
・傲慢な言い方だが、登山(で表現すること)によってとにかく自分が深くなりたい、カッコイイ人間(ホンモノ)になりたい
・自分が面白いと思うことを、やるべきことをやる


まあこんな感じだった。上記で?が多いのは、服部さんのなかでの独特の言葉の使い方や受け取り方もあってここに正確に表記しきれないからで、そこはまあご勘弁を。ニュアンスの問題。

で、上の写真は、右側の06年発売の『サバイバル登山家』(みすず書房刊)に服部さん本人からサインをもらったことは以前書いたが、今回も『サバイバル!』にも同様にもらい、サイン本が2冊になった。
なお、会場に服部さんの話を聴きに来た80人前後? の聴衆のうち約半数が本を2冊ともすでに読んでいる人々で、何気に服部ファンがたくさん集まっているではないか、と驚いた。

『サバイバル!』は今回新たにもう1冊買って2冊となったが、サイン入りではないものは古本として後日手放すつもり。最近は自分が気に入った本を売りたい、配りたい、という欲が年々深まっているのよね。

それから、僕は基本的に「○○家」と肩書きに「家」が付く人、特にそれを周りから呼ばれるだけならまだしも自ら名乗っている人、というのはどの分野でも訝しく思っているクチ。例えば登山家とか冒険家とか探検家とか建築家とか小説家とか華道家とか。ちなみに、テレビのバラエティ番組にもよく出演する(長髪で眼鏡をかけた)某有名華道家は、華道歴ン十年のウチの母が見ると明らかに「ニセモノ」なんだって。
透明性の低い肩書きというか仕事は、どうしてもある程度は胡散臭さが漂うからねえ。好き嫌いはそれを名乗る人の普段からの物言いや立ち居振る舞いや何事で収入を得てメシを食っているかなどの、早い話が個性というか人間性にもよるのかもしれないけど。
だが、服部さんのように目先の利益を得ることに囚われずに本気で求道的にひとつの物事と真摯に向き合っている人であれば、しかもそれがちゃんと周知されれば(透明性が高ければ)「サバイバル登山家」と名乗ってもまあいいかな、と改めて思った。単なる自意識過剰ではなく自分が何者であるかという立ち位置を常に考えられる人は、周りからちやほやされると自分を見失いがちな人よりもカッコイイと思う。服部さんは間違いなく前者でしょう。

服部さん、今回も報告者として立つことについて「僕の話なんか聴いて面白いんですかねえ」と自虐的に聴衆に釘を刺して喋ったり、奥様に「報告」をすると伝えたら「アンタの話なんか聴きに来る物好きがいるんだ」と呆れられたりもしたそうだが、僕は充分面白いと思っているその物好きのひとりである。なんなら3か月連続くらいでぶちぬきで報告していただきたいものだ。
また3冊目の本が出版された頃にでも聴きたいなあ。

ちなみに、地平線会議の報告会は喋る人とともにこの模様を記録する人も、基本的には代表世話人の江本嘉伸(えもと・よしのぶ)さんの好みでいくらかの筆力というか感性を求められる人に毎月月替わりで書かせるのだが、今月はその記録するほうの人も面白い人選である。
今月分のこの喋り手と書き手の組み合わせ、何気に今後10年の野外業界全体の行方を占ううえでもかなり重要な分岐点となり得る人選で、おぉ、なかなかやるではないか江本さん(なんかこう書くとみ回り歳下の僕が偉そうだな)、と久々に思わず唸るくらいの人が書くことになった。こちらも超楽しみ。
それが具体的には誰なのかは、来月中旬発行の「地平線通信」を要注目ということで。地平線会議のウェブ上でも(「Tsushin」のコーナー)3週目以降に掲載されるので、そちらも旅好きの方もそうでない方も注視すべき。
と、最近は一般誌の執筆活動でも注目度が上がっている? この書き手に今からこの場を使って圧力をかけておく。深い一文を書いてくれることを期待する。

2年連続のムケシ沢右俣、女子の沢登りで運動能力の高さに舌を巻く

2008-10-06 08:00:06 | 登山

昨年同時期に東京都・南秋川のムケシ沢右俣に単独で沢登りに行ったが、昨日も1年ぶりに再訪した。今回は野宿仲間2名と。
うち1名が沢登り初体験の女子だったが、一度だけ縦走登山を一緒したもののヴァリエーションルートはどうなんだ? 今の時期は寒いし、と心配だったが、そんな不安を一蹴する身軽な登りで驚いた(足はわらじ)。最近かかわっている野宿仲間の運動能力は総じて高い。

この沢、相変わらずの倒木の多さと水量の少なさによって一般的な沢らしい愉しみ(ゴルジュとか泳ぎとか)もなく、沢登りの醍醐味を伝えるには微妙な渓相だが(でも僕は好き)、結構楽しめていたようでなにより。

下山後は、昨年も行った十里木の温泉「秋川渓谷瀬音の湯」に浸かり(昨年よりも来客が多かった)、風呂上がりのビールも堪能して、楽しい1日であった。

今月に偶然行って複雑な心境の、白馬岳と白馬大雪渓

2008-08-31 10:00:18 | 登山

長野県・白馬の白馬岳(2932m)登山の目玉ルートである大雪渓の上部の葱平(ねぶかびら。標高2200m前後?)付近で19日午前に土砂崩れが発生し、それに30代の男性山岳ガイドと60代の女性客の2人組が巻き込まれてともに亡くなった、という報道があった。現在も新潟県・長岡高専山岳部の60代男性顧問がこれに巻き込まれた可能性があって行方不明でもある。ほかにも行方不明者がいるという報道もある。

実はホントに偶然なのだが、僕はこの前日と前々日(17日と18日)に大雪渓を往復して白馬岳を登頂している(17日に白馬村営白馬岳頂上宿舎のテント場にテント泊して、18日朝に空身で登頂)。その実際に通った道で翌日にこのような(ヒトが巻き込まれたことによる)「事故」が発生したというのはなんとも複雑な心境である。

先々週の盆の時期あたりの白馬周辺は雨が降ったりやんだりの天気が続き、僕が行った17日は霧雨で視界があまり良くなかったが、夕方に回復して翌18日の午後まで逆にほぼ晴天になったりと空模様はめまぐるしく変わっていて、でも基本的には雨が多かったようだ。その前の15日も雨だったようだし。

それで19日はまた雨で(しかも17日よりも強い)、崩落の発生推定時間は10時30分~11時10分頃だそうだが、たしかに白馬のこの日のアメダスのデータを見るとこの10~11時あたりが最も激しく降っていたようで、その数日前からの降雨によって元々この一帯は地盤が緩いのに加えて水分がたくさん加わったためにいつ崩れてもおかしくない状況だったのが19日のその時間の集中的な降雨によって一気に土石流となって流れ出て、タイミング悪く2名がそれに巻き込まれてしまった、というカタチになるか。その土砂や岩石の流れも長さ100m幅50mと大規模なものだったようだ。

白馬岳は今夏も1万人ほどの入山者を記録したくらいの、葱平より上部は高山植物も豊富な飛騨山脈のなかでも特に人気の登山地だが、それにしては地盤が緩い、落石が多い、という安全面に関する情報がそんなに多くないような気は前々からしていた。
それで僕は白馬岳と大雪渓は14年前の大学1年時にワンゲルの夏山合宿で行って以来ご無沙汰だったので、その最新情報を得るために今回行ってきたのだが、以前よりも雪渓上の晴れて気温が上がって雪渓が溶けると今にも落ちそうな岩石の数はかなり多く(なかには小型冷蔵庫くらいの大きさのものもあった)、大雪渓ってこんなに物騒だったっけ? と少々驚いた。

ここを行く場合は基本的には落石の可能性を取り除いた、登山者用に雪渓に着色した登下降路を辿ることになり、完全に安心というわけではないが濃霧でなければ道迷いもあまりなく行けるとは思う。ただ、霧が濃くなると10~20m先も見えなくなるくらいになるとか。僕が行ったときは霧が出ても50m先くらいまでの視界はなんとかあった。
また、大雪渓は7月ならまだしも8~9月に暑い日が続くとクレバスが広がってその通過にも神経を遣う、という話は聞いていてそれも実際にいくつか見かけたが、それよりも何よりも落石のほうが心配だった。右岸の杓子岳方面からは大雪渓まで流れてくるほどではないが小さな落石の音は絶えず聞こえた。
好天であれば国内でも珍しい雪渓歩きをできてご機嫌登山にもなるが、霧が濃くなって上部からの落石が見えづらくなるとちょっとやばいかも、とも思った。小型の石は音もなく落ちてくるし。

それと今回の事故発生現場の大雪渓上部は葱平あたりは、登山者の登り・下りどちらかが道を譲らないと通過できないくらいのやせ道がしばらく続き(上の写真はその付近の、おそらく崩落現場の少し上あたりから18日午前に、つまり事故発生推定時刻のちょうど24時間前に撮影したもの)、沢筋の落石のありそうな箇所には「落石注意」とか、それに加えて「間隔をあけて速やかに通過してください」と書かれた木製看板もいくつか設置されて注意を促していたが、ここでかい、もっと下部から注意を促さんかい、とは少し思った。

そんなわけで、事故発生翌日の20日からこの大雪渓ルートは通行禁止になってしまったが、たしかに今後の崩落の可能性をもっと徹底的に調査しないと、この登山道は安易に解禁すべきではないと思う。
それに加えて更なる落石の危険性の周知の徹底もか。白馬山麓の観光や登山に関するパンフレットを見ても、高山植物やらなんやらの愉しみばかり謳っていてなんだかなあ、とは思ったので、もっとなんとかしてほしい。インターネット上の各種媒体も同様。
一応、現地では白馬大雪渓登山の玄関口である猿倉バス停から白馬尻小屋と、そこから大雪渓を経由して白馬岳、の2種類のルートを「トレッキング」と「登山」に大別して後者を登る場合には雪渓用の軽アイゼンなどそれなりの登山装備と心構えが必要、などと案内板で告知していたが、そこはまあ良い点だったかな。

ただ、なかには落石の多さからこの大雪渓ルートを「廃道」に、という声もあるようだが僕はこれには反対で、危険度の周知を徹底させて自己責任で、と釘を刺したうえで登山道としては継続してほしい。真夏に登り2~3時間、下り1~2時間(登山者平均でだいたいこのくらいの所要時間か)も雪渓に触れられるなんていうのは国内でもとても珍しいことだから。それを楽しめる環境はなんとか残したいものだ。もっと国費を投入して、環境調査とパトロールを強化させるべきでは?

ちなみにこれは参考になるかどうかはわからないが、今回の登山は単独行だった僕がこの大雪渓通過で特に気を遣ったのが、音。3年前の8月にも右岸の杓子岳側からの大崩落があって2名死傷していること、落石の恐れが常にあることは重々承知だったのだが、それを踏まえたうえで大雪渓を登り降りするときは登山の基本どおり? の50分歩いて10分休む、ということはやめて、それこそ数分おきに動いたり止まったりして随時上部から落石がないかどうかと視界と音をこまめに確認しながら動く、という方法で行動した。つまり簡単に言うと、「だるまさんが転んだ」みたいな動き方をしていた。

複数人で行動すると、ほかの仲間のペースに合わせるために歩き続けなきゃならなかったり会話に夢中になったりするときもあったりして、自由に立ち止まるのが困難だったり集中力を欠いたりすることもよくあるが、他人に気兼ねなく行ける単独行ではこのような動き方のほうがやりやすく、集中力も保ちやすく、ここのような地盤の微妙な場所を行くのに理にかなった動き方かと思う。もちろん、落石に備えて全力では動かずに、落石を除けるために横方向に逃げる体力を残しながら動いてもいた。

なお、今回の登山で「最新情報を得るため」とあるのは、実は来週末(9月5~7日)に複数人でこの大雪渓経由で白馬岳に行こう、という計画が前々からあってその下見目的という感じで行ったのよね。ほかにも白馬岳を登る登山道は猿倉から白馬鑓温泉経由と栂池から白馬大池経由もあるが、結局は今回の事故の影響(大雪渓の通行禁止や降雨の多さ)によってその登山は中止となり、無期延期となった。
大雪渓はたしかにそんな危険な面もあるが、それを事前にわきまえたうえで複数人でも経験者とであればぜひ行ってほしい道として(できれば雪渓の状態がまだましな7月に)僕も飛騨山脈のなかでも特に推したい登山道なので、同行予定だった仲間に登山の醍醐味のひとつを提供する意味でもなんとか一緒に行きたかったが、今夏はもう行けなくなったのはやや残念。まあ仕方ない。

大雪渓を再び辿れるのはいつのことになるのだろうか。それとも二度と再訪できないのだろうか。ひょっとしたら18日午後に白馬尻小屋猿倉荘かJR白馬駅前でニアミスしていたかもしれない、今回亡くなった2名の登山者に冥福を祈りつつ、例年になく強く、白馬岳周辺へ想いを馳せるのであった。

意外に手強い春岳沢

2008-06-08 08:00:41 | 登山
今年は登山形態のなかでも特に沢登りに力を入れようと息巻いていて、4月から気温の高い晴れの日を突いて沢登りに行こう行こうと思っていたのだが、晴れた日に仕事が詰まっていたり逆になくて暇な日に雨が降ったりでタイミングが合わずに行く機会を5回ほど逃していたが、ようやく昨日、初日? を迎えることができた。

で、今季最初の沢登り(単独)として、神奈川県・表丹沢の春岳沢に行ってきた。
数年前から、神奈川県内でも特に有名な山である大山(1252m)に抜けられる比較的やさしい(たぶん1級の)ルートということで気になっていたここは、遡行図を読むと大きな滝もなくてそんなに難しくないだろうと予想していた。
が、前日まで雨が降っていた影響か水量が意外に多く、しかも岩も巻き道も見た目よりも硬くなく、4mくらいの滝を登っていても掴んだ岩が剥がれ落ちたりして、ヒヤッとする場面も多かった。

沢自体は入溪点から1時間弱登ったところで水量の豊富なところは終わり、遡行図によるとそこから上部はゴーロ、さらに登山道手前の頂上直下はヤブこぎもあるということで、最初は大山まで詰めようかと思ったが天候はやや悪化気味だったりここ2か月の運動不足によって意外に疲れてしまったためにさらに登るのはやめて、標高900m手前あたりの先人? が残した目印の赤テープまで達して終わりとした。
沢登りの場合は、一般登山道のある稜線や山頂まで到達して完登としたい派の僕としてはややふがいない結果だが、ゴーロ登りが面倒だということもあったし、まあここまで来れば登ったことになるだろう、と勝手に納得して下降することにした。

さらにこの下降が意外に厄介で、倒木を乗り越えるのが面倒だったり、またもややや脆い滝の巻き道を下っているときに地盤が緩いせいで足場が崩れて3mほどずり落ちて腕にすり傷切り傷をたくさん作ったりして(しかも2回。でも仕事に支障が出るほどの負傷ではなかったけど)、沢登りは面白いけど“沢下り”は登りよりも5倍くらい緊張感を伴って面白くなくて大変なんだよなあ、登りと下りではまったく異なる様相の沢ですな、と苦笑いしながら下降を続けた。

滝のクライムダウンが面倒というか難しそうなところはロープ(8mm×20m)を数回出して懸垂下降を多用して降り、登った時間と同じくらいの時間をかけてなんとか生還。
天候によっては遡行図の見た目よりも手強く沢感じ(下降したからでもあるが)、なかなかやるな丹沢、と丹沢では昨年登った新茅ノ沢と小川谷廊下とはまた違った難しさを感じた。春岳沢は全体的にはこの2本よりも数段やさしいピクニック気分で行ける沢だと思ったんだけどなあ。でもまあとにかく登りきるだけであれば、ロープも出さずに行けるくらいの小滝が連続して楽しいことは楽しいけど、予想外の手強さがあったなあ。いつか山頂までの完登もやってみようかな。

下降後に着替えているときに、いつの間にか丹沢のこの時期特有の来客(ヒル)も迎えていたりもして(べつに好き好んで招いたわけではないが)、それも含めて今季の沢登りの良い練習にはなった1本だった。
今季は単独も複数人も含めて沢には10本くらい行けたらいいなあと思っているが、ここ2か月の気候の変化を見ると予報を出すのが難しいくらいにめまぐるしく変わり、今後も行けるタイミングを掴むのはやや難しそう。行くとしたら平日に行く確率のほうが高いかもしれない。
うーむ、10本は無理としても5本くらいは行けるだろうか。



基本的には3、4mくらいの滝やこんな感じの緩やかな小滝が連続する。ナメ滝も少々。



沢を1時間ほど遡ったところのゴーロ。ほとんど水流のないこのようなところをヤブこぎも含めてここからさらに1時間近く大汗をかきながら登るとなるとかなり疲れるので、(午後の遡行で時間にあまり余裕がなかったこともあって)下降することにした。



登るだけならなんてことはない滝も、降りるとなると少々面倒。クライムダウンや高巻きで落ちるよりは立ち木があれば4~6mくらいの高さでも懸垂下降したほうが数段ましなので多用した。なぜなら、あまり負傷したくないから。



沢をなんとか降りきると、いつの間にか脚にはヒルが。しかもズボンの繊維の上からでもしぶとく登ってきていた。これがホントのヒルクライム。



緊張感はあったけど無事に生還できたよ記念に、小田急線・秦野駅に戻ると、駅前の松屋で(あれば吉野家でもよいが)前々から贅沢な行為なので二の足を踏んでいた、ビール注文をやってみた。豚めし並と合わせて750円也。

「登山請負人」という生き方もアリかも

2008-02-26 10:30:13 | 登山

全国的に春一番が吹き荒れてその被害もなかなか大きかった23~24日に、東京都西部の奥多摩方面へ登山に行っていた。同行は野宿仲間5名。ホントはあまり行くべきではない悪天候のときだったのだが、だって前から予定が決まっていて変更できる日もなかったんだもの。

で、この登山は昨年7月下旬の雲取山(2017m)への登山の続きのような意味合いの催しで、そのときの同行者が今回も1名含まれていた。だからもちろん雲取山を目指したわけだが、あいにくの天候悪化で23日15時すぎから吹雪になり、歩行ペースも上がらず、雲取山の登頂は断念した。上の写真は標高1600mあたり。東京都内でもこのようなやや厳しめの状況の登山が楽しめるんですねえ。
それで、雲取山は諦めて予定変更するにもせめて鷹ノ巣山(1736m)くらいは登っておこう、と気を取り直し、進路を東に変えて鷹ノ巣山避難小屋に泊まり(夜は僕を含めて3名は訓練のためにあえて屋外で野宿したが)、24日午前に鷹ノ巣山には登頂できた。

が、そこから先もまた厄介で、北風が引き続き強まり、特に尾根の風の通り道では間断なく風が吹き荒れ、時折耐風姿勢を入れなければ先へ進めなかった。
しかも今冬は関東平野で3度も降雪したくらいに例年よりも積雪が多いために、いつもは快適な雪道となる石尾根も膝下のツボ足ラッセルで進まなきゃならんような状況で、ワカン(輪かんじき)やスノーシューが必要な状態であったため、できれば狙っていた石尾根経由の奥多摩駅方面への直接下山も断念し、少し引き返して水根方面へ下山した。
いやー、僕個人的にはこの周辺の積雪期の登山は4回目だったのだが、悪く言えば過去最悪の状況であった。まあ良く言えば良い経験にはなった山行かもしれない。春一番を入山中に受けるとどえらいことになるんだなあ、と改めて身も心も引き締まった。雪山を舐めたらいかんぜよ。

そして実は今回、ピッケルやアイゼンを駆使するような本格的な雪山登山は初めてで、登山靴を1週間前に購入したばかりという初心者(女子)もひとりいたのだが、僕だって厳しかったと思うくらいの今回の登山を経験したら、そんじょそこらの物事では動じず、怖いものはなくなって度胸は結構付いたかもしれない。無雪期の登山5、6回分くらいの体験が今回1回でいっぺんにできて、登山者としてはいきなりレベルアップした感はある、と思う。下山後もそんな悪天候に懲りた様子もなく、そこはひと安心。

今回もそうだが昨年からとみに複数人で登山する機会が増えたが、その参加者の言葉を借りると「登山を前々からやってみたかった」とか「ひとりでは行けない」というのをよく聞く。まあ元々は移動手段は様々だが旅好きの人たちばかりとかかわっているため、野遊びへの興味は一般の人たちよりは強いようだ。ただ、登山に限ってはなんか事前に準備することが多すぎてテレビや新聞では山岳事故の報道が目立って登山は危険なもの、という固定観念ができあがっていることもあって一見さんにはとっつきにくい、という印象もあるようだ。

僕も登山に関しては経験がモノを言う面が強いと思っているため(でも、より狂気的に登山を追及する“山屋”さんのなかには経験よりも才能のほうが重要、という人も結構いるけど。そんなアクの強い変わり者? が多い分野なのです。ここでは誰とは具体的には挙げないけど)、その言い分もわかる。だけど、一度やってみるとそんなに難しくはないのよね。たしかに一歩間違えればすぐに死ぬか大ケガを負うような危険な場面も多々あるけど、取り組み方によってはその避け方をきっちり勉強すればある程度は自分で対処できる。世間では登山という行為を固く考えすぎかな、とは思う。その固い頭をなんとかもう少し柔らかくしたい、という思いは僕は常にある。登山の活性化のためにも。
最近、世間一般では登山は中高年のリタイア後の趣味や娯楽という印象が強いようだが、そんなことはなく、若いひとも結構入ってきている実感は僕にはあるけどなあ。フリークライミングとかトレイルランニングとか、入り込み方はいろいろあるけど。なかには人生賭けて切り詰めて登っているひともたくさんいますし。

そんなことを喧伝しながら潜在意識を具現化するための、今回の奥多摩のように僕が登山を計画することで山に行ける、というちょっとしたきっかけを提供する、言い換えると背中を後押しする、というような行動も最近面白くなってきた。今年は公私ともに原点に立ち返ってひとりでいろいろやっていこう、と年始は決めていたのだが、結局はひとりの時間は今年もあまり持てずになんかこの複数人で山を登る傾向が今年も続きそうな気はする。単独登山ももっとやりたいのだが。

実は先々週にも、休日よりも平日のほうが予定が組みやすいというある友人とふたりで山梨県の大菩薩嶺(2057m)を、東京都内午後発→翌日午後着という変則日程で登りに行った。ちなみにこの山は一般的には東京都内朝出で日帰りで行けるのだが、そのひとも数年前から昭文社の「山と高原地図」(エアリアマップ)のこの山域の地図や6本爪軽アイゼンを用意していたくらいに登る気満々だったけれどもなんだかんだで毎年行く機会を逸していて、無雪期ならともかく積雪期にひとりで登りに行くのは不安だ、とこぼしていて、最近その話を聴いた僕としてはじゃあ一緒に行く? とけしかけたら行く行く、とすぐに話がまとまり、結局は頂上にも首尾よく登頂できた(その登山は今回の奥多摩とは違って天候はバッチリ快晴でご機嫌な登山であった)。
やはりそういった潜在意識の高いひとのちょっとしたきっかけを作る、というのが僕には向いているのかもしれない、と最近よく思うようになった。

でも技術的には僕もまだ発展途上の段階で、山岳雑誌で言うところの『岳人』や『ROCK&SNOW』のようなレベルの高い山やルートは無理で、そこは各自で社会人山岳会に加入してもらうかプロの山岳ガイドにお任せしたいところだが、『ヤマケイJOY』くらいのレベルの、「アルパインツアーサービス」や「アミューズトラベル」などの登山ツアーを数多く提供している旅行会社が行くような山であれば僕でもなんとか案内はできるかな、とは思う。しかも無料(交通費など実費のみ)で。さすがに僕もカネをとって何かやるほどの実力はないからなあ。
近年、老若男女問わず登山に興味がある! と言う人は前者のようなところまで突き詰めるつもりはないが、後者くらいの山であればちゃんとしたきっかけがあればぜひ行きたい! という潜在的な需要? は意外に多いように思う。まあ今後も機会があれば身近な仲間に限らず、より多くの方とご一緒するかもしれない。

まだ本決まりではないが今後、来月と今夏にも泊まりがけで登山に行きたい、という話が仲間内であり、具体的にどうなるかはわからないがたぶん7割がた行くことになりそうだ。
ただ、よくよく考えると「登山請負人」という表現は少々おこがましい気もするので、「背中後押し人」という体で行くことになるかな。以前の高橋しんの出世マンガ『いいひと。』の主人公・北野雄二の信念に「自分の周りの人の幸せが自分の幸せ」というのがあったが、僕も今はまさにそれに近い心境だったりする。僕がきっかけを提供することによってより普段の生活が潤ったり成長していってもらえたら嬉しいな、とは最近よく思う。もちろん、野遊びにおいての「甘い」のほうばかりだけではなく「酸い」のほうもしっかり教えるけど。スパルタで(ウソ)。

近いうちに、本ブログでオフ会的な登山も一度主催してみたいんだよあ。ここ数年、まったくの見ず知らず、初対面の人と一緒に山を登る、ということにも興味が湧いてきている(それは危険な要素もたしかにあるけど、近年のヒマラヤの高峰などでの公募登山では当たり前のことになってきているしなあ)。
今度、時間に余裕があるときにマジメに考えてみようかな。

鷹取山で確保しまくり

2007-11-26 21:30:01 | 登山

25日、前日のマラソンで全身そこそこ疲れているというのに、最近フリークライミングにも目覚め始めた野宿仲間数名が神奈川県横須賀市にある、フリークライミングのゲレンデとして有名な鷹取山で遊ぶ、という情報が僕にも流れてきてぜひ来てね、とお呼びがかかり、渋々行くことになった。ホントは溜まっていた本や雑誌でも読みながら安静にしていようと思っていたのだが。
大学時代は主に登り方の上手い人を見て勉強するために数十回通った、多いときは毎月通っていたくらいに見慣れた場所なのだが、最近はなんかご無沙汰で、実に2年ぶりの再訪であった。近年は岩登りの練習をするにも僕にとっての近場の埼玉県は飯能の日和田山に行くことが多いし。

で、僕は前日のマラソンで下半身、特に股関節が痛いのでまったく使い物にならないし、それ以前に基本的に身重であるため、そんなには登らず、というか登れずに、自然の岩場はほぼ初体験の仲間ばかりがいるところを彼ら彼女らがトップロープで登るときの確保者(ビレイヤー)兼デジカメ記録係として行ったわけ。
しかも、先の3連休は連日晴れていてこの日も良い天気で、ほかにもトップロープによる講習会が電光クラックや竹本フェイス(写真左側中央)などでちらほら行なわれていたり、20人以上の団体や家族連れでハイキングに訪れる人も多く、なんかえらい混みようであった。

知っている人は知っているが、このただの石切場!? に相変わらずこんなに人が集まるというのもよく考えると凄いことだな。まあたしかに展望台からの富士山や横須賀・浦賀方面の眺めは良いこともあってそんな眺望を楽しむことや昼寝をしに来るだけでも楽しめるところなので、クライマーのみならず一般の方にも人気はいまだ衰えず、ということが久々に確認できただけでもよしとするか。

一応、クライミングシューズも持参してボルダリングもちょこっと試してみたのだがやはりまったく登れず、毎度のことながら他人よりも余計な荷物(脂肪)が多いことに自分で自分に怒り、嘆き、そしてくよくよする。

ただ、9~10月の計4回の沢登りを経て、岩を登る力も改めて付けなきゃいかんよなあ、ということを痛感したため、トップロープも行ける10mm以上のシングルロープを近々新調して、学生のときのようにここや日和田山、それに最近流行りの人工壁で再び練習しようかなあ、とクライミング熱が再燃し始めた。

そこで先日、いくつかの登山用具店にそのロープの下見に行ったのだが、価格は1万5000~2万5000円くらいと昔と大差ないが、最近は軽量化が進んでいて、シングルロープでも11mmというのはほとんどなく、10~10.5mmが主流のようだ。なかには9.5mmでシングル使用という、9mm以下のダブルロープに近い細さのものも出てきているのね。それに、その軽量化によって長さは一般的な50mよりも長い60mのものが増えてきたり、逆に人工壁やショートルート専用の30mや40mのものもあり、種類が用途によって細分化されてきているのね。道具類は年々進歩しているのか。ふむふむ。

でも、人工壁ならともかく、自然の岩場でちゃんと登りたいときは確保者が必要だからなあ。誰か、体重85kg以上の僕を確保してくれるという奇特? な方はいませんか?(できれば体重差20kg以内が望ましいので、体重65kg以上の方がいいなあ) 器具はなんでもよいです。もちろん、昔ながらのエイト環でもかまいません。トップロープであれば、僕は持っていないけど(10~11mmのシングルロープ専用の)ぺツル・グリグリがあると助かるかなあ。とりあえず、最近購入したブラックダイヤモンドのATCガイド(溝が付いてこれまでのATCよりもちょこっと抵抗が強まるやつ)であれば貸し出せます。といっても、僕が登れるのは電光クラック程度のレベル(しかも辛うじて)ですが。

乞う、確保者。

5年ぶりの軍刀利沢は仲間とともに

2007-10-13 23:00:55 | 登山

今日、先週に続いてまたもや東京都は奥多摩方面に沢登りに行ってきた。今回は南秋川の軍刀利(ぐんだり)沢に5年ぶりに、しかも前回は単独行だったが今回は野宿仲間3名と行った。先月の丹沢・新茅ノ沢と小川谷廊下に続いて複数人で行くのは今年3本目。なぜか今年になって沢づいているが、まあいいか。

また、僕は過去に行ったことのある沢には行かない方針で沢登りを10年近く続けているが、今回は沢への意欲旺盛な野宿仲間のもろもろの要望に応えるという重大な目的があったため(それらをすべて挙げると長くなるので割愛する)、それを僕の得意な奥多摩の沢で叶えることを優先させて考えると、いくつか思い浮かんだなかで軍刀利沢を選択するのが妥当だった。もう少し暖かい、滝で頭から思いっきり濡れてもよい時期であればまた違った、僕もまだ未経験の沢になったかもしれないけど。

ただ、5年前に一度行っていると言ってもどんな感じの沢かは忘れかけていて(登攀道具を持って行きはしたがまったく使わなかった記憶はある)、ひとりで行くのと複数人で行くのとでは勝手が違うので一応今回はインターネットで検索して改めて調べたりしたが、写真を見ていくうちに、ああこんな滝あったよなあ、などと懐かしさを覚えながら思い出していった。

朝8時すぎに僕個人的には2週連続のJR武蔵五日市駅に降り立ち、仲間と集合し、4名という人数なのでちょうど良いということで珍しく奮発してタクシーを利用しちゃったりして、精神的にだんだん盛り上がっていきながら実際に入渓すると、入渓点からより一層記憶が蘇る。おおそうそう、こんな感じだった、と現地で徐々に慣れていったほうが手っ取り早く、結局は下調べの意味はあまりなく、さらには今回は沢の経験者が揃ったこともあって順調に進んだ。

しかも今回は登山全般に関して僕なんかよりも数倍経験豊富な熟達者もいて(なんせ、普段は国内外問わず山のツアーガイド業に従事し、今回の全行程をスニーカー履きでフリーソロで完登したくらい)、所々の滝でのロープワークというか確保もお任せであった。僕も登り方も含めていろいろ勉強になった。なぜ最近になってこのひとと一緒に山に行けるようになったのだろうか、地平線会議のつながりってやはり凄ぇな、と今でも頬をつねってその真偽をいちいち確認するくらいに信じられないレベルのひとなのだが。

今回のように4人という小人数で足並みも揃うとサクサク進んで、ひとりのときとはまた違った面白味があることがわかった。今年5月の富士山でも思ったが、一度経験のあるところでも行動をともにする人によってはまた違った、とても新鮮な気分で楽しめるのね。
そのため、予想よりも早く行程が進み、途中の6mくらいの滝でトップロープで直登を練習したり、ちょっとした淵でへつりではなくボルダリング的な通過を練習したりする余裕もあった。

入渓から3時間弱で完登して登山道に出ると、そこは翌週の20~21日に開催される“ハセツネ”(日本山岳耐久レース「長谷川恒男CUP」)の正規コースだったりして、僕らがすぐ近くの生藤山(しょうとうさん。990m)に立ち寄ったあとに笹尾根を浅間峠方面に下山しているときにも、いかにもトレイルランニング的なタイツ姿の、レース出場のための練習をしているらしきランナーが数人追い越して行った。
そういうのを見ると僕はやはりゆるゆる歩くほうが性に合っているな、と実はちょうど10年前に(ここ数年は高速レース化されているが、それ以前の頃に)このレースに出場したけれども途中でリタイア経験があることを苦々しく思い出しながらも、周りの木々は例年よりも遅めの紅葉が始まりつつある様子を見ながら、行くのはおそらく10回目くらいと見慣れた上川乗バス停への道をぼちぼち下っていった。

とは言っても、最近の野宿仲間で山岳レースおよびトレイルランニングに興味のある人も数人いて、彼ら彼女らに刺激を受けて、僕も今年から走ることにも手を出し始めたこともあって、またイチから練習し直して装備を整えて参加してみようかな、とは最近よく考えている。

下山後は路線バスで十里木(じゅうりぎ)に向かい、ここに今年4月に開業した温泉「秋川渓谷瀬音の湯」に行き、なかなか良い場所にできたな、でも入浴料はうわー800円か、食事や宿泊もできるのね、登山者よりもクルマで訪れる家族連れの観光客が多いのか、湯がちょっとぬるいのは減点だな、などと思いながらも入浴のち風呂上がりのビール(今回はアサヒ・スーパードライ)で乾杯のち反省会、で制限時間の3時間ギリギリまで入り浸った。

沢登りの緊張感から解放されて(特に今回の企画者の僕が)、ビールやチューハイで呑んだくれた一行がJR立川駅で解散するまで、終始良い雰囲気で山行を楽しめた。同行の仲間に感想を訊いてみてもおおむね好評で(社交辞令も少々あったのかもしれないが)、特に自分の得意な山域で楽しんでいただければそりゃあ嬉しいものだ。

来年以降もこういった企画が催せるかどうかは未定だが、とりあえずは身近な奥多摩と奥秩父は任せとけ! と自信を持ってはっきり宣言して演出できるように、より通い詰めて精進しなきゃならんよなあ、と帰りの電車のなかで酔っ払いながらも改めて思ったのであった。
奥多摩だけでも今後行きたい沢はまだ20本以上あるし、沢に関しては奥秩父、胎内、大雪山系、などと山域をもっと背伸びしたい気も一応あるので、来年以降も同行者に刺激を受けながら沢旅を続けていくつもり。来季はもっと遠出してみようかなあ。でもその前に最新の渓流シューズが欲しいなあ。

好みははっきり分かれそうな、ムケシ沢右俣遡行

2007-10-06 23:59:07 | 登山

今日は、東京都西部は武蔵五日市方面に沢登りに行った。僕にとっては毎年恒例の単独遡行なのだが、沢には先月に野宿仲間と複数人で2回行っていたが僕の個人的なほうは体調不良やら台風襲来やらで2回未遂に終わっていて、東日本はおおむね好天の今日に3度目の正直でどうしても確実に行きたかった。

で、どの沢に行こうかと数日前から沢のルート図集とにらめっこしながら考えていたが、やはり馴染み深い奥多摩、しかも武蔵五日市方面の沢が手っ取り早いので、そのなかで特に行きやすそうなムケシ沢右俣という、またもや1級でマイナーなところを行くことにした。

朝、JR武蔵五日市駅に降り立つと中高年登山者が相変わらず多く、都民の森行きの路線バスは臨時便が出ていたりしたが、それとともに下半身はタイツ姿のトレイルランニング的な格好の人もちらほら見かけた。これはおそらく、2週間後に(この時期に毎年)開催される日本山岳耐久レース「長谷川恒男CUP」、近年の通称“ハセツネ”に出場する人で、その下見および練習に来ているのだろう。毎年9月から10月にかけてはこのへんの山の尾根道は走る人が多いのよね。

路線バスで最寄りの下和田バス停まで行き、山側から流れ落ちている沢の入渓点を探す。が、思いっきり民家および私有地のそばなので、庭仕事をしていたそこの地主らしきおじさんに怪しまれる。たしかに、大きな荷物を背負って川をジロジロ見つめる様子は端から見ると少し怪しいかもしれない。人目につかないように下流側から回り込んで支度して、11時30分から歩き始める。
遡行図の作者も言うように序盤はたしかに先月行った西丹沢の小川谷廊下と比べると沢の水量は貧相で傾斜も緩く、先月までの台風や大雨によってかなりの大きさの流木が沢のあちこちに引っかかっていて、木をまたいで行く必要があるところも十数か所あった。丸太で埋まっている小滝もいくつかあった(上の写真参照)。

沢登りは高度感のある滝をいくつもがしがし登ってゴルジュを泳いでへつってナンボ、と思っている“沢屋”さんにはこの沢は物凄く退屈でつまらないものに感じるかもしれない。でも僕はそんななかでも時折見られる小さなナメ滝の数々を進んだり、ロープ(ザイル)を出す必要のないくらい手頃な滝をあえて水流のある中央からわしわし登るような箱庭的な沢が好きなので、この沢は気に入った。しかもかなりマイナーな沢かと思ったが最近も数人歩いたらしいとわかる巻き道の踏み跡も結構あった。そのため遡るうえで特に迷うこともなく、ハーネスなどの道具類も不要のまま、源頭部の詰めは平べったい浮き石が多いものの傾斜は奥多摩の沢にしては緩く、結局は途中で遊びながらも休憩時間を除くと2時間ほどで浅間尾根に出て完登することができた。えっ、これで終わりなの? と拍子抜けするほどのお手軽な沢であった。

15時前に浅間嶺(903m)に達してから、数年前にも大学の卒論の調査で歩いたことのある旧環境庁整備の長距離自然歩道「関東ふれあいの道」のコースに合流し、さらに東に下り払沢(ほっさわ)ノ滝へ下る。全行程を振り返ると沢の序盤の貧相な様子を忘れるくらいに全体的には充実した1日であった。

ちなみに、これまでの遡行では下半身はふつうに化繊のズボン(しかも汚れてもよいようにあまりきれいではないやつ)を穿いていたが、今回は元々はマラソン用に買ったユニクロの「BODYTECH ドライコンプレッションロングスパッツ」を穿いてみた(7月に1本1000円で買ったやつ)。先月も野宿仲間のうち数人がこの手のタイツ類(ワコール・CW-Xなど)を使っていて動きやすそうだったのでその影響を受けたから。たしかにこれで股を開きやすくなって滝を登るときも足の運びが幾分ラクになった。今後はもうちょい岩登りの要素の強い沢にもこれを穿いて挑んでみようかな。

「背負う」べきひとはいずこに

2007-09-21 23:30:23 | 登山
20日発売のマンガ誌「週刊モーニング」の山マンガ『イカロスの山』が今週の42号で連載終了となり、少々寂しく思う。
インターネット上で調べる限りはこのマンガに対しては作者の塀内夏子の画力や事実考証を含めて酷評がやや目立ったが、僕的にはそんなに目くじらを立てるほどではなかったけどなあ。マンガだし。

たしかに、終盤はヒマラヤ8000m級未踏峰の登頂、下山、遭難を通じて、平岡、三上、靖子の三角関係にケリをつけるという、昨年上半期にNHKで放送されたテレビドラマ『氷壁』とややかぶった展開になり、大自然のなかに人間関係の微妙な話を持ち込んで自然味にやや乏しい内容になったかもしれないが、女性でより「困難」を目指す山男の心情を描ける人はなかなかいないと思い、そこそこ感心した。

で、今週の最終話では、下山中に遭難した平岡が学生時代から気になっていた三上の妻である靖子への想いに気付きながら、それを力に生還した、ということを「背負う」と表現し、背負うことによって人は強くなる、とも描いていた。
(僕はそんなたいした経験はないが)山に限らず大自然のなかで生死の境を綱渡りしているときに、帰るべき場所や人を想うということは山に限らずあると思う。やはり酸素の濃度が平地の半分未満の高所では住めないし、人間はひとりでは生きていけない動物だし。

また、なんらかの覚悟を決めて「背負う」べき「愛する」人がいるか否か云々ということは今後、僕も柄にもなく考えるときが訪れるのだろうか? と考えた。最近、友人知人の結婚を含めた他人の“恋バナ”を聴く機会は年々増えているし、僕自身も主に地平線会議などの旅関連の催しを通じて女性と喋る機会が今年になってとみに増えて(今年は過去31年の人生のなかで最も女性と喋っていると思う)、そのほとんどが男勝りの強烈な個性のある方々なのだが生物学的にはやはり女性なので、それなりに意識はしながら異性についてより考えるようになった。

僕は恋愛や結婚には一生縁がないと思っているが、下山中に遭難して究極の選択を強いられた平岡のように絶体絶命の場面に出くわしたときに、どこを、何を、そして誰を心の拠り所にするのだろうか? ということには以前よりは興味が湧いてきた。僕が特別に想えるひとは今後現れるのだろうか(でも出逢い系サイトでは会いたくないなあ)。そういったことを再考するきっかけをもらったという意味では、このマンガに感謝している。

学生時代は完全な男所帯で登山を含めた野遊びを楽しむことはよくあっても、女子というか女性ととも登山に行くという経験はこれまでにほとんどなかったため、今更ながら最近の野遊びで女性とよく行動をともにすることによって新たな発見が毎回あったりして、結構新鮮な気分で山にあちこちに行けている。僕のなかでも精神的に無意識のうちになんらかの微妙な変化が生まれている、かもしれない。

ただ、最近は僕がかかわっている人は性別問わずみんな「仲間」という感じなので、たとえ異性だからといって愛だ恋だ云々とかいう感情は一切なく、ふつうに同性と接するのと同様に様々な物事を共有したり笑い飛ばせたりするのでラクだし、各種催しを通じてその女性たちの個性を個々の自立したひととして垣間見るのが単純に楽しいので、今後も甘美な雰囲気になるとかいうことはあり得ないな。なんせ、思考も運動能力も渋谷や新宿あたりを衣服をだらしなく着ながら歩き、強風が吹けば簡単に吹っ飛んでしまうような軟弱で軽薄な男どもよりも数段高くて物凄く男前だからなあ。最近流行りの“ギャル男”に思わずグーパンチを入れてしまいそうな雰囲気のひとたちなのよね。

今後も「女子」と呼ぶには程遠い? 女性との野遊びの予定はいくつかあり、体力的にかなり負けている僕もうかうかしていられない、と正直、かなりの危機感を募らせている。でもまあ、自分の良いところを見せようという邪心からではなく、単にそのひとたちに体力的に遅れをとらないように、恥ずかしくないように、という意味で発奮して運動して減量するにはちょうど良い機会かもしれないけど。

最近の西丹沢・小川谷廊下

2007-09-18 08:00:31 | 登山

15日、1日に続いて再び沢登りに行ってきた。場所は、神奈川県は西丹沢の小川谷廊下。山岳雑誌や各種沢登り本では関東地方のなかでは代表的な、屈指の好ルートとよく報じられている沢ですな。
僕も前々から興味はあった沢だが、なんとか日帰りでも行けるといっても沢の総合グレードで判断するところの2級でしかも水量も比較的多いというのは、以前にここを遡ったことのある大学時代の後輩などから情報収集はしていて、遡行図を読んでみてもいつもの単独行ではちょっと手が出せないなあ、もし行くなら複数人だよなあ、誰か一緒に行ってくれる酔狂な人はいないものか、と数年間ずっと棚上げしたままであった。そんななか最近、またもや1日と同様に野宿仲間と行こうではないか、という計画が1か月ほど前に持ち上がり(沢行きのリーダーがこの沢の経験者だったことが幸い)、7日の台風9号の影響も気になったが結局行くことになった。

15日朝7時頃に小田急線・新松田駅に集合して、路線バスとクルマに分乗して玄倉に行く。僕はこの時間に集合するには間に合わないので、前夜に前乗りして駅近くの川音川の河原で野宿したけど。
今回の参加者は1日の新茅ノ沢の参加者4名(僕も含む)に加えて3名追加の7名。というか、1日の沢は今回のための練習というか沢登りという行為に慣れるために設定したもので、今回が本番の遡行だったりする。

小川谷の入渓点に近い、遡行のあとに野宿する予定の河原で9時すぎから支度して、10時30分に出発。1日のほうに参加しなかった3名は初沢登りで、7名という大所帯で沢を行くのは僕も初めてで、2級の沢に行くのにこんなに初級者が多くて大丈夫なのかなあ、よく考えると僕もこの集まりのなかでは経験者扱いされているけどいつもは1級のところしか行かないから事実上初級者だからなあ、と頭のなかは期待や楽しみよりも不安ばかりであったが、みなさん全行程とも意外とそつなくこなしていて、結局は取り越し苦労であった。5月の富士山や7月の雲取山と同様にこの集まりは登山向きの人が多く集まるのはなんでだろう? と再び不思議に思いながら、感心しながら遡行した。

で、小川谷廊下ではこの遡行図を読めばわかるが序盤に落差5mのチョックストーン滝がいきなり出てくるのだが、ここに挟まっている岩というのが直径5mはあるのでは? どこから転がってきたんだ? というくらいのどでかい大岩なのだが、ここの両脇を流れ落ちる滝の水量がまだ台風9号やその後の雨の影響もあるのか予想以上に多く、水流も強く、全員通過するのに難儀した。水流が弱ければ、倒木が引っかかっている右から登るにしてもルート図集では一般的に登るほうと報告されている左から登るにしてもそんなに苦労はしないのだろうが、今回の水量ではどちらも(確保なしの)フリーソロで登るのはちと困難で、ウチらの技術レベルでは登る人を上部からロープ(ザイル)で確保しながら、さらには下から誰かが足や尻を押し上げて支えないと登れないくらいであった。別の後続者のなかにはここで諦めて引き返す人もいた。

いきなり最高潮のここで、登る順番は最後になった僕がもたつき、確保されながらも数回落ちたりして頭やら肩やら膝やらをしこたま打ちつけて疲弊し、序盤からボロボロであった。往年の人気ファミコンゲーム「スーパーマリオブラザーズ」で例えるところの、1-1でファイヤーマリオにパワーアップする以前にものの数秒程度で2人死んで、辛うじて1-1をクリアした(登りきった)ところではもう最後の1人、という感じの瀕死の状態であった。あと10分くらい水流に揉まれ続けていたら、ホントに低体温症に陥っていたかもしれない。実際、僕がこの滝を登りきった直後は心臓の動きが少々おかしく、頭痛もあった。現実世界では当たり前だが、このゲームのようにゴール手前の階段状でノコノコを活用しての無限増殖のような蘇生術も施せないしなあ。登山していて久々にヤバイと思った滝であった。

結局はここを全員通過するのに50分ほどかかり、先に登って待っていた仲間は歯をガチガチ鳴らしながら「寒いよぅ~」と言いながら寒さに打ち震えて、ヤバイヤバイ、この先どうなるの? という不安顔をしていた。僕も同様の気分で、まだ距離的には数百mしか遡っていないのにひとりで下降しようかと本気で思ったくらいだ。

だが、リーダーを除くほかの沢1、2回目の仲間たちはどう思ったかはわからないが、その後は僕的にはそんなに難しいところはなく、小滝もゴーロもまあ直登はできなくて軽くへつりを入れたり巻いたりするところがほとんどだったが、ふつうに遡り、動いているうちに身体が温まり、寒さからなんとか回復していった。完登したあとの今振り返ると、この沢の核心部は序盤のチョックストーン滝なのかもしれない。

みんなもしばらく登って行くと沢の水温にも雰囲気にも慣れてきて、遡行図ではちょうど真ん中にある、5mの滝の左側にあるつるつるの巨岩のところでは、左側の残置ロープを頼りに登りきってから、岩の上部の残置支点を活用して懸垂下降の練習をしたりする頃には笑顔も見られ、沢を登ったりへつったり、カラビナやシュリンゲやエイト環などの登攀具はこんなふうに使うのか、わらじは消耗が早いなあ、山にはこんな世界もあったんだ、などと仲間たちの何をするにもほぼ初めてという沢への取り組みを傍から見て、僕も新鮮な気分に浸ることができて初心に立ち返ることができて、ああ、また岩登りの練習もしなきゃなあ、と自戒もした。

あとは終盤の、上の写真にもある(書物の写真でよく見る)石棚ゴルジュの入口のあたりも狭いだけにそのぶん水流が強いのだが、ここは見た目は派手だが両手両足を突っ張ったりすればなんとか行けるので、やはり序盤のチョックストーン滝のほうが数段厳しい、という印象を得た。ほかの仲間は写真のように連結したシュリンゲを頼りに左岸から身体を引き上げて登ったが、やろうと思えば突っ張りで行けたかなあ。ちなみに信じてもらえなくてもべつにかまわないのだが、僕は写真の滝は水流の弱いところをすり足で詰めてから両壁へ股を開いて足を突っ張ってフリーソロで突破した。ちょこっとは沢を経験している者としての面目躍如となっただろうか。ほかの“沢屋”さんたちはここはどうやって切り抜けるんだろうなあ。いつもは単独行のため、なかなか見る機会がないほかの人の登り方が気になる。

そのすぐあとの2段20mの滝も巻き道がしっかりあって、ここに限らずこの沢は有名なだけに随所に残置支点があり、それは逆に言うと自然のなかに人の手が加わっているということなのだが、それでもそんなに幻滅することなく想像以上に登りやすくて楽しめた。特に終了点手前の小滝や淵は美しく、ここはホントに丹沢か? と錯覚もした。表丹沢の、2週間前の新茅ノ沢や、6年前に行ったことのある葛葉川本谷ではこのようなナメ滝っぽい様相はなかったし、僕がよく行く東京都・奥多摩よりも明るい雰囲気もある。まあこれは白っぽい色の石英閃緑岩によるのだろう。
そんな愉しみもあり、たしかに人気のある沢だな、というのは今回遡ってみて納得。あとは、今回はやや小雨混じりだったのだがもっとスカッと晴れ渡り、先月中旬の気温が37~40℃くらいになるようなクソ暑い日に来ればより楽しめる沢ですな。

最後、壊れた堰堤を越えて開けた河原のケルンが積まれている終了点には17時すぎに着き(時間かかりすぎ?)、みなさんお疲れではあったが充実感いっぱい、という顔であった。遡行を終えて思わず握手が出たのもよくわかる。初沢登りが小川谷廊下というのも各種山岳会や登山団体からするとあり得ない、と思われるだろうが、今回は無事に完登できたからまあいいか。
ここでわらじや沢靴から靴に履き替えて下山し、起点に戻ったのは18時30分となった。この頃にはもう暗くなってしまったが、所々で固定ロープのお世話にもなる意外と細道の下山道をなんとかヘッドライトを点けなくても済みそうな時間に通れてよかった。
着いてすぐに、そばの沢であらかじめ冷やしておいた発泡酒で乾杯し、僕も過去の(たいしたことはない)沢登り遍歴のなかでも最も疲れたために、1本飲んだだけで全身が脱力してふにゃふにゃになってしまった。

このあとは、埼玉県の奥地? から二輪車で野宿のみ参加しに来た1名を加えて総勢8名で、夜は焚き火と炭火のバーベキューをして(でもその盤面にはなぜか肉・野菜類とたい焼き・今川焼が混在していた)、締めに今が旬の秋刀魚もいただいたりもしながら(今年の秋刀魚は身が太くて脂が乗り乗り。豊作なのね)、日付が16日に変わった頃まで沢登りの反省会・お疲れ会的な、そして某ミニコミ誌の打ち合わせ的な宴会が続き、帰還してから張ったタープの下で野宿したけれども2時すぎに雨に降られて寝袋が少し濡れて、テントを持参している人はテントに逃げ込んだりしながら一夜を明かした。

翌朝は、余った食材を適当に投入した鍋ラーメンを食べ、ゴミを燃やし、鍋はまた余ってしまったのでもったいないなあと思いながら僕が腹に片付け(一応は減量中で、ようやく最近になって胴囲が約3cm減ったのにぃ。これではまったく効果がないではないか)、昼前にやってきた家族連れキャンパーに場所を明け渡してあげて、玄倉バス停に戻り、でもバスはしばらく来ないので仲間のクルマでJR山北駅直近の温泉に行って、ここで料金400円で制限時間2時間丸々入り浸り、その後新松田に戻って、連休中なので上り電車でも箱根帰りの観光客などでかなり混んでいる小田急線でずっと立ちっぱなしで新宿に戻ったりしながら帰途に就いた。

まあそんなこんなで、時期的にはもう秋なのだろうが、まだ夏の雰囲気の残ったなかで夏の締めとも言える催しで、全体を通しても充実していて楽しかった。僕は今回の参加者とは、昨年のちょうど今頃は地平線会議などを通じて顔見知り程度か名前だけは聞いたことがある、という程度の極薄の間柄だったのだが、今回の初級者にはちと厳しい沢登りを共有したことによって、より親しむことができた。やや困難なことを共有すると連帯感は生まれやすいよね。なんか最近はそういう出会いが多く、基本的にひとりでなんでもやりたがる僕もこれはこれで楽しい。大勢でワイワイやるのも良いものだ。沢自体も、みんな身体のあちこちに筋肉痛は出ていたが(僕は特に上腕)致命的な大ケガをすることもなく乗りきることができて、めでたしめでたしであった。

ただ、僕的には今回の沢登りで残念なおまけがふたつあって、ひとつは沢の遡行後半にデジカメ(ニコン・クールピクスL6)をうっかり水没させてご臨終となったこと。でもSDカードのデータは生きていたので撮影済みの約150枚の写真は無事だった。カメラをジップロックに入れて撮影時に取り出して、再びしまって閉めて、と一応気を付けてはいたが、小川谷廊下ほどの胸まで浸かる釜もあるようなところだとさすがに厳しいですな。ある程度覚悟はしていたが、やはり実際に失うと痛い。そろそろ、ペンタックスかオリンパスの防水対応のデジカメを買わんといかんですなあ。

そしてもうひとつは“携帯できる電話”ことPHSと財布を入れていたジップロックに針の先端くらいの微細な穴が開いていた影響でこちらもご臨終となったこと。その外側も小物袋で三重に防水していたつもりだが、カヌーなどでよく利用するドライバッグではないので、おそらく、序盤のチョックストーン滝の強力な水流にやられた時点でもう絶命していたのかもしれない。初心者レベルの凡ミスで恥ずかしい。というか辛い。特に最近のメールが消失したことと、今後の数万円かかる出費が。ドライバッグも欲しいなあ。

“雲上の料理店”に招かれた

2007-07-26 21:45:51 | 登山
21~22日にかけての雲取山登山でもうひとつ大きな特徴があったのは、食事。
今回の参加者のなかに料理人(他称。プロではないよ)がいて、彼が地平線会議の集まりで作る食事の質の高さには定評があって、某冒険家も全幅の信頼を寄せているくらいの実力がある。僕も最近、コテコテの関西人でトラキチ(熱狂的阪神ファン)でもある僕と同年代の彼が、自前で持っているカセットコンロ利用のたこ焼き器で作ったたこ焼きを食べる機会が2回あったが、その味も抜群であった。

で、そんなことを知っているためにまとめ役の僕としては今回の登山の21日夜と22日朝の食事のメニューは彼に丸投げすることにした。ただ、僕からひとつだけ要求したことがあって、それは「できるだけ水を使わずに作れるもの」ということだった。山では水は貴重で、炊事以外にも火傷や切り傷、それに目に異物が入ったときなどの治療にも使うし、身だしなみが気になる人は洗顔や歯磨きにも要るだろうし、あればあるだけ良いに決まっているから、水場が近くにない場所で野宿する場合は水はできるだけ温存したい、というのは旅慣れている人であればまあふつうに考えることか。

それで21日の夜にカセットコンロ使用のシングルバーナーを駆使して出てきた料理というのが、

①焼肉、一般的なオーストラリア産の牛肉と、1パック2000円の黒毛和牛
②イカとホタテのチリソース和え
③イカとホタテのマヨネーズソース和え
④焼きそば
⑤フルーチェ

という、想像を超えるものだった。④はまあよくあるのだが、それ以外のものを山で食べた経験は僕もなく、驚いた。特にみんなが狂喜乱舞したのが①の黒毛和牛で、この柔らかい霜降り肉の質は最近よく使われる“ヤバイ”という表現がぴったりのとんでもない旨さであった(口のなかで溶ける、というやつ)。この肉に限っては早い者勝ち、という参加者みんなの目の色が一瞬変わってやや殺気立ったくらいの激しい争奪戦が繰り広げられた。しかも焼肉のたれもそつなく持ってきていたし。
また、②と③についてはソースはレトルトのものだったが、イカとホタテをちゃんと下処理して一口大に切って下味も付けて、しかも常温だとまずいということで折りたたみ式のクーラーバッグを用意してそれに保冷剤とともに入れてきたりもして、とかなり手が込んでいた。⑤についても普段から作り慣れているようで、わざわざ生乳をペットボトルに詰め替えて持ってきて、食べる直前に混ぜ合わせていたりもした。
結局、①~④はフライパンひとつでできるもので、鉄製の普段使い慣れたフライパンを持ってきてもいて、たしかに水を使わずに済んだ料理の数々であった。まさか生の海鮮が出てくるとは思わなかったな。ホントに度肝を抜かれた。さすが料理人である。
ちなみに、翌22日の朝は切り餅を網を使って焼き、海苔としょうゆも用意して磯辺焼きにしたりもした。あとは⑤の残りも少々。

そんなふうにいろいろな調理道具や食材や調味料を持ってきたために、彼のザックを試しに持ってみると僕のと同様にかなり重く(たぶん14~15kgくらい)、この食事の内容を見るとおそらくその重量の3分の2が食事のための荷物で占められていたのではないかと思う。よって、21日の登りでは荷物をいくらか分担して持つようにしたが、それを差し引いてもまだかなりの重さがあった。焼きそばももちろん生麺だったし。これだけ食事に情熱を傾けたということで、今回の登山のMVPは彼で異論はないだろう。あ、僕らの野遊びの場合は厳密に表記するとMVPではなく“MVNP”ということになるか。Nは「野宿(Nojyuku)」の略ね。

まあとにかく、標高2000m近い雲海の上で思いがけず良質の“料理店”に招かれて、これも楽しかったし良い経験にもなった。大学時代にも僕の後輩で料理の得意なヤツがひとりいたのだが(これまた「鶏肉のコーラ煮」のような突拍子もないようなものを作るヤツ)、山で男の料理、というのは今後流行るかもしれない。料理が苦手でものぐさな女性陣に「彼氏ではなくて“妻”としてひとり欲しい~!」などと言わしめるこのような料理好き男子の需要は今後も一層高まるであろう。料理は公言するほどは得意ではない僕は山では相変わらずレトルトカレーとインスタントラーメン一辺倒だけど(雪山登山ではたまに保存食である「ぺミカン」は自作するけど)。

調理に集中しているときは、自分も食べたらどう? と周りから勧められても「放っといてください!」とけんもほろろにあしらって、その手順もあらかじめ決めていて他人が調理に介入すると邪魔くさくて逆に困る、というくらいにとにかく作るほうに集中する、他人に料理を出すことが好き、という彼の作るものは今後もいろいろ楽しめそうだ。
これで阪神がずっと首位独走だったりして調子が良ければもっと高級な食材を駆使した豪華料理が出てきたりするのかな。そう思うと、もう少し阪神を本腰を入れて応援しようかな、これで阪神と阪急が経営統合したら彼の料理にも微妙に悪影響がおよぶのだろうか? などと標高2000m前後の山中でふと考えたりもしたのであった。



①のオーストラリア産牛肉を速攻で食べ尽くして、いよいよ黒毛和牛に取りかかっているところ。この肉を持ってきていることは直前まで知らされていなかったので、まさに“サプライズ”であった。料理人氏が登山中に「牛肉は好き?」などと僕にわざわざ訊いてきたのはこれがあったからなのか。



①の黒毛和牛の拡大。口のなかで噛まずに溶ける良い肉を久々に、しかも山のなかでいただけたのはここ数か月で最も愉快痛快なできごとであった。基本的に豚肉好きで牛肉はあまり選択しない僕もこれには参った。



②を作り終えて③に取りかかっているところ。一瞬、中華料理店に紛れ込んだのかとホントに錯覚したくらいの味だった。



ここまでの3品でもう満足なのに、さらにダメ押しの④。味付けのソースも多めに入れていたのはやはり関西人ならではのこと。



僕が4人に内緒で6本担ぎ上げた、金色の麦酒。なんでこの銘柄を選択したかというと、大学時代から先輩でこれのファンが多かったからその流れを汲んでいる、というだけのこと(某登山用具店の店長も大好きらしい)。キリン・一番搾りやアサヒ・スーパードライよりも見た目から高級感も漂っているし。でも決して僕が恵比須様と似た体型だから尊敬している、というわけではないよ。

5日後に5人で雲取山登山

2007-07-25 21:30:30 | 登山
2007年7月22日8時30分、16~17日と21~22日に世話になった雲取山頂避難小屋から下山する。先週に突発的に2回もかかわったこの小屋および山にせっかくだから、年内にまた行ってみようかと企んでいる。2度あることは3度あるかも。


先週始めの16~17日に東京都最高峰の雲取山(2017m。2018mという説もある)を登った、という報告をしたが、実はその週末の21~22日にも登りに行った。つまり僕はこれで、雲取山は5日ぶり6回目の登頂ということになった(5日ぶり、というのがミソ)。
前回は単独行だったが、今回は地平線会議の集まりによく来る、登山に、もしくは雲取山に興味はあったんだけどこれまでひとりではなかなか行きにくかったなあ、でもみんなで行くんだったらいいかも、ということで今回僕の呼びかけで集まった登山初心者4人とともに、5人編成で行った。18日の投稿の、雲取山を登らなければならなかったという(みっつめの)最大の理由は、この山行を滞りなく進めるために雲取山頂周辺を下見をするためだったのだ。

無駄に? 登山の場数だけは人並み以上にある(らしい)僕がリーダーと呼ばれるのは恥ずかしいので「まとめ役」となって、男子・女子各2人の計4人を連れて行く、というカタチになった。でも表向きはそんな感じに見えるが、実はこの4人のうちの3人は2007年5月28日の投稿にもある(積雪期の)富士登山の参加者であるし、しかもそのうちのふたりはそのときは僕が到達できなかった標高3720mの浅間大社奥宮(お鉢)にも到達しているし、さらにそのうちのひとりは今月上旬に北海道栗山町で開催された走行距離100kmのウルトラマラソンの完走者だったりもして、参加者全員の体力面はまったく心配していなかった。「連れて行く」というよりは「一緒に行く」という感覚だった。また、もうひとりも(頭脳明晰で3か国語を喋るカナダ人)、JACC(日本アドベンチャー・サイクリストクラブ)の会員で自転車旅や軽めの登山の経験が少々あるし。むしろ、山というか不整地を、荷物を背負いながら2日連続で数時間歩き、しかも梅雨というこの微妙な時期の天候のなかで行動中にもし雨が降った場合にはどのように対処するか、できるか? という精神面のほうがとにかく心配だった。
21日朝はJR立川駅に集合予定だったのだが、まだ本州に梅雨前線が残っていたために夜明け前から小雨がぱらついていて行こうかやめようか出発直前に30分ほど迷いもした。これが八ヶ岳や飛騨山脈や赤石山脈のような森林限界以上のところを行くのであれば中止にしたが、森林の多い雲取山であればそんなにひどい悪天にはならないだろう、と過去5回の登山経験から判断して結局は決行したけどね。

今回の行程は前回とはまた変えて、21日は、東日原→日原林道→長沢谷下降点→大ダワ林道→大ダワ→雲取山荘→雲取山→雲取山頂避難小屋、22日は、雲取山頂避難小屋→奥多摩小屋→七ッ石山→七ッ石小屋→小袖→鴨沢、となった。僕個人的には雲取山を行く場合はこの行程が最も平坦で歩きやすいかな、と思っていて、全行程を一度は辿っている僕はまあやりやすかったが、初めての4人の目にはこの登山道の様子はどう映ったのかな。
22日午後に下山してJR奥多摩駅に戻ってからは、前回は休館日だった「奥多摩温泉もえぎの湯」にも久々に入浴することができた。

初日の距離はやや長く、山頂に到達したのも19時前という、「早発ち早着き」という登山の基本からは思いっきり外れた超遅い時間にもなったが(さすがに森林限界以上のところを行く登山ではこんな計画は組まないよ。今回は特別)、天気予報以上に天候が大きく崩れることはなかったのでまあいいか。それにこの東日原からの登山道は僕も13年前に大学ワンゲルで初めて雲取山を登ったときに辿っていて、そのときの山の木々、特に広葉樹の瑞々しさや、時折現れる沢の水量の多さなどの良い印象が頭にずっと残っていて、ほかの登山道よりも傾斜はそんなにきつくもなく、登山経験の少ない人にもちょうどよいかな、できればここを歩いてもらいたいな、ということで選択した。で、今回、13年ぶりに大ダワ林道を歩いてみて、やはり良かった。記憶というのは時間が経つと曖昧になりがちだが、良いものに関しては正しく残っているものだ。
ただ、尾根の縦走路あたりの大半の木の幹には鹿の食害対策のための防護ネットが巻かれていたり、縦走路のやや下のほうには神奈川県・丹沢の大倉尾根のように樹木のそばに柵が張り巡らされていたのが気になったが。それだけ鹿が増えているのね。実際に今回も鹿は単独・複数問わずよく見かけた。述べ数で50頭以上は見かけたかもしれない。
22日は予定では山頂から石尾根をずっと東に下っていって奥多摩駅まで歩ききる、というのをやりたかったのだが、22日の朝にややお疲れというか雲取山に登頂できただけで満足、という4人の様子を見て、行程を短縮したほうがいいかな、と鴨沢に下るように変更した。

だが実はそのとき最も疲れていたのは僕で、行程の短縮を最も望んでいたのも僕だった。それはこの登山のために「もしもの場合」のための道具をいくつか持ってきていたために荷物も60リットルのザックにほぼ満杯となっていたからということもあるが(4人には荷物の軽量化を促していたくせに)、しかも5日前の雨中の登山で風邪をひき、その影響で口内炎も発生し、さらには長距離を歩いたり走ったりしたときによく出る股関節の鈍い痛みもあり、その三重苦によって足取りは両日ともにやや重かった。22日は発熱もあり、ホントはまとめ役としてほかの参加者を気遣うべき役どころだったのに逆に僕が気遣われることになり、なんとも情けない格好になってしまったなあ。
でもまあ先週の下見の甲斐があってか、4人とも登山をそこそこ楽しめたようで(あとでそれぞれの感想を訊くと、楽しんだ、印象に残った点がそれぞれ異なっていたのがまた面白かった)、今回の登山の演出担当としてはホッと胸をなでおろすことができた。22日はとりあえずはぶっ倒れるのは家に帰ってからにして、まずは4人にきっちり下山してもらわないと、と強く意識して行動を促した。でも実際には僕がいなくても登山はまわせたようにも思うが、一応は全行程ともに頼りにしてもらえたようなので、そのへんは計画立案者冥利に尽きる。

ちなみに、下見下見と書いているのはなぜかというと、5月の富士山もそうだったのだが、この集まりは「野宿」が好き、というのが基本で、今回も山頂付近で野宿することが前提で登山していて、それにちょうどよい場所を探すために下見に力を入れたから。雲取山荘や奥多摩小屋のような有料小屋に泊まったり、(秩父多摩甲斐国立公園内なので)指定地でテントを張ったりするのであればべつに下見は要らないが、それらの人工物にできるだけ頼らずに野宿する(横文字にすると「フォーカストビヴァーク」ね)、しかも単独行なら初見でも畳1枚くらいの広さがあればどうにでもなるが、5人もいるとなるとちょっとした準備が必要だった。
で、結局は雲取山頂避難小屋から300mほど下ったところに手頃な場所があり、そこで21日の夜に宴会したり一時寝たりしたが、22日の深夜1時30分頃から雨が降り出してしまい、避難小屋に登り返してその軒下に文字どおり“避難”することにもなったが、なんとか山頂付近での野宿を達成することができた。最も心配だった降雨は結局、この時間から明け方にかけての3時間のみだった。ただ、22日は霧も多かったので17日のような御来光は拝めなかったけど。

その代わりに、21日の夜半には西側の奥秩父主脈方面には雲海がかかり、その上に星や月が十数分間出た、というなかなか幻想的な光景を見ることができて、暗すぎて写真には収めにくい、その場に行かなければ観ることのできない光景にも出くわし、オォーッ、と静かに感動はできた。これ、小屋泊まりで早めに就寝する人では絶対に観られない光景で、山に来てもあまりに人工物に頼りっきりになるのはもったいないなあ、とも思った。このように人生を歩むうえで(忌み嫌われることが多い)野宿がもたらす恩恵も多々あることに気付いている人のほうが、「ホンモノ」と「ニセモノ」の境目がわかりにくくなりつつある現代社会においては少しは幸せ者なのかもしれない、とかいうしんみりしたことも真夜中の雲海を無言で眺めながら考えたりもした。
野宿はひとりでやるのは簡単だが、これを複数人でやるとなるとそれなりのエネルギーや共通認識が要るもので(しかも地面が平坦ではない山中だし)、こんなふうに参加者みんなの意思がひとつの方向に向かいながらのそんな珍しい体験ができたのは僕としても新鮮であった。野遊びの幅が少し広がったよな、と単純に嬉しく思う。

また、基本的に単独行が好きな僕も、今回は複数人で行くことによっていろいろ勉強になったし面白かった。
学生時代は当然ながらみんな20歳前後で、今回は男子3人女子2人計5人の平均年齢は33.2歳で、僕はそのなかで平均以下の歳下の部類に入っていた。近年、中高年層の登山者が幅を利かせている登山業界だが、まだこのくらいの年代であればみんな「若手」の部類に入るのかな。やる気の面では学生の頃よりも年齢が上がっても行きたいと思っている人は相変わらず一定数いて、むしろある程度人生経験を積んで日々の生活のなかでの力の入れ方・抜き方を心得た30代の人のほうがマイペースで良質の登山を続けられるのかもしれない。
ただ、歳を重ねたぶんだけ自己主張が強まるというかわがままになるという面もたしかにあり、今回も物事を決めるときに難しかった点も多々あり、若気の至りという感じで猪突猛進型が多い学生よりも良くも悪くも“退く”ところもある「大人」な人たちと対峙するために精神的に苦労した面も正直あった。僕も登山中は行動は50分歩いて10分休む、のようなベタなことにはこだわらずに、ここはこうしたほうがいいよ、などと学生時代のようにあまり口出しもせずに、できるだけ自主性を重んじるようにはした。僕も押し付けがましくするのもされるのも嫌いなので、「大人」の振る舞いを心がけた。僕もそれなりに成長したんだなあ。相変わらずカネはないけど。

それと、ガイド登山を生業にしている人は初心者の顧客とは金銭の授受も絡むから精神的に余計に大変なんだろうなあ、ということも身に染みて少しはわかった、気がする。今年に入ってからガイド登山の内情をちょこちょこ聞く機会があるのだが、その顧客の大半はつい最近まで部下や子どもに指示を出す(偉い)立場にあったためか自尊心も人一倍強い中高年層がやはり多くて、あえて悪く書くとその強さによって「頭の中身(発想)が凝り固まって」いて、計画を遂行する、実際に行動を促すうえでも大変らしいね。

また、今回は社会人として働いている人たちばかりのために経済力もあり、登山や野宿の数日前に(貧乏学生時代ではあり得ない)最新の衣類やら寝袋やらを大人買いで一気に買い揃える、ということも可能で、うらやましく思うこともある。最近の野宿仲間を見回しても、経済力が低いために学生時代から使い続けている12、3年落ちの道具ばかりが目立つ僕に対して、最新のモノばかり次々に買い揃えている様子を見ると、劣等感にさいなまれつつも面白く思うこともある。それを見ると「装備だけは一人前じゃん!」などと茶化すこともあるが、でも本気で野遊びするには最初から奮発してできるだけ良い道具を持っていたほうが良いに決まっているので、良い傾向ではある。やはり日々の生活以外にも、何をするにもお金があるってスバラシイことなのね。

それから、学生時代と比べて今回もうひとつ面白かったのが、事前の連絡はすべてメールでやりとりしていたこと。まあ今回の参加者全員ともに地平線会議の報告会などで何回か顔を合わせているからなんとなくわかるが、ひとりひとりの趣味嗜好なども考えながらやりとりするうちにその人の特徴もよりわかるようになり、登山当日も想像よりも違和感なく行動をともにすることができた。実は今回の参加者4人ともに僕はまだ出会ってから1年も経っていないくらいの関係はあまり深くない間柄なのだが、そんなことはすぐに忘れるくらいに溶け込んで、集団行動も意外と楽しめた。なんか不思議な気分。旅や野宿が得意、という共通認識があるからなのだろうか。
まあ元々はおそらく5人全員の旅での訪問国数を足すと50か国近くになりそうなくらいにみんなバックパッカー的な旅に慣れていて(日本国内にも「関東」と「関西」という精神的文化的に大きな隔たりというか棲み分け? のある地域もあるが)、今回も荷物のまとめ方ひとつを見てもみんな上手く(そのうちのひとりは容量の公称は33リットルの、グレゴリーのデイ&ハーフパックひとつにまとめていた。しかも寝袋やエアマットや水2リットル込みで、小屋泊まりではないのにだよ!)、野遊びにはそこそこ自信がある僕から見ても凄ぇな、と見習うべき点は多かった。さすが、世界的旅人集団である地平線会議に吸い寄せられてくる人たちだけのことはある。
ここには世界に目を向ける旅人が多く集まるのだが、日本の、今回のような身近な地域でもまだまだやるべきことはあり、やり方によっては楽しみ方も無数にある、ということが今回の登山でほんの少しでも伝われば幸いですな、と母国・日本のなかでの野遊びにこだわっている僕としてはちょっぴり期待するのであった。諸外国を長期間旅するほうが偉い、とは限らない。

僕の周りでだけなのかもしれないが最近、環境問題や自然回帰志向の影響なのか登山や自転車に興味がある、でもどのように始めればよいのか、何を買えばよいのかわからない、というかまずは連れて行ってほしい、という僕と同年代の人の話もよく聞くようになったので、機会があればじゃんじゃん行動をともにしてホンモノの自然のなかに導いて、というか非生産的だけれども人間が生きていくうえで知っておくべき大切な物事がたくさん転がっている世界に引きずり込んでいきたいな、とは常々思っている。今回の登山のように男女問わず年代も問わず、いつでも歓迎しますよ。

ちょっとワケありの、東京都最高峰・雲取山登山

2007-07-18 09:00:58 | 登山
先週末に全国的に猛威を振るった台風4号通過後の16~17日にかけて、東京都最高峰の雲取山(2017m)を登ってきた。しかも登るのは始めからこの山限定で、その理由もいくつかある。

ひとつめは、雲取山とその周辺の記憶を更新したかったこと。僕は今回でこの山は5回目の登頂になるのだが(このうち単独登山は今回を含めて3回目)、最後に登ったのが1999年の2月で、この8年の記憶の隙間を埋めたかったのであった。久々に登り、登山道やその周辺の植生はほとんど変わっていないなあ、でもあれ? こんなに広葉樹が多かったっけ、といろんな発見をしながら、雲取山を最初に登り始めた13年前からの懐かしさを感じながら登り、雨でやや行動しにくかったことはしにくかったのだが、そんなしっとりした奥深い登山もまた良いものだな、とひとりで勝手に納得しながら登った。

そこでひとつ気になったのが、以前にも増して鹿(ニホンジカ)をよく見かけたこと。道中も樹木が鹿によって痛め付けられている、という報告の貼り紙を数回見かけたが、なんでだろう。昨年6月に行った丹沢・大倉尾根ほどではないが、お祭から雲取山のあいだで7、8頭見かけた。鳴き声のみを含めるとその2倍は登山道付近で行動しているのを確認した。丹沢と、エゾシカの被害が目立つ北海道もそうだが、もっと鹿を捕獲して食う仕組みをなんとか整備できないものかね。

ふたつめは、単にトレーニングの意味で、ということ。登山するうえでの良いトレーニング方法は何か? と考えた場合、歩行、走行、階段昇降、水泳、自転車、ジムやフィットネスクラブの器具、などいろいろ考えられるが、なんといっても最大の効果を発揮するのは、ズバリ「登山」することなのよね。これは岩崎元郎氏などの登山のベテランもよく言っているが、そういった平地での運動もたしかに特に心肺機能や足腰の強化という面では効果はいくらかあるのだろうが、それはなにぶん平地でやることなので、基本的に不整地を自分の2本の足で登る登山の場合、不整地に対応できる平衡感覚を養う意味でも、山を歩くのが最も効果的なはず、と僕は高校生の頃に自発的に登山を始めた頃から一貫して信じている。

例えば太ももを上げ下げするときなんかも器具や階段や野外の土道では脚の筋肉の使い方が微妙に異なるし、その動作も硬い・柔らかい土に足をのせたり、石や岩に足を引っかけたり、木の根をまたいだりなどして一定の歩幅で行けるとは限らないから歩幅も一歩ずつ微妙に異なってくるし。器具などの「一定の動作」よりも、野外での「一定ではない不安定な動作」に対応できる力のほうが必要だと思うけどなあ(まあ最近はランダムに動くロデオマシーンのようなものもあるが)。それに天候によって歩く路面状況も刻々と変化するし、とにかくいろいろな場面に対応できるように登山の場数を踏むことのほうが重要ですな。要は慣れということ。

標高はどんなに低くてもかまわないから、アスファルトやコンクリート以外の凸凹のある路面を歩く、という練習をしたほうが数段効果的だ。体重80kg超の、先週にテレビ『笑っていいとも!』で長州小力よりもやや重いことが発覚してショックだった僕が最近もそこそこ山を登れているのも、それなりに場数を踏んでいるからなのよね。特に単独行の。
ということで僕も、今後登山をする場合はその前に、目標の山よりはいくらか登りやすい山域の山でとりあえず登山しましょう、と勧めたい。大学や社会人の登山団体でも新人さんに山に慣れてもらうためにまず登山をするところが多いと思うが(僕が所属していたワンゲルも同様)、関東圏の山では特に雲取山はそれにうってつけの山である。自然味もたっぷりあるし。

みっつめは、実はこれが今回の登山は雲取山に定めた最大の理由なのだが、ここではもったいぶってあえて挙げないでおく。というのも、実はこの話には続きがあって、天候にもよるがたぶん来週以降にその結果が出るだろう。また後日報告する。

このへんの登山事情がわかる方のために今回の行程を挙げておくと、16日はJR奥多摩駅から深山橋(みやまばし)バス停までバスで行き、お祭→三条の湯→三条ダルミ→雲取山・雲取山頂避難小屋。17日は、雲取山・雲取山頂避難小屋→雲取山荘→小雲取山→七ツ石山→日陰名栗山→鷹ノ巣山避難小屋→峰谷バス停→峰谷橋バス停で、ここからバスでJR奥多摩駅、という感じ。天気は三条の湯手前から峰谷バス停までほとんど雨か霧だった。7月なのに意外と寒かったなあ。
ちなみに、16日に埼玉県の家を出発して17日に帰宅するまでの出費は、約3850円であった(食費は除く)。下山後は奥多摩駅から徒歩10分の温泉「もえぎの湯」に行くことを楽しみにしていたのだが、連休明けのために休みだったのがちと悲しかった。

この道中のことを長々と紀行文的に書くのは面倒なので、以下の10点の写真で想像してほしい。ちなみにひとつだけ小ネタを書くと、三条ダルミ手前の登山道でまたもやデジカメを落としてしまい、しかも谷側に5mほど落とすという大失態をやらかした。それを救出するのに20分かかった。でも運良く藪に引っかかったので衝撃が吸収されて、拾い上げたその後の動作にも支障はなかったので幸いだった。それにしても、今年に入ってから野外でデジカメを落としたのは何回目だ? と再び反省した。



16日、深山橋のそばにあった29日投票の参院選のポスター。ここも東京都内なので当然、最近話題の黒川紀章や丸川珠代にも投票できるのよね。人口密度の比較的低いこの周辺の集落の“清き一票”も国政にきちんと反映されるのだろうか。
ちなみに登山とまったく関係ないことだが、先週末、町田市のJR町田駅前でこれまた今回の選挙に立候補している川田龍平が演説している様子を至近距離で見かけた。僕個人的には同年代の彼を特に応援している。でも埼玉県民なので心のなかで応援するだけだけど。



16日、後山林道。このへんは元々山側の崖崩れがひどいらしく、崩れた跡は数百mおきに見られた。防護フェンスもあちこちで張り巡らされていた。帰宅してから知ったことだが、12時前に撮影したこの1時間半ほど前に新潟県沖で大地震が発生して、その力によって軽く崩れたところもあるかもしれない。最大震度は6強だったから、長岡に住んでいるウチの親戚にもまた少し影響はあったかもしれない。大丈夫だろうか。



16日、三条の湯手前の登山道。雨だからか、蛙も多く出歩いていた。たまたま捕まえたこいつは僕に捕まるとそれ以前は活発に動いていたのとは打って変わってなぜか急におとなしくなって、カメラ目線にもなった。出歩くのはいいけど、身の安全のためには登山道からもう少し離れたところにしようね。



16日、8年ぶりの雲取山頂。家を出発したのが4時30分で登頂が17時15分だから、12時間45分かかった。この時間だとさすがに登ってくる登山者はおらず(下山者は6人すれ違ったが)、1時間ほど山頂を独占した。



16日、雲取山頂避難小屋。休日→平日の日程のためか、ここに泊まるほかの登山者もおらず、小屋も独占してしまった。ヘッドライトを消すと真っ暗。その暗闇のなかで日々のいろいろなことを考えた。ちなみにこれは、持ってきていた地平線会議の会報誌? の「地平線通信」を読みながら夕食の支度中、の図。



17日、雲取山東側の巻き道。実はある調査のため、雲取山頂周辺をくまなく見て歩いた。で、巻き道も通ってみたらその中間あたりにえらい大きさの倒木があって道をふさいでいて、通過するのに難儀した。



17日、日陰名栗山(1725m)付近。石尾根の道中に、三角点もない超マイナーな、どこが山頂だかよくわからない山があるのだが、そのへんを歩いている様子。標高1000m以上のところではこのように霧ばかりで50m先の視界がない状態の登山および下山が続いた。



17日、奥集落。鷹ノ巣山避難小屋から峰谷方面に南下して舗装路に出ると、民家のあるあたりでこのような表記に出くわす。それにしても、電柱にこのように直にマジックで何か書くのって、法的には大丈夫なのかね? でもまあちょこっとは人命にもかかわる表記だからこれくらいは許されてもいいのか、などと軽く苦悩した。



17日、15時頃に通りかかった雨降りバス停。峰谷バス停からJR奥多摩駅に下るバスは1日3本と少ないので、それを逃すと仕方なくバスがより多く通っている青梅街道方面にさらに下るわけだが、その途中にこのようなバス停があった。今回の登山の結果を象徴しているようでなんだかおかしかった。こういった偶然の面白い発見もあるから、歩いて旅するのは楽しくてやめられないのよね。



17日、時系列が前後するが、早朝の雲取山頂避難小屋から東方を眺める。これまでずっと雨だったのだが偶然にもこの前後10分間だけこのように晴れ、4時35分頃の御来光をバッチリ拝むことができた。富士山のような高い山に行かなくても、こういったスバラシイ光景にはここでもきちんと出合えるのよね。日頃の行ないの賜物か。久々に山で感動した。この光景も独占してしまって、なんか申し訳ない気分でもあった。
ちなみに、後方(つまり西側)には二重の虹も発生して、こんなに良すぎる光景はもう二度と見られないかもしれない。一生分の運を使い果たした感じ。

あまのじゃく登山者は破線の登山道がお好き[官ノ倉山編]  

2007-02-11 23:30:46 | 登山
今日、埼玉県小川町の官ノ倉山(344.7m)を登りに行った。登山は昨秋の北海道・羊蹄山以来4か月ぶりになり(先月行った兵庫県・書写山は登山というよりは徒歩による小旅だったので除外)、山勘がえらく鈍っていたり日頃の食べすぎおよび運動不足がたたったりして、低山ながらも結構疲れた。

ただ、単に登頂を目指すだけでは味気ないので、今回は山の登頂よりは、僕がここ数年近場の山域で取り組んでいる、昭文社の登山地図『山と高原地図』シリーズ、いわゆるエアリアマップ内の一般的な実線(-)の道ではなく、そこよりも山道の状態がよろしくなくて登山者も比較的少なめの破線(--)の道を辿ることを主目的とした。東武東上線沿線の官ノ倉山の西側にも破線で表記された登山道があり、ここはホントに難しい道なのだろうか? と前々から気になっていた。

で、埼玉県人の僕が頻繁に活用する『山と高原地図22 奥武蔵・秩父』の右上にもあるように、今日は役場入口~421.1m三角点~官ノ倉山~八幡神社~東武東上線・小川町駅と辿り、確認した。かねてから気になっていたこの前半部分の役場入口~官ノ倉山間の破線の道を歩いた結果としては、道は明瞭で特に危険なところや迷いそうなところもなく、ふつうに踏破できた。なんでここが破線なんだろう? と不思議に思うくらいの道であった。
この稜線上の道はちょうど小川町と東秩父村の境であるため、その境界であることを表す印も数十mおきに埋め込まれていた。どうやら最近測量し直したらしい。沢筋やあまり大きくない尾根ならともかく、そういった稜線上というのは大概は登山道が付いているもので、ここも地図制作のさいに実線か破線かとか判別する以前から地元では仕事道として利用されていたのかな、とは思う。測量のための三角点も設置されているし、昔から歩いている人は多かったのだろうな。
地図の見た目の印象どおりにはっきりした道なのになぜここが破線のままなのか、を考えるとおそらくはこの近辺の地主の意向が働いているのかな、とは思う。実線にしてしまって登山者がふつうに登れる道なんだ、と判断した結果としてどっと押し寄せると、ゴミが増えたり道の裸地化が進んだりして環境的にあまりよろしくない、という懸念から破線という扱いにしたのだろう、とこの地図を調査執筆した奥武蔵研究会の意図を勝手に想像する。

数年前、埼玉県西部にある日本百名山のひとつにも挙げられている両神山(1723m)の登山道の一部が閉鎖された事例もあるように、埼玉県以外にもあまりに登山者が増えすぎるのは困る、という人的な問題からこのような措置を取らざるを得ない登山道は埼玉県以外の全国各地にも結構あると思う。活火山で高濃度のガスが噴出していて危険だから入山禁止、というのであればまあわかるのだが、人間同士のいざこざが発端で原風景を見られる場所が減っていくのはちょっと悲しい。自然と人間との接点を日々探究している僕としては、最近はそのへんの登山道事情も常に気になっている。

ちなみに、421.1mの三角点というのは臼入山(うすいりやま)という山名であること、この三角点は三等三角点であること、三角点→官ノ倉山間は地図のコースタイムでは1時間25分だが実際には僕の足でゆっくり進んでも1時間弱くらいで行けること、この区間には杉のみならずなぜか竹が育っている箇所もあること、稜線から北側の見通しが良いことなど、今回辿ることによって初めて知ったことがたくさんあった。この区間を3連休の日中に歩いていてもすれ違った登山者は1人だけだったのだが、ホントはもっと歩かれてもいいのかな、でもたしかにあまりにわらわらと登山者が押し寄せるのは周辺の雰囲気が壊れてつまらなくなるのかな、と複雑な心境のまま、踏破した。

でもまあ、そんな発見も多々あるし、山と高原地図や国土地理院の地形図に表記されている以外の道もまだまだあるだろうな、と想像すると山へ向かう楽しみがより一層膨らむので、今後もそういった一般的ではない道を辿るあまのじゃくな登山を続けていくことにする。
最近は中高年層の、特定の道から日本百名山に選定された山をとにかく登ることが流行っているが、そういった偏った登り方ではなく、破線や一般的ではない道を辿って行くような独自の登り方がもっと浸透すればいいな、と思う。団塊の世代はおおむねこれからは自由に使える時間を多く持てるのだから、登山するにしてもただ単に最短距離で効率良く数合わせというか結果を出すことに躍起になる登り方ではなく、山頂に至る過程をもっと大事にしながらいくらか時間をかけて行く登山も志向してほしいものですな。



臼入山(421.1m)の山頂はこぢんまりとした落ち着いた雰囲気のある場所であった。北から北東にかけての深谷・熊谷方面の眺めが良かった。
ちなみに、ひとり旅が多い僕はセルフタイマー撮影をよく行なうためにそのこだわりも強いということは拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の178ページでも書いたが、なかでも最近のマイブームは、この写真のように一般的な横構図ではなくあれこれ小細工して縦構図で撮影すること。
これ、最近のデジカメはクルマと同様にボディは登場当初の角張ったものから(若い女性向けに?)流線形のものに移行しつつあり、そんな丸まったカメラを縦に置いて撮影するのが困難になってきているため、最近発売のムック『シェルパ斉藤のニッポンの山をバックパッキング』(出版社刊)の58ページにあるインターバルタイマーを活用した撮影よりも難易度は高いと思うのだが、どうだろう? これは山頂のそばにあった指導標に三脚を引っ掛けて固定して撮影した。



地図上では破線であっても、実際にこのような趣もありしかもわかりやすい道もある。ただし、花粉症持ちの身としてはこの周辺も奥多摩同様に杉ばかりが植えられていて、この時期に歩くのはちょっと辛い。この破線区間内でくしゃみも20回以上出た。



この破線の道のちょうど中間地点(標高は約300m)あたりに、なぜか竹が密集しているところもあった。直径10cm以上のかなりしっかりした青竹が登山道のど真ん中にも生えていた。なかには、このように杉の幹のすぐそばからニョキッと生えているものもあった。なんでだろう?
以前あるテレビ番組で、生長が速いわりに杉や檜に比べると利用価値の低い竹が(焚き火するときに火にくべても爆ぜてしまって燃料としても不向きだし)、筍の刈り取りを含めた里山の管理不行き届きで爆発的に育ちすぎてしまって処分に困っている、というのを観たことがあるが、それを考えると、里山の手入れを怠って竹の生長を許してしまっているということは里山の住民の少子高齢化もそのぶん進んでいることの表れでもあるのかなあ、と改めて考えたりもする。



一般的なハイキングコースとしてもよく知られている官ノ倉山(344.7m)付近は、毎年4月下旬の日曜日に開催される「外秩父七峰(ななみね)縦走ハイキング大会」のコースに設定されているため、このような白色プラスチックの矢印標識をよく見かける。
この大会は、東武東上線の小川町駅を起点、同寄居駅(の付近)を終点に、この近辺の山々の主に稜線上にコースを取り、制限時間も設け、この区間約42kmを1日もしくは2日かけて(2年ががりで)縦走するという大会で(途中下山もできる)、毎年老若男女問わず数千人の参加者によって賑わっている。今年で22回目の開催ということで意外と歴史もある大会で、今年は4月22日に開催される。
僕も2004年の第19回大会に参加したことがあり、写真を撮りまくったりして制限時間ギリギリになってしまったが、一応は1日で完歩したことがある。ということで、官ノ倉山周辺は前々から歩き慣れているのだが、今回は初見の道を辿りながらこの見慣れた山に至るというのは新鮮な気分で面白かった。



そんなに険しい道程ではない低山の登山ではいつも目立ったゴミを拾いながら登るのだが、今回は登山者が比較的少ない破線の道だったので、ゴミもそんなに多くは見かけなかった。
ただ、ひとつ残念だったのは、その破線の区間内で1.5リットルのペットボトルが2本も残っていたことだ。こういう“大物”が置き去りにされているのは珍しく、登山者があまり入らない道ではこんな残り方もあるのか、と寂しく思う。
しかもさらに残念だったのは、この2本のうちの1本は、中身の飲料が空になってからふたが閉められた状態で残っていたことだ。こんな“大物”は、落とし物としてよくあるタオル・ハンカチやボールペンなどの筆記用具や菓子・飴の包み紙のように歩いている最中に気付かないうちにうっかり落としてしまった、というモノではなく、明らかにここに意図的に残していきやがったな、としか考えられない。そんなアホな輩には二度と山に来てほしくないのだが、万人が楽しめる場所なのでそうもいかず、そういったゴミを拾う者(僕)が今回もバカを見た、という格好になった。
こういうモノを残していく行為を現行犯で発見したり法で裁いたりするのは困難だが、こんな行為も立派な犯罪だよな。このように恩を受けている自然に仇で返すようなことを平然と行なう輩や、僕のこんな怒りに違和感を唱える(逆ギレする)輩は、実社会でも大きな顔をして生きてはいけません。近いうちに、地震や洪水などの自然からの猛威としてしっぺ返しが来る、天誅が下ることを覚悟しておきなさい。
結局、これらのゴミは家に持ち帰り、ペットボトルもひどく痛んで汚れていてリサイクル品の回収にも出せない状態なので、燃えるゴミとして処分することにした。