21日から22日にかけて、長野県は飛弾山脈・蝶ヶ岳(2677m)を登ってきた(写真参照)。
ここ1か月はなぜか、東京都奥多摩・沢登り、北海道・羊締山と登山づいている。だが実はこれは当初は7月か8月に登るはずだったが、なんだかんだでまとまった休みが取れずに9月下旬に延期し、さらにそれも中旬に沖縄県に行った影響で金銭面の不安から延期することになり、今の時期になってしまった。
しかも、ルートも当初は蝶ヶ岳からこの北の常念岳・大天井岳・燕岳(つばくろだけ)を3~4日かけて縦走するはずだったが、今回、結局は上高地→徳沢→蝶ヶ岳→横尾→上高地という小学生の子どもを連れた家族登山的なかなりやさしい行程になり、雪山登山もたしなむワンゲル上がりの身としてはかなり堕落した山行になってしまった。が、それでも今回は飛弾山脈の登山にこだわりたかった。なぜか。
僕は1994年から4年おき、つまりサッカーワールドカップの開催年には飛弾山脈の山を結果的に登っていて、近年僕のなかでは恒例行事になっているこれを今年も継続したかったから。ちなみに、1994年は大学ワンゲルの夏の合宿で白馬から唐松岳→白馬岳→大雪渓→猿倉を縦走(行程短縮)、1998年は夏に単独で折立から薬師岳・北ノ俣岳を薬師峠小屋定着・往復(行程短縮)、2002年はふたりで簗場→鹿島槍ヶ岳→爺ヶ岳→扇沢を縦走、いう内容だった。
また、なぜ今回はこんなにひよった結果になったかについても触れると、今回もいつもの登山のように単独行のつもりだったが、6年前からたまに山行をともにしている大学ワンゲルのときの先輩に、9月の酒席で今回の登山の話を出したら乗り気で、即決し、また一緒にふたりで行くことになった。
1歳上のこの先輩とは、埼玉県出身、そのためにJ1・浦和レッズサポーター、A型、タバコ嫌い、酒好きなどと共通点が多く、大学卒業後もふたりで飲みに行ったり山に行ったりすることが多い。こういう、1対1(サシ)で向き合える人って多くはいないので、普段から何かと助けられている。ほかの方はこういう密な関係が持てる人って何人くらいいるのだろう?
ただ、この先輩は学生時代は山行でパーティを組むと常に先頭のほうで登り・下りともに対向するほかの登山者とほとんど挨拶も交さずに蹴散らすくらいの激しさというか強さがあったのだが(今考えるとかなり素行の悪い登山者だ)、ここ数年は運動不足などによって膝の調子が悪く、現在では学生当時のワンゲルメンバーのなかでは比較的非力な部類に入っていた僕よりも疲労が蓄積されやすくなり(加齢も影響しているか)、今回の計画も先輩の体調を第一に考えて下方修正することになった。
また、今月上旬に白馬岳や奥穂高岳で悪天(吹雪)に捕まって死者が数名出た、という報道も受けたため、防寒対策の微妙さからもひよった、ということもある。この時期の登山は先のような吹雪の可能性もあるため、装備の選択が難しい。
ちなみに、先輩とふたりでの登山は2000年からこれまた偶然にもちょうど2年おきに継続していて、2000年は冬の山梨県・富士山吉田口(強風のため山頂到達は断念し、8合目まで)、2002年は上にも挙げた夏の長野県・鹿島槍ヶ岳など、2004年は冬に山梨県・大菩薩嶺に行き、今回でふたり山行は4回目になる。なお、2000年の富士山登山については、山岳雑誌『岳人』の2000年5月号(通巻635号)の81ページの読者投稿写真のコーナーに、僕が撮影したそのときの写真がほぼ半ページというかなり良い扱いで掲載されている。図書館などでバックナンバーを“ご覧アレイ”(ごらんあれ。このギャグがわかる人って全国にどのくらいいるのだろうか?)。
で、肝心の登山の結果だが、21日に東京都内から松本→上高地→徳沢でテント泊、22日に徳沢→蝶ヶ岳→大滝山往復で蝶ヶ岳ヒュッテでテント泊、23日は蝶ヶ岳ヒュッテ→蝶槍→横尾→上高地→帰京、のはずだったが、22日に大滝山往復を省略して、徳沢を基点に日帰りでそれ以外の行程を周回した。
と言うのも、先輩は今回の登山のためにテント(ICI石井スポーツ・ゴアライトX)や寝袋(イスカ・エア280)やフリース(ユニクロ)などのほとんどの装備を新調し、装備面では2人組パーティと言うよりは単独行者がふたり揃った、共同装備はガスコンロ(スノーピーク)のみ、という様相になったが、そんな新品装備の数々を駆使しても徳沢の夜の気温0度近い冷え込みが思いのほかこたえたそうで(夜勤開けで寝不足でもあったためか)、徳沢から標高にすると約1100m上がって気温はさらに7~8度以上は下がる蝶ヶ岳ヒュッテでのテント泊なんか無理、22日じゅうに下山したい、ということで当日も計画をまた下方修正した。先輩は以前は冬の八ヶ岳に3季用の寝袋で行くくらいの寒さへの耐性もあったのだが、やはり寄る年波には勝てないのか、と10年ほど前の彼の全盛期を知っている僕としては少々しんみりもした。
でもこの計画変更は結果的には正解で、僕もやや風邪気味で頭痛がひどくて不調だった(独身男2人組も30代になると健康面から何かと問題が発生するようになるな)。しかも22日は日中は快晴だったものの夜は雨になった。
でもまあ日中は360度ほぼ晴れ渡っていて、蝶ヶ岳からは西のほうでは槍ヶ岳~大キレット~北穂高岳~奥穂高岳の相変わらず日本離れした岩稜線、北は常念岳、大天井岳、ほかにも様々な山の眺めを久々に存分に堪能した。
よく考えると、僕は今回が9年ぶり3回目と随分ご無沙汰だった上高地周辺での登山になったが、これまでとは違って秋に来たので、紅葉も楽しめて、反省点はいくつかあるものの予定が延びたのは結果的には良かったのかもしれない。
そんな感じで、僕個人的な恒例行事と、先輩とのちょっとした“お約束”を一挙に片付けることができた、結果的にはなかなかの山行だった。

2006年10月21日、週末の上高地バスターミナルの午後の人出はこんな感じ。登山に最適な夏に限らず、秋の紅葉の時期も登山以外の目的で訪れる旅行者でかなりの賑わいになるのね、と今回この時期に初めて訪れた僕も驚く。大半が旅行会社が用意した大型観光バスで連なって訪れた団体旅行者のようで、人数が揃わないわ! などと旅行会社の添乗員が小旗を持ちながらテンパッている様子も垣間見られた。

2006年10月21日、そんな騒がしい上高地バスターミナルを離れ、夕方、明神から徳沢を目指して移動している途中。相変わらず、梓川と山並みが合わさった景色が良い。ここはホントに日本なのか? と錯覚し、9年ぶりに歩くこの道からの眺めの良さを再確認する。まさに日本が誇れる絶景だ、と断言できる。

2006年10月22日、徳沢キャンプ場から長塀尾根を登る。夜中は氷点下の気温になるこの時期の標高の高い場所では当然ながら霜柱が立ち、ちょっとした水たまりにはこのように薄氷が張る。

2006年10月22日、蝶ヶ岳の最高点(2677m)。雲は少なく、天気は最高。あまりに良すぎてあとが怖いくらい(実際、この9時間後には雨が降り出した)。
ちなみに、山頂などで記念写真を撮影する場合、多くの人はふつうに二本指(ピースサイン)を立てたり、跳躍したり、逆立ちしたりする人が多いが(複数人で写る場合は、組体操や映画『タイタニック』のあの十字のポーズもあるな)、僕の場合はふつうに手の親指を立てるヒッチハイクポーズか、ダチョウ倶楽部が客前に登場するときの「やー!!」か、その時々の流行りモノで決めている。近年では、ゲッツ!(ダンディ坂野)、東MAX!(東貴博。Take2)、命!(ゴルゴ松本。TIM)など。そして今回は、現在は深夜枠のテレビアニメも好調な週刊モーニングの連載マンガ『働きマン』の主人公・松方弘子の決めポーズにした(単行本第1巻の表紙参照)。働かずに山に来ているのにもかかわらず。

2006年10月22日、蝶槍の分岐から横尾に下山。この区間の山道で気になったのが、木の幹に黄色のペンキの印がやたらと多く付けられていたこと。道自体はそんなに迷いやすいわけでもないのに、なぜ余計に付けられているだろうか。ひどいものでは、4~5mおきに付けられている箇所もあった。こういう人工的なものは行き止まりの箇所のみの必要最低限にして、あまり山の雰囲気を壊さないでほしいよなあ。せっかく「自然」を楽しむために登山しているのだから。
これは明らかに山のことがわかっていないヤツの仕業で、悲しくなる。たとえこの付近の小屋の管理者が山道の整備の一環として善意で付けたとしても、これはやりすぎである。これらを見ると、逆に悪意を感じる。
ここ1か月はなぜか、東京都奥多摩・沢登り、北海道・羊締山と登山づいている。だが実はこれは当初は7月か8月に登るはずだったが、なんだかんだでまとまった休みが取れずに9月下旬に延期し、さらにそれも中旬に沖縄県に行った影響で金銭面の不安から延期することになり、今の時期になってしまった。
しかも、ルートも当初は蝶ヶ岳からこの北の常念岳・大天井岳・燕岳(つばくろだけ)を3~4日かけて縦走するはずだったが、今回、結局は上高地→徳沢→蝶ヶ岳→横尾→上高地という小学生の子どもを連れた家族登山的なかなりやさしい行程になり、雪山登山もたしなむワンゲル上がりの身としてはかなり堕落した山行になってしまった。が、それでも今回は飛弾山脈の登山にこだわりたかった。なぜか。
僕は1994年から4年おき、つまりサッカーワールドカップの開催年には飛弾山脈の山を結果的に登っていて、近年僕のなかでは恒例行事になっているこれを今年も継続したかったから。ちなみに、1994年は大学ワンゲルの夏の合宿で白馬から唐松岳→白馬岳→大雪渓→猿倉を縦走(行程短縮)、1998年は夏に単独で折立から薬師岳・北ノ俣岳を薬師峠小屋定着・往復(行程短縮)、2002年はふたりで簗場→鹿島槍ヶ岳→爺ヶ岳→扇沢を縦走、いう内容だった。
また、なぜ今回はこんなにひよった結果になったかについても触れると、今回もいつもの登山のように単独行のつもりだったが、6年前からたまに山行をともにしている大学ワンゲルのときの先輩に、9月の酒席で今回の登山の話を出したら乗り気で、即決し、また一緒にふたりで行くことになった。
1歳上のこの先輩とは、埼玉県出身、そのためにJ1・浦和レッズサポーター、A型、タバコ嫌い、酒好きなどと共通点が多く、大学卒業後もふたりで飲みに行ったり山に行ったりすることが多い。こういう、1対1(サシ)で向き合える人って多くはいないので、普段から何かと助けられている。ほかの方はこういう密な関係が持てる人って何人くらいいるのだろう?
ただ、この先輩は学生時代は山行でパーティを組むと常に先頭のほうで登り・下りともに対向するほかの登山者とほとんど挨拶も交さずに蹴散らすくらいの激しさというか強さがあったのだが(今考えるとかなり素行の悪い登山者だ)、ここ数年は運動不足などによって膝の調子が悪く、現在では学生当時のワンゲルメンバーのなかでは比較的非力な部類に入っていた僕よりも疲労が蓄積されやすくなり(加齢も影響しているか)、今回の計画も先輩の体調を第一に考えて下方修正することになった。
また、今月上旬に白馬岳や奥穂高岳で悪天(吹雪)に捕まって死者が数名出た、という報道も受けたため、防寒対策の微妙さからもひよった、ということもある。この時期の登山は先のような吹雪の可能性もあるため、装備の選択が難しい。
ちなみに、先輩とふたりでの登山は2000年からこれまた偶然にもちょうど2年おきに継続していて、2000年は冬の山梨県・富士山吉田口(強風のため山頂到達は断念し、8合目まで)、2002年は上にも挙げた夏の長野県・鹿島槍ヶ岳など、2004年は冬に山梨県・大菩薩嶺に行き、今回でふたり山行は4回目になる。なお、2000年の富士山登山については、山岳雑誌『岳人』の2000年5月号(通巻635号)の81ページの読者投稿写真のコーナーに、僕が撮影したそのときの写真がほぼ半ページというかなり良い扱いで掲載されている。図書館などでバックナンバーを“ご覧アレイ”(ごらんあれ。このギャグがわかる人って全国にどのくらいいるのだろうか?)。
で、肝心の登山の結果だが、21日に東京都内から松本→上高地→徳沢でテント泊、22日に徳沢→蝶ヶ岳→大滝山往復で蝶ヶ岳ヒュッテでテント泊、23日は蝶ヶ岳ヒュッテ→蝶槍→横尾→上高地→帰京、のはずだったが、22日に大滝山往復を省略して、徳沢を基点に日帰りでそれ以外の行程を周回した。
と言うのも、先輩は今回の登山のためにテント(ICI石井スポーツ・ゴアライトX)や寝袋(イスカ・エア280)やフリース(ユニクロ)などのほとんどの装備を新調し、装備面では2人組パーティと言うよりは単独行者がふたり揃った、共同装備はガスコンロ(スノーピーク)のみ、という様相になったが、そんな新品装備の数々を駆使しても徳沢の夜の気温0度近い冷え込みが思いのほかこたえたそうで(夜勤開けで寝不足でもあったためか)、徳沢から標高にすると約1100m上がって気温はさらに7~8度以上は下がる蝶ヶ岳ヒュッテでのテント泊なんか無理、22日じゅうに下山したい、ということで当日も計画をまた下方修正した。先輩は以前は冬の八ヶ岳に3季用の寝袋で行くくらいの寒さへの耐性もあったのだが、やはり寄る年波には勝てないのか、と10年ほど前の彼の全盛期を知っている僕としては少々しんみりもした。
でもこの計画変更は結果的には正解で、僕もやや風邪気味で頭痛がひどくて不調だった(独身男2人組も30代になると健康面から何かと問題が発生するようになるな)。しかも22日は日中は快晴だったものの夜は雨になった。
でもまあ日中は360度ほぼ晴れ渡っていて、蝶ヶ岳からは西のほうでは槍ヶ岳~大キレット~北穂高岳~奥穂高岳の相変わらず日本離れした岩稜線、北は常念岳、大天井岳、ほかにも様々な山の眺めを久々に存分に堪能した。
よく考えると、僕は今回が9年ぶり3回目と随分ご無沙汰だった上高地周辺での登山になったが、これまでとは違って秋に来たので、紅葉も楽しめて、反省点はいくつかあるものの予定が延びたのは結果的には良かったのかもしれない。
そんな感じで、僕個人的な恒例行事と、先輩とのちょっとした“お約束”を一挙に片付けることができた、結果的にはなかなかの山行だった。

2006年10月21日、週末の上高地バスターミナルの午後の人出はこんな感じ。登山に最適な夏に限らず、秋の紅葉の時期も登山以外の目的で訪れる旅行者でかなりの賑わいになるのね、と今回この時期に初めて訪れた僕も驚く。大半が旅行会社が用意した大型観光バスで連なって訪れた団体旅行者のようで、人数が揃わないわ! などと旅行会社の添乗員が小旗を持ちながらテンパッている様子も垣間見られた。

2006年10月21日、そんな騒がしい上高地バスターミナルを離れ、夕方、明神から徳沢を目指して移動している途中。相変わらず、梓川と山並みが合わさった景色が良い。ここはホントに日本なのか? と錯覚し、9年ぶりに歩くこの道からの眺めの良さを再確認する。まさに日本が誇れる絶景だ、と断言できる。

2006年10月22日、徳沢キャンプ場から長塀尾根を登る。夜中は氷点下の気温になるこの時期の標高の高い場所では当然ながら霜柱が立ち、ちょっとした水たまりにはこのように薄氷が張る。

2006年10月22日、蝶ヶ岳の最高点(2677m)。雲は少なく、天気は最高。あまりに良すぎてあとが怖いくらい(実際、この9時間後には雨が降り出した)。
ちなみに、山頂などで記念写真を撮影する場合、多くの人はふつうに二本指(ピースサイン)を立てたり、跳躍したり、逆立ちしたりする人が多いが(複数人で写る場合は、組体操や映画『タイタニック』のあの十字のポーズもあるな)、僕の場合はふつうに手の親指を立てるヒッチハイクポーズか、ダチョウ倶楽部が客前に登場するときの「やー!!」か、その時々の流行りモノで決めている。近年では、ゲッツ!(ダンディ坂野)、東MAX!(東貴博。Take2)、命!(ゴルゴ松本。TIM)など。そして今回は、現在は深夜枠のテレビアニメも好調な週刊モーニングの連載マンガ『働きマン』の主人公・松方弘子の決めポーズにした(単行本第1巻の表紙参照)。働かずに山に来ているのにもかかわらず。

2006年10月22日、蝶槍の分岐から横尾に下山。この区間の山道で気になったのが、木の幹に黄色のペンキの印がやたらと多く付けられていたこと。道自体はそんなに迷いやすいわけでもないのに、なぜ余計に付けられているだろうか。ひどいものでは、4~5mおきに付けられている箇所もあった。こういう人工的なものは行き止まりの箇所のみの必要最低限にして、あまり山の雰囲気を壊さないでほしいよなあ。せっかく「自然」を楽しむために登山しているのだから。
これは明らかに山のことがわかっていないヤツの仕業で、悲しくなる。たとえこの付近の小屋の管理者が山道の整備の一環として善意で付けたとしても、これはやりすぎである。これらを見ると、逆に悪意を感じる。