goo blog サービス終了のお知らせ 

思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

秋から冬へ衣替え中の雲取山登山

2009-11-30 06:00:03 | 登山

予定していたネタからの撮って出しの急遽差し替え。

28日(土)~29日(日)、野宿仲間3名とともに東京都最高峰の雲取山(2017m)をテント泊で登りに行った。1か月ほど前から持ち上がっていた話。
コースは、鴨沢~七ツ石~奥多摩小屋~雲取山~大ダワ~大ダワ林道~東日原、という感じ。

ただ、今月の僕は上旬からの風邪の長引きというかぶり返しと、前日にアルバイトでなぜか右足の踵を負傷したりして登山には万全とは言えない不健康状態、言い換えるともし単独登山を計画していたら即刻中止にしていたくらいの状態で臨んだのだが、同行者がいろいろな楽しみを持ち込んだりして(特に初日の夕食の鍋とビール)、否が応にも期待が高まっていた? ようなので簡単に断るわけにもいかず、騙し騙し行くことにした。

でも蓋を開けてみると、最も心配だった踵はその保護のために靴底の厚い冬用の登山靴に変更して、登山中の体力面で劣るところは登山の全行程でストックで補い、寝袋も(重いけど)厳冬期用に変更したら夜は快適睡眠というか熟睡で(仲間からは、奥多摩小屋のテント泊地で僕たちが張ったテントとその周辺では僕のいびきが最もうるさかったらしい。自分ではそんなつもりは毛頭なかったのだが)、意外に良い感触で進めた。今回はまさに普段から慣れ親しんでいる道具に助けられた格好か。

で、2日目の朝、雲取山登頂の手前で写真のような霧氷を見られた、というのが僕個人的には今回最も印象深かった。
というのも、雲取山は今回で2年ぶり7回目の登頂だったのだが、これまで6回はすべて夏か冬にしか登っておらず、春と秋は未知の世界だったので、こういう現象が見られるのかー、とちょっと驚いた。
まあ事前にこのへんは先週あたりから積雪が少々ある日もあり、軽アイゼンを携行しているほうがよいかも、という情報は得ていたし(でも実際には山頂付近はアイゼンを使うほど凍ってはいなかった)、標高2000m台の山であれば当然のことなんだろうけど、この時季はいつも1000m未満の低山に行くことが多いので、霧氷を目の当たりして新鮮な感動であった。しかも(過去にも本ブログで触れていて)くどいようだが? ここも一応は東京都内だし。どうですか、都内でこの時季に霧氷って。むひょー。

さらに、天気は28日夕方~29日にかけて悪くなる一方という予報だったのが、僕たちが登頂した29日の8~9時頃は山頂は晴れていて、雲海越しに富士山のてっぺんもちらほら見えたりして(山頂は当然すでに真っ白)、ご機嫌。幸せ。満身創痍で登った甲斐があるというもの。
それにしても、28日の鴨沢の登りから50人以上は見たりすれ違ったりしていた登山者が、僕たちの登頂時のみ誰もいなかったのはなぜなのか(つまり山頂を独占し、ふざけた写真も撮り合ったりもした)、結果的にオフピーク登山?

ただ、下山に利用した大ダワ林道、ここを下りで利用したのは初めてだったのだが、広葉樹の落ち葉が登山道に溜まり、ときには地面がまったく見えない状態の箇所が多く、葉に足を取られたりその下に隠れた石や木の根につまずいたりして沢(大雲取谷)のほうへ滑落する可能性も大で、意外に緊張した下山だった。登山経験の少ない初心者もいたので内心ヒヤヒヤだったが、慎重に下って何も起こらなくて幸い。

後半にはそんなこともあったが、全体的には雨に強く降られることもなく風にやられることもなく、登山前のバイト続きによる疲労と負傷による不安も払拭でき、普段の生活よりもよく眠れて(久々に8時間以上寝たなあ)、さらに眺めも最高、と、なかなかお得な登山であった。
まあこれも、単独だったら行かなかったが気心知れた同行者があってこその登山で、今回は僕は誘われたカタチだったのだが、こういう場に混ぜてもらえたこともありがたく思わなければ。
しかも、同行者は野宿仲間であると同時に、3名ともに先日触れた地平線会議でここ数年に出会った人々で(だから、それぞれの分野ではかなりの旅の達人揃いで、どちらかと言うと国内よりも国外の旅事情に強い)、こういうカタチでつるむことができるようになった、基本的に帰属意識というか仲間意識をあまり持ちたがらない僕でも野遊びの人脈が拡がったことも幸せに思わなければ(下山後の打ち上げで登山に関する・関しないこと、いろいろダメ出しされたことも含めて)。

雲取山、今回ようやく秋も面白いことがわかったので、またいつか行こうかね。こうなったら春にも行きたくなってきた。ひとつの山を四季を通じて味わうのもまた良い、はず。それに今年、大ダワ林道の下山中にちらほら見かけた大雲取谷の沢登りも考えていたのだが結局は暖かいうちに実行できなかったので(なんか今夏は近所在住の山野井泰史さんもリハビリ? で行ったみたいね)、来年以降の夏こそはぜひ、と息巻いている。
とにかく、何回でも通いたい山であるね。今後もお世話になります(ひょっとしたら、意外に早く今冬にでも再訪するかも)。

ごめん、虚よりも実のほうが面白かった『劔岳 撮影の記』

2009-11-23 06:00:23 | 登山
今年6月公開の故新田次郎原作の山岳測量映画『劔岳 点の記』の撮影の裏側つまりメイキングをまとめて1本のドキュメンタリー映画に仕立てた『劔岳 撮影の記』が14日(土)から公開されて、物凄く気になっていたので東京都新宿区の新宿バルト9で先週観た。

で結局、『劔岳 点の記』よりも面白かった、というのが正直な感想。
もちろんその本編の完成形の映像美はスバラシイと思うのだが、今回の映画が07~08年に創られるに至った経緯のほうが(この映画は06年のロケハン時からの画で始まっているが)、山好きとして興味深い。だって、国内の3000m前後かそれ以上の標高の山のなかでも特に岩場の多い剱岳で実際に映画撮影だなんて、しかもそれに加えて時間もお金もよりかかる順撮りでだなんて、過去に前例がないもの。そりゃあ08年のような落石事故による撮影中断も起こるって。でもなんとか撮りきって、ある意味冒険的な行為ではあると思う。
ちなみにその撮影再開後は出演者・スタッフともに山の移動・撮影時に強制ではないのだろうが安全対策のためにおおむねヘルメットを着用していた(もちろん岩登り用のやつ)、という変化も『撮影の記』で初めて知った。

ただ、このメイキング的映像は昨年にも登山用具店の好日山荘で、映画の宣伝的な意味合いでDVDで流しまくっていたのを観ていて(まあ木村大作監督は宣伝に全国各地を巡ったりもして躍起だったからなあ)、劇中で僕はすでに観ている映像も一部あったが、最初から最後までつなぐと、ホントにちゃんとした映画になるのね。
というか、このナレーションに窪田等氏を起用しているので、映画というよりはさながら氏が同じく担当しているテレビ『情熱大陸』の拡大版を大画面で観ているような気分だった。まあそれもそれで良かった。

それからおまけとして『点の記』に関することでだが、友人の出がらし紋次郎さんが今年9月に剱岳ではなくなぜか槍ヶ岳山荘で木村監督と会っていたのだが、その(おそらく報道媒体ではほとんど出ていない)撮影裏話をひとつ聴いたというのが面白かったが、その話は『撮影の記』ではカットされていた。まあ刺激が強い描写だし、事故への配慮もあったのかカットはやむなしか。

とにかく、現在は東京~福岡で6、7館という上映館数はとても少なくてもったいないので、もっと拡大しないもんかなあ。予想以上に良かったから。
なお、新宿で『撮影の記』をこれから観ようという方は、僕も使ったこれを1000円未満で観られる裏技を伝授できますよん。まあそれを使うか否かは置いておいて、特に『点の記』を観た方はぜひ。ただし、以前からの映画づくりには厳しい木村監督らしい(映画を本気で、命懸けで撮るがゆえの)罵声や怒号が終始響く映画なので、そこは覚悟しておいたほうがよい。
そういえば監督、劇中でこの映画を撮りきれたら死ぬかも(そのくらいの気概を持って撮影している)、みたいなことを言っていたが、今もまだ健在ではないか。というか、なぜ9月に槍ヶ岳に行ったのだ?
まあいいや、『点の記』が興行的にうまくいってそれで次作への意欲も増してきたようなので、まだまだ目の黒いうちに、自分で(「カメラ」ではなく)キャメラを回せるうちは撮り続けてほしい。

あああと、来月11日(金)から『点の記』のDVDレンタルも始まり、発売もされるとのこと。そちらも併せてぜひ。

日和田山岩登り案内人

2009-11-09 23:55:13 | 登山

昨日、埼玉県・東京都近辺の山ヤさんには古くからお馴染みの、埼玉県日高市は日和田山の岩場へ11か月ぶりに行ってみた。
というのも、岩登りにはまっている野宿仲間のうち数人がここに行きたい! というリクエストが先月にあり、ならば十数年前から比較的行き慣れている埼玉県民の僕が案内を、というカタチになった。同行は野宿仲間3名と、今回の特別ゲスト? 新メンバー? に某雑誌編集者(しかも僕が長年愛読している月刊誌の。※1)も迎えて、計5名で。うち3名は日和田山は初体験だった。

この時期になると来月下旬の冬至に向かって日照時間がどんどん短くなるので、夏場よりもそんなに長い時間は遊べず(せいぜい16時頃まで)、僕らも結局は男岩西面の2本のルートしか張り付けなかった、というかそのうち1本の松ノ木ハング(グレードは5.9。※2)に集中していたからなのだが。まあ晴れれば適温なのでそこそこは楽しめる。昨日も夕方に陽が傾くまではちょうどよい天気だった。
ちなみに、上の写真は仲間内のではないが、男岩南面のトップロープすだれ状態。まあ日曜日ともなると通常はこんなものだ。その奥の女岩南面の5.5~5.7のやさしいルートが集中しているあたりでは、何かの講習会らしき団体もいた。

ただ、昨日の僕は3日の寒気の入りによって風邪をひいて先週はずっと体調が悪く、しかも運悪く? 重なった本職の校正仕事の締切に追われて昨日深夜まで働いていた影響で不調で(でも徹夜はなんとか回避)、とても岩に触れる状態ではなく、この岩場への案内役と同行者の確保兼賑やかし要員として行った感じ。だからクライミングシューズも1回も履かなかった。というか僕の体型を見たことがある方はわかると思うが、元々そんなに登れませんけど(だから、関東圏の岩場のなかでも比較的やさしいほうの日和田山で満足してしまっている……)。
仲間の確保をしていたときもまだ病み上がりゆえに頭痛があり、のどが痛くてのど飴を舐めずにはやっていられない不健康野郎だったが、先月から予定を合わせて楽しみにしていたひともいたので、まあそこはせっかく来ていただいたので丁重にもてなさなければっ、という思いからそれらに努めた。でも久々に行ってみたら、不調なりにも他人の登り方を間近で見て勉強になりましたな。良い気分転換にもなった。

また、うち1名は今夏から岩登りにはまり、ほかにも最近増加傾向にある室内の人工壁(最近は「クライミングジム」もしくは「ジム」と呼ぶほうが一般的か?)や神奈川県・鷹取山の岩場にも精力的に行き始め、でもそれらに集中していると登り方が偏るので日和田山のようないかにも“外岩”(※3)といった風情の屋外の自然な岩もバランス良く登ったほうがよい、とある熟達者が言っていたのが印象的(鷹取山の岩質からして「岩場」と認めるには賛否両論あるだろうし)。

そういえば、遊んでいる最中に体型や体重の増減の話もあったが、先日、はるな愛が66kgから51kgへ15kg減量してタイのニューハーフコンテストで優勝して大活躍だったが、彼女? に倣って炭水化物の摂取を減らさないと、と僕も岩場では反省したものの、その夜に西武鉄道で東京都・池袋まで出て池袋駅前の居酒屋の打ち上げでは、そんなことはけろっと忘れてみんながつついたつまみをじゃんじゃんまわされて結局僕がそれらを(貧乏性もあって)きれいに片付けたことを振り返ると、ちょっと落ち込む。僕の場合、メニューの選択以前に「食べる」という行為の回数自体を減らす必要があるのか。うーむ。炭水化物、大好きなんだよなあ。

同行者から、日和田山が気に入ったので来月もまた行こう、という話が出たので、もし行くとしたら今度は体調を合わせてちゃんと登れる状態にして行きたい。地元の岩場を気に入ってもらえたのは嬉しいし。

そういえばここ数年、日和田山では(夏場の沢登りのための)懸垂下降や簡単なルートでの単独登攀の練習ばかりだったので、久々に確保してもらってルートをちゃんと登ってみますか、と意を新たにした。でも僕の四捨五入すると90kgになる体重を確保できる人は、ある程度以上の実力者(最低でも僕の大学時代の先輩後輩以上)に限られるのだが。どうしよう。


注釈
※1 本ブログでも度々触れているので、あえて誌名は挙げないのでお察しくだされ。ちなみに今回同行したこの編集者の方、僕は初対面だったが名前だけはこちらから一方的に10年以上前から存じ上げていた。まあ学生時代から読んでいる雑誌で、創り手の人と成りがわかる編集後記を読むのも大好きだし(僕は雑誌を手に取ると最初に編集後記を読む人種)。
また蛇足だが、僕はこの版元の出版物はすべて大好物なのだが、出版業界内の働き口として見た場合は良い思い出がない。というのも過去に2、3回振られた(不採用になった)ことがあるから。よって、この版元の仕事はもう僕のほうから応募することはなく、向こうから知人の口コミやらコネやらで懇願されない限りは受けてやらねえぞコノヤロ、今後は読者投稿やアンケートハガキレベルから(もちろん本職の校正者の立場から)じゃんじゃんツッコミを入れて仕返ししてやるぞ、と3年ほど前から固く誓っている。

※2
岩登りの難易度=グレードの表記は靴のサイズのように(日本で27.0、アメリカで9.0、欧州で42、みたいな)世界各地によって複数の表記に分かれるが、5.9とか「5」が先に付くのはアメリカの基準。日本ではこれが一般的。ほかにもUIAA(世界山岳協会連盟)やフランスなどのグレード表記もあって専門誌ではそれらの記述も見られるが(昔はUIAAのみだった)、とりあえずはこのアメリカのだけ憶えておけばよいのでは。5.10台より上のグレードは数字のあとにa、b、c、dが付いて4段階に細分化されるとか(例えば5.10aと5.10dでは、後者のほうがより難しい)、現在の最も難しいグレードは5.15台とか。より詳しいことは専門書に譲る。

※3
屋外の自然のなかにある岩をこう呼ぶ(と思う)。逆に、最近流行ってきて東京近郊でも増加傾向にある室内で有料(大概は会員制)のクライミングジムは“内岩”とは呼ばず、(アウトドアに対して)「インドア」とか(クライミングジムを略して)「ジム」と呼ぶ、のかなあ。ホールドをヒトが設定している意味での「人工壁」という表現はもう死語なのか?
ちなみに先日、ここ数年増加傾向にあるクライミング人口の大半はジムのみしか経験がない“インドアクライマー”ではないか、という指摘を専門誌で読んだが、各種媒体での最近の取り上げ方を見るとたしかにそんな雰囲気はあるか。人工のホールドのみならず、もっと自然の岩に触ってほしいものですなあ、「クライミング」よりはどちらかと言うと「岩登り」という表現が好きなひとりとしては。

ややパナソニック信奉者が新ヘッドライトを入手

2009-10-25 08:00:53 | 登山

先月3日の投稿に関連のあることだが、先日、ある野外系の懸賞でパナソニックのヘッドライトが当選し、入手した。
品番はBF-198Dで(色は白色)、高輝度白色LEDを3個使用した最新のモノ。質量は70g、使用温度範囲も-20~+40℃と幅広く、光量が強(HIGH)と弱(LOW)の2段階選択できる。また、ライトの角度も試したところでは12段階に調節できるつくりになっている。
ただ、電池が僕が普段所望している汎用性の高い単三電池または単四電池ではなく、一眼レフカメラでもよく使われるリチウム電池のCR123A。でもこれによって、最近は単四電池3本使用で最近主流のぺツルやブラックダイヤモンドの製品よりも10g以上の軽量化が図られているわけで、まあそれでも全体的にはスグレモノであることは間違いない。
連続点灯時間は外気温によって異なるだろうが強の場合でおおむね5~10時間で、まあリチウム電池1本使用にしてはそんなところか。

そういえばパナソニックというと最近、もっと大物の家電絡みでは「家電芸人」のひとりの品川祐(品川庄司)がパナソニックの製品ばかり紹介・宣伝しているという疑惑報道もあって、先週に本人のブログでその反論記事も出ていたが、特に日本のメーカーの製品は世界的にも質の良さからくる信頼性も高いので、ホントに良質の製品はひとつのメーカー一辺倒になる気持ちは僕にもわかる。ただ品川くらいの有名人になると、そういう見方をされるのはある程度は仕方ないことだよなあ。

ちなみに、パナソニックのライトというと数年前に、リチウム電池使用の似た形状のライトを愛用しているヒマラヤ登山の第一線で活躍しているあるクライマーから、登山中の電池交換で蓋を開けるさいにそれを着脱しにくい、紛失しやすくて困る、という意見が上がり、その改善のために蓋と本体を同じ素材(ABS樹脂)で糸状(といっても幅4mmほどあるが)につなげて蓋の着脱を容易にした(つまり、やり方によっては片手で電池交換もできるということ)、という電池交換の効率向上の小さな工夫も見られる。
こういったことを即座に採り入れていけるのも国内メーカーの信頼性の高さの理由としてあり、日本のものづくりの良い点であるね。

まあ僕の場合は本ブログでも度々触れているが、旅や登山の道具を揃えるときはできるだけ国内メーカーのモノを選択することにこだわっているのだが、単にモノの需給バランスの是正の一助となりたいという思いもあるが、それとともに国外よりも国内のメーカーのほうが日本人のクセや気質に合ったものづくりの手法やライトの蓋のような小さな創意工夫が多く、そんな手仕事も応援したい、ということもある。だからこのヘッドライトの分野では必然的にややパナソニック信奉者ということになる。
まあ最近はほかの国内メーカーでも(エバニューとか新富士バーナーとか)頑張っているところもあるが、業界内シェアを考えるとやはり大手のパナソニックが家電と同様に野外関連商品の市場の活性化という意味では最もいろいろな可能性があるか。

来月から早速、これまで使用してきたぺツル・ティカをサブにまわしてこちらをメインで使用していこうかしら。楽しみ。早めに野山に行って試してみないと。

湯場ノ沢リベンジ

2009-10-19 15:00:09 | 登山

ちょうど2か月前の8月中旬、山仲間2名とともに東京都は南秋川の湯場ノ沢へ沢登りに行った。が、そのときは午後からの遡行だったのでこの沢の核心手前で時間切れとなり、引き返したのがずっと引っかかっていた。
ということで昨日、再び登りに行った。今回は単独で。だって、来年以降に持ち越したくなくてとにかく完登したかったんだもの。

今度は朝6時起きでやる気満々で(中高年登山の集団をなんとかかき分けながら)アプローチして、10時30分に入溪できた。やはりこのくらい早い時間に行かないとなあ。しかも前回よりも日照時間は短くなっているわけだし。
で、行程の序盤は2か月前に来ているだけに溪相はほとんど憶えていて、両手を使う必要がある2~4mの滝の直登以外はおおむね片手にデジカメで写真を撮りまくりながら進み、でもそれでも前回引き返した場所(オキノ万六沢)まで1時間で達した。水は冷たかったが、晴天で木洩れ陽が所々で射し込んで、秋というよりはまだ残暑の雰囲気を楽しめた。
ただ、ここまででひとつ問題だったのは、やや急傾斜の一枚岩に乗ったとき、10年以上履いている渓流足袋の底が意外に滑り、ヒヤリとする場面もあった。底のフェルトが減ってきて(厚さは5mmもないか)そろそろ新しい沢靴を買い替えたいなあ、と思っていたところなのだが、個人的経済的不況が続く今年の状態ではそれもままならない。この不備、突き詰めると命にもかかわることなので早急になんとかしないと。

それで、ここから先はまず前回の続きとして核心の2段8m滝(上の写真参照)を含む連爆帯を、まあそれでもなんとか高巻きなしでフリーソロで突破し(遡行図を読む限りでは最も気になっていたここがふつうに突破できたので結局、沢全体的に登攀具は一切使わずに済んだ)、でも複数人で行く場合はちゃんとロープで確保したほうがいいよなあ、でもその場合の支点はどこで取ろうか、それともボディビレイか、などと考えながら写真を撮りながら、そつなくこなした。まあ1級の沢ですから。

そのあとの源頭部に近付くにつれて倒木が増えてそれをいちいち乗り越すのに閉口したが、木の切り口を見るとこれはおそらく間伐材を放置したら大雨で沢に流れ落ちてきて所々に引っかかったままの状態、という感じか。
でも最後の登山道への詰めは地形図を読むよりも傾斜はそんなにきつくなく、核心から1時間半で登山道に出ることができ、完登。リベンジ完了。ただ、複数人で行くともうちょい時間かかるか。いくら日帰りの短めの沢でも、午後から入溪なんていかんですな、と反省。単独行ではよくやってしまうけど。
ちなみに、沢登りに行くとほぼ毎回壊しているデジカメ、今回は携行の仕方を改善したので無事だった。と言っても、前回この沢で半壊して、今回もまだ修理していない液晶画面の半分が割れたままの状態で行った。

終了点でヘルメットを脱ぐなどしてふつうの登山者の格好に戻ってからは、まだ13時すぎなので下山にはもったいない、最近自転車によく乗っていたりもして運動不足が解消されつつあって体調も良好だったので、登山続行。でも源頭部で脚を使ってへろへろになったので歩みはのろくなり、南方の連行山(峰)を経由して生藤山に達したのは15時前になってしまった。この山、沢登りのついでに登ったのは今回で3回目。ほかにもふつうのハイキングで2回登ってもいるので、見慣れた山頂ではある。

ちなみにこの山の近辺は、ちょうど1週間前に催された今年で17回目の日本山岳耐久レース(「長谷川恒男CUP」略して“ハセツネ”)の正規コースで、そのときに来ていれば時間的にちょうどトレイルランニングの国内トップレベルの選手の激走が観られたんだよなあ。まあ17日(土)にその後片付けの意味合いのボランティアによる清掃登山が行なわれたらしく、その痕跡はまったく見られなかったけど。
そうそう、今年、このように秋川地域の“ハセツネ”のコースに突き上げる沢登りついでにそれを観戦してやろう、なんていう計画もうっすら立てていたのだが、今年は先日も触れた関西行きを優先したためにそれはできなかった。来年以降にやってみようかしら。というか、見物よりも参加料の1万5000円をなんとか捻出して、最近の“ハセツネ”に出走しろよってな話だが。

生藤山頂で30分以上まったりしたり写真を撮ったりしたあとに下山し、北側の秋川ではなくまだ未踏の南側に下り、軍刀利神社経由でJR中央線の上野原駅方面へ下った。
途中、時間的にその頃には暗くはなり、井戸バス停から上野原駅行きの最終に乗れたのだが交通費の節約のために歩き、石楯尾神社も経由して(軍刀利神社、石楯尾神社ともに古来からヤマトタケルノミコトとかかわりが深く、それぞれ彼が使った剣と楯が祀ってあるようだ、ということも今回初めて知った)、夜道を下った。でも終日晴天で夜も星空が見えるくらいだったので歩いていてもまだ寒くなく気持ち良く、久々に運動しているなあと充実感はあった。

だが、国道20号に出たところでなぜか上野原駅方面ではなく誤って藤野駅方面へ下ってしまい、結局は藤野駅まで国道脇の暗くて狭い歩道を2kmほど余計に歩くはめになり、運動できた、ではなく運動しすぎて疲れた。最後に集中力を欠いて、詰めが甘かった。また反省。でも1日通じて振り返ると、ご機嫌で充実した登山ではあった。まあいいか。

そういえばここ数年、今回のように一度入溪したものの負傷や時間切れで稜線や山頂まで完登できなかった沢を奥多摩で1本、神奈川県・丹沢で2本抱えているので、これらも早くやっつけないとなあ。僕は完登しないとその沢は登った数には含めないことにしているので。
今よりももっと寒くなるけど来月にもう1本行けたら、と画策している。



陽射しが適度にあり、これから気温が徐々に低くなってくる時期は曇り空のときよりも晴れているほうが楽しい。ほかに入溪者は見られず、この沢での良い風景・光景を独占したのがもったいないくらい。ここも一応、東京都内。


源頭部の倒木はこんな感じ。いちいち越えるのがめんどくさくて楽しくないが、完登のためには進まねば。またいで、くぐって、と普段やらない動きを登山中によくやるため、普段の生活以上に疲れることは疲れる。


生藤山頂でのセルフタイマーでの決めポーズ写真、いろいろ試してみたが、最近のお気に入りはフォーリンラブか、DAIGOの「うぃっしゅ」か、ロッテの「Fit’s」で、結局は山頂でフニャンとしてみた(ただ、脚の開き方を間違えた)。そういえば最近は紙媒体のみならず映像媒体にも頻出し始めた佐々木希、茶髪のギャルっぽい娘は苦手なのであまり気に留めていなかったが(僕は断然、黒髪派)、だんだんかわいく見えてきた。まあ元々は色白の秋田美人なのは知っているけれども。


終日晴天だったので、夕暮れ時も良さげな山並みが見られた。山梨県方面を見やると、左端(南)のほうにうっすらと富士山も見えた。18日は標高3000m超ではいくらか積雪はあっただろうが富士山も登りやすかったのかな。

最近の登山関連小ネタ集

2009-10-03 23:59:26 | 登山

今日、10月3日の非公式の「登山の日」に合わせて、登山絡みの最近気になる複数の小ネタをまとめて放出。


●不測の事態のためにある避難小屋を、商業的な宿泊地にしてはいけません

先月発売の山岳専門誌『山と溪谷』09年10月号『岳人』09年10月号でそれぞれ、7月中旬に発生した北海道・トムラウシ山周辺の大量遭難を検証する記事が出ていて、読み比べてみた。
『山と溪谷』のほうでは、アルパインツアーサービス社長・黒川惠(くろかわ・さとし)氏とNPO法人日本トレッキング協会理事・越谷英雄(こしがや・ひでお)氏の対談や、遭難したツアーを企画したアミューズトラベルのそのツアー案内と遭難発生当時の気象衛星画像を見せたりもして画的にわかりやすかったし、『岳人』のほうではツアーの当事者の動向を時系列で並べて分単位で洗い出して一覧表にしているのも良かった。
ただ両方とも、参加者の証言がいくらか取れたのが良かったが(特に、このツアーの惨状を明らかにして今後の教訓として活かすために各種取材にも実名顔出しで積極的に発言している、参加者のひとりの戸田伸介氏のような存在は助かる)、これに加えて会社やツアーを担当したガイドの言い分もあるといいんだけどなあ。そこまで過剰な取材? というか突っ込んだことは業界の代表的な専門誌といえども難しいのかなあ。

で、ともにツアーガイドの力量というか資質を問うのはもちろんだが(しかも客よりも体力的に強くあるべきガイド役が1名亡くなってしまったし)、それとともに興味深かったのは『岳人』のほうで深く突っ込んでいたことだが、会社が「避難小屋を宿泊地として利用している」ということ。
これ、『山と溪谷』のほうに掲載されていたツアーの旅程表にも「ご宿泊先」として7月14日は白雲岳避難小屋、15日はヒサゴ沼避難小屋、と明記されていて(電話なしとも明記。そりゃそうだ)、ふつうに登山をやっている者からすると、この書き方だけで違和感がある。大雪山系の縦走というと、僕はまだ未体験だが過去の事例をいろいろ見聞きしたり調べたりすると大半がテント泊で行っている山々で、ツアーでこんなに積極的? に避難小屋を利用している事例はほかにはないのではないかと。主に台風並みの大雨や強風や濃霧や落雷やヒグマ出現のような不測の事態が発生したときに逃げ込むことはいくらかあるだろうけど。

しかも、遭難があったツアーのほかにもその前後の日程でこれらの避難小屋を別のツアーが毎日入れ違いで利用しているらしく、それをやってのけるために主に小屋泊まりのときの食事作りのための鍋やコンロなどの共同装備を残置したりツアー参加者たちの寝場所の確保のために常駐役? の人物も会社は雇っているとか。なので、悪天で仮に停滞すると、それらの複数のツアーのそれぞれ十数人の大所帯かな、が同じ小屋で重複してしまい、収容人員30人程度の小屋が満杯かそれ以上になる恐れもあり、よって停滞はできずに天気が悪くても一部の参加者の体調が思わしくなくても小屋のぎゅうぎゅう詰めを回避することが優先でやむなく出発しなければならない、という内情もあるようで。
だがこれ、ほかのツアー外の一般の登山者も避難小屋は利用するわけで、その商業的なツアーが小屋内の一角を占拠し続けるのはおかしいし、そもそも不測の事態のための避難小屋を最初から宿泊地と謳って山行計画に組み込むのがおかしい。
僕も主に奥秩父で避難小屋を利用することはたまにあるが、その場合はいつもテントかツェルトは携行しているしより簡素な野宿の覚悟もできたうえでも行っているから、宿泊地としてやたらめったら利用はしないぞ。それにだいたいは単独行で行くから、大所帯のツアーよりは省力化で行けるし。やはり避難小屋を宿泊地として利用、というのは違うよなあ。

ほかのツアー会社では、その小屋占拠の恐れがあるために満杯になったときのために(国立公園内ではテント泊は指定地以外では禁止だが、小屋から溢れた場合は仕方なく小屋のそばに張る)テントを持参するツアーもあるというのも聞いたことがあるが(行く山によってはそのテントやら共同装備やらの荷運び役もツアーに帯同する事例もある)、このトムラウシ山のツアーでも一応テントは携行していたようで散り散りになったうちの後方の1組が後手後手で使用していたが(それでも対処が遅れたために亡くなってしまった方がいるが)、ガイド個人への責任以前に会社の山行計画の立て方のほうがまず問題なのか、と記事を読んで思った。

ホントは全国どこの山でも、服部文祥さんの「サバイバル登山」ほど求道的ではなくても、安易に小屋に頼らずにせめてテントやツェルト利用でできるだけ山に負担をかけずに分け入るべきだ。今夏にある野宿仲間が剱岳の麓の山小屋にアルバイトで入っていたりもしたものの、やはり小屋をできるだけ利用しない、というのを老若男女問わず登山の基本姿勢とすべきだとも感じた。


●標高3776mで96%って……

先月末に終了したNHK教育テレビの『趣味悠々』、田部井淳子×ルー大柴の登山話10回シリーズの最終回は目標の富士山しかも最高点の剣が峰に登頂した。撮影時の天気も最高で、良かったね。
その番組の最高潮のあとに、近くにある旧富士山測候所で現在は各種研究に活用していることも触れていた。ついでにひとつネタを挙げると、『週刊ヤングジャンプ』で連載中の山マンガ『孤高の人』の最近の回で、主人公の森文太郎が冬季にここに滞在してNPOから山頂(主にお鉢の内部?)の積雪データ収集の仕事を請け負っていたりもするな。

で、そこで田部井さんとルーが高山病か否かの目安となる経皮的動脈血酸素飽和度(SpO2)の数値を計測できるパルスオキシメーターを利用していたが、ルーが83%、田部井さんが96%という結果だった。一応、標高3700m超の高所なのでルーの結果が一般的なのだが、田部井さんの96%ってなんだ。僕もこれは以前に数回計測したことがあるが、地上で100%かそれに近い結果が出なければおかしいとも言われていているが、高所なのに平地とあまり変わらない状態の田部井さん、いくら登山に慣れているとはいえ凄いな。老練と言っては失礼かもしれないが、やはり経験の賜物なんだろう。呼吸法とか。複式呼吸が高山病予防に効くというのはよく聞くけど。
また、その対策のひとつとして、手の親指と人差し指の股の「合谷(ごうこく)」という神経の集まる場所を刺激すると酸素飽和度が上がる、ということも紹介していたが、今後試してみようっと。

ちなみに今年始めだったか、ある登山関係の知人がふつうに東京都内の平地での酒盛り時にちょうど(仕事帰りで)パルスオキシメーターを携行していたので酒酔い状態で測らせてもらったら、結果は95%だったことがある。これ、平地ではふつうに呼吸をしながらの状態でも少なくとも98%か99%は出ないとおかしいので、かなり問題アリの数値だったりする。肥満も関係あるのかな?


●『男の隠れ家』09年11月号の、ちょっと高尚? な登山特集

僕は普段あまりチェックしない男性向け月刊誌『男の隠れ家』09年11月号は、珍しく登山特集だったりする。
で、立ち読むと冒頭から服部文祥さんの「山に行くということ」という4ページの記事から力が入っていて、登山する人がよく言う山に対する「謙虚さ」への反意を表していたり、服部さんお馴染みの「フェア」の精神について説いていたりして、のっけから刺激的。
でもそれ以降は各地の山小屋への取材やこれからの秋深まる季節にぴったりの山の簡単な案内が続き、写真もよろしく、最近は女性誌でも登山についてよく取り上げられるようになったようだがそれよりもおそらく数段落ち着いた、大人な雰囲気の誌面になっている。他誌と比べると『BE-PAL』や『fenek』よりも硬派だが『山と溪谷』や『岳人』よりは軟派な感じか。軟派というよりも、『サライ』や『旅の手帖』みたいな雰囲気か。
書き手も、いずれの記事もバリバリの山岳専門というわけでもない感じのライターばかりで、例えば最近は沖縄関連本で有名なカベルナリア吉田さんが尾瀬を歩いたことを書いた記事もあったりする(失礼ながらいつも島ばかり旅する吉田さんが山歩き、ということに軽く違和感がある)。でもその筆致はおちゃらけがちな自分の沖縄本よりもちゃんとしたものになっているけど。

ほかにも、僕は一方的に名前を知っている野外業界内で活躍するライターやカメラマンの仕事が並び、まあ僕好みの特集にはなっているね。
なかでも、取材対象への視点というよりは記事の完成度という意味で特に注目なのが、北八ヶ岳・黒百合ヒュッテの記事かな。この書き手と写真の撮り手はいずれも僕とほぼ同年代なのだが、この業界内では今後バリバリ活躍するであろう組み合わせで、良い。誰のことかはあえて名前は挙げないので、実際に雑誌を手に取ってチェックしてみてちょ。
ただ、僕は買うか否かはちょっと迷うところで、現在検討中。


●栗城史多氏、エヴェレストの登山中にそんな「余興」に力を入れている場合なのか?

6月にもブログのリンク先で少し触れた、世界七大陸最高峰“セブンサミッツ”の無酸素登頂の最後の目標として、世界最高峰のエヴェレストに先頃向かっていた北海道出身の以前は「ニート登山家」で最近は「小さな登山家」の栗城史多(くりき・のぶかず)氏、結局は今秋の登山は体調不良などで断念だそうで。
彼に関しては僕も3年ほど前から一応注目してはいるが、これまでの言動や登山の手法については数年前の野口健氏の「世界最年少記録」のときよりも賛否両論激しく飛び交っている感がある。僕個人的には総論賛成・各論反対、みたいな感じで彼の動向を見ている。
彼についてよく叩かれているのは、特に「無酸素」の解釈の仕方についてなのよね。単に酸素ボンベを担いで吸いながら登るか否か、ということだけでなく。

でもそんな外野からの雑音がありつつもエヴェレスト以外は登頂して、昨秋にはその予行演習的な意味合いで8000m峰のひとつのマナスルにも登頂して(もちろん無酸素で。ただ、この登山も一部では叩かれているようで)、ネパールの高山では特にバカ高い登山の資金を集める意味でのスポンサー探しも含めて“セブンサミッツ”完遂のために着々と進行してきた模様はなんとなくブログで拝見している。

ただ、今回の登山でエヴェレストの登頂に純粋に臨むのならまだしも、YAHOO!JAPANと組んで現地からの衛星中継を敢行する、みたいな企画もこなしていて、たしかに近年の通信技術の発達ぶりを活かしたい、それに登山をリアルタイムで伝えて多くの人々と感動を分かち合いたい、という意図はわかるが、それはどうなんだろう? と疑問に思うふしも多々ある。いちいち細かく挙げると面倒なのでやめておくけど。

雑誌『モノ・マガジン』09年10月16日号でも触れていたが、先月にその連動企画? として、標高6400m地点で流しそうめん、7600m地点でカラオケ、をそれぞれ生中継してギネス記録を狙ったそうだが、僕はそういうのにはまったく興味がなく、「余興」は登山隊の内々でやればいいじゃんよ、それを全世界に公開して周りに押し売りしてどうすんだよ、そんなことよりも肝心の登山をちゃんとやれよ、君の道楽のために自分(と家族)の生活を懸けて登山に参画している現地スタッフもたくさんいるだろうに、と外野からはある意味悪ふざけにも見えるその様子を垣間見るとつい毒づきたくなる。諸外国の方から、最近の日本の若者の道楽ぶりがみなこんな感じだと勘違いされそうで、それは困るよなあ。もっとマジメに取り組んでいる登山者もたくさんいるし(というか、本気で取り組まないと簡単に死んじゃう可能性のある場所だから)。まあ栗城氏もその「余興」に本気で取り組んでいるのだろうが、その方向性が「登山家」を名乗るのであればちょっと違う気がする。

「余興」というと、大学時代に所属していたワンゲルのかなり年代は上の先輩が十数年前に、ある7000m峰の登頂時にギターを担いで登頂してそれを山頂で弾いた、という登山隊の内々のサプライズ? の話を聞いたことはあるが、そのくらいだったらまだ良いと思う。でも今回のは全世界に発信するようなものだからねえ、しかも世界最高峰の真っ只中で。これによってヒマラヤ登山の敷居はいくらか低くなったかもしれないが、視聴者からは思いっきりいろもん扱いされただろうな。

まあ今どきの若者の自己表現、という意味で考えるとこれはこれでアリなのかもしれないが、生死の境を行く高所登山でそれがすぎるのはいかがなものか、と訝しがる、登山に精通した人でなくてもそのような行動をイタイと思う人のほうが多いだろう。今回もその「余興」のやりすぎで肝心の登山がうまく行かなかったのでは? もし体調不良のみならず悪天続きを言い訳にするのであれば、それが好転する運を呼び込めなかった意味でもより自分の責任は重いのでは? とも思う。
栗城氏、ふつうに淡々と真摯に登山していればよかったものの。せっかく出身大学の先輩に探検の分野では特にシーカヤックの経験が豊富な新谷暁生氏もいるというのに、「余興」によってそのホンモノの先輩の存在にまで悪影響がおよびそうな(とばっちり)、ニセモノまっしぐらの存在になってしまうぞ。山岳専門誌や同業の登山家からは彼の行動はほとんど触れられていないように、すでにそういう見方をしている人も多いけど。僕はまだ辛うじてホンモノ扱いしてあげているのに。もったいない。

来春も再びエヴェレストを登りに行くようだが(ネパールで天候が安定する可能性が高くて比較的登りやすいのは春のほうで、今秋に行ってしまったのは勇み足とも言える。まあ許可の関係で春はダウラギリに変更せざるを得なかったのはわかるが)、企業のみならず一般の人々からも講演会ついでにその入場料にあらかじめカンパの金額を上乗せして募ったうえでその収益を登山の資金に充てている現状を考えると、今回の「余興」によって来年以降の、もし自前の登山隊になるとン百万円かかる(いや8桁を超えるか?)登山の賛同者が増えるのか減るのか、今後も見モノである。


●「森ガール」よりも「山ガール」

僕は今年始めあたりから、「森ガール」という言葉をよく耳にするようになってきた。これは取り上げる媒体によって解釈は異なるようだが、意味を総合すると「いかにも森のなかにいそうな雰囲気を持っている女の子」ということになる。格好で考えるとワンピースやチュニックが似合うみたいな、髪型もメイクもゆるゆるでふわふわでしぜんな感じで脱力感や透明性があるやや神秘的な雰囲気も醸し出す、やさしい空気を身に纏っている若い女子、なのか。
最近の邦楽で人気のユニット・Perfumeのメンバーで例えると、ボーイッシュなのっちではなく、より女子的なかしゆかとあ~ちゃんみたいな感じか。ほかの芸能人で例えると、代表的なのが役者の蒼井優や歌手のYUKIとはよく聞く。僕もまだその概念は引き続き勉強中。

最近、それをさらに活動的に進化というか深化させた? のかどうかはわからないが、「山ガール」という言葉もあることを知った。誰が創ったんだそれ。
昨年あたりからか、男性誌のみならず女性誌でもエコだロハスだとかいう意味なのだろうがそういった健康面や自分磨きみたいな入り方から登山について取り上げる機会が増えてきた、というのはよく聞く。特に出版社の野外系フリーマガジン『フィールドライフ』を通読していてもその傾向はわかり、今春からはその女子向けの情報のみを抽出した雑誌として季刊誌の『ランドネ』が創刊されたりもしているし。

で、「山ガール」のわかりやすい例として、好日山荘が今年から年4回刊で発行しているタブロイド紙『guddei(グッデイ)』の3号目の2009秋号(上の写真参照)の巻頭ロングインタビューで、現在、モデル・役者・ラジオDJなど芸能で多岐にわたって活躍中のKIKIという女子が取り上げられている。
彼女、一般には主にテレビドラマやCMのような芸能面の活躍のほうが有名なのだろうが(現在、資生堂の「AQUALABEL」のCMに出演しているのが特に目立つか)、僕的には『フィールドライフ』で07~08年に表紙モデルも含む雑誌の“看板娘”として毎号登場して、登山やカヤックやテレマークスキーなどの野遊びに出かけたことを書いた連載を持っていたことのほうから認識するようになった。この野遊び企画の数々によって鍛え上げられた結果、特に登山に徐々にはまっていったようで。インタビューを読むと、最近は仲間内で「女子登山部」のノリで行ってもいるようだし。登山の基本的なことがわかっているお目付け役がいれば、そんな軽い感じもよろしいかと。ただし行く山とその季節の選択にもよるけど。

また、僕よりもちょい歳下の彼女の経歴を見ると面白いのが、武蔵野美術大学略して“ムサビ”の造形学部建築学科を卒業していて、芸術面に詳しいということ。というか、学業のほうが先で、芸能活動や野遊びを始めたのが順序的にはあとになるのか。今のところは芸能の仕事ではその知的な一面はまだあまり目立っていないが、今後そういった芸術と野遊びを絡めた仕事も増えるのかしら。
KIKIさんについて、最近にわかに増えている“ムサビ”出身の友人知人のひとりに先日訊いてみると(たしか彼女と専攻は異なるが同年代だったか?)、在学時からそこそこ有名ではあったようで、建築方面よりももっと明るい場に出て正解のひとなのかなあ、と改めて『フィールドライフ』の過去連載を読み直すと思う。

今後もし実際に会う機会があれば、母校で「グレートジャーニー」の関野吉晴さんが教授に就いていることも知っているはずだから、そのへんの認識や、本人や仲間内の女子目線からの登山の捉え方についてより突っ込んだことを訊いてみたいものだ。


と、複数まとめるとどうしても長くなっちゃうのよね。そこはご勘弁を。

軽登山における「三種の神器」考

2009-09-03 00:30:33 | 登山

最近、立て続けに登山絡みのことで、具体的には携行する装備のなかでの使用頻度の高い重要な装備、という位置付けであろう「三種の神器」について見聞きすることがあり、僕なりにもそれを改めて考え直してみる。

まあその大きなきっかけは、ひとつめはNHK教育テレビで7月29日から始まって今月30日まで毎週水曜日の夜放送の『趣味悠々 山で元気に!田部井淳子の登山入門』ですな。
これは講師役に日本の女性登山家としては国内はおろか世界的にも顔が広い田部井淳子氏を、生徒役に登山初心者のルー大柴を迎え、東京都・高尾山の日帰り登山から始まって最終的には富士山登頂を目指す、という流れで段階を踏みながら主に中高年向けの登山の手法をテレビを通じて伝授している。ルーのほうはそのなかでお得意の“ルー語”も多用しているか。でもルー的には慣れない登山で疲労度も高いためか、そのお馴染みの中学生レベルの英単語もブログほど放送ではそんなに頻出しないけど。

登る山は、高尾山→金時山→谷川岳→木曽駒ヶ岳→燕岳→富士山、の順。あ、僕は木曽駒ヶ岳だけまだ登ったことないわ。
ちなみに、この放送は10回シリーズでテキストも現在発売中で、放送は今のところ7月から毎回観ているし、数年前の講師役・岩崎元郎×生徒役・みなみらんぼうのシリーズもすべて観ている。また、田部井さんは数年前のある登山関連のシンポジウムで見かけたことはあるが、まだ実際に喋ったことはない。

それでこの2回目の放送で、登山の装備選択について触れていたときに田部井さんがその「三種の神器」として、登山靴、ザック(バックパック)、雨具、のみっつを挙げていた。登山靴はくるぶしも隠れるハイカットの登山靴で、ザックは小屋泊まり主体の話なので60リットル以上の大型のモノではなく、雨具は透湿性防水素材採用のモノ(まあ大概はアメリカ産のゴアテックスのだが。あとはモンベルのブリーズドライテックとかミズノのベルグテックとか、近年は国内発の素材もちらほら出てきている)、とまあ各種媒体でもこの組み合わせが大半で、たしかに教科書どおりの無難な選択ではある。

ふたつめのきっかけが、先日久々に覗きに行った登山用具店「好日山荘」(僕がよく行くのは池袋店と新宿西口店)の店内放送で、ストック(トレッキングポールまたはウォーキングスタッフとも呼ぶか)、サポートタイツ、アミノ酸サプリメント(マラソン選手もよく使っているアミノバイタルとかアミノバリューとかヴァームとかの類ですよ)、のみっつを「新三種の神器」として挙げていたのが気になった。
まあたしかにいずれもここ数年で急速に普及してきて、特にストックは『趣味悠々』の登山中も登下降ともに田部井・ルー両氏ともに終始握ってもいるし、どちらかと言うと脚力を補うために中高年のほうが重用している感はある。僕個人的にはいろいろな意味でストックに(周りの影響を受けて)頼りすぎるのはどうなんだろう? まず基本は二足歩行でしょうが、と特にダブルストック信奉者が増加傾向にある最近の風潮に違和感もあるにはあるけど。

サポートタイツとサプリメントは、どちらかと言うと40代以下の比較的若い世代、特に登山よりも運動量の多いトレイルランニングで利用されているかな。その使われ方が流行って媒体によるカッコイイ紹介の影響もあってかここ数年、一般のハイキング的なコースを行く軽めの登山をやる人のあいだでも徐々に浸透してきている。まあ僕もストックは荷物の多いときの下山か冬場しか使わないが、あとのふたつは標高2000m以下くらいの登山ではここ数年結構頼るようになってきた。でもいずれも「あれば助かる、身体的な負担が減ってラクになる」という程度のもので、生死にかかわるほど必要不可欠、というものでもないけどなあ。
このみっつは、若者向けの野外系の季刊誌・不定期刊誌で言うと『ヤマケイJOY』、『フィールドライフ』、『モノ・スタイルアウトドア』、『PEAKS』、そして今春創刊で現在2号まで発売中の『Okugai』(学習研究社刊)のなかで使用している人をよく見かける。ライターのホーボージュンさんや高橋庄太郎さんはその典型かな。

で、これらを踏まえて(以前も少し触れたかもしれないが)僕の三種の神器というか、登山するにあたってまず優先的に用意すべきものは何かというと、ヘッドライト(ヘッドランプ)、雨具、登山靴、の順になる。
『趣味悠々』と少しかぶるが、ザックは最初は他人から借りて使って、自分好みのものを少しずつ見極めていってもよいと思うため。例えばグレゴリーの製品はひとつの銘柄でも複数のサイズがあって、身長と背面の長さによって選択できたりもするし。ただ、雨具や登山靴は体型や足の形・サイズに個人差があって貸し借りしにくいと思うので、このふたつは最初からちゃんと自分に合ったものを買うべきかと。

ただ、靴についてはある程度の経験者になると、背負う荷物の重さにもよるが、もしそれが軽ければローカットの靴、最近ではトレラン用の靴で森林限界より上の山に行く人も結構増えている。まあ夏の富士山ならもっといるけど。
先週、一般登山道なのに岩場や鎖場が多いことで知られる(今夏は僕も6月に観た映画『劔岳 点の記』で話題の)富山県・剱岳を登りに行ったある野宿仲間もそこにトレラン靴で行って登頂していたが(ただ、麓の剱澤小屋そばのキャンプ地からほぼ空身で頂上往復だったけど)、登山靴はハイカットが絶対、というわけでもない人も実際にいることはわかる。ゴツゴツした場所の通過では足首が可動したほうが歩きやすいためにローカットを選択、その可動域やハイカットの登山靴よりは厚みのないソールで足裏の感覚を大事にしたい、という人もいる。
また、ある有名クライマーはそういった岩場ばかりの山でも(わらじやフェルト靴で行くべき)簡単な沢登りでもどこでも、履き慣らした同じスニーカーで行っているとも聞くし、まあそういった常識に囚われない装備選択があってもよいとは思う。でも善い子は真似しちゃだめだけど。山の基本的なことに慣れているからこそ、そういった応用が利くわけで。
善い子は、荷物が多くて長期間行くならハイカット、低山を気軽に行くにはローカット、と行く山によって履く靴を選択するのが賢明かと。

それからヘッドライトだが、特に富士山の夜間登山やテント泊、それに山域は問わずこれからの秋~冬の陽が短くなる時期の登山は特に使用頻度が高くなるし、これをまず必ず携行すべき、と思っている。
00年のぺツル・ティカの登場以降、現在はすっかり浸透して、日々機能が増えて進化も続いている白色LEDライトも登山専門店で価格は2000~6000円くらいで買えるし、最近は東急ハンズや各地のホームセンターのような専門店ではないところでもよく扱っているか。ちなみに上の写真のは、普段使っているぺツル・ティカの予備として今年始めにあるセールで600円で買った安物だが、まあこれでもないよりはあったほうがよいが、頭に装着したときの着け心地が悪く、結局はもっとまともなメーカーのものを買うほうがよいかも。家電と同様に有名なメーカーの製品を選択するほうが失敗は少ない、というのは登山道具にも言えると思う。ライトも、写真のようにやたらめったらLEDを追加すればいいってものでもないと思うし。光が拡散せずに前方を確実に照らしてくれないと。
でも、世界的な実績を上げている某冒険野郎は釣り具専門店の上州屋で販売している(していた?)単三電池2本で駆動する安価なLEDヘッドライトがお気に入りだったりして(汎用性の高い単三電池というのがミソ)、まあ人によって好みは分かれるかなあ。安くて良いモノもある、か。

そういえばヘッドライトというと、少し前の話になるのだが昨冬に登山初級者の仲間と山に行ったときにちょっと考えさせられたことが2回あって、簡単に言うと2回ともにライトを携行していない人がいた、ということがあった。
まあどちらも日帰りの軽めの登山(というか高低差の少ない山道を歩く機会)で、結果的にはどちらも明るいうちに下山できた、もしくはほかのメンバーのライトの明かりを頼りに間隔を開けずに歩きながら下山できて事なきを得たが、やはり山に慣れていないとライトごとき、という感覚になってしまうのかなあ、と憂慮した場面であった。それとも山を甘く見ている、と言うよりも普段暮らしている街なかでは感じにくい日没への意識というか闇夜への畏怖の念というか、(本来ヒトも持っているはずの)動物的な勘が鈍っているだけなのか。

秋冬や、それ以外の時期でも泊まりがけで山に入る場合は道迷いやケガなどのなんらかの不測の事態がある可能性も見越して常にライトを携行すべき、ともっと啓蒙していかなくては。野外系の媒体・特集でも、保温性・撥水性よりも見た目重視の衣類とかの紹介は二の次にして、真っ暗になって行動不能に陥ったらどうなるかみたいな生死やケガを負うことにかかわり、また寒いときは低体温症にもかかわることもある、と安全面に関する取り上げ方をしてほしいものだ。

登山する場合、何はなくともヘッドライト、ですよ。懐中電灯のように片手がふさがらずに両手を使えるものだし、例えばほかには水筒はペットボトルで代用できる、というようなモノは後回しにして、代用できないモノや貸し借りしにくいモノを優先的に準備すべきですなあ。昔も今も。僕は登山道がバッチリ整備されて舗装箇所も多い観光地的な高尾山でさえも、仮に秋冬に登るときにはライトを携行するけどなあ。

それを踏まえて僕の登山においての「三種の神器」はヘッドライト、雨具、登山靴、となった。
ああでも、いずれも酷使していてそろそろ買い替えないと。周りの(真っ当な勤め人ゆえに時間はそんなに持っていなくてもお金はたくさん持っている)友人知人が今どきの製品をどんどん買い揃えたり買い替えたりしているのを見るにつけ、購買欲はいつも刺激されるが、最近の金欠ぶりではそう簡単には動かない、動けない。

なお、本ブログを訪れる方は泊まりがけで(できるだけ安上がりに)山や地平を旅する・したい人が多いと思うのでそれに必要なテントや寝袋のことも触れるべきだが、泊まりがけ以前のもっと基本的なこととして、日帰りの軽登山を前提として「三種の神器」について再考してみた。個々人の旅の形態や嗜好、「基本」への認識の度合いによってそれは変化するだろうし。あくまで(同じ埼玉県は東武東上線沿線住民の田部井さんよりも頼りない?)最近は行動よりも言動のほうが先走っていて頭でっかちな(ことを自覚しながらもそれを性懲りもなく続けている)僕個人的な持論ということで。
以上。


※4日に少々追記済み。

涼を求めて湯場ノ沢、でも途中まで

2009-08-17 03:33:45 | 登山

16日(日)、前日まで蒸し暑い日が続いていたので、避暑の意味で東京都西部は南秋川周辺の沢登りとして湯場ノ沢に行ってきた。僕の得意な山域だが、この沢は数年前から気になっていたもののずっと先送りしていて、ようやく今回初めて入溪となった。

文章化は面倒なので、当日のできごとなどを以下に箇条書きで。


・西東京バス、今年から運賃支払いにSuicaとPASMOが使えるようになった
・西東京バス、今年4月にダイヤ改正済み
・払沢の滝へ行く観光客が路線バス・マイカーともにやたらと多い
・同行者は2名(男女各1名、ともに某美大卒、縦走など登山経験はある)
・湯場ノ沢は初心者向けの沢で、インターネット上でも情報量は多い
・うち1名が履いていた靴が革新的? で面白かった、そして勉強になった
・天気は晴れ、でも水はちょいと冷たい
・沢登り初心者の女子確保のため、ロープを数回出す(僕個人的には全行程フリーソロで行けるかも)
・全身浸かるくらい深い釜を持つ滝も一部ある
・午後からの遡行開始で時間切れ、核心部の2段8m滝の手前で引き返す
・下山は登ってきた沢をそのまま下降
・下降途中の滝で大コケして水没もして、(先月に水没から大復活を遂げた)デジカメの液晶画面の上半分が割れる、悲しい
・下山後は涼しくなり、風が吹くと肌寒かった
・往復ともに笹平バス停を利用
・帰路途中で「秋川温泉 瀬音の湯」へ立ち寄る、僕は3年連続3回目の訪問(いずれも沢登り後で、それぞれの同行者は毎回異なる)
・この時期は18時すぎまで明るい
・風呂上がりは畳敷きの休憩室でひとり惰眠
・帰路、夜は晴れれば満点・満天の(都内なのに手軽に)星空を堪能できる


という感じだった。

同行者にはそこそこ楽しんでもらえたかどうかはわからないが、僕個人的に全体的には不完全燃焼だったので、近いうちに登山道までの完登を目指して再訪するかも。

トムラウシ山遭難に関するメモ

2009-07-24 15:45:27 | 登山
昨夜放送のNHK『クローズアップ現代』で、先週16日の北海道・トムラウシ山周辺で起こったアミューズトラベルの登山ツアーの遭難について、生存者4人(自力下山3人、ヘリ救助1人)の証言を得ながら検証していたので、録画して数回観直して、そのメモ。
19日の投稿であやふやなところもあったので、以下の方がたしかか。


・14日晴れ(旭岳からトムラウシ山が見えたくらい)
・15日雨、でも計画どおりに行動した
・16日は朝から激しい雨、避難小屋で出発前にガイド3人で行くか否か検討していた
・でも午後に天候回復するだろうと判断し、出発
・ロックガーデンを越えて北沼に来ると、大雨でそこからあふれた水が流れ出して川になっていた
・3人のガイドの付き添いで15人の客が川を渡ると、引き返したくない気分
・川のなかを進むような感じ(というくらいの大雨)
・北沼から、疲労度からか18人が11人+5人+2人に分裂し、ガイドはそれぞれの集団にひとりずつ付く(客は10人+4人+1人)
・11人が後続を待つために待機
・北海道大学大学院の気象データ(五色岳)では、16日は風速20~30m、最低気温4℃弱、平均気温6℃くらい
・待機の11人、震えが止まらない、台風並みの風
・低体温症からか? 奇声を発する人もいた
・疲れから眠気も出てきた
・悪天下でずっと待機させるのはおかしい、指示が欲しかった
・留まると危険と感じ、11人は再出発、特にガイドは遭難の通報のために先を急ぐ
・11人のうち先頭のガイドに付いていけなくなった人がさらに分裂、うち9人がガイドなしの状態で行動
・(証言者のひとりは)歩けなくなったほかの参加者に一時は肩を貸して進んでいたが、他人のことを考えられなくなってきて結局自分だけ先へ進んだ、今思うと薄情だった
・(今回の悪天下の行動は)自分の能力の限界のできごと
・11人中5人が自力下山
・残りはテント泊まりの人も、そのなかで衰弱していった人も
・事前配布の装備表に軽アイゼンやツェルトの記載もあり
・事故の責任は会社側にある、と認める(安全管理に問題あり)
・登山ツアーは中高年向けの便利さと手軽さを売りにする(荷物持ち有り、寝袋レンタルのような)
・客としては下調べしなくて済む
・そんなふうに山へ安易に行ってはいけないのでは?
・安全確保<利益・客の満足度?
・計画変更して無事に下山できても残念がる客もいる
・手軽さの裏にあるリスク、安全管理の在り方を問う
・事前に客に事故事例やコースの問題点のような(マイナスの)危険情報を伝えるべき
・ガイドは客に慎重な行動を促す


直接的な遭難原因を考えると、ガイドに心理的な負担があり(計画どおりに行きたい、荷物を下山地に先送りしていたなど)、気象条件や客の疲労度・健康面の判断を誤ったということになるのかなあ。

ただ、これがすべてではなくてまだ今後新たに判明することも多々あるだろう。特に山岳専門誌である『山と溪谷』と『岳人』で来月号以降により詳しく検証されるだろうから、それを待ちたい。

ああ、お金と義務感が絡む登山って、難しい。でもまあそれが絡まなくても、複数人の登山は単独行のときよりも考えるべきことが多くて、これまた難しいけど。今後、気を引き締めないと。

せめて予備日があれば……

2009-07-19 03:00:16 | 登山
先週16日に起こってしまった北海道・大雪山系、特にトムラウシ山(2141m)周辺での「アミューズトラベル」のツアー客とそのガイド18人中8人死亡の遭難、なんと言ってよいのやら。
ほかにもいろいろ考えるべきことがあるのに、それを中断してこの一件がどうしても気になってしまう。

また、同日に少し南の美瑛岳(2052m)のほうの「オフィスコンパス」のツアー客3人のうち1人死亡か。あとトムラウシ山のほうで単独行の男性も亡くなったが、これに関してはツアーとは別で責任は完全に自分にあるので仕方ないことか。
でもツアーのほうの責任の所在は当然、会社とその場の判断を下すガイドにあるはず。

僕はこのツアーの該当コースの縦走はまだ未経験で10年来ずっと棚上げしたままなので、未踏の山域についてあまり大きなことは言えないが(数年前の夏に旭岳の麓にちょこっと行ったことがある、机上登山は毎年行なっている程度)、まあ死者が出た原因を簡単に言うとガイドの判断ミス、に尽きるか。18日の会社への家宅捜索は業務上過失致死の疑いだというし。

事故の原因を考えるとおおまかには、ガイドの3人中2人が該当コース未経験、16日は風速20~25mという強風と雨、2泊3日の行程で予備日なし、ということ。
今回は参加者が59~69歳の(主に東海圏からの)中高年だったからというのは直接の死因とはあまり関係ないと思う(死者全員の死因である凍死の決め手となる低体温症は、歳に関係なく誰でも起こり得るし)。
ツアーでガイドに頼らないと登れないくらいのレベルの登山者となると、悪天時の判断も自分でもつきにくい、というかつけられないものなのか。それに客としてはせっかくお金を払って北海道まで来た、ガイドのほうはそれをもらったんだから、なにがなんでもコースの縦走を完遂しないと、という歪んだ義務感も客もガイドも両方とも発生しただろうし。

ここ1週間の北海道は本州太平洋側とは違って天気がよろしくないことは天気予報を観てもわかることなのに、それでも強行だったのか。雨だけならなんとかなることもあるが、さらに強風もだからなあ。風は体感気温を激減させるから厄介よねえ。
ある新聞報道では16日の行動は15人の客が8つに分散していた、とあり、客5人にガイド1人の3つの分団くらいならまだわかるが、いくら初対面同士の集まりとはいえなぜそんな散り散りになってしまったのも歯がゆい。
避難小屋にとどまった1人のガイドを除く行動していた2人のガイドのうち、亡くなった60代のガイドがその悪天下でどう対処したのかはわからないが、もうひとりの先頭のほうを進んでいたと思われる(行動中に札幌営業所にヤバイかもとメール連絡してきた)30代の地元・札幌のガイドのほうが該当コースの経験は唯一十数回あるといっても2倍くらいの歳の差がある客との体力差まで、おそらく特に複数人で行動するときの基本の「体力的に弱い人に合わせる」を悪天であまり意識できずに散り散りになってしまったであろうことも、判断ミスの一因か。うーむ。

そのなかでも最も問題なのが、行程で予備日なし、ということか。1、2日くらいの行程ならまだしも大雪山系や本州中央部の3000m級の山々に数日間かそれ以上入る場合は予備日を設けるのは登山の基本だが、ある程度の利潤追求に走ってしまうツアーとなると、そう簡単に予定は変えられないのかなあ。件のツアーも2泊3日でというのもかなりの強行軍ですし。僕だったら3泊4日で予備日1日で行くかな。特に初めて行く山域となるとそのくらい注意深くなる(単独行の場合は尚更)。
これにさらにもう1日あって悪天の16日に避難小屋に停滞していれば、こんなに死者が出ることもなかったはずなのに。そのための避難小屋だから。
おそらく強風によって体感気温が0度以下の状態で森林限界より上を縦走、となると、強行すべきではないと思うのだがなあ。トムラウシ山~美瑛岳は初心者向けのエスケープルート(悪天や体調不良など不測の事態のときに直ちに下山できる逃げ道)もないし。せめて予備日があれば……。
夏の大雪山系の縦走の場合、ヒグマの頻出と水の確保とエスケープルートの設定を特に考えなきゃならんからねえ。

18日のNHKの報道でそのアミューズトラベルのツアー参加者(生存者)のひとりのコメントを取っていたのを聴いたところによると、その方は防寒着として羽毛の上着をちゃんと携行していて、でも山ではそれを着ていても寒かった、ということで、事前の北海道あたりの気圧配置からして夏らしい登山を想像しちゃあいけないよなあ。
ただ、翻って僕も近年はこの時期に標高3000m近い山に行くときは防寒については詰めが甘いこともあって、そこはしっかり反省すべき点だが。フリースや羽毛ではなく、冬でも着るような化繊製のアンダーシャツ・タイツや長袖シャツを予備的に携行する程度。

などといろいろ考えると、これまでの僕のいつもの登山で複数人で行く場合は自分が知っている人と行っていて、初対面の人と一緒、という経験はまだないのよね。以前も少し触れたが、登山ツアーを通じて一応そういう経験も積んでおくべきかも、とは常々思っている。

あるクライマーも気心の知れた人とでないと一緒に山に行きたくない、ということを聞いたことがあるが(特にアルパインクライミングでロープを結び合って命を預け合う関係となると尚更)、基本は知っている人同士で行くべきなのはわかっていても、でも大学山岳部・ワンゲルや社会人山岳会の活動が衰退しつつある現状を考えると(僕の母校も同様)、ここ数年盛んな中高年向けのツアーや、登山系のメーリングリストやmixiのコミュニティで初対面同士が集って行動をともにするような登山形態は今後もっと増えていくだろうから、好みの単独行ばかりではなくそこもちゃんと視ていくべきですな。

最近、大学時代のワンゲル以降久々に複数人で山に行く機会も増えてきて、その登山のさいの責任の所在や参加者の足並みの揃え方云々についても再びよく考えるようになったが、僕くらいの(今回の事故にホントは口を挟むべきではないかも、という)低レベル登山者ではたかが知れているので、現状では同行者がいる場合は僕がその方の登山歴を事前に把握できている人とでないと厳しいかも。個人でガイド業を営んでいる方々も、より良い登山にするためにもそうするのは当然のことですし。

なお、僕が今知りたいのは、今後出てくる生き残った2人の30代のガイドの言い分と登山歴、およびアミューズトラベルの松下政市社長の登山歴および登山観かな(特に山岳気象や予備日についての認識の度合いについて)。ガイドのほうは後日、生き残ったという負い目からくるPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥らなきゃいいけど、今回の結果への風当たりの強さを考えると(へっぽこ登山者の僕でさえ触れずにはいられない事故だから)、若いからその可能性はありそう。
ただ今回はガイドのみにすべての責任を押し付けるべきではなく、会社の体質と言ったら言いすぎかもしれないが会社全体としてのもしものときの備えへの意識も知りたいところ。
この一件で業務停止どころが廃業に追い込まれてしまうのだろうか。そこまではいかないか。それに「アルパインツアーサービス」や「アルプスエンタープライズ」などの同様の登山ツアーを扱う同業他社への風当たりも一応気になる。

でも根本的なことを改めて考えると、そういった他者のお膳立てに頼らずに、自分で調べて勉強して、計画を立てて、実行して、反省して、試行錯誤を繰り返して、たまに練習もして、仲間も作って、とすべての面において主体的に取り組むことが肝心なんだなあ、登山って。
登山は「遊び」か「仕事」かに関係なく、「誰かに連れて行ってもらう」ではなく「自分が行く」という気概で行動すべきだということは、僕は高校時代のワンゲルから常に念頭に置いて取り組んでいる。

登山とは、今回のように時間の余裕の持ち方如何でその後の人生が即座に途絶えてしまう可能性も多分に孕んでいて、そうなるとより緊張感を持つべき生命に直結する行為なんだから、その姿勢は今後も変わらない。
今回の事故の情報は今後も注視する。


※22日(水)に少々だが追記した。

気晴らしになりそうでならなかった、奥多摩・曲ヶ谷沢遡行

2009-07-14 05:00:10 | 登山

12日(日)に今年初めての沢登りとして、東京都・奥多摩の川乗山(1364m)の北側を流れる大丹波川支流の上流域の曲ヶ谷(まがりがや)沢に日帰りで行ってきた。
今年、4月から沢登りに行く機会を狙ってはいたがことごとく逸し続けていて(都合7回くらい)、他人とのかかわりとは別の私生活では年始に引いた大吉のおみくじどおりの好転が見られず、例年以上にストレスも溜まり、主に経済面の理由から精神的にも憂鬱な日々が続いていた。今回も登山自体が4か月ぶりでやはり身体も心もなまっていて、予想以上に疲れた。普段から山に行き慣れていないと、机上登山との差異も大きくなりますな。

この沢、昭文社のエアリアマップでは破線表示ではあるが一応は登山道として設定されていて(2万5000分の1地形図「原市場」でも道の表記が沢沿いにある)、沢の後半は登山道の丸木橋が度々交錯するくらいだから、そんなに困難な沢ではなかった(沢登りに飽きたら登山道に一時的に逃げられるというズル? もできるし)。
が、序盤の5m滝の直登は複数人で行ってロープで確保できればよいが、単独行だとちょいと面倒かも。僕は高巻いた。それ以降はロープもハーネスも必要ない感じで問題なし。ああでも最後の登山道への詰めが、沢沿いではなく付近の尾根沿いに間違えて出てしまったために45度以上の傾斜の植林伐採跡を直登するはめになって、久々に難儀した。でも釜は泳ぐくらい深いところもあり、小滝やナメ滝が多く、ビヴァークに適した広い河床が続き(でも泊まりがけで行くほどの沢ではないけど)、後半に出てくるわさび田の雰囲気は良く、程よくまとまった沢だった。水は意外に冷たかったけど。
またこの沢は情報が少なくて(まあ基本的には増水時は要注意と促す程度の登山道扱いだから)、沢登り関連本でも情報がなく、今春に個人のウェブサイトで知った。今後は出版物以外の情報もおおいに参考にしていくことにする。

そういえば、沢を登りきったあとにその終了点から30分ほど登った川乗山も、過去の登山記録を辿ったら11年ぶりの登頂でしたなあ。比較的近場の山なのでいつでも登れるだろう、と放置していたらいつの間にかこんなに時間が空いてしまった。なんとなく登る機会がなかったのよね。今後はもっと行かなければ。真冬に雪が積もるとまた面白そう。

山頂からの下山はまだ未踏だった赤杭尾根を夕刻に残照のなかヒグラシの鳴き声を聞きながら下り、平らな箇所ではトレランの練習としてちょっと走ったりもして、まあ天気はよろしく、でもJR川井駅から沢への車道・林道の長いアプローチにはやや閉口しつつ、それでも川乗山を経由して最後は古里駅まで縦走というか反時計周りに周遊しながら丸1日楽しめた。久々にちゃんとした運動をしたので、翌日の筋肉痛というおまけも付いたけど。

で、登山自体は楽しめたのはよいが、大問題なのは今回も沢の中盤で記録用に2年近く愛用しているニコンのデジカメをうっかり沢に落とし、水没。そしてご臨終となった。うう。これで沢登りで3年連続でデジカメを潰したことになる。学習能力のなさは相変わらずである。
というわけで、またしばらくはデジカメなし生活となり、結局は気が晴れずに再びどよーんと憂鬱な気分に戻っている。最近は遊び以外にも普段の仕事でも必要不可欠なデジカメ、ホントに常に2台くらい常備していないとダメですな。反省。

ちなみに上の写真はまだ沢の中盤で(時間は正午前)、これを撮影した7分後にその事件が発生した。口外するのが恥ずかしいくらいにホントに初歩的なミスで潰してしまい、悔しさは過去最高。
今年になって従来のオリンパス・ペンタックス以外にも、キヤノン・パナソニック・フジフイルムも参入して競争が激しくなっている防水デジカメの購入を急がねば。というか、まずはもっと働かねば。



※2009年7月15日の追記

以上のように登山中に使用不能となったデジカメだが、帰宅後に水気を拭き取って天日干しして懸命に看病を続けた結果、なんと水没から2日後に大復活した。命拾い。防水仕様ではないカメラ(ニコン・クールピクスL12)なのに、なぜなんだ。
試しに、先週の雑誌『weekly an』の表紙とインタビューに今年は“イモ”呼ばわりされている多部未華子が登場していたのでつい買ってしまったのだが(まあふつうに求人情報も欲しかったからだけど)、それを撮ってみた。発色も特に乱れておらず、ホッとひと安心。多部ちゃん、かわいい。



でもいずれにせよ、新しいデジカメは常に求めているけどね。防水デジカメを買えるのはいつのことになるのやら。

気休めというわけではないが、富士塚登山

2009-07-01 03:00:13 | 登山

昨日(6月30日)、東京都台東区下谷2丁目の小野照神社の開山式を観に行った。
ここには東京都内に点在する富士塚のなかでも特に大きな富士塚があり、毎年6月30日と7月1日の2日間のみ一般に開放されるのだそうだ。
で、開山式を観に行きつつ、富士塚にも登ってみた。



11時から始まった開山式。


開山式のあとの登山前の茅の輪くぐり。


登山中。参列者のなかには若者も一部いるにはいたが大半が年配の方で、ここでも中高年登山ブーム? は健在だった。


集団登山が終わった正午、富士塚の頂上から西方を見下ろす。


東側の登山道および下山道。こういうのを見ると、積雪期も登りたくなってくる。


雨上がりで道が少々ぬかるんでいて、登山道の難易度はちょっと上がったかも。でも難攻不落というほどではないけど。

ホントは開山式というと、静岡県の本場の富士宮浅間神社のものを一度は観に行きたいものだが、毎年なかなかタイミングが合わないのよねえ。いつになったら行けるのやら。
しかもここ数年、ちゃんと富士山にも登っていないしなあ。不況によりその程度の旅費すら出せないせいで。
最近、登山用具店に行くと、今年こそ富士山に登りましょう的な登山初心者向けの案内をよく見かけるのだが、昨年の入山者数の結果からもわかるとおりに日本最高峰を目指す登山者が年々増えていて、その流れにも乗り遅れているなあ。まあ無理に乗る必要もないけど。
さて今年は久々に行けるのかしら。でもなんか今年は残雪が多くて、今日現在でも(雪山はやらない一般登山者は)まだ九合目まで行けないくらいの積雪があるみたいね。

でも年内に登るべき山や沢やその他やるべきことの優先順位を整理すると、富士山はかなりあとのほうなのよね。あとは年末あたりに仲間内から今後の雪山登山のためのセックン(雪上訓練)に行こう、という話もあり、年内に一度行くとしたらそこかもしれない。

ちなみに、最近じわじわ人気が出てきているらしい東京都内でお手軽に楽しめる? 富士塚となると、芙蓉庵の富士塚日記というブログが詳しい。というかこの方、『ご近所富士山の「謎」富士塚御利益散策ガイド』(講談社+α新書)という富士塚本を昨年に出版されていて、しかも僕の友人の友人だということを今年知った。
富士講や富士塚の歴史などには疎いので、一度、専門家による富士塚に関する講釈を受けてみたいものだ。

『岳人』09年7月号68ページに

2009-06-21 03:00:15 | 登山

そういえば、のひとネタ。
あくまでいち読者からの読者投稿の域を出ないことなので、べつに殊更に挙げなくてもよいかと思っていたが、やはり視ていただきたいので触れておく。

今月の雑誌『岳人』09年7月号の中盤のカラーページ(今月号は68~69ページ)に「新岳人写真倶楽部」という読者投稿のコーナーがあり、「新」になる前から好きなコーナーなのだが、この68ページに3月に行った積雪期の八ヶ岳登山の写真が掲載されている。これで誰と行ったかが判明するが、どうせ注目度は低いだろうから、まあいいか。扱いも小さいし。
でも今回は先の登山中に300枚近く撮ったデジカメ写真のなかでは選別に迷うことがなかった、自分では最高の1枚なんだけどなあ。しかもこのコーナーだと晴天時の見栄えの良い写真が並ぶことが多いのだが、山はいつも好天のときに登れるとは限らない、という自戒の意味も込めて選んだし。

でもまあ、載せていただけただけありがたいか。
ちなみにこのコーナーへの投稿は4回目で、過去3回はまだコンパクトフィルムカメラを使用していたので紙焼き写真の送付で少し手間がかかっていたが、今回初めてデジカメ写真添付のメール投稿にしてみた。やはりそのほうがお手軽で良いですな。なお、4回ともにすべて掲載してもらっている。
また、謝礼は掲載誌の進呈というのも00年の投稿当初から変わっておらず、そのぶんの出費が抑えられるから嬉しい。ありがたい。

そういえば『岳人』、今月号から定価を700円から800円に値上げしてページ数とともに全号統一したが、近年の出版業界の情勢を考えると、質を落とさないようにするには致し方ないか。今月号も特に沢登り特集が面白く(ある友人からちらっと聴いていた、なぜか今月発売の『BE-PAL』09年7月号の特集記事にも一家総出で登場している服部文祥さんが3月に行った台湾の沢登りの話も掲載されているし)、いつもの書店や図書館での拾い読みよりもじっくり読めたのは助かる。

なお、『岳人』の現在の連載で好きなものベスト5を挙げると、

・デジカメ日記 僕のこころ (山野井泰史)
・備忘録 -語り残しておきたいことども (構成:山本修二)
・教科書になかった登山 (山岸尚将)
・放課後の「山道具概論」 (笹原芳樹)
・奥秩父 山、谷、道、そして人 (山田哲哉)

の順。

面白さで言うと山岸さんの連載がダントツなのだが、山岸さんにはまだちゃんとお会いしたことがないので、それが実現したときはちょっと突っ込んだ話を訊きたいものだ。子育てのことも含めて。間接的には所属山岳会のことも含めて噂はたまに聞くんだけど。
現在の(沢登り好きに拍車がかかっている)僕にとっては勉強になる、という点では山田さんのが特に良い。実は大学時代にある一件で大変お世話になったことがあるというひいき目もあるが、埼玉県民の僕も特に身近で大好きな奥秩父という山域について詳しく取り上げているから。一度、山田さんのガイドで奥秩父の沢に行ってみたいなあとは数年前から思っている(できれば荒川の源流である真ノ沢とか)。

また、ほかの記事もほとんどちゃんと読んでいるけどね。例えば地平線会議の報告会で毎月必ず見かける江本嘉伸さんの書く「岳人時評」を読むにつけ、毎月しっかり本分である「山岳ジャーナリスト」としての仕事もやっているんだなあ、と改めて感心したりもしながら。江本さんの名前をこの雑誌も含めて各種媒体で見ると毎回、報告会のあとの中華料理店での2次会で(報告会が上手くいったことに安堵したことから)気分が良くなってえらく酔っ払っている赤ら顔がすぐに思い浮かぶのだが。その店を出るときにたまに忘れ物をして、僕が届けてあげたりもするし。

あと、巻末の編集後記である「編集室だより」も雑誌を毎月手に取って一番最初にチェックするくらいに好き。今月号では廣川建司編集長が先月号の巻頭カラー記事のいきなりよく目立った人名誤植について謝罪していたが、どんまい。でも、もっと一般的な媒体にも大きく取り上げられるべき世界的な受賞記事だからなあ……。しかも「日本を代表する登山専門誌」ですし……。
そういえば最近のこの一件でふと思ったのだが、この雑誌も含めて東京新聞出版局の登山系出版物の校正というかチェック体制はどうなっているのだろう。僕が入り込む余地はあるのかなあ。一応その道のプロ(自称)なんですけど。何か仕事あったらください(どさくさ紛れ)。

ああ、今月号から定価800円か。購入対象としてはますます遠のいていく……。
引き続き、個人的経済不況ゆえに好みの特集の号のみ購入するということで、『岳人』読者歴は15年ですが勘弁してください。

まあとにかく、書店や図書館でこの号を見かけたさいには、ぜひご一読を。



※2009年9月某日の追記

チェックが遅れてしまったが、『岳人』のウェブサイト上の「新岳人写真倶楽部」のコーナーにも、件の写真は掲載されている。

http://www.tokyo-np.co.jp/gakujin/club/clb2009071402.html

ぜひご覧を。

ちょっくら八ヶ岳に行ってきた

2009-03-03 21:30:03 | 登山
先月28日(土)朝から2日(月)夜まで、長野県は八ヶ岳へ登山に行ってきた。同行は、雪山登山は先月の山梨県・大菩薩嶺に続いて2回目の野宿仲間(男子)1名で、計2名で。

コースは美濃戸口→赤岳鉱泉→硫黄岳→夏沢峠→根石山荘→夏沢峠→本沢温泉→しらびそ小屋→稲子湯、と東に北に進んだりして縦走した。それでこの行程中にテント泊を2泊。まあつまり、同行者の雪山登山の総合的な経験を積むための初級者コースですな。
かく言う僕もうだつの上がらない、八ヶ岳は4年ぶりで、しかも厳冬期の硫黄岳→横岳→赤岳の縦走もままならない初級登山者ですが。

ちなみに、この登山は僕の今年の予定には一切なかったのだが、先月の積雪が超少なかった大菩薩嶺登山の直後に同行者の雪山に行きたい! という熱意に押されて急遽登山の計画が持ち上がり、その準備もサクサク進み、結果こうなった。

当初の計画では2日に根石山荘から東天狗岳へ北上して黒百合平方面へ行くつもりだったが、1日も2日も風が強く(風速20m近くあったかな)、ひよって引き返してしまった。これが大学ワンゲルや山岳部だったら強行するところなのだろうが、同行者のことも考えると森林限界よりも上での無理強いもよろしくないし、僕も登山前からやや体調不良だったこともあって、結局は登頂は諦めて、予定を変更して無難に本沢温泉へ下降した。
ふたりとも心残りはあったけど、まあ仕方ない。体調バッチリで無風時だったら何も問題ないところだからなあ。

でも、それを除けば暖冬と言われる今冬にしては全行程で予想以上に積雪があり、雪山らしさはテント生活も含めて存分に楽しめた。
同行者は冬のピッケルやアイゼンを使うような登山はほぼ初めてのようなものだったが、夏山の経験が結構あるので実力の計算はしやすく(登山の同行は今回が3回目)、彼の所有する僕のアライテント「ゴアライズ1」よりも高級なテント生活も快適で(炊事時に水分をほとんどこぼさなかったこともその良い要因としてある)、登山自体も計画段階からやりやすかったことも幸いした。

今回のコースは部分部分では大学ワンゲルの合宿でも単独行でも数回経験しているために縦走中に見る光景も飽きるかと思ったが、同行者が変わっても足並みが揃うと、それはそれでまた違った趣があって楽しいものだな、と今回も昨年・一昨年に続いて感じた。予想以上に楽しめた。
行程の最後に取っておいた稲子湯(入浴料600円)も良かったし(でも湯は熱かったけど)。

ただ、僕個人的には大学時代にはあり得ないレベルのくだらない反省点がいくつかあったが(つまり、なまっているということ)、終わり良ければすべて良し、ということにしておくか。その反省点は早急に改善しないと。

八ヶ岳は、今年の無雪期中にもどこかのコースを1回、できれば2回縦走しようと思っているので、登山の再起の意味でも比較的アプローチのしやすい八ヶ岳にまたお世話になるつもり。
八ヶ岳さんよ、お手柔らかに。



3月1日(日)7時26分、赤岳鉱泉。このすぐそばにあるアイスキャンディー(アイスクライミングの人工ゲレンデ)で行なわれていた競技の参加者やヴァリエーションルートを行くクライマーや一般縦走路を行く登山者で、小屋前は7時台は大混雑。日曜日だとこんなものか。



3月1日(日)10時25分、赤岩ノ頭手前の斜面。斜度は45度くらいあったか。登る時期や雪の付き方にもよるのだろうが、以前通ったときに比べると登りがいがある斜面になっていて、ちょっと緊張した。晴れていたら小規模の雪崩も起こりそう。



3月1日(日)11時39分、硫黄岳(2742m)頂上。気温マイナス8度。この日は南や西からの風が強く、雲もひっきりなしに流れ、赤岳などの稜線もちらちらっと見えた程度だった。



3月2日(月)10時18分、本沢温泉・雲上の湯。時間がなかったので、入浴せずに見て湯に触るだけで下山。いつか雪見風呂もやりたいものですなあ。



3月2日(月)12時26分、しらびそ小屋。小屋そばのみどり池は雪で埋まっていた。東天狗岳を撮るアマチュア写真家がちらほら。このへんの標高の登山道もやや凍っていて、登りでも下りでもアイゼンが手放せない感じだった。

朝日新聞2009年2月7日(土)朝刊15面に

2009-02-07 23:30:11 | 登山
具体的には「opinion」に、先月も触れた服部文祥さんが登場している。もちろん「サバイバル登山」の話。

「サバイバル登山」とは何か? ということが短くまとまっている一文なので、わかりやすいかも。というか、全国紙だからこそわかりやすく書いたのかもしれないけど。
このなかで、先月31日の投稿でメモし忘れたことや、先月23日の地平線会議の報告会であまり詳しく触れていなかったこともいくつか出していて、改めて読んでなるほど、と感心しきり。そうそう、僕好みの「日本土着」の登山をやっているからこそ僕も服部さんの一挙一動が超気になるのだ。

特に「死」に関することは、登山のレベルというか質に雲泥の差はあれど、フリーソロのような登り方をやっていると僕もどうしても考えてしまうのよね。

「人間は生まれた瞬間からすでに死に近付いている」

みたいな表現もたまに見るが、ヒトの一生において最期を迎えるまでの期間を「あと○年もある」と考えるか「あと○年しかない」と考えるか、どちらの感覚で捉えるかは人それぞれだが、僕は服部さんのここ数年の『岳人』の記事や著書を読んで後者の想いが年々強くなっている。

そうなると、いつ死ぬかもしれない酔狂? な登山のような行為に傾倒するうえで、やりたいことややるべきことをさっさとやっておかないと死ぬに死にきれない、とも最近よく考える。そういった人種には世間一般で言う、良い学校を卒業して、良い会社に入って、結婚して、子どもをもうけて、家を建てて、定年まで勤め上げて、老後も悠々自適、なんていう「人生設計」は無駄なものだろうね。そんなことを考える暇があったらバリバリ行動してやる! という人のほうが僕は好き。
そういう面も考えると、服部さんは定職を持ち(天職?)、3児の父でもあり、奥様は美人(自称)、という社会性も併せ持ちながらサバイバル登山も続けている、というのがまた面白い。非日常を表現することによる世間一般への影響力を考えるさい、日常の「家庭も築いている」という点は何かを訴えるときに結構な強みになるのかな。

ある日、山でコロッと滑落・墜落したり、落石が命中したり、溺れたり、低体温症に陥ったり、熊やスズメバチに襲われたり、不意に災難に見舞われてあっさり死んじゃうかもしれない可能性は、普段の街なかの生活以上に高いから。登山や冒険・探検的行為を続けていると、そういった「死の香り」のする場面からはどうしても逃れられないものだ。とりわけ「登山家」や「冒険家」は、そういった感覚が人一倍研ぎ澄まされていて、危機管理能力も高いものなのかな。でもそうではないお粗末? な人もたまに見かけるけど。

というか、服部さんもこの一文で書いているが、そういった体験を経ることで逆に「生きていることを実感」できるのはたしかなことで、僕もそれを求めたいがために低レベルながらも登山を続けている。
でも、いつ死ぬかもしれない、という点では、普段の生活でも地震・洪水などの天災や犯罪や交通事故に運悪く巻き込まれる可能性だってあるから、山にいても街にいてもその確率的にはそんなに大差はないのかもしれないけど。

文中のキーワードは、「サバイバル登山」「ズル」「我慢」「死の予感」「手作りの生活」「殺す」「体験」「生+死=命」「ゲスト」「ホスト」かな。なんかこう挙げると新聞らしくない言葉が並ぶなあ。
図書館などの公共施設で過去記事を拾い読みしてみればー。読むと無性に現代文明に反旗を翻したくなるかも。