私の母は子供を7人も育てた。どんなにか大変だったことだろう!生活するのに何もない時代だったから、すべての事に時間と労力が必要だったはずです。
子どもにとっては、母親は特別な存在です。子育てに参加しない父親とは違う。子供を守るために、子供が道を踏み外さないようにするため、あらゆる手段をとって一生懸命になる。時には子育てに参加しない父親を利用し悪者に仕立て上げる。時には、が、いつもになる。子供はかわいそうな母親を助けようとする。少なくとも私の家庭はこうだった。
子供ながらにも、いろいろとあった!と思うから、本当はどれだけ大変なことがあったことか?
子供ながらにも、いろいろとあった!と思うから、本当はどれだけ大変なことがあったことか?
それでも、2人は長生きしてくれました。
2010年6月、兄の死から3年ぶりに兄弟姉妹が会う。母が施設に入ったというので、みんな集合することになった。墓参りもしたかった。
新幹線と特急やくもで米子駅に到着する。
兄の墓に4人でお参りした。山陰には珍しく晴れの日が続く。
お寺の空は夕暮れに・・・。夜、久しぶりにみんなで食事をして、翌日母がいる施設を訪ねる。母は元気そうだったが、いつも面倒をみている地元に住んでいる妹は大変だ。ありがたく、すまないと思うけど・・・。
境港行きの列車を横目に帰る。
境港行きの列車を横目に帰る。
この5か月後、母が危篤状態の知らせを受ける。この間会ったばかりだったのに!どうやって米子にたどり着いたか覚えがないが、兄弟姉妹がすでに到着していた。外に出て上を見上げた。
今日も晴だった。雨の多い山陰にしては珍しく、深い悲しみから救ってくれた。
今日も晴だった。雨の多い山陰にしては珍しく、深い悲しみから救ってくれた。
葬儀の時も快晴だった。妹ばかりに苦労をかけたと、兄として何もしてやれなかったことを恥じた。青い空が私の思いを吸い込んでくれた。
海岸から見た大山(だいせん)はかすんでいた。
海岸から見た大山(だいせん)はかすんでいた。
思い出ぽろぽろ!
公開後一部訂正削除2020.6.5