国指定史跡 女堀にある、花しょうぶ園
女堀も、未だに不明な点が多く、
文献に於いても諸説があり
足利 俊綱(あしかが としつな)が、女堀造営に関与したという説もある。
群馬県前橋市上泉町から伊勢崎市国定町まで続く農業用水跡。赤城山南麓の標高100mの等高線に沿って
開削(かいさく)されたもので、
同市上泉町の古利根(桃木川)から取水し、旧佐波郡東村西国定にいたる12.75kmの農業用水跡で、
1108年(天仁1)の浅間山の爆発により、壊滅的な被害を受けた大間々(おおまま) 扇状地末端地域の水田再開発のため、
当時この地域を支配していた渕名氏が開削したと推測される。大規模な農業用水であり、大量の人力を投入して水田開発を
推進したことを物語る記念物として貴重なことや、原形がそのまま残っており、調査からも重要な遺構が確認されたため、
1983年(昭和58)に国の史跡に指定され、1997年(平成9)に追加指定された。
現存している遺構や土上げ部分の保全のために公有地化され、2万4000株の花菖蒲を植えて赤堀花しょうぶ園が開園
保存会のご尽力で、根元に黒マルチを敷くなど、数々の手入れなされております。
また、 峯岸氏は赤堀小学校の元教諭で、り、昭和26年、最初の生徒を受け持った方ですが。
研究の中心は日本中世史(平安末から戦国)で、女堀遺跡の発堀作業と解明に大きな業績を上げられました。
「女堀」という呼び方は、もともと「媼堀(おうなぼり)」から派生したとの考古学説を提唱し、
それが今日の定説となっています。
著書は『関東の名城を歩く南関東編』『足利尊氏と直義』『中世の合戦と城郭』
『戦国時代の城』『日本中世史の再発見』等多数あり
根元をご覧ください、全てマルチングがされて有ります。
食事処もあります。
紫陽花はやはり梅雨に会いますね
2万4000株の花菖蒲は見ごたえがありますので、良い散歩道ですので、ぜひお越しください。
地元保存会の方のご尽力でよく手入れされて、ごみもありません。
勿論、トイレ、駐車場も綺麗ですので、ぜひご覧ください。
近隣の方が、巨大なカエルを置いていますので、無事にカエル事ができます。
なを、アクセス等は、下記が参考になると、思います。
http://www.isesaki.ne.jp/kankoukyoukai/syoubukaika.html
参考文献
能登健「女堀」(『日本史大事典 1』(平凡社、1992年)
峰岸純夫「女堀」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年)
峰岸純夫「女堀」(『日本歴史大事典 1』(小学館、2000年)
『図説 日本の史跡 第4巻 古代I』、同朋舎、1991 他、地元資料含む
朝早く見に行ける距離にあるのはありがたいですね。
バラはとっくに終わり菖蒲やアジサイが今を盛りに咲き誇っていますが本当に梅雨空によく合います。
それなのに来月8日までびっしり仕事が入っていて今年は諦めるしかありません。
今頃になって今月前半の疲れが出たようです。
今日は一日ごろごろしています。
年は取りたくないものです。
土地柄か、保存会の方が並々ならぬ手入れの御陰です。
画像上から8番目の根元でお判りかと思いますが、
全ての株の根元に黒のマルチが敷いてあります気の遠く
なるような手間暇を、してありますが、気づく方は少ない
籠に乗る人担ぐ人その又草鞋を作る人其の其の藁を
作る人、陰で2万株以上の菖蒲に保存会の方が正にわが子の様に育ててくれる事に、感謝ですね。
神谷さんのCDでも、聞いてご自愛下さい。
仕事がある事は、とても幸せですが、程々に