アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

幻の民サンカ 其の11 三角寛とは其の3

2015年07月29日 | 近世の歴史の裏側

写真のモデルの人達

 三角寛は『サンカ社会の研究』につづいて『サンカの社会資料編』を公刊している(昭和四十六年、

母念寺出版。平成十三年に現代書館から復刻版)。

 資料編には「全国サンカ分布図」と銘打った祈り込みの多色刷り地図や、「サンカ用語解説集」「サンカ薬用・

食用植物一覧」というのが付されているが、あとは殆ど前者で触れている事ばかりで、内容は意外に乏しい。

ただ『研究』にはないものも含めて写真百二枚(ほかに「サンカ文字」の写真が八枚)が冒頭に、

一括して載せられ、それぞれに番号付きの見出しと、『研究』より詳細な説明を加えている。

 『資料編』の「三角寛撮影並解説 サンカの生態記録写真集」の序には次のように記されている。

  サンカは、三角寛学位論文『サンカ社会の研究』に縷述せるごとく、自分たちの生活慣行を絶

対秘密にし、外部に洩れることを極度にきらっている。したがって、写真撮影などは以ての外の

禁忌として拒絶する。

 しかしながら、現在の時点において、これを記録印象しておかねば永久消滅となるので、説得

に説得、ようやく承諾を得て、ここに十四年間機会のあるたびに撮り溜めた全十五巻「四季のサ

ンカ」の三十五ミリ記録映画を得た。この写真は、その三角寛撮影の映画よりコマ撮りしたものである。

 

 ただし、その中には、三角も記しているように一枚撮りの写真も含まれている。

これらの写真で被写体となっている人たちが、だれなのかということである。

わたしは主要な登場人物については、凡そ名前を特定できたが、

その作業が可能になったのは斎藤登(仮名)との邂迢によるところが大きい。斎藤は、松島ヒロの死を

慈眼寺の住職夫人に伝えた菊恵(故人)の夫である。

                                        続く