アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 平成弐拾七未年 其の弐拾五

2015年05月05日 | 近世の歴史の裏側

渡辺三右衛門の日記には、

 

四月七日

 五目牛村徳大津屋源助店一条ニ付故障有之由、四丁目荒井代次郎殿立入、

故障有無清次郎江聞合侯処、故障無之旨被及挨拶、亦隣家江は鶴舛屋米吉殿廻り呉、

対談ニ而源助殿は岩鼻御陣屋江御用之由ニ而出向之由、右ニ付右米吉殿迎之人差遣候由、

右故高崎より直ニ玉村宿江相帰リ候、 右は当番名主清兵衛殿迄届け人米吉殿ニ候処

何様故障之筋無之、尤家業渡世向ニ付旅龍屋ニ候ハバ、問屋一同之儀外家業は夫ニ不及

旨、仮令相談成とも故障相談ニは無之旨被申候由、米吉殿より被申候、右ニ付徳儀も其積リニ而相帰ル

 

 徳の大津屋源助店借の件につき故障か生じ、日野屋の荒井代次郎が立ち入って、故障の有無を清次郎に聞き合わせたところ、故障はないとの返事であった。

隣家へは鶴舛屋米吉が回ってくれたが、当の大津屋が領主岩鼻陣屋へ御用があって出向いているというので、米吉が人を遺って大津屋を呼び戻した。借家の件は、米吉が当番名主清兵衛に書類を届けたが、故障の筋はなかった、渡世向きは旅龍屋であれば、ほかの家業にしなくとも宿の問屋一同は良いとしている。

たとえ相談があったとしても、故障とする相談ではなかった、と米吉は言っている。

こういう訳で徳も安心して帰った。

 

                                            続く