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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

お説教にならんわけやね。

2025-09-08 | 古典
湯川秀樹の対談本をひらいていたら、

「・・・私にはひじょうに極端な性質が一つある。
 人が説教するのを聞くほどきらいなことはないんやね。(笑)
 
 あるとき、私の出身校の先生がなくなった。
 それで、告別式に行ったんや。そうすると、
 故人の信仰とか、人柄の話がある。それはいいんですが、
 そのあとに、長い長いお説教がつづくんや。
 
 ぼくはお説教を聞きに行ったんじゃなくて、
 なくなった先生の追悼に行ったわけや。それを機会に長々と、
 お説教されるのは、たまったものじゃない。
 早く逃げようと思ったけれども、逃げるわけにいかぬ。
 かなわんと思った。    」


はい。これからが本題になるので、もう少し引用をつづけてゆきます。
ご勘弁(笑)。

「私は別にどの宗教がどうというつもりはないけれども、
 子どものときに、お盆などに坊さんが家に来る。
 長々とお経を読むが、聞いていてわからん。
 退屈はするが、反撥はしなかった。(笑)
 お経には、いいことを書いてあるんでしょうけれども、
 だいたい呉音というか、漢音とは少しちがう発音で、
 『如是我聞(にょぜがもん)・・』とかなんとかいう。

 中味は、なんにもわからへん。
 私はそういうのが好きでしてね。(笑)

 宗教にかぎらず、思想でもなんでも、これだけが
 唯一絶対の真理といわれると、いやになる。
 孔子はえらい人であるし、おっしゃることも立派やけれども、
 儒教の古典はお説教調になりがちです。そこで、
 お説教でない思想を中学生の頃に一生懸命さがした。

 そうすると、老子や荘子というようなのは、
 変なことを言うて、常識に反しているから、
 反論はいくらでもできて、お説教にならんわけやね。
 それがたいへん気に入ったということがありましてね。・・ 」

  ( p247~248 湯川秀樹編「対談集 学問の世界」岩波書店・1970年 )


ここは、小川環樹氏との対談「少年時代の読書」のなかに出てくる。
最初に私は、荘子を読もうと思ったのですが、読み進められなくて、
それなら、この機会にと、湯川秀樹の本を私はひらいておりました。
はい。回り道でも、読めてよかった。そういう箇所を引用しました。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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湯川秀樹 (きさら)
2025-09-08 10:34:17
湯川さんは 関西弁だったのですね(笑)
それで 経歴を調べてみましたら
京都で育ってらっしゃるのでした。
私の住む町の近くの 西宮にもお住まいされていたそうで。なんだか とても身近に感じられました。
(雲の上の方ですけれどね)
湯川さんの本 楽しそうですね。
返信する
こんにちは。 (和田浦海岸)
2025-09-08 13:21:46
こんにちは。きさらさん。
コメントありがとうございます。

梅棹忠夫著「知的生産の技術」のまえがきに

「湯川秀樹先生が、わたしのプランのことを
 つたえきかれて、それはやはり一種の
 『 技術 』の問題ではないか、
 というヒントをくださった。・・・ 」

という箇所があり、それ以来
物理学者ではなくって、ヒントをくださった
湯川秀樹が気になっておりました。

それに湯川秀樹というと、荘子と
結びつくのが気になっておりました。

なんだか、やっと読みはじめられた
という感じですが、また興味が他へ
移ってしまうかもしれません(笑)。
袖触れ合うも他生の縁。
縁は異なもの味なもの。
という読みはじめです。
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