湯川秀樹の対談本をひらいていたら、
「・・・私にはひじょうに極端な性質が一つある。
人が説教するのを聞くほどきらいなことはないんやね。(笑)
あるとき、私の出身校の先生がなくなった。
それで、告別式に行ったんや。そうすると、
故人の信仰とか、人柄の話がある。それはいいんですが、
そのあとに、長い長いお説教がつづくんや。
ぼくはお説教を聞きに行ったんじゃなくて、
なくなった先生の追悼に行ったわけや。それを機会に長々と、
お説教されるのは、たまったものじゃない。
早く逃げようと思ったけれども、逃げるわけにいかぬ。
かなわんと思った。 」
はい。これからが本題になるので、もう少し引用をつづけてゆきます。
ご勘弁(笑)。
「私は別にどの宗教がどうというつもりはないけれども、
子どものときに、お盆などに坊さんが家に来る。
長々とお経を読むが、聞いていてわからん。
退屈はするが、反撥はしなかった。(笑)
お経には、いいことを書いてあるんでしょうけれども、
だいたい呉音というか、漢音とは少しちがう発音で、
『如是我聞(にょぜがもん)・・』とかなんとかいう。
中味は、なんにもわからへん。
私はそういうのが好きでしてね。(笑)
宗教にかぎらず、思想でもなんでも、これだけが
唯一絶対の真理といわれると、いやになる。
孔子はえらい人であるし、おっしゃることも立派やけれども、
儒教の古典はお説教調になりがちです。そこで、
お説教でない思想を中学生の頃に一生懸命さがした。
そうすると、老子や荘子というようなのは、
変なことを言うて、常識に反しているから、
反論はいくらでもできて、お説教にならんわけやね。
それがたいへん気に入ったということがありましてね。・・ 」
( p247~248 湯川秀樹編「対談集 学問の世界」岩波書店・1970年 )
ここは、小川環樹氏との対談「少年時代の読書」のなかに出てくる。
最初に私は、荘子を読もうと思ったのですが、読み進められなくて、
それなら、この機会にと、湯川秀樹の本を私はひらいておりました。
はい。回り道でも、読めてよかった。そういう箇所を引用しました。
それで 経歴を調べてみましたら
京都で育ってらっしゃるのでした。
私の住む町の近くの 西宮にもお住まいされていたそうで。なんだか とても身近に感じられました。
(雲の上の方ですけれどね)
湯川さんの本 楽しそうですね。
コメントありがとうございます。
梅棹忠夫著「知的生産の技術」のまえがきに
「湯川秀樹先生が、わたしのプランのことを
つたえきかれて、それはやはり一種の
『 技術 』の問題ではないか、
というヒントをくださった。・・・ 」
という箇所があり、それ以来
物理学者ではなくって、ヒントをくださった
湯川秀樹が気になっておりました。
それに湯川秀樹というと、荘子と
結びつくのが気になっておりました。
なんだか、やっと読みはじめられた
という感じですが、また興味が他へ
移ってしまうかもしれません(笑)。
袖触れ合うも他生の縁。
縁は異なもの味なもの。
という読みはじめです。