和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ふたたび席に戻る。

2023-12-11 | 短文紹介
吉田光邦氏に「茶の湯十二章」というのがありました。
なんでも、『家庭画報』の1969年1~12月号に連載されたもの。

ここには、12月の箇所を引用。

「12月の茶といえば夜咄。
 冬至の前後のころの昼の陽ざしはみじかく、夜はいやが上にもながい。
 そうした夜に同心のわずかな人数でひっそりと集まる会。それは
 あわただしい歳末のなかで1年をしみじみと思いかえす集まりなのだ。

 寒い夜、おぼろな光、そのなかでしずかに進行する茶事。
 すべては寒さを忘れるようなあたたかい空気への配慮にみたされて、
 集まる人びとはそこに亭主の心づくしを思うのである。

 直弼はまたいっている。
 『 此道の教は初門の時より、喫茶を以て楽しましめ、
   きわめて心地朗なる所を楽しむ、高きも卑きも富めるも貧しきも、
   浅きも深きも楽しむの外事なし 』と。

  彼にとっては茶は楽しむものであり、
  その楽しみは自分の現在のあり方をはっきりと
  見定めることによって生まれてくるものであった。

  ・・・そして人びとの交流の媒介となるものが、
  茶の味であり、懐石の味わいなのであった。
  だがその交流は同時に自分のあり方の自覚でなければならなかった。

  ・・・茶会は終り客は主の見送るなかを立ち去ってゆく。
  そして主人はしずかにふたたび席に戻る。

 『 今日一期一会済みて、ふたたび返らざる事を観念し、
   或は独服をもいたす事、是一会極意の習なり。此時寂莫として
   打語らふものとては釜一口のみにして外に物なし 』

   そうして人生の瞬間は、人びとの心のなかに
   あるしるしをつけながら消えてゆくのである。  」

    ( p168~169 吉田光邦評論集Ⅱ「文化の手法」思文閣出版 )


はい。次回は、お正月の茶の湯の箇所です。
 

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