和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

不読者。

2010-01-18 | 短文紹介
外山滋比古著「自分の頭で考える」(中央公論新社)は、カバーに舟越桂の彫刻写真が載っておりまして、なんかスゴイなあ。新刊です。まだ古本ではおめにかかれない。
さて、そこに「不熱心な読者の告白」と題した文があり印象に残ります。
その引用。

「東京高等師範学校の学生になって寮に入りますと、出版されたばかりの『寺田寅彦全集』が揃っていました。すぐとりかかって、文学篇を読み通しました。はじめて読書をしたという感じでした。その後、一時期、小説を乱読したこともありますが、寅彦の影響は文学書を吹き飛ばすほどでした。おかげでとうとう文学青年になることができませんでした。」(p91~)

「すこしずつ本を読まなくなりました。専門のために必要な読書は別にして、一部のエッセイ以外、読んでおもしろいと思うものもありませんでした。教師になってからのことですが、都電の停留所で本を見ていたら、後日、学生たちから『本を読んでいる。珍しい』とひやかされたこともありました。ケンブリッジ大学の英文科教授、Ⅰ・A・リチャーズが、『彼はめったに本を読まない』と書かれているのを見て、心強く思ったこともあります。しかし、いつも、もっと本を読まなくてはいけないという強迫観念がどこかでうごめいていたような気がします。
このごろ、本が読まれなくなったといって心配されていますが、量的なことは問題にならないでしょう。質的にすぐれた本は、いつの時代もそれほど多くあるわけではなく、雑書をむやみに読むのはむしろ有害ではないか。[不読者]はそういう不逞なことを考えます。」


「本を読まないなら、新聞・雑誌は読むだろう、などと言われては困ります。決してよい読者ではありません。正直に言って、読んでよかったと思うような新聞記事に出会ったことはあまりありません。ニュースを別にして、論説などがひどく威張っているのが気に入りません。指導性が強すぎるのです。もっと読むものの心にひびく低い声でものを言ってくれないかと不満をいだいています。」

う~ん。不満を抱きながら新聞・雑誌をめくっている外山氏の様子が、私には浮かぶのですが。


「電波メディアと比べて、活字メディアはソフィスティケーションが一段上ですから、本や新聞・雑誌を読むのは知的努力を要します。それにふさわしいメッセージがないと、読む側は裏切られたように感じるでしょう。送り手の意識改革が必要になっているのではないでしょうか。」

この文の最後は、

「おもしろくて価値ある情報を送るのは生やさしいことではありませんが、それを目ざさないコミュニケーションは早晩、衰退することになるでしょう。」
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